02. 2014年3月26日 18:41:20
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近年、戦場における組織的強姦の最も好例を挙げるとするならば、真っ先に記述されるべきはベトナム戦争での韓国軍のそれだろう。怪しげな「慰安婦狩り」とは違って、これに関しては確固たる証拠が存在する。ベトナム全土に残された1万人(総数に関しては推定7000人から3万人まで諸説がある。1万人は認知訴訟から割り出した件数)とも言われる「ライタイハン」である。「ライタイハン」のライは「混血」(多少の蔑視を含む言い方で、雑種がやや近いニュアンス)、タイハンは「大韓」、つまり、韓国兵の強姦によって生まれたベトナム現地の混血児を意味する。 1965年、韓国軍の本格的なベトナム参戦が始まった。1965年から1973年までベトナム中部を中心に延べ約32万人と言われる韓国軍の派兵はアメリカ軍に次ぐものである。派兵のための大義名分は「朝鮮戦争の時ともに戦ってくれた米国への恩返し」「アジアにおける赤化の拡大を防ぐため」であったが、実際は10億ドル以上とも言われた米国からの支援金と特需を見込んでのものだった。 ベトナム派兵で韓国側にもむろん多数の戦死者が出たが、彼らは共産主義と戦った「英霊」として国立墓地に眠っている。また、枯葉剤を浴び後遺症に苦しむベトナム帰還兵は「殉難者」として扱われている。ベトナム参戦=正義、それが韓国の正史なのである。 ところが、1999年5月、有力左系新聞社の週刊誌『ハンギョレ21』の大スクープが、韓国国内を震撼させ、韓国国民がそれまで抱いていた「ベトナム戦争」観に巨大な楔を打ち据えることになったのである。 ベトナム留学中だった韓国の女子大生・具女史が現地の聞き取り及び入手したベトナム政府の内部資料をもとにレポートしたところによれば、韓国軍はベトナム各地で、老人や子供、女性や僧侶を含む非戦闘員を虐殺、レイプを繰り返していたというのだ。具女史の聞き取りから推測されるだけでも犠牲者の数はゆうに9000人を超えていたという。 現在明らかになっている韓国軍による代表的な虐殺事件をここに紹介する。 【タイヴィンの虐殺】1966年1月23日から約1カ月間にわたり南ベトナムビンディン省タイソン県タイヴィン村で韓国陸軍首都機械化歩兵師団、通称「猛虎部隊」が集落を次々襲い、非武装の住民1200名を虐殺。その中には1人残らず抹殺された家族が8世帯に及んだ。 【ゴ・ダイの虐殺】 1966年2月26日、南ベトナムビンディン省タイソン県ビンアン村のゴ・ダイ集落を訪れた「猛虎部隊」が住人380人を1ヵ所に集め、銃器、手榴弾などで全員虐殺。所要時間は1時間にも満たなかったという。 【フォンニィ・フォンニャットの虐殺】 1968年2月12日、青龍師団(韓国海兵隊第2海兵師団)が南ベトナム・クアンナム省フォンニィ・フォンニャット村の婦女子約70名を銃殺や銃剣による刺殺、焼き殺しを行った。そのあまりの残酷な行為に驚いたアメリカ側が韓国に調査を求めると、韓国側は「韓国軍の制服を着たベトコンの仕業」という虚偽の報告をしている。 【ハミの虐殺】 1968年2月25日、南ベトナム・クアンナム省・ハミ村で大韓民国海兵隊によって非武装の民間人135人が惨殺。 誰が敵か分からないベトナム戦争では、疑心暗鬼から無辜の者を誤って殺してしまったという例は多々あっただろう。1人のベトコンを炙り出すのに、その何倍の善良な村民が殺されたケースもあったかもしれない。しかし、あえて、無抵抗な僧侶を寺ごと焼き殺したり、妊婦の腹を割いたり、赤ん坊を投げて空中で銃剣に突き刺す、あるいは子供の四肢を切断して生きたまま火へ投げ込むといった、およそ「人類史上類例のない」残虐非道な行為に韓国人を掻き立てたものは何なのだろうか。 聖公会大の韓洪九(ハ・ノング)教授は「兵士たちは、朝鮮戦争を体験した。共産主義者は人間ではない、殺さなければならない、という反共イデオロギーの中で成長した」と分析する(『歴史は生きている』朝日新聞)。