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映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.01 (週刊大衆) 
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投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 12 月 27 日 22:24:01: igsppGRN/E9PQ
 

映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.01
http://taishu.jp/politics_detail815.php
週刊大衆12月30日号


其の壱 不可能を可能にした天才設計士 堀越二郎の「苦悩と閃き」

なぜ、日本人はゼロ戦に魅了されるのか?
それは、ゼロ戦が旧・日本軍の誇りと悲しみの象徴であるからに他ならない。
この不世出の戦闘機は、登場するや連合国軍から「ジーク」として恐れられ、最後は特攻隊員とともに戦火の空に散っていった――。

今月21日から公開される映画『永遠の0』にちなんで、戦後68年経ってなお、人々を魅了し続ける【奇跡の戦闘機】と、その搭乗員たちの勇姿に肉迫した!
※※
誰もが不可能と思われたことを可能にした――ゼロ戦開発の成功は、そのひと言に尽きるだろう。
そして、それは、主任設計者・堀越二郎の苦悩と天才的な閃きの賜物であった。

海軍が堀越に命じたのは、世界最強の戦闘機を造ること。
そのため海軍の要求は、空戦性能、速度、航続距離のそれぞれについて最高レベルを求めていた。

堀越は、のちに刊行された手記で、この無茶な要求について、こう述べている。
〈たとえていえば、十種競技の選手に対し、五千メートル競走で世界記録を大幅に破り、フェンシングの競技で世界最強を要求し、その他の種目でも、その種目専門の選手が出した世界記録に近いものを要求しているようなものだった〉

しかも、これらの条件のそれぞれが互いに相反しているのだ。
空戦能力の高さのポイントは、上空でいかに小回りが利くかだが、それには機体の軽さが求められる。

一方、速度を上げるには高馬力のエンジンの搭載が必須で、機体が大きく重くなってしまう。
この2条件だけでも十分矛盾しているのに、海軍はさらに航続距離を2倍にしろというのだ。
「さらに、ゼロ戦には、当時の常識では考えられない20ミリの機銃が搭載されていました。当時、他国の戦闘機の機銃は最大で12・7ミリ。20ミリ機銃と比較すると、中高生のアマチュアボクサーとプロほどのパンチ力の差と言えます」(軍事ジャーナリスト・神浦元彰氏)

さすがに堀越も、どれかひとつでも条件を引き下げてほしいと軍に掛け合ったが、答えはノー。
苦悩の末、堀越が出した結論は、ゼロ戦の軽量化を徹底することだった。

堀越自身が〈重量は1グラムたりともないがしろにできなかった〉と手記で語っているように、その徹底ぶりは凄まじい。
全重量の10万分の1レベルまで設計を管理する方針を貫き、3000枚を超える図面の細部に至るまでチェック。
その都度、部下にダメ出しをしたという。

軽量化の取り組みは図面上だけではない。
機体には当時開発されたばかりの超軽量ジュラルミンを使用。

さらに、強度が保てる範囲内で、機体のあちこちに穴をあける「肉抜き」と呼ばれる加工を施した。
また、世界で初めて落下式燃料タンクを採用したことも軽量化にひと役買った。
この増槽タンクはいざ戦闘に入るときに切り離し、高い空戦能力を確保するためだ。

ゼロ戦のこのアイデアは、その後、あっという間に世界の常識になったという。

だが、こうした超軽量化は最大の弱点をも作ることとなった。
「パイロット席の防弾性能が低く、燃料タンクを保護するゴム板もありません。機体の強度や安全性を極限まで削ぎ落とした結果です。不時着したゼロ戦を分解したアメリカ軍人が"クレイジー、こんなんじゃあ、アメリカ軍のパイロットは誰も乗りたがらない"と言ったという逸話もあります」(前出・神浦氏)

この点では、堀越も葛藤したようで、〈軍から防御の指定はなかった〉と、手記で苦悩を告白している。

もっとも、これらの努力と犠牲だけでは、ゼロ戦は生まれなかっただろう。
完成までのあと一歩には、堀越の天才的閃きが必要だったのである。

試作機ができてテスト飛行をすると、高速と低速で操縦桿の効きが違い過ぎる問題が噴出した。
重要視した空戦性能に関わる大問題だった。

これに対して堀越は、大胆な発想の転換でもって応える。
当時、操縦系統が伸び縮みしやすいことは"悪"とされたが、あえて操縦系統に弾性を持たせたのだ。結果、これが功を奏し、ゼロ戦は世界に類を見ない操縦しやすい機体となった。

