05. 2014年3月06日 01:18:08
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http://diamond.jp/articles/print/49718 【第23回】 2014年3月6日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] クリミア半島の紛争を収めるには“協議離婚”の方が合理的ソチ・オリンピックの閉会式の前日、ロシアのプーチン大統領が「兄弟国家」と呼ぶウクライナで大変事が発生した。親露的なヤヌコビッチ大統領を議会が解任、同大統領は逃亡、ロシアに救いを求めたのだ。現在、同国内のクリミア自治共和国を支援するロシアとロシアの介入を非難する米国・EUという対立の構図になっている。だが、クリミアがウクライナに帰属した歴史的な経緯や民族の構成をみれば、無理にくっつけておくよりも、チェコとスロバキアのように円満に“協議離婚”をする方が内戦よりはるかに合理的だ。 フルシチョフが出身地ウクライナに移管 黒海北岸ソチでの冬季オリンピックは2月23日無事に閉会式を迎えた。厳重な警備態勢でチェチェン人のテロ活動の抑え込みに成功し、ロシアの再興を華やかに演出したこの大会はプーチン大統領にとり最高に晴れやかな舞台となるはずだった。ところが閉会式の前日の22日、彼が「兄弟国家」と呼んだウクライナで大変事が発生した。親露的なヤヌコビッチ大統領を議会が解任、同大統領は逃亡、ロシアに救いを求めたのだ。閉会式でプーチン氏は笑顔を振りまいたが、内心はそれどころではなかったろう。 ロシアは「今もヤヌコビッチ氏がウクライナの正統な大統領である」とする。大統領制の国で、国民が直接に選出した大統領を議会が解任するのは容易ではない。ウクライナ憲法では大統領に重大な非違行為があれば、議会の決議で調査委員会を設置し、その報告を受けて議会が弾劾決議をして解任できることになっている。今回はそのような手順を取っておらず「議会が解任を決議しても法的に無効」という理屈は一応成り立つが、本人が国外逃亡したのだから超法規的事態で、一種の革命だろう。この事態にプーチン大統領は「ロシア系住民と国益を守る必要がある」として、議会に武力行使の承認を求め、露国の上、下両院は3月1日、全会一致でそれを可決した。これに対しウクライナ暫定政権は予備役の招集を決定し戦争の構えを示した。 最大の争点はクリミア半島だ。ウクライナ地方は1240年モンゴル軍に制圧されてキプチャク・ハン国の版図になり、同ハン国が分裂した後もクリミア・ハン国は1783年にロシアがクリミアを併合するまでオスマン・トルコ帝国の属国として存続した。それ以来クリミアはロシア領だったが、1953年にスターリンが死亡したのち第1書記となったフルシチョフはウクライナ出身だったため、1954年にウクライナと地続き(幅8kmのペレコープ地峡でつながる)のクリミア半島をロシアからウクライナに移管した。 当時はソ連の中の行政区画の変更にすぎなかったから問題は起きなかったが1991年にソ連が崩壊、ウクライナが独立するとクリミアのロシア人がウクライナ国民になるのを嫌がり、クリミアのロシアへの帰属、あるいは独立を求め、92年5月には独立宣言も出した。ウクライナ政府との協議で、クリミアはウクライナ国内の自治共和国とすることで合意し、またロシア黒海艦隊の根拠地セバストポリは特別市としてロシアが2017年まで租借し、地代年9800万ドル(約100億円)をウクライナに支払うこととなった。2010年にウクライナのヤヌコビッチ政権は基地使用権を25年延長(プラス5年延長可能)とすることに合意し、見返りにロシアの天然ガスをヨーロッパの他国より33%引きで購入できることになった。 クリミア半島は面積2万6000平方キロで四国の約1.4倍。クリミア自治共和国の人口は196万人で、ロシア人が58.3%、ウクライナ人が24.3%、タタール人(モンゴル軍の末裔)12%で、ロシア語を母国語と認識している人は77%、とされる。これとは別にセバストポリ特別市は人口34万人で、ほぼすべてがロシア人だ。ロシア海軍は衰微したため、黒海艦隊は潜水艦1隻(通常推進のキロ級)、すべて艦齢30年以上で旧式化した巡洋艦2隻、駆逐艦1隻、フリゲート2隻にすぎず、セバストポリの軍港の戦略的重要性は当面低下した。ただロシア軍は海軍歩兵(海兵隊)1個連隊を含む約1万3000人の人員を以前から配置していたと推定され、今回の騒ぎで自治政府の役所や飛行場などを確保したのも、それらの駐留部隊やクリミア在住ロシア人の民兵が主力と考えられる。 クリミアのロシア部隊は対空ミサイル陣地や飛行場などでウクライナ軍を武装解除した、と伝えられ、米政府高官は3月2日「約6000人のロシア海、空軍部隊がクリミア半島を完全に支配下においた」と語ったが、戦闘が起きた様子はない。