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キガリ郊外に住むフツ族のエマニュエルさん(44)は20年前の4月、虐殺が始まると民兵組織インテラハムウェに入った。2日間の訓練後、自動小銃を手にツチ族住民の襲撃に加わった。
「やらなければ自分がやられていた」。ツチ族だけでなく、穏健派のフツ族住民も殺されていたからだ。
検問で、赤十字のトラックに乗せられた遺体の下に隠れている男女3人を見つけた。ツチ族を示す身分証を持っていた。「上官から『ゴキブリは片付けろ』と言われた。撃ち殺すしかなかった」。3人が命乞いをする姿や声が、忘れられない。
約3カ月後、少数派のツチ族が主体のルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を制圧すると、ザイール(現コンゴ民主共和国)の難民キャンプに逃げ込んだ。2年後に帰国すると逮捕され、投獄。2005年に釈放された。「殺害を後悔している。だが、政府や社会が仕向けたら一般人は逆らうことはできない。政府が腐れば(虐殺は)またいつでも起きる」
キガリに住む運転手エリックさん(42)は、父親がフツ族で母親はツチ族。父親は虐殺に協力しなかったため処刑された。「当時の苦い思いは、皆が持ち続けている。今は皆、国の発展に忙しい。だが、政治次第でまた起こらないとは言えない」と話す。
旅行業のサガフツさん(50)はツチ族で、両親を含む親類83人が殺された。医師だった父はけが人の手当てのため病院へ行く途中、知り合いに殺された。自身は建設中のトイレ用タンクに2カ月余り隠れて生き延びた。
「民族は憎まない。だが、家族を殺した者を許す気持ちにはまだなれない」。家族の遺影は携帯に保存している。「虐殺を目の当たりにした我々の世代は病んでしまっている。しかし前に進もうとしなければ、トラウマに押しつぶされて気が狂ってしまう」。長女(21)が祖父の遺志を継いでフランスの大学で医学を学ぶ。「次の世代が希望の未来をつくってくれる」と語った。
■進む経済発展、続く強権政治
1994年7月、RPFが全土を掌握することで虐殺は終わった。以来、RPFは政権の座にあり、司令官だったカガメ氏が現大統領を務める。民族融和を進める一方、外国からの投資環境を整備し、年率8%前後の高い経済成長で急速に復興している。カガメ氏は「CEO大統領」とも言われ、小中学生にパソコンを配る「1人1台」政策も導入した。欧米諸国は「アフリカの奇跡」と称賛する。
99年に発足した「国民和解委員会」の報道担当者は「強いリーダーシップ、政治的意志が民族間の融和の成功の鍵となった。同じ『ルワンダ人』の意識が根付いてきている。国内の至る所に警察官や協力者がいて、紛争の芽を見逃さない」と話した。
一方で、紛争再燃への危惧を背景に、野党勢力への弾圧が指摘され、言論統制によってカガメ氏は「強権的だ」との声も出ている。
地元新聞社の40代の幹部は「例えば政府の批判記事を書いたら『民族分離主義者』として逮捕される。批判記事を書ける記者は逮捕されたか、国外に逃げた」と話す。「融和にはもちろん賛成だが、もはや民族の問題ではなくなっている。政府に都合の悪い調査報道は命に関わる」と語った。
野党「ルワンダ民主緑の党」のフランク・ハビネザ代表はRPFの党員だったが、強権的な方針に疑問を感じて離れた。「虐殺後の1年間は強権的な体制はやむを得なかったと思う。だが今なお、ルワンダには民主主義、表現の自由はない」と訴える。
09年に政党を立ち上げ、翌年に副代表が何者かに暗殺された。自身も危険を感じ2年間、国外に逃れた。
「民主主義なしに欧米が奇跡と呼ぶ発展の持続性はない」(キガリ=杉山正)
■アフリカ、相次ぐ住民対立
ルワンダと同様の悲劇は、今なおアフリカ各地で続いている。
中央アフリカ共和国では昨年3月に反政府勢力が首都を制圧し、無法状態に陥った。イスラム教徒とキリスト教徒の間で殺害、略奪、性的暴行が横行した。だが、資源開発も進まないこの国は耳目を集めてこなかった。テロ組織の温床になることを恐れた米仏を中心に議論が深まり、昨年12月にようやく、国連安保理が軍事介入を認める決議を採択した。
また、南スーダンでは政治的な対立から民族感情があおられ、昨年12月から2大民族間の紛争に発展した。100万人以上が国内外に逃れ、和平の道筋は見えない。駐留する国連部隊の兵士や住民が基地内で殺害される事件も起きている。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11070323.html
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