ちなみに、堀越のこの発想は戦後になって、やっと認められている。
かくして完成に至ったゼロ戦は、1940年9月13日、中国・重慶上空でデビューを飾る。

その日、13機のゼロ戦は中国軍の戦闘機27機に襲いかかり、あっという間にすべてを撃破。

ゼロ戦伝説の始まりであった。

       ◇

映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.02
http://taishu.jp/politics_detail816.php

其の弐 本田稔・元海軍少尉の告白「ゼロ戦乗りの【もうひとつの敵】」

ゼロ戦は、完成当時、世界最高峰の性能を誇った。

だが、いかに性能がよくとも、熟練のパイロットがいなければ、ゼロ戦がこれほど活躍することはなかっただろう。

太平洋戦争初期からラバウル航空隊時代を経て終戦まで、熾烈な空中戦を勝ち抜いた本田稔・元海軍少尉も、その一人だ。

本田氏の告白を詳録した『最後のゼロファイター』によると、本田氏は、「水平方向の空戦では負ける気がしなかった」と言う。

ラバウル時代のゼロ戦のライバルの一つが、アメリカ軍のF4Fワイルドキャットであった。
F4Fは6挺の12・7ミリ機銃を装備しており、その弾幕は凄まじいものであったという。

これに対して、ゼロ戦の20ミリ機銃は一発で敵機を仕留める威力があったが、時間がかかっていると、自分の後方についた敵機に攻撃されてしまう。
そのため、せいぜい撃てるのは1発か2発で、確実に命中させるには30メートル近くまで近づいて撃つしかなかった。

近づいた結果、追いかけている敵機のパイロットが後ろを振り向き、「顔と顔が合うこともあった」と、本田氏は述懐している。

       ◇

映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.03
http://taishu.jp/politics_detail817.php

「これで死ぬことはない…」

無類の強さを誇ったゼロ戦だが、敵機以外にも【もう一つの敵】がいたことはあまり知られていない。

本田氏への取材を重ねた前述書の著者である軍事ジャーナリストの井上和彦氏が解説する。
「意外に思われるかもしれませんが、睡魔です。特にガダルカナルの戦いでは、往復8時間連続で操縦しなければなりません。特に、空戦を終えて帰る復路ではどっと疲れが出て眠くなるわけです」

こうした睡魔によって、急にフラフラしたかと思うと、海に真っ逆さまに落ちてしまう機もあったという。
「現代のように自動操縦がなく、ずっと操縦桿を握る体力と精神力は並大抵ではありません。パイロットたちは、体の至るところをつねったり、先の鋭い工具などで皮膚に刺激を与えたりして、眠気を散らし続けていたそうです」(前同)

また、エンジントラブルなどで海面へ不時着して、"第2の敵"に襲われるケースもあったようだ。
「サメです。実際、本田氏も着水したゼロ戦にサメが群がっているのを発見し、パイロットを助けるためにサメに向けて機銃掃射したそうです」(同)

さらに本田氏は、ゼロ戦の防御の薄さも体感している。
F4Fとの死闘中、後方から12・7ミリ機銃を撃たれたところ、弾が自らの肩をかすめて操縦席の床をブチ抜いたというのだ。
床には10センチほどの穴があき、「その穴から海が見えて、吸い込まれそうで怖かった」と言う。

「本田氏はゼロ戦での空中戦を"浴衣で戦うようなもの"と例えて、初めて紫電改(新鋭戦闘機)に乗ったときに、"これで死ぬことはない"と思ったそうです」(前出・井上氏)

いかに高性能とはいえ、油断すれば一寸先は死。
パイロットたちは、まさしく死線を駆け巡っていたのだ。

       ◇

映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.04
http://taishu.jp/politics_detail818.php

其の参 64機撃破の坂井三郎だけじゃない! 帝國海軍航空隊「撃墜王列伝」

ゼロ戦乗りのエースといえば、『大空のサムライ』の坂井三郎が有名だが、「撃墜王」と称えられた男は、彼だけではない。

まず、202機を撃墜したとされる岩本徹三・元海軍中尉がいる。
戦争中、戦地を転々としていた岩本は、自ら「天下の浪人虎鉄」と自称していた。
この名は、新撰組を率いた近藤勇局長の愛刀・虎鉄に由来している。

岩本は日中戦争の初陣から敵機4機を撃墜。
ラバウル航空隊時代には、1日で7機撃墜したり、強敵F6Fヘルキャット4機を相手に1機で勝負を挑み、すべて撃墜するなど数々の華々しい戦果を挙げた。
「岩本の得意としたのは一撃離脱法。目標となる敵機を見つけたら、上空から一気に襲いかかって射撃を浴びせ、急降下で逃げていく戦法です」(軍事ライター)
まさに天才のみが使える戦法だ。

岩本はまた、こんな伝説でも知られる。
「生きて戦い抜くことを信条としていたため、特攻志願書に"否"を突きつけたそうです」(前同)