クリミアのウクライナ軍は3日までに5000人が投降したとされる。戦闘が始まる前に大量投降とは珍事件だ。無抵抗でそれが行えたのは「ウクライナ軍」とは言っても、実はこの地域の兵員の大半は地元のロシア人だったためらしい。クリミア自治共和国のアクショノフ首相は3月1日、領内のウクライナ軍、治安部隊を指揮下に置く、と宣言し軍事、外交権を含む「自治権拡大」(独立と変わらない)の賛否を問う住民投票を、以前に予定していた5月から3月30日に前倒しして行うと発表した。 クリミアを巡るこうした一連の問題が起きたのは、フルシチョフ氏が、故郷へのサービスのつもりか、クリミアをウクライナに移管したためで、その失策が今になって表面化した。これを日本に例えれば日本が朝鮮半島を統治していた時代に「対馬は長崎より釜山に近いからその方が便利だろう」と朝鮮総督府の管轄下に入れたところ、韓国が独立して対馬が韓国領になり、住民が「我々は日本人だ」と騒ぐような形だろう。 ウクライナ軍のクリミア奪回は困難 ロシア軍は2月27日から3月3日にかけ、西部、中部の軍管区で兵員15万人、戦車880輌、固定翼機90機、ヘリコプター120機、艦艇80隻を動員して大演習を行った。これを西側メディアは「ウクライナの事態に対応」と報じたが、こうした大演習は少なくとも数ヵ月前に計画され、準備する必要があり、多分ウクライナの政変と直接の関係はない。だが偶然に威嚇効果を発揮し、もしウクライナ軍がクリミア奪回に出動すれば、ロシア軍はウクライナ本国の東部を突きうる形勢を示すことになった。 ウクライナ全体では家庭内でウクライナ語のみを話す人は38.2%、ロシア語のみを話す人は40.5%、両方で話す人は16.2%、との調査結果もあるが、東部のロシアに接する州ではロシア語を母国語とする人が74.9%とか68.8%の州もあり、クリミアでは77%だ。ウクライナ暫定政府としては、クリミアに兵を出せば、東部の鉱工業地帯にロシア軍が「ロシア系住民保護」と称して侵入する危険を考えざるをえず、うかつには動けないだろう。 英国で発行される年鑑「ミリタリー・バランス」によればウクライナ軍は陸軍兵力7万人、戦車は旧式のソ連製T64が1100輌で、他に新型のT80が165輌、T72が650輌「保管中」とされる。旧式を配備し、新型を保管中とは変な形だが、ひどい財政難のため新型の戦車の部品が入手できない、とか他国へ売却交渉中ということのようだ。空軍もMiG29を126機、Su27を36機など、戦闘・攻撃機230機を持つはずだが、操縦士の年間飛行訓練が約40時間と極端に少ない。これも部品の不足によるものだろう。ウクライナは予備役兵の動員を発令した。1991年の独立当時のウクライナ陸軍は15万人だったから、今日の現役の7万人に加え、少なくとも予備役8万人分の武器は残っていると推定される。だが、定期的に予備役兵を招集して訓練し、練度を保っているか否かは疑わしい。 一方、以前からクリミアに駐留していたロシア軍は「ミリタリー・バランス」によれば1万3000人、3日の米政府高官の発言では海、空軍部隊6000人で、陸戦の訓練を受けているのは海軍歩兵1個連隊(正規編成で2300人)だけだから、その程度の兵力だけでは、もしウクライナ軍がクリミア奪回のため、幅8kmのペレコープ地峡を南下して来れば阻止は困難だ。クリミア半島の東岸は幅わずか4km程のケルチ海峡をはさんで、ロシア本土のクラスノダール地方に面し、両岸に港がありフェリーが通っているから、ロシア軍はそこから増援の地上部隊や装備を送り込むことは可能だろう。 またクリアミアのウクライナからの分離はロシアの強要と言うより、多数の地元住民の希望によることを強調したければ、クリミア自治政府側に寝返った元ウクライナ兵や、クリミアのロシア人から民兵を募り、それに供与する武器、弾薬、車輌、食糧、燃料などをケルチ海峡経由か、海上輸送で送ることも可能だ。ウクライナ海軍は元々無きに等しく、その海軍司令官が3月2日にロシア側に寝返ったありさまだから、海上の増援や補給は容易だ。クリミアの人口がセバストポリ特別市を含んで約230万人とし、うちロシア人が約6割で130万人余、動員率は5%とすれば6万人以上の民兵を作れるだろう。 だがクリミアの人口のうち24%を占めるウクライナ人、12%のタタール人はクリミアのロシア帰属や独立には反対だから、もし彼らがゲリラ、テロ活動で後方撹乱を図れば厄介で、ロシアは正規軍を大量に送り込まざるを得なくなるかもしれない。 突然の方針変更が混乱の原因 今回のウクライナ問題の直接の原因は同国のEU加盟に積極的だったヤヌコビッチ前大統領が昨年11月に突如EU加盟の前段階となる「連合協定」(加盟希望国は政治、経済、貿易、人権の改革を約束する)の調印を延期したことだ。ウクライナは2012年3月、この協定に仮調印しており、昨年11月29日に正式調印が予定されていた。