看護婦さんから応急手当はしてもらいましたが、娘も私も流れ出した血で、血だらけでした。上の道に出たら、急に「ベイビイ、ダイジョウブ?」と、外国人が走り寄ってきました。それは幸町の捕虜収容所〔福岡俘虜収容所第十四分所〕にいた捕虜の人でした。…〔中略〕…捕虜たちは救急箱から赤チンキば出して塗ってくれて、包帯ばしてくれました。息子も娘もみんな。包帯なんか、捕虜はいつでも包帯をもっとりましたよ。もうあん時は、敵も味方もなかったですよ。
1945年8月9日、長崎県長崎市。原爆投下直後の「現場」を伝える証言のひとつである。出典は「NHK取材班『NHKスペシャル 長崎――よみがえる原爆写真』(日本放送出版協会、1995年)141ページ……と、小菅信子『放射能とナショナリズム』(彩流社、2014年)134ページに書かれている。証言自体は109ページに掲載されている。
放射能とナショナリズム (フィギュール彩) 小菅 信子 彩流社 2014-02-18 by G-Tools |
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