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キエフの暫定政権や「西側」は事実に反する宣伝でロシアを攻撃し続けているが、これは予定稿?
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201403220000/
2014.03.22 櫻井ジャーナル
クリミアのセバストポリはロシア海軍の黒海艦隊が拠点にしてきた。1991年にソ連が消滅するとクリミアはウクライナ領になり、セバストポリはウクライナ政府直轄の特別市になる。1997年にウクライナとロシアが結んだ協定でロシアは20年間の基地使用権を与えられ、さらに25年間の延長が認められた。またロシア軍は2万5000名を駐留させられることになり、協定が結ばれた当時から1万6000名が駐留している。
キエフではネオ・ナチによるクーデターで「西側」が支援する暫定政権が憲法の規定を無視する形で成立、ウクライナの東部や南部ではそれに反発する声が高まり、クリミアでは独立、ロシアへの編入が決まった。暫定政権や「西側」の政府やメディアはロシア軍が軍事侵攻したと宣伝していたが、クリミアにいるロシア軍は以前からそこに存在していた。ロシア政府がクリミアへの軍派遣に踏み切ったとする表現は正しくない。「西側」では「ロシア軍の派遣」が想定されていたのだろうか、それとも単なるイメージ戦術なのだろうか?
ネオ・ナチを使い、強引にクーデターで「西側」の傀儡が実権を握った大きな理由はロシア海軍の拠点を潰すことにあったと見られている。危機感を持ったロシア政府が軍隊を派遣して制圧、それを軍事介入だと批判してロシアを追い込む、というようなシナリオを描いていた可能性がある。
ウクライナのNTU(ナショナル・テレビ)のCEO(最高経営責任者)代行、アレキサンダー・パンテレイモノフに辞表を書かせようと暴力を使い、脅しているのはネオ・ナチの中心的な存在であるスボボダのメンバー。
このスボボダとは「自由」を意味するのだが、ある年齢以上の人はルドビク・スボボダを思い出すだろう。ソ連圏に含まれていたチェコスロバキアでは1960年代の後半に自由化が進み、「プラハの春」と呼ばれるようになるのだが、その象徴になった政治家のひとりだ。この社会状況は1968年に14万人以上のソ連軍が侵攻することで終わる。
政党のスボボダは2004年まで「ウクライナ社会ナショナル党」と呼ばれていた。ナチの正式名称「ナショナル社会ドイツ労働者党」を連想させるので変更、スボボダとしたのも計算だろう。中東や北アフリカにおける体制転覆運動を「アラブの春」と「西側」のメディアが呼んだことも偶然とは思えない。キエフのクーデター派は1968年と同じ展開を望んでいた可能性がある。ロシア軍が入れば、自分たちが支持されていない現実を誤魔化すことができ、ロシアを真に孤立させることができる。今は「西側」の支配層と対立しているにすぎない。
現在、ウクライナ軍は東部へ移動していると言われているが、国境に近づくのを住民で編成された集団が阻止しようとしているとも言われている。そうした人びとを押さえ込むためにネオ・ナチのメンバーを送り込む一方、新たに創設を決めた「親衛隊」の訓練も始まっているようで、ロシア軍を引き出す挑発を始めても不思議ではない。挑発に失敗してネオ・ナチがコントロール不能になった場合のことも考えておく必要がある。
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