撃墜数で、その岩本に匹敵する西澤廣義・元海軍中尉も凄い。
「ラバウルの魔王」と呼ばれ、予科練教官が「予科練卒業生で敵機を一番落としたのは誰か」という質問をしたところ、教え子らがこぞって西澤の名を上げたという逸話があるほど。

撃墜数は、140機以上だとされている。
「坂井三郎と西澤は同じ航空隊に所属し、坂井が負傷して内地に帰還したあとも西澤は戦い続けました。水平線より下の敵機を発見する能力に優れ、"1秒でも早く敵機を見つける"が口癖だったそうです」(同)

機体に黄色い帯を描いていたことから「イエローファイター」の異名で米軍から恐れられたのが、菅野直(かんのなおし)・元海軍大尉。
「訓練生時代に、まだ教わっていない宙返りを勝手にするなど、とにかく破天荒な性格だったそうです」(歴史雑誌編集者)

菅野は共同で撃墜した数を合わせると72機という記録を持ち、B24などの大型爆撃機への攻撃を得意とした。
その操縦技術は高く、特攻志願した際に、上層部が技量を惜しんで出さなかったそうだ。

一方、悲劇の撃墜王と言われるのが杉田庄一・元海軍少尉だ。
杉田は、連合艦隊の山本五十六長官の護衛につきながら、長官の搭乗機を敵機から守れずに墜落させてしまう。

以降、自責の念にかられた杉田は、死にもの狂いで敵機に挑み、21歳の若さで戦場に散った。
「その執念はもの凄く、戦いで全身に大火傷を負って手の指同士がくっついても、不屈の闘志で復帰したと語られています」(前同)

もっとも、世に撃墜王として知られるこれらの人物は、一部に過ぎない。
「戦争半ば、海軍は個人の撃墜記録の記載を止めて、部隊戦果に切り替えました。また、3機編成による空中戦に移行し、敵機を撃墜したかどうか、最後まで見届けられなくなりました。結果、自薦・他薦による撃墜記録が語られ、正確な数字は不明なんです。だから、無名の撃墜王も多数いると言われています」(同)

太平洋に消えた彼らの活躍なくして、ゼロ戦は語れないのだ。

       ◇

映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.05
http://taishu.jp/politics_detail819.php

其の四 待望の純国産戦闘機が誕生間近!「平成のゼロ戦」「心神」の秘密

終戦とともに姿を消したゼロ戦。
だが、そのDNAは途絶えたわけではない。

現在、日本では"現代のゼロ戦"とでも言うべき戦闘機が開発中なのだ。
「先進技術実証機・心神と呼ばれる戦闘機です。戦後、日本の軍事技術は米軍一辺倒でしたが、心神は日本の高い技術力を結集した純国産の戦闘機なんです。かつてゼロ戦は、高度な欧米の戦闘機に対抗して日本が独自に開発し、世界にその名を轟かせました。その意味で、心神はゼロ戦の再来と言ってもいいでしょう」(自衛隊関係者)

心神の開発は、防衛省技術研究本部と三菱重工が中心となって進めているが、奇しくもゼロ戦を開発したのも三菱重工である。

この未知の機体の詳しい性能は、まだ明らかにされていないが、「推定では、全長14メートル、全幅10メートル、重さ13トンで、現在自衛隊の主力戦闘機であるF−15より、かなり小ぶり。最大速度はマッハ2・5を誇ります。現在、世界の最先端は米のF−22をはじめレーダーに映りにくいステルス戦闘機ですが、心神もステルス機です」(前同)

しかも、その性能は、軍事大国アメリカをも凌ぐものだと、前出・井上氏が解説する。
「実はあまり知られていませんが、日本のステルス技術は世界最高峰で、アメリカもその技術を採用しているんです。機体の形状、レーダー電波を弾く性能などは、日本が世界をリードしています」

こう聞くとなんとも誇らしくなってくるが、心神開発の重要性は、「それだけではない」と、井上氏が続ける。
「心神開発の先には、相手のステルス機を見破るカウンターレーダーの開発があります。この技術が確立できれば、相手のステルス機に忍び寄って、バンバン撃ち落とすことができる。このあたりは、まさに"平成のゼロ戦"です」

近隣諸国との緊張関係が増す現在、早い完成が待たれるところだが、「すでに、5分の1モデルで無人操縦による飛行実験を成功させています。気になるステルス性能についても、相手のレーダーに映る大きさは、"昆虫以上、中型の鳥未満"と申し分ない模様」(軍事ライター)

井上氏は、この心神に防衛力以上の期待を込めて、こう言う。
「心神が持つ最新のステルス技術は、防衛外交でも大きなカードとなります。さまざまな防衛外交交渉の席で風上に立てるわけです」

