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シリア:過激派が女性の権利を抑圧 服装、仕事、通学に過酷なルール  ヒューマン・ライツ・ウオッチ
http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/361.html
投稿者 ダイナモ 日時 2014 年 1 月 17 日 08:50:41: mY9T/8MdR98ug
 

2014年01月14日

(2014年1月14日) 一部の過激な反政府武装組織が、シリアの法律に基づかない、厳格で差別的なルールを成人女性と少女に課している。シリア北部と北東部の支配地域で、一部の組織が定めている厳格なルールにより、女性の権利が侵害されているだけではなく、日常生活の根幹まで制約されている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは2013年11月と12月に、シリアからの難民に聞き取り調査を行い、イラクのクルディスタン地域で43人に直接面会し、またトルコにいる2人に電話でインタビューを行った。難民たちによれば、過激派武装組織の「ヌスラ戦線」と「イラク・シリアイスラム国(ISIS)」が、独自のイスラーム法解釈を強要し、成人女性と少女に頭部を隠すヒジャブと全身を覆うアバヤの着用を義務づけ、従わない者を罰すると脅している。一部の地域では、成人女性と少女について、定められた服装を身につけていない場合には、公共の場での自由な移動や労働、通学を禁止するという、差別的な措置を課している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの女性の権利局長リーズル・ゲルントホルツは「ヌスラ戦線やISISなどの過激派組織が、シリアの女性の子どもも大人も享受していた自由を揺るがしている。これはシリア社会の長年の強みだったのに」と指摘した。「自分たちの権利が消えていくのを耐えねばならない成人女性と少女に対して、過激派組織が約束する勝利とは一体どのようなものなのか。」

ヌスラ戦線とISISが女性に課している規制は、成人女性や少女の日々の生活に広範な影響を与えている。教育を受けたり、家族を養ったりするだけでなく、生きていく上で欠かせない基本的な物資を入手することすら難しくしている。これらの組織が女性を誘拐しているとの複数の報告もあった。ある難民の話では、近所に住む若い母(夫は死亡)と幼い子供3人が戦闘に巻き込まれて死亡した。男性の付き添いなしでの外出が禁じられていたため、逃げることを躊躇したためだ。

イラクのクルディスタン地域とトルコで生活するシリア人難民はヒューマン・ライツ・ウォッチに、ヌスラ戦線とISISは、2012年9月から2013年11月にかけて、以下の地域で成人女性と少女の服装および行動に規制を課していた、と報告。アレッポ市のシャイフ・マクスード区、アレッポ県のアフリンとテル・アラン、ハサカ市、ハサカ県の都市ラース・アル=アイン、イドリブ県のイドリブ市、ラッカ県の都市テル・アビヤドだ。当該地域には、スンニ派、シーア派、アラウィー派、シリア正教会、アルメニア教会など、さまざまな信仰が存在する。

聞き取り調査に応じた人びとによれば、ヌスラ戦線とISISの兵士は、女性は厳格な服装規定に従うべきであると主張。ヒジャブとアバヤの着用を義務づけ、ジーンズや体の線を表す衣服の着用、化粧を禁止している。また、イドリブ市、ラース・アル=アイン、テル・アビヤド、テル・アランでは、女性が男性親族の付き添いなしに人前に出ることが禁じられている。こうした規則に従わない女性と少女は処罰すると脅され、公共交通機関の利用、通学、パンの購入ができなかった事例もある。

イドリブ市、テル・アビヤド、テル・アラン出身者はまた、ヌスラ戦線とISISによって、これらの地域では女性の自宅外就労が禁じられたと話している。

聞取り調査に応じた人びとが、様々な過激派武装組織のメンバーをいつでも完全に区別できるとは限らない。しかしメディア消息筋やNGO「シリア人権監視団」による報告は、ヌスラ戦線とISISがこうした規制を課しているという、難民の主張を裏付けている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、今挙げた地域に存在するとされる、これ以外の過激派武装組織が、規制の実施に関与しているのかについては確認できていない。

シリアには国教は存在せず、憲法では信教の自由が保障されている。シリア刑法と身分法(婚姻、離婚、相続などを扱う法律を指す)には、成人女性と少女にとって差別的な規定が存在するものの、憲法では男女平等が保障されている。2009年6月に起きた大衆的な抗議行動の結果、身分法をもっと後退させようとする政府の試みは挫折した。聞取り調査に応じた人びとはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、以前は成人女性も少女も、仕事や通学など市民生活に参加し、移動、信教、良心の自由を行使するのにほとんど問題はなかったと語った。