だがEU諸国では2010年の大統領選挙でヤヌコビッチ氏の対立候補となり敗れた女性のティモシェンコ前首相が、在任中の職権乱用で禁錮7年の判決を受けて収監されていたことを「政治的裁判」と見て釈放を求める声が高く、ヤヌコビッチ大統領は連合協定を順守する姿勢を示すため、病身の彼女をドイツで治療させるよう議会の了承を求めていた。だがウクライナ議会は11月21日その案を否決、連合協定に合致する行動がとれなくなったことが調印見送りの一因だった。 また、ギリシャで懲りたEUは加盟候補国に対して財政、経済政策などで厳しい条件を付けており、その実現には年間200億ドルが必要だが、EUの示した支援は6億1000万ユーロ(約8億3000万ドル)にすぎないとか、ギリシャのような超緊縮財政を実施すれば国民の不満が噴出し、2015年の大統領選挙で落選は必至、との悩みがあったようだ。ウクライナの対外債務は1400億ドルでGDPの80%に達し、そのうち650億ドルの返済期限が迫っているのに外貨準備は150億ドルしかない。ウクライナ経済は低迷し1人当たりの国民所得は2011年で3120ドルで、ロシアの1万400ドル、ポーランドの1万2480ドルとは大差がつき、中国の4930ドルにも及ばないから国民の不満は当然だ。 その窮状のさなか、ロシアは「ロシア中心の関税同盟に入れば150億ドルの融資を行い、天然ガスも通常の輸出価格が1000立方メートル辺り400ドルのところ、268ドルに特別割引する」と甘い誘いを持ちかけたため、元々親露派のヤヌコビッチ氏は、俄かに鞍替えをする気になったのだろう。プーチン大統領はこれでまた1つ外交上の勝利を得たかに見えたが、ウクライナでは抗議活動が広がり、治安部隊の発砲で100人近い死者が出る状況になってヤヌコビッチ氏は逃亡、プーチン氏は逆に難問を抱え込んだ。 ロシアとしてはウクライナに大挙侵攻して欧米と真っ向から対立し、冷戦状態に戻ることは避けたいから、本来ロシア領で、ロシア人が圧倒的に多いクリミアの独立、あるいは自治権の一層の拡大を狙い、それによってウクライナの新政権が国民の信頼を失い、次に親露的政権が生まれれば幸い、というところではあるまいか。クリミア自治共和国とロシア側がクリミア半島を無血で掌握したのち、プーチン大統領は4日の記者会見で「軍事力の投入はいまは必要ない」と語った。これはロシアの関心がウクライナ本土ではなく、もっぱらクリミアに向けられていることを示すように思える。 “協議離婚”の方がはるかに合理的 オバマ米大統領も「財政再建・輸出倍増」を焦眉の急の国家目標とし、ロシアに対する軍事的対応は全く考えていない様子だ。EU諸国もウクライナのように経済・財政が破綻に瀕し、腐敗が激しく、内戦含みの国をEUに引き込んでも、ギリシャ以上にリスクが大きい。EU諸国の天然ガスの38%はロシアから来ているから、経済制裁をすれば自国も困る、という現実を考えれば、6月にロシアが議長国となってソチで開かれる予定だったG8サミットをボイコットして抗議の姿勢を示す、などの嫌がらせが精々か、と考えられる。 クリミアの分離をロシアが支援、あるいは強行することは国連憲章第2条4項「すべての加盟国はその国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」との規定に反している。だが、実際には2011年7月にはスーダンから南スーダンを分離独立させたり、1991年にユーゴスラビアからクロアチア、スロベニアが分離独立するのを支持し、さらに1999年にはセルビアからコソボが独立するのを、NATO軍がセルビアに79日間の猛爆撃を加えて助けたりして、ユーゴスラビアの領土の統一性を完全に破壊しているのだから、ロシアがクリミアの分離を支援するのを非難するのは「ダブル・スタンダード」のそしりを免れない。1国内で民族、宗教などで深刻な対立があって紛争が続く場合「テリトリアル・インテグリティ」(領土の保全)を金科玉条として、無理にくっつけておく方が住民の安全や福利、国際的平和に有害ということもある。チェコとスロバキアのように円満に“協議離婚”をする方が内戦よりはるかに合理的だ。 今回のウクライナ問題は米、露、EU諸国の利害の観点から考えれば、クリミア半島以外に紛争が発展する公算は大きくないと思えるが、ロシア議会が軍事力行使を全会一致で承認し、ウクライナが予備役動員でそれに応じるような脅し合いがエスカレートすると、双方で世論が沸騰し、指導者もそれに逆らえず強硬姿勢を示すことになりがちだ。ウクライナとロシアの国境地帯での双方の軍の対峙に伴って起きがちな小競り合いや、クリミアやウクライナ東部でのロシア系住民とウクライナ人、タタール人との衝突などが火種となって、本格的な戦争に発展する危険性は十分にある。丁度100年前の1914年、オーストリア皇太子夫妻がボスニアのサラエボで学生に射殺されたことがきっかけとなり、1500万人近い死者を出した第1時世界大戦になってしまった苦い教訓を各国の指導者も民衆も忘れてはならないのだ。 |