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2月20日にウクライナの抗議集会が暴徒化した結果、一応は民主的な選挙の結果選ばれていたヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡するはめになるのだが、そもそもこの暴動が発生した経緯を見ていくと非常に不可解なことが多い。
ウクライナで暴動が起きる直前、ヤヌコビッチと反体制派の間には和解機運が生まれていた。今年2月16日の「産經新聞」には、「ヤヌコビッチ大統領は31日、欧州統合を求めるデモに参加して拘束された野党側活動家の恩赦を可能にする法案に署名した」とする報道がある。
ところが、2月19日の同新聞には、「野党勢力の反政権活動が続く首都キエフの議会付近などで18日、野党側と治安部隊の衝突が再燃、野党議員は交流サイ ト『フェイスブック』で、デモ隊3人の遺体が衝突現場付近で見つかった」と報道した。同日の大阪夕刊では、死者が21人に拡大し、米バイデン副大統領はヤ ヌコビッチに「自制を求めた」と報道された。
その結果、21日にはヤヌコビッチ大統領は自体の鎮静化に動き、反対勢力との妥協にこぎつけた。ところが、翌日にはヤヌコビッチが姿を消し、反体制派が大統領の私邸や政府施設を占拠した。ここでウクライナのクーデタによる政権転覆が確定的になったわけである。
ところが、2月19日の反体制派が次々と射殺されていった事件については、この銃を乱射したのはヤヌコビッチ政権側ではなく、新政権入りした反体制側だっ たという事実がバレてきた。この事実はウクライナの諜報機関が傍受した、アシュトン欧州連合外務・安全保障政策上級代表とバルト三国のエストニア外相の電 話音声で明らかにされているものである。
音声によれば、同外相は、現場を視察しその際に話を聞いた看護婦の証言をアシュトンに「同じスナイパーが政権派と 反政権派の双方に銃を発射した」と証言している。つまり、ウクライナ抗議行動の最終的な暴動化は、反体制派が仕掛けた自作自演だったということを話し合っ ているのだ。
そしてこの反政権抗議集会を過激化させたといわれるのは、ウクライナ野党のスヴォボダと右派セクターと言われる2つの政党の活動家 だ。米ニュースサイトの「サロン」に寄稿した米国のジャーナリスト、マックス・ブルメンタールの解説によれば、スヴォボダは、第二次世界大戦時代にナチス 協力者としてユダヤ人虐殺にも関与したバンデラというファシストを崇拝している政党で、右派セクターの活動家はスキンヘッドと路上での騒乱をよく起こす集 団であるという。この両者が現在はウクライナの暫定政権入りしている。
スヴォボダの有力メンバーは、ドイツ・ナチス政権の情報宣伝大臣だったジョゼフ・ゲッペルスの名前を冠したシンクタンクを設立するなど、今でもナチス思想にどっぷり浸かっている。こういうことはなぜか日本のメディアはほとんど報道しない。
問題は、このネオナチ政党のスヴォボダとアメリカの関わりである。電話音声をユーチューブにアップロードされた欧米当局者はアシュトンだけではなく、実は もう一人、ヴィクトリア・ヌーランド国務次官補(欧州・ユーラシア担当)がいた。この4分間の電話の相手は米国の駐ウクライナ大使である。
ロシア版CNNというべき報道機関であるロシア・トゥデイでは、この様子が詳しく再現されている。2月上旬にアップロードされた音声では、1月25日にヤヌコ ビッチ大統領が「反政府側の野党党首のヤツェニュクを新首相に、反体制運動家のクリチコを副首相にする案」を提示したが、すぐに断られたことをヌーランド らが話し合っている。ヤツェニュクは現在、暫定政権の首相になっており、元は外相、経済相、中央銀行総裁なども務め、政治家生活も長い。オレンジ革命の時 にウクライナ首相になった、ユリア・ティモシェンコの率いる政党に所属している。
一方、クリチコは街頭抗議行動のリーダー的存在で、元はプロボクサーという異色の経歴の持ち主で政治経験は薄い。ドイツ在住歴が長く、ドイツのメルケル政権は、このクリチコを通じて、ウクライナの政変を収めようとしていたが、結局、極右に主導権を奪われた。
ヌーランドは、ヤツェニュクを極めて高く評価し、一方でクリチコについては、「政権入りさせる前にちゃんとやるべきことをやってもらわなければ」と電話で 述べており、非常に評価が低い。さらにヌーランドはクリチコ以外にも、スヴォボダの党首であるチャフニボクという極右についても前面に出さないで脇におい ておくべきだとヤツェニュクに対していう必要があると語っている。