難民たちによれば、ヌスラ戦線とISISは、アフリン郡の町ジャンディレス(Jindires)、ラース・アル=アイン、テル・アビヤド、テル・アランで、男性の服装と移動にも制限を加えている。ただし成人女性と少女に特に大幅な制限が課されたことで、全員の話は一致している。テル・アビヤドとテル・アランの元住民は、武装組織は男性についても、ジーンズと身体の線が出るズボンの着用を認めなかったが、女性への厳格な服装規定に比べればゆるいものだったと述べた。

聞取り調査に応じた人びとによれば、ジャンディレス、ラース・アル=アイン、テル・アビヤド、テル・アランで成人男性と少年に課された移動制限は、夜間外出禁止令など住民全体に対する移動制限の一環だった。2012年10月にはラース・アル=アインで、2013年7月から8月にかけてはテル・アランで、ヌスラ戦線などの過激派武装組織は午後5時以降の全面外出禁止措置を命じ、地域を掌握した。服装や移動の自由に関する規制が、成人男性と少年にだけ課された事例はない。

服装と移動の自由を不当に制約することは、当該個人の権利を侵害するものであり、もちろん撤回されるべきだ。しかし成人女性と少女だけに適用され、影響を及ぼす規制は差別でもある。

ヌスラ戦線とISISの司令官は、服装規定の義務と移動の自由への制約を含む、女性の権利を侵害する全ての政策を、直ちに、そして公式に撤回するべきだ。当該組織が課した厳格な規則に従わない、服装あるいは行動をする成人女性と少女を処罰するとの脅迫も停止すべきだ。また、成人女性と少女が有する、プライバシーと自己決定の権利ならびに、表現、信教、思想、良心の自由への不当な干渉をやめ、国際人道法を遵守するとともに、女性の服装を規制し、仕事、教育、公共の場へのアクセスを制限する部下を処罰しなければならない。これらの組織に影響力を持つ関係諸国政府も、女性への差別的規制をなくすよう圧力を掛けるべきだ。

「ヌスラ戦線やISISなどの組織は、一種の社会運動であると自称する。だがその関心は、成人女性や少女に社会的な利益をもたらすのではなく、彼女たちの自由を減らすことにあるように見える」と、前出のゲルントホルツ局長は指摘する。「ソマリアやマリなど世界各地で見られるように、こうした規制は多くの場合、成人女性と少女の権利を全面否定する動きの始まりなのだ。」


http://www.hrw.org/ja/news/2014/01/14-0  

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コメント
 
01. 2014年1月17日 13:25:58 : nJF6kGWndY

反政府武装組織のスンニ派原理主義者と言っても、アフガン同様、アラブから金をもらっている外国人武闘派エリートから、読み書きもできない部族の子供まで、いろいろいるということだな

また、一方で、世俗的なスンニ派にも、金持ちから貧困層、好戦的なものから平和主義者までいろいろいるし、

どこの国でもそうだが、反政府組織で一括りにしても、内部の思想的、階層的な断絶は大きく、部外者が理解し、適切に援助するのは簡単ではなさそうだ


02. 2014年1月17日 15:07:34 : niiL5nr8dQ
2014年1月16日 橘玲

”悲惨な現場”を求めるNGOの活動がアフリカで招いた不都合な真実[橘玲の世界投資見聞録]

 ほんとうは昨年末にアップしたかったのだが、遅ればせながら2013年に読んだ本のなかでもっとも印象に残ったリンダ・ポルマンの『クライシス・キャラバン』(東洋経済新報社)を紹介したい。
 著者はオランダのフリージャーナリストで、世界各地の紛争地帯で国連やNGO(非政府組織)の活動を取材している。前著『だから、国連はなにもできない』(アーティストハウス)は、ソマリア、ハイチ、ルワンダ、ボスニアなどの現場から、自国の利害と保身のために国連の安全保障理事会が機能不全に陥っている現状と、PKO(国連の平和維持活動)がなんの役にも立っていないばかりか、現地の状況をさらに悪化させているという実態を描いて大きな反響を呼んだ(安倍政権が唱える「積極的平和主義」を考えるうえでも参考になる)。『クライシス・キャラバン』では、「紛争地における人道援助の真実」という副題が示すように、NGOなどの援助活動がアフリカでどのような事態を招いているかを告発している。

