21. 母系社会 2014年3月15日 19:46:28
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日本の新左翼である「第四インター」のHP「かけはし」に掲載された ウクライナの左翼反対派とのインタビュー記事です。ウクライナでは、大企業を経営する「新興財閥」が政府を支配している ため、何と、大企業への課税はゼロで、中小企業や労働者=民衆だけが 税金を支払っているので、国内には十分な資源があるのに国家破産状態 になったそうです。 この「新興財閥」には親ロシア系と親欧米系の「財閥」があり、どちらも、 国に税金を払わず、ウクライナの民衆を極度に搾取しているので、こうした 体制が続く限り、日本の血税からの援助も無駄になるでしょう。 おそらく、日本の援助金で日本企業が潤い、一部は日本に還流して政治家や 官僚が肥え太るのでしょう。 「左翼反対派とのインタビュー」 http://www.jrcl.net/p01b.html 「かけはし」 http://www.jrcl.net/ --------------------------------- ウクライナ 左翼反対派とのインタビュー 反乱は民主主義を求めた 以下に掲載するのは、ウクライナの政治グループ「左翼反対派」指導部の一員で経済学者であるザカール・ポポビッチとのインタビュー。聞き手はフランス反資本主義新党(NPA)の週刊機関紙「アンチカピタリスト」のマヌ・ビシンダリツ。(IV編集部)
ロシア語を話す 青年たちも決起 ――この間の動きの根本にある情勢、とりわけここで政治勢力が果たしている役割について話してくれませんか。 特別治安警察「ベルクト」に対する最初の攻撃を組織したのは、主にネオナチ組織の「プラヴィ・セクトール」であり、彼らは極右のスヴォボダ運動よりもさらにラディカルな行動を取っていました。しかしそれから数日のうちに、多くの一般人、そして実にさまざまな人びとが闘争に入っていったことも事実です。何千人もの人びとが火を大きくするためにタイヤと石油を手にしていました。活動家の中で、その多くがロシア語を話すたくさんの人びと、キエフの郊外からやってきた多くの青年たちを見ました。それは、ほとんどがウクライナ語を話す、西ウクライナの村からやってきたマイダン広場に集まった人びととは非常に違っていました。 緊急事態法令が施行された後、ほとんどのキエフ市民はひどく怒っていました。活動家たちが殺されてからは、さらに怒りがつのりました。「いつも」の夕方には数百人の人びとが訪れるマイダン広場には、そこで一夜をすごす数千人の人びとが侵入することになりました。この大衆的動員は、警察が明らかに準備していた「クリーン作戦」からマイダン広場をおそらく救ったのです。 「ベルクト」が攻撃してくるだろうと誰もが確信していました。その日に採決された新法によれば、デモ参加者たちはすべてが犯罪者と見なされるのです。その中には極右集団もいましたが、一部には左翼ラディカル派グループもいたのです(おもにアナーキスト)。ほとんどのデモ参加者たちは野党や排外主義的極右に批判的でした。多くの石や火炎びんが警察に向かって投げられ、一部に負傷者が出ました。 不幸なことに多くの青年たちは、何人かが殺された後でも、それがゲームであるかのように振る舞いました。しかしそれにもかかわらず、この行動はウクライナ人の、そしてさまざまな民族とエスニック集団たちの、ウクライナにおける民主主義を求める大衆的反乱だったのです。極右がいたのは確かですが、それはより広範な運動の中でのことでした。 与野党の無策が 極右台頭に加勢 ――政府の対応はどうだったのでしょう。 政府はこうした感動的なまでの大衆動員に直面して、デモ参加者に実力行使しないことを決めました。広場から撤収させようとするあらゆる試みは、多くの負傷者、おそらくは死者さえ生みだすことになったでしょう。しかし新しい反民主主義的な緊急事態法の適用を阻止したこの大衆行動は、マイダン運動の最も反民主主義的要素に刺激を与えることにもなったのです。極右ネオナチグループは警察に対する最初の戦闘の後、自らの隊伍を強化し、自分たちが運動の指導者であると宣言するほど強いのだ、と感じるようになりました。 野党の指導者たちが宣言した休戦と、ヤツェニュク(最大野党「祖国」の幹部)を首相にするというヤヌコヴィッチ大統領の提案にもかかわらず、暴力は止まりませんでした。