この電話の録音の内容を見ていると、まるで米国務省が次に誰を総理大臣にする かを決めているかのようだ。結局、ウクライナの暫定政権には、この2大右翼政党から、副首相、国防大臣、資源担当相など4人が入閣した。ヤヌコビッチ政権 と合意して民主的な選挙で大統領を決めようとした勢力が排除され、暴力的に権力を奪取した勢力が権力を握った。
この政変がウクライナ国内だけの 要因で起こったのではないことは、前後の状況を見ればわかる。ヌーランド国務次官補は12月にウクライナを訪問し、スヴォボダのチャフニボク党首や、ヤ ツェニュク、クリチコとも面会した写真が残っている。それと前後して、米国のネオコン派のジョン・マケイン上院議員もまた、わざわざウクライナを訪れ、ク リチコ以外と面会した写真が残っている。ヌーランド国務次官補はオバマ政権の高官でもあるが、元々はブッシュ前政権ではチェイニー副大統領のアドバイザー だった。つまりはネオコン派である。
上の写真はマケインが12月にウクライナ訪問しネオナチ政党党首と現在の暫定首相
と会見。下の写真は同じくヌーランド次官補が野党幹部と会見した写真
ネオコン派というのは、1980年代のレーガン政権の時に誕生して以来、死に絶えたことはない。死に絶えた と思ったら、突然出てきて、世界中の民主化運動の裏で関与していることが発覚する。ウクライナを始めとした世界各国には米国の財団の資金や米国の税金が民主化支援の名目で拠出されている。
これらの資金は、各国で政変を起こして、次の政治指導者になる政治家を育てるための資金だ。アメリカは世界覇権国だから各国ごとにそういう次の指導者を育てるプログラムが有る。アメリカにコントロールされているのは日本の政治指導者だけではない。
そして、やがてウクライナの政権を安定化させていくために、これらの右派勢力は切り捨てられていくだろう。米国はアルカイダ勢力についても、反ソ勢力として育て、そしてやがて米国に敵対する勢力として殲滅していったからだ。歴史は繰り返す。
一方で、欧米諸国のおぼえもめでたいティモシェンコ元首相の率いる政党の幹部であるヤツェニュク首相は元銀行家ということもあり、今後のIMFとの支援交 渉のために欧米諸国でも必要不可欠な人材だから生き残る。
世界の支配層はそうやって過激化したグループを自分たちの利益に役立つ範囲では放置し、利用す る。そして何事もなかったかのように、生き残ったものだけを秩序に加えていくのだ。外国のカネと力で政変を実現する国にはそういう悲劇が必ず起きることを は知っておいた方がいい。
今回も暗躍したとみられるネオコン派は民主党政権末期になると、むっくりと息を吹き返す。ブッシュ政権一期目はネオコ ンの時代だったが、その兆しはクリントン政権2期目にはもう伺えた。もともとネオコンの出現はカーター政権の外交政策にがっかりした軍産複合体が準備した ものだ。オバマの師匠ともいうべきカーターは一期で大統領を退いたが、オバマは二期目を迎えた。それだけネオコン派がアフガン・イラク戦争で負った痛手が 深いということだが、それでも死に絶えていない。
そういう形で、今回のウクライナ政変は仕掛けられていたということを理解していただきたい。オ バマ大統領などは所詮は飾りに過ぎない。米国の主要産業は、金融、エンタメ、そして軍需である。特に米国自体が今後しばらくは直接は戦争に関わっていけな くなる以上、地域の同盟国や関係国に武器を買わせるほかはない。
結局、今回の政変、ウクライナ東部やモルドバの一部の分離独立という激化を辿らなければ、欧米金融界に覚えもめでたい新首相と欧米よりの新大統領が5月に前倒しされた大統領選挙以降も、ウクライナの経済構造改革を行うことになる。
しかし、プーチンの次の一手を読み違えれば、今年は第一次世界大戦勃発から100年目だから万が一ということもある。
結局、このウクライナ政変で一番「棚ぼた」だったのは中国である。
アジアへのピヴォット(軸足変更)は当分先のことで、中国が相手にするのは日本など米国の同盟国であるということだからだ。習近平夫妻はウクライナ対応と中間選挙への応援で忙殺されるオバマ大統領夫人の訪中を出迎えていっそうごきげんだったようだ。
http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/37904211.html#more
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