民間人の四肢を切断する反政府組織

 アフリカ西部の大西洋岸に位置するシオラレオネはかつてのイギリス領で、首都フリータウンは、18世紀後半の奴隷廃止運動を背景に、解放された奴隷たちの定住地(自由の町)として開発された。その後はイギリス統治下で大学などの教育制度が整えられ、西アフリカの中心地として発展したが、1961年に独立してからは内戦とクーデターを繰り返すことになる。
 紛争の原因はダイヤモンド鉱山の利権で、貧弱な軍事力しか持たない政府は南アフリカの鉱山開発会社からPMC(民間軍事会社)の派遣を受け、反政府組織RUF(革命統一戦線)と衝突した。RUFを率いたアハメド・フォディ・サンコーはイスラム教徒で、リビアのカダフィ大佐のもとで軍事訓練を受け、ゲリラの支配下にある鉱山から産出したダイヤモンド(ブラッドダイヤモンド)で武器を購入し、1991年から8年間に及ぶ内戦に全土を巻き込んだ。
 RUFは拉致した子どもたちに麻薬と銃を与え、少年兵として戦闘に参加させたが、それと並んで世界を震撼させたのは民間人を襲撃して鉈で手足を切断したことだ。その惨劇は新聞や雑誌に写真入りで報道され、テレビニュースでも何度も放映されたから記憶に残っているひとも多いだろう。

 ところでRUFはなぜ、民間人の四肢を切断したのだろうか。

 ルワンダやボスニア・ヘルツェゴビナのような民族紛争では、敵対する民族を絶滅させようとする「民族浄化(エスニック・クレンジング)」が起こる。これは悲惨な出来事だが、人類史をひも解けばけっして珍しいことではない。旧約聖書を読めばわかるように、ヒトは紀元前の昔から集団を「俺たち」と「奴ら」に分け、「奴ら」を皆殺しにする蛮行をえんえんと繰り返してきた。
 伝統的社会の戦争では、敵の身体の一部を切断するという風習が広く知られている。だがその「身体の一部」とは首のことで、台湾や南太平洋の狩猟採集社会は“首刈り族”と呼ばれていたし、戦国時代の日本でも敵将の首を獲ることが最高の武勲とされていた。それに対して、敵の手や足を切断する風習はどのような伝統的社会でも知られてはいない。
 それではなぜ、アフリカの一部でだけ、それも20世紀末になって、手足の切断が始まったのだろうか。これは一般には、「農作業をできなくしてゲリラ組織に依存させるため」などと説明されるが、これではゲリラ組織の負担は重くなるばかりだ。奴隷として働かせるか、殺害して土地を奪うのならわかるが、四肢のない人間を生かしておいても経済的な利益はなにもないように思われる。

 リンダ・ポルマンは本書でこの謎を解き明かすのだが、その衝撃的な結論を紹介する前に、国際人道援助を行なうNGOとはどういうものかを説明しておく必要がある。

ルワンダ難民は虐殺した当事者たちだった

 1994年に起きたルワンダの虐殺では、多数派のフツ族によって少数派のツチ族が殺害され、100日という短期間にルワンダ国民の約2割、80万人が犠牲になった。第2次世界大戦以降で最悪の惨事のひとつとなったこの事件は、映画『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』によって日本でも広く知られている。
 ルワンダからの難民が集まったもっとも有名なキャンプが、コンゴ民主共和国(当時のザイール)の国境、キブ湖の畔にあるゴマだ。ポルマンは事件直後、この難民キャンプを取材してなんともいいようのない違和感を覚えた。
 ルワンダ虐殺を報じるテレビニュースを観た欧米のひとびとは、鉈で惨殺された死体が道路脇に積み上げられ、川や湖を埋める映像に大きな衝撃を受けた。やがてそれは家財道具を抱えて国境へと逃げ延びるひとびとに変わり、次いでゴマの難民キャンプが大々的に報道された。この一連の流れを見れば、誰もが虐殺の対象となったツチ族のひとたちが難民となって隣国に逃れたと思うだろう(実際、そうして難民化したひとも多かった)。