開発完了予定は、2016年。
日本の技術が、再び世界を圧倒する日も近い。


 

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コメント
 
01. 2013年12月27日 23:02:04 : 7Onnx32U7Q
セナとホンダのF1ターボエンジンも無敵の快進撃でそうだったけどあっとおどろく技術で日本は時折世界中をびっくりさせるね。

ヘリコプターの初期のジャイロ技術もそうだったし、潜水艦い号400という飛行機を3機も潜水艦に積める船も今のミサイル搭載原潜の雛形にされたし。
確か戦争末期にドイツと日本でジェットエンジンをアメリカより先に作ってしまっていたようだし。

まあ日本の歴史で木工工作技術は昔からあったという素地があったようですけどもそれが世界から少し怖がられる要因でもあるようですけどね。


それにしても零戦は性能はともかくも(昔プラモ作りではやって)僕も作ったのですがどこからみても姿が美しい機体でしたね。


それと心神についてはあまり世界にひけらかしたり自慢などしないように地味にしておいたほうがいいと思います。


02. 2013年12月28日 00:24:40 : DuP9JLTVbc
ゼロ戦とは、開発名称が十二試艦戦。昭和12年にはじまった日中戦争(日華事変、支那事変とも言う。)で日本本土から九六式陸上攻撃機による渡洋爆撃が行われたが、随伴する戦闘機がなく損害が大きかった。(九六艦戦は航続距離が短かったため、随伴できなかった。)十二試艦戦は、陸上攻撃機と同等の航続距離をもつことが求められた。

日本海軍・航空隊「96式陸攻の出撃」3
http://www.youtube.com/watch?v=2VfQ3yFVdro

日本の総力を上げて開発されたゼロ戦は、まず中国大陸上空で戦った。ゼロ戦と戦った戦闘機を紹介する。

Polikarpov I -16 Pilot Mark Hanna at Wanaka New Zealand 1998
http://www.youtube.com/watch?v=Wre6DUAbMIg
●ソ連から中華民国空軍に供与された戦闘機です。これは2年毎にニュージーランドの南島のワナカで行われる航空ショーの動画です。低翼単葉で引き込み脚ですが、ゼロ戦の敵ではありませんでした。

Flight Demonstration of P-40 Warhawk WWII Fighter Aircraft
http://www.youtube.com/watch?v=CjZoWU5R9dA
●中華民国を支援するためにアメリカから送り込まれた戦闘機です。パイロットも義勇兵としてアメリカから送り込まれました。翼に描かれたマークは、中華民国空軍のそれです。このカーチスP-40は、オーストラリアでもゼロ戦と対決しました。

F4F Wildcat Flying Around Chino Airshow "08
http://www.youtube.com/watch?v=I91NCxyrD8U
●日米開戦でゼロ戦と対決したのが、このグラマンF4Fワイルドキャットです。見ての通り、両脚の間隔が狭すぎて空母での運用は難しそうですが、実際に事故続出でありました。下の動画をご覧ください。

F6F F4F WildCat & HellCat Crashes
http://www.youtube.com/watch?v=Tmxh9RPjZUg

Grumman F6F Hellcat Fighters!
http://www.youtube.com/watch?v=bBsg3WZeheY
●1942年から量産されたアメリカ海軍の艦上戦闘機ですが、アメリカの自動車メーカーも総動員して大量生産されました。この工業力の違いはどうにもなりませんでした。上の動画でも着艦時の事故が多いのですが、パイロットは助かっていますので、戦闘機は消耗品そのものだったと言えます。日本は特攻隊で人間を消耗品にしてしまったから、負けてしまったのでしょう。

海軍爆撃隊
http://www.youtube.com/watch?v=x4xEaF7H1AA
●日本海軍航空隊は、ラバウルからオーストラリアへの爆撃を行いました。これの動画です。これに随伴したのがゼロ戦。この「戦爆連合」は1944年以降、アメリカがドイツ爆撃でB-17、B-24をP-51マスタングで護衛しましたが、これくらいしか実例はありませんねえ。最も、こちらオーストラリアから見れば侵略者な訳で、対日感情は戦後もなかなか好転しませんでした。

Spitfire Mk1 Dunkirk Veteran
http://www.youtube.com/watch?v=e33yGl-7uvE
●バトル・オブ・ブリテンでイギリスの空を守り抜いた「救国の戦闘機」スピットファイアがオーストラリアに投入され、ゼロ戦と対決しました。

2011 Jacqueline Cochran Air Show - F4U Corsair Aerobatics
http://www.youtube.com/watch?v=C1itjRkNLaA
●F6Fヘルキャットと同じR-