議会の多数党はヤヌコヴィッチ本人とともに時間稼ぎを試みるだけで、新しい選挙を組織したり、根本的な変革を導入したりする意思はありませんでした。しかし野党指導者は、ラディカルな行動の準備はなく、かれらがこれ以上何ができるかについては、何の考えもなかったのです。 マイダンに集まった人びとは、双方に対してますます怒りを募らせていました。不幸なことに最もありそうなシナリオは、右翼の権威主義的・民族主義的体制が打ち立てられることでした。スヴォボダ党が、最も民族主義的なグループをなだめ、あるいは粉砕することができたとしても、この党の入閣は進歩的でラディカルな左派の体系的抑圧をもたらすことになるでしょう。この間、左翼や進歩的勢力は強化されていますが、スヴォボダ党は依然としてマイダンにおいて最も組織され、強力な勢力です。 かれらは情勢を鎮静化するために政府との交渉を追求するでしょう。二月一六日の日曜日にキエフ市役所の占拠をやめましたが、この建物は数時間後、マイダンの「自衛勢力」――その多くが「プラヴィ・セクトル」のネオナチ活動家――によって再占拠されました。こうした極右グループは、かれらの指導者から公的には非難されていますが、寛容に扱われており、ますます暴力的になり、統制困難になっています。 左翼は大衆的討 論参加を継続中 ――あなた方の組織である「左翼反対派」は、最近「マニフェスト(宣言)」を発表しました。この運動の中で、みなさんは自分たちの方針をどのように擁護しているのですか。 困難な情勢にもかかわらず、左翼はマイダンで以前よりもはるかに受け入れられるようになっており、おもに左翼と進歩的活動家が組織した学生センターである「ウクライナの家」で系統的な働きかけを行っています。私たちの一〇項目の「マニフェスト」の幾千部ものコピーを含む左翼の書籍やリーフレットがここで配布され、私たちは大衆的討論に参加しています。 労働者統制とすべてのカネ持ちの選挙権の剥奪をふくむ私たちの提案は、よい反応を得ています。不幸なことにそれは、多くの人びとが左翼組織に参加していることを意味するものではありません。左翼は、かなりの数の新メンバーを引き付けるのには依然として弱すぎるのです。 他方、左翼とアナーキストの統一をマイダンの「自主防衛隊」の中で組織しようとする試みは、極右グループの暴力的攻撃のために成功しませんでした。現在、左翼に対する暴力が再び拡大しており、ウクライナ自由労組連合の活動家たちが受けた攻撃を思い起こさせるものになっています。この攻撃は、スヴォボダのリーダーたちが示しあわせて、あるいは個人的にしかけてきたものでした。 ――「左翼反対派」はロシアとEUの競合的な国際協定の問題について、どのように主張していますか。 ウクライナにとって二つの道は、両方ともによくないものです。主要な問題は、わが国内にあるのです。「新興財閥」による政治の掌握は、大企業への課税ゼロといった結果をもたらしました。労働者と小企業がすべての税金を支払っているのです。国内には十分な資源があるのに、このようにして国庫は空っぽになったのです。 あれこれのブロックへの統合という選択は、こうした問題を解決しません。 ――あなたがたは、ロシアや欧州の反資本主義・国際主義的左翼とどのようなつながりを持っていますか。 欧州の左翼の報道機関は、ウクライナに資本を保有しているオフショア企業(課税逃れのため本社をタックスヘイブンに移している企業)への調査を行うことが可能だと主張して、自分たちの政府に圧力をかけることができるでしょうか。政府の代表に対してだけではなく、「新興財閥」に対しても制裁キャンペーンを行うことができるでしょうか。「新興財閥」がヨーロッパに持っている銀行口座の差し押さえを、ウクライナ人が求めていることを示すことができるのでしょうか。この税率ゼロや政治の完全な「新興財閥化」は、ヨーロッパでは受け入れられないことを示すことができるのでしょうか。 これらすべてが実行できたのであれば、すばらしかったことでしょう。最後に、ウクライナ反対派運動の中に存在し、実際のところネオナチである極右への不寛容を示すことがもちろん重要です。欧州の活動家やさまざまな個人が、こうした問題について話し合うためにキエフに来られることも歓迎します。いまなお比較的安全な条件の中で、ここで討論することは依然として可能です。 (「インターナショナルビューポント」二〇一四年二月号)
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