 だが現実はもっと奇怪で複雑だった。

 フツ族とツチ族は宗主国だったベルギーが統治のために人工的に生み出した民族で、少数派のツチ族を支配民族として優遇したため1962年の独立前から両者の紛争は始まっていた。このときツチ族の一部が隣国のウガンダに逃れ、そこで軍事組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を組織した。ルワンダでフツ族による虐殺が始まると、その混乱に乗じてRPFは国内に侵攻し、全土を制圧した。その結果、報復を恐れたフツ族の民衆が大挙して国境を越えて難民化することになったのだ。
ヨルダンのアンマン近郊にあるシリアからの難民のキャンプ  (Photo:©Alt Invest Com)
 欧米のひとびとがテレビで見たゴマの難民たちは、ルワンダでツチ族を虐殺した当事者たちだ。彼らが人力車などで運んできた「家財道具」は、皆殺しにしたツチ族の家から強奪したものだった。だがこうした事実はほとんど報じられず、「虐殺→難民→人道の危機」という構図に短絡化されることになる。ニュースの限られた時間では、ここで述べたような複雑な背景を説明できないからだ。視聴者は単純でわかりやすい話を求めているのだ。
 ゴマの難民キャンプの近くには大型輸送機が発着できる仮設滑走路があった。ルワンダの虐殺と、200万人ともいわれる大量の難民の存在が知られるようになると、その現場を取材しようとジャーナリストたちが飛行機に乗ってやってきた(ポルマンのその一人だ)。
 それと同時に、ルワンダ難民を“援助”すべく多くのNGO団体がゴマに殺到した。彼らが人道援助の対象にゴマを選んだのはフツ族を支援したいと考えたからではなく、滑走路があって報道陣がいたからだ。
 NGOの寄付者(ドナー)は、自分が出したお金が有効に使われ、「人道の危機」にあるひとびとが救われる場面を(安全な場所から)確認して満足感を味わいたいと思っている。これは「消費者」として当然の要求だから、批判しても意味がない。
 ドナーから多額の寄付を募ったNGOにとって、難民キャンプの近くに滑走路があるというのはまたとない好条件だ。輸送機をチャーターし、スタッフと援助物資を詰め込めばたちまち「援助」を開始することができる。おまけにそこには欧米のジャーネリストやテレビ局のクルーが待っていて、彼らの活動を報道してくれるのだ。

 虐殺の被害者であるツチ族の難民がどこか別の場所にいたしても、NGOはそんなところには行こうとはしないだろう。援助を開始するまでに何カ月もかかり、おまけに報道もされないのではドナーが納得しないからだ。
 NGOにとっては、援助の対象が虐殺されたツチ族であろうが、虐殺したフツ族であろうがどうでもいいことだ。人道主義の原則は「中立性」(二者のどちらかを優先して協力することはない)「公平性」(純粋に必要に応じて援助を与える)「独立性」(地政学的、軍事的、あるいは他の利害とは無関係である)で、人道の危機にあるひとが目の前にいれば助けるのが当然だとされている。この原則は一見素晴らしいが、どこか偽善的でもある。「あなたのお金で救われたのは、ついこのあいだまでルワンダでツチ族を虐殺していたひとたちです」という事実はけっしてドナーには伝えられないからだ。

次のページ>> ”悲惨な現場”を求めるクライシス・キャラバン

NGOの国際人道援助とは…
 ゴマの難民キャンプでポルマンは、NGOが行なう国際人道援助とは、紛争や虐殺などを「商材」にしてドナーから寄付を募り、“よいことをして満足したい”という願望をかなえるビジネスだと気づく。本書のタイトルである「クライシス・キャラバン」とは、 “悲惨な現場”を求めて世界じゅうを転転とするNGOのことをいう。
 ビジネスである以上、成功したNGOは大きな利益を上げることができる。紛争の現場にいる「人道援助コニュニティ」の白人たちは、破壊された町のレストランやバーで毎日のようにパーティを開き、10代の売春婦を膝の上に乗せている。彼らは自分たちが“特別”だと考え、その法外な特権を疑うことはない(国連職員の特権意識はさらに肥大している)。
 こうしたNGOの腐敗も欧米では広く知られていて、その結果、自分個人のNGOを立ち上げるひとたちが増えているという。こうしたNGOは「モンゴ(MONGO)」と呼ばれている。“My Own NGO”の略だ。
 典型的なのはアメリカ南部の教会の敬虔な信者で、彼(彼女)はアフリカの悲惨な現状と堕落したNGOの実態を知って、自ら教会で寄付金を集め現地に赴く。
 しかしここでも、同じ問題が起きる。信者のお金を預かってアフリカまで来たからには、なんらかの成果を出さなければ帰れない。そこで難民キャンプにある病院に行き、手足を失った“かわいそうな子ども”を紹介してもらう。その子どもたちに義手や義足を与えて、喜ぶ姿をビデオや写真に撮るためだ。そのため難民キャンプには、義足ばかり何十本も持っている子どもがいる。そののたびにいくばくかの現金をもらえるから、いい商売になるのだ。
 その後、MONGOたちは手足のない“かわいそうな子ども”をアメリカに連れ帰るようになった。教会のドナーたちの前で、最新型の人工装具をプレゼントするセレモニーを行なうのだ。だが成長期の子供の装具は数年で取り替えなければならず、子どもたちをアフリカに戻せばすぐに役に立たなくなってしまう。
 なかには障害のある子供を養子にしてあちこちの教会を連れ回したり、テレビに出演させたりするMONGOもいる。養子縁組は、字の読めない両親の代わりにシオラレオネの行政府が許可している。賄賂と引き換えに子供を両親から引き離し、NGOに売っているのだ。