つまり朴正煕軍事政権時代の過剰な反共教育の賜物だというのだ。しかし、この説明にさえ正直、違和感を覚えるのは、私があまりに日本人過ぎるからだろうか。日本のいかなる過激な反共主義者といえども、共産主義者を「人間ではない」「殺さねばならない」とは主張すまい。 そういった発想すら日本人の脳にはプログラミングされていないのではないか。ましてや、今は21世紀だ。中世ではない。そう思ってあのソウル地下鉄の子供らの描いた反日絵を思い出し、ぞっとなった。韓国人は中世を生きているーー私のかねての持論がまた1つ強固なものになった。 ベトナム戦争では、韓国軍にとっては戦場の戦利品である強姦も嬉々として行われた。
名越二荒之助はベトナムでの聞き取り取材でこのような証言を得ている。 「韓国兵はベトナム人を蔑み、人前で平気でビンタをとる。ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。韓国との混血児は名乗り出ないので、はっきりとした数は分からないが、1万人以上いるはずだ」(名越二荒之助『日韓2000年の真実』) また、韓国の有力左系新聞社の週刊誌『ハンギョレ21』によれば、「女性を強姦した後、殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す」といった行為があたかも鼻歌まじりに行われていたという。 さらには、「強姦の被害者は判明している数の数倍はいるだろう。なぜなら、韓国兵は犯した後に殺すからだ」という声もあったという。 この戦争では韓国軍兵士は「きれいに殺し/きれいに燃やし/きれいに破壊する」というスローガンの下、各地で掃討作戦を展開したと伝えられている。これだけでもぞっとするような響きがあるが、彼らの本音を言えば、これに「きれいに犯し」を加えておきたいところだろう。 しかし、このスローガン、どこかで聞いたことはないか。そう、中国共産党が主張するところの、日本軍が南京攻略戦で用いたとする「三光作戦」なるものである。三光とは即ち「殺しつくし/焼きつくし/奪いつくす」を意味する。言うまでもなく、日本語の「光」に「〜つくす」という意味はない。それから、先のベトナム人による証言の中に登場する韓国兵の残虐行為の多くに、中国政府の喧伝する「南京での日本軍の蛮行」との共通点を感じた人も多いだろう。 おそらく、『レイプ・オブ・南京』の作家アイリス・チャンの、創作のためのインスピレーションに最も多く寄与したのは韓国派兵軍の「レイプ・オブ・ベトナム」だったのかもしれない。 韓国国内の『ハンギョレ21』ショックはしばらく続き、民間レベルで「ライタイハン」支援の運動が起こったが、ベトナム戦に従軍した退役軍人の反発も強く、2000年6月には「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー2000人がハンギョレ新聞社前で抗議活動を起こし、暴徒と化したデモ隊の一部が社内に乱入、コンピュータなど備品を破壊するなどの事件に発展している。 ライタイハン:「ライタイハン」のライは「混血」(多少の蔑視を含む言い方で、雑種がやや近いニュアンス)、タイハンは「大韓」、つまり、韓国兵の強姦によって生まれたベトナム現地の混血児を意味する。 また1998年にベトナムを訪れた金大中氏(当時・大統領)がベトナムのチャン・ドク・ルオン大統領に、ベトナム従軍時の韓国軍の蛮行に対し非公式に謝罪したが、帰国後にこれを撤回している。 金大中氏(当時・大統領)の謝罪に最も辛辣な態度を示したのはハンナラ党(現セヌリ等)の朴槿恵で、彼女は自身のHPを通じ、「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた」と金大中氏(当時・大統領)を非難した。 以後、歴代大韓民国大統領は、この問題に関しダンマリを決め込んでいる。 こんな厚顔無恥な国に、「ドイツを見習え」と言われ続けているのが我が日本なのである。
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