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日本の新聞やアメリカの外電ではわからない。
この「ロシアの声」のコラムはある程度引き算をしても傾聴に値する。
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日本の新聞はプーチンのウクライナ政策によって日本の首相は苦しい立場にたたされたと書きたてている。
安倍首相は一方でロシアとの関係拡大に努めているが、その重要性は日本にとっては中国の経済、軍事力の伸長にしたがって増しつつある。その傍らで安倍首相はG7クラブの首脳らに組みし、ソチで実施されるG8サミットの準備会合をボイコットしてしまった。
茫然自失状態にあるのは日本の首相だけではない。一般の市民も同じだ。たとえばVORに届けられるリスナーからの手紙では、ロシア政権はついこないだシリアへの軍事介入にあれほどに強硬に反対したのに、なぜ今回はウクライナへの軍部隊派遣の可能性を語るのか、といった問いがぶつけられている。一見パラドックス的に思えるかもしれないが、ここには何の矛盾もない。ロシアが全力を尽くしているのは、いずれの場合も大規模な流血の事態を避けることだ。だが、まず順を追って説明しよう。
ロシアの指導部も、そしてロシア国民の大部分も、シリアとウクライナがかつてのユーゴスラビア、イラク、グルジアないしリビアがそうであったように、自国にとって気に入らない体制を挿げ替えようとするアメリカ合衆国のグローバル政策の犠牲者となったと捉えている。通常こうした米のグローバル政策は、オレンジ革命などいわゆる「色の革命(Color revolutions)」または「花の革命」といわれる、過去10年間に様々な国で起こされた革命の波を手段に使って実現されてきた。これらのシナリオはおおむね似たり寄ったりで、国民の一部が国の秩序に対して抱く不満を急進主義者が利用し、状況の不安定化や軍事クーデターが図られるというものだ。西側はこれを民主主義の勝利と高らかに讃えてきた。だがその結果、政権の座につくのは、民主主義者とはとても言い難い親米派の専制者か新興財閥で、国民の利益に全く関心を払わない輩ばかりだった。2004年のグルジアでもウクライナもそうであったし、2011年のリビアも同じだった。だが状況の不安定化をはかり、テロリストらを送り込んでも指導者の転覆が図れないとなると、米国はNATOの力を借り、国際法の基準を無視して、国連の委任状を待たずに介入を図ってきた。これがユーゴスラビアであり、イラクであり、リビアで起こったことだ。イラクではこれが成功した。そしてシリアでもうまくいくはずだった。シリアでは、民主主義とは正反対の中東諸国体制と米国から資金を得た国際テロリストらによって、内乱が起こされたからだ。だがロシアは、米国主導の西側の軍隊が軍事作戦を展開すれば、シリアは独立国としては崩壊して領土保全を失い、大きな人的被害を蒙ることをよく理解していたため、中国の支援を得て、米国の主張する軍事介入を阻止したのだ。
2013年末、ウクライナでまた「色の革命」が始まった。この引き金となったのは選挙によって法的に選ばれたウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領によるEU協定への署名拒否だった。西側の政治家とマスコミは、ヤヌコーヴィチに署名拒否を強いたのはプーチン大統領だと書きたてた。だが実際のところ、おそらくはヤヌコーヴィチ自身、EUと極めて不利な条件で協定を結ぶことでウクライナの農業、工業企業は破綻に追い込まれ、ウクライナ人はEU諸国で安価な労働力を提供するガストアルバイターに成り下がってしまうと認識したからだろう。これと似た状況はすでにモルダヴィアで、バルト諸国で、旧ユーゴスラビア共和国で生じている。だが、マスコミや政治家に未来のEUでの美しい生活を吹き込まれたウクライナ市民はキエフの中心広場に出て、ヤヌコーヴィチに抗議の声をあげてしまった。これを西側諸国は利用した。当初は穏やかだった抗議集会は急進的なものへと姿を変えた。キエフへはウクライナの国粋的な組織から武装戦闘員らが派遣されてきた。こうした者らが英雄と讃えるステパン・バンデラとは、第2次大戦中にナチス・ドイツに協力したウクライナ人国粋主義者だ。バンデラの武装戦闘員らは占領されたテリトリーで数十万人もの「非ウクライナ人」、つまりポーランド人、ロシア人、ユダヤ人を殺害した。バンデラ主義者の残虐行為の犠牲者となったのは婦女、老人たちだった。
今、キエフに跋扈するバンデラ主義者の信奉者らは流血の惨事を起こし、武器を持たない警官らに対し火炎瓶を投げつけ、治安維持部隊に暴力をふるい、銃を乱射している。ウクライナ政権に殺戮の罪をかぶせるために。そしてこれらすべてを西側のマスコミ、政治家らは「穏健な抗議」と呼んだ。生命の危険を覚えたヤスコーヴィチがキエフから逃げ出した後、反体制派はあらゆる法的プロセスに違反して、新政府を樹立し、これに国粋主義者らの代表が入った。誰にも選ばれることなく政権の座についた者たちが最初にとった決定のひとつが、ウクライナでロシア語の使用を禁止することだった。これはロシア人が人口の半数以上を占めるクリミア自治共和国およびウクライナ南東部で激しい怒りを招いた。これらの地域は新政権を承認することを 拒否した。これを受けてキエフの急進主義の政治家らはウクライナ全土を統べる政権を武力で樹立することを約束したのだった。
国粋主義者の武装戦闘員らはクリミア自治共和国とウクライナ東部地域での権力掌握を試みたが、失敗に終わった。これによって明らかになったのは、キエフの新政権は自分たちを認めようとしないクリミアや東ウクライナの市民に対して武力行使に歯止めをかけないということだった。これがきっかけとなって内乱に発展する恐れもあった。そこでクリミアと東ウクライナの政治家と市民はロシアに支援を要請したのだ。国粋主義者の武装戦闘員による内乱を食い止めるため、プーチン大統領は上院(連邦議会)からウクライナ領内におけるロシア軍動員についての承認を得た。決定はとられたが、これは今の段階では実現化されていない。そして将来、実現されないことを望むしかない。一方、ロシアが同胞に示した支援と擁護の構えは、のぼせ上がったキエフの新政権には冷や水となり、クリミア、東ウクライナの市民らは逆に鼓舞された。クリミアの市民は、法的根拠を得て、セヴァストーポリに駐留するロシア海軍基地のロシア人軍人らと協力し自警団を組織した。これが功を奏して、クリミアに武器、弾薬、爆薬を運搬しようとする試みが阻止された。
クリミアの市民はクリミア半島の地位を決める国民投票の実施を決め、独自の政府を樹立した。この政府の側に、クリミアにいるウクライナ人軍人のほぼ全員がついた。クリミア自治共和国に合流する意志を、半島に隣接するニコラエフ市とマリウポリ市が宣言した。東ウクライナにおける産業の一大中心地であるドネツクとハリコフでは、キエフの新樹立「政府」に反対する大規模な集会が行われている。この2市の市庁舎の屋上にはクリミアと同様、ロシアの国旗が掲げられた。キエフの新樹立政権への抗議行動はオデッサでも展開されている。
クリミア、東ウクライナの市民のこうした選択がキエフの新政権およびそれを支援する西側の政治家らの気に入らないことはわかりきったことだ。ロシアに対し、激しい、そしてあまりにも不適切な非難が行われる理由はまさにここにある。
http://japanese.ruvr.ru/2014_03_04/268044483/
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