 この“誘拐”がなくならないのは、人道援助の証拠を地元に持ち帰ることがきわめて宣伝効果が高いからだ。教会の信者たちは、“かわいそうな子ども”が自由の国アメリカで幸福を手にする姿を目の当たりにして随喜の涙を流すのだ。
 これはシオラレオネだけのことではなく、アフリカ各地で孤児院が大きなビジネスになっている。たとえばリベリアでは、孤児院に住んでいる子どもたちの大半は孤児ではなく両親がいる。国際援助を引き寄せるために、孤児院の所有者によって人買い同然の方法で集められてきたのだ。
 こうした子供たちはアメリカやヨーロッパの養親のもとに送られるが、扱いにくいことがわかると即座に「返品」されてしまう。そうすると別の人権団体が、この「返品」を反人道的だとして抗議活動を行なうのだという――。

次のページ>> 悲惨でも”絵にならない”ひとたちは見捨てられる

NGOの利益の源泉は「悲惨な現場」

 国際人道援助の問題は、それが巨大ビジネスになっていることにある。ビジネスである以上、利益は大きければ大きいほどいい(それを原資により多くのひとを救うことができる)。
 NGOの利益の源泉は「悲惨な現場」だ。そこで彼らは、テレビニュースで“悲惨”に見えるひとたちを追い求め、同じように悲惨な生活をしていても“絵にならない”ひとびとを見捨てる。
 これはそうとうに歪な状況だが、個々のNGOの努力ではどうすることもできない。ドナーから得られるパイ(寄付金)は限られているが、NGOは乱立しており、彼らを批判するMONGOたちも控えている。ドナーが喜んでお金を出すような演出ができないNGOは、競争から脱落して消えていくしかないのだ。
 ところで人道援助が大金の動くビジネスだとしたら、それを受ける側はテントや衣服、食糧だけで満足するだろうか。
 難民というと“かわいそうな一般市民”を思い浮かべるが、ゴマにはフツ族の民兵が相当数紛れ込み、難民キャンプを支配していた。難民を援助するにはまずキャンプに入らなければならないが、支配者である民兵たちはその際、NGOに対して「入場料」を徴収する。それ以外にもさまざまな名目でNGOから金銭を巻き上げ、ルワンダに反攻するための武器弾薬を購入していた。
 もちろん援助のために現金を支払うことは原則として禁止されているが、ここでも負の競争原理が働いている。支配者に現金を払わない真っ当なNGOは肝心の援助活動ができず、ドナーから見捨てられてしまうのだ。
 民兵たちは援助物資を独占し、NGOが支払う給与から“税金”を徴収し、運転手、料理人、清掃人、施設の管理責任者などの仕事を独占した。病院の医師は、朝になるとフツ主義に批判的な患者が消えており、空いたベッドに民兵の家族が寝ていることに気がついた。フツ族の看護師に聞いても、夜中になにが起きたのかはぜったいに口にしなかった。
 1995年末時点で、ゴマにある4つの主要難民キャンプではバー2324軒、レストラン450軒、ショップ590軒、美容室60軒、薬局50店舗、仕立屋30軒、肉屋25軒、鍛冶屋5軒、写真スタジオ4軒、映画館3軒、2軒のホテルと食肉解体場が1カ所あった。これらはすべて、NGOの援助でつくられたものだ。難民たちはNGO関連以外のなんの仕事もしていなかったのだから。
 ゴマの難民キャンプの民兵たちは、「ゴキブリ(ツチ族)を叩きつぶすことは犯罪ではない。衛生手段なのだ!」というラジオ番組をキャンプ内で流し、夜になると国境を越えてルワンダ領内に入り、ツチ族を殺していた。その結果、ツチ族のルワンダ軍がゴマの難民キャンプを攻撃することになり、キャンプはルワンダ軍の支配下に移り、国連軍の監視の下、ルワンダへの“移送”が始まった。
 難民キャンプ解体の様子は、ポルマンの『だから、国連はなにもできない』に臨場感溢れる描写がある。
 国連軍の役割はただ「監視」するだけで、故国への帰還作業はルワンダ軍に任されていた。ルワンダ軍は1000人で、帰還する難民は15万人いた。
 ルワンダ政府は難民が途中で新しいキャンプをつくるのを恐れて、徒歩での移動を許可しなかった。それにもかかわらずルワンダ軍にはトラックがなく、国連軍は移送を手伝うことを許されていない。
 こうした状況にもかかわらず「帰還作戦」は始まった。難民たちは移送を拒否して暴れはじめ、それを見てパニックに陥った政府軍兵士は難民に向かって手榴弾を投げ、迫撃砲を打ち込んだ。こうして、国連軍の目の前で数千人の難民が殺害されることになった。そのときNGOはすべて引き上げており、キャンプには誰も残ってはいなかった(戦闘後、国境なき医師団が45分間だけやってきて、暗くなる前に帰っていった)。
 これが、人道援助の「成果」だ。

次のページ>> インパクトのある「絵」

「絵」になる悲惨な現場とは…

 NGOの商材は「悲惨な現場」だ。そうすると、援助を受ける立場からすれば、悲惨であればあるほどNGO(クライシス・キャラバン)が集まってきて大きなカネが落ちるということになる。
 では、悲惨な現場とはどういう状況をいうのだろう。
 死体の山はボスニアやルワンダでさんざん報道されてしまった。いまでは欧米の「こころやさしき」ひとたちは、多少の“虐殺”くらいでは驚かなくなった。
 こうして、国際人道援助におけるイノベーションが起こった。敵を殺すのではなく、四肢を切断して生かしておけば、その方がずっとインパクトのある「絵」になるのだ。
 死体には見向きもしなくなったすれっからしの報道カメラマンも、手足のない子どもたちが泣き叫び、地面を這いずり回る場面には殺到する。欧米のメディアで大々的に報道されれば、NGO(クライシス・キャラバン)が大挙してやってくる。このようにして、ドナーの寄付金は子どもたちの四肢を切断した者たちの懐に落ちるのだ。
 本書の最後でリンダ・ポルマンは、シオラレオネの反政府軍RUFのリーダー、マイク・ラミンにインタビューする。
 ラミンは、「すべてが壊され、あんたたちは修復するのにここにいなかった。あんたたちが気にしていたのは、ユーゴスラビアにおける白人の戦争とゴマのキャンプだった。あんたたちはただ我々に戦い続けさせたんだ」と欧米社会を批判する。そして欧米の注目をふたたびシオラレオネに向けさせ、戦争を終わらせるために「両手切り落とし団(カット・ハンド・ギャングズ)」を組織したのだというのだ。
「かつてないほど多くの四肢切断者を見て、はじめてあんたたちは我々の運命に注意を向け始めたんだ」
 罪もないひとたちの手足を無残に切断するのは、NGOからカネをかすめ取ろうと考える者にとってはきわめて「経済合理的」な行動だった。国際人道援助に携わるひとたちは、誰もがこのきわめて不都合な真実に気づいている。
 しかし、ふだんは立派なことばかりいっている彼らは一様に口をつぐみ、ポルマンが『クライスシ・キャラバン』で告発するまで私たちが真実を知ることはなかった。
 一人でも多くのひとに読んでもらいたい、衝撃的なノンフィクションだ。



作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。
http://diamond.jp/articles/-/47247 


03. 2014年1月17日 23:15:49 : pEJb7rR53o
だから、その反政府勢力を支持して来たのは誰なんだって?

欺瞞に満ち満ちたこの世界では「人権団体」だって信用はできん。


04. 2014年1月18日 02:57:49 : JtW399YiA2
アルカイダ系の支配地域って全部そうだろ・・・。

05. 2014年1月18日 11:20:20 : pEJb7rR53o
前にこんな投稿もあった。

戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ〈中山康子訳〉 [ちきゅう座]
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/256.html

アフフガニスタンでもタリバン以前に女性を虐待していたのは北部同盟。それ以前に世俗的な男女平等を謳った社会主義政権が外国勢力の陰謀で倒されたことはあまり知られていない。

しばしば、他国への介入の口実にされる「女性解放」だが、実際のところは国際社会の関心は他にある。だからサウジにはどこも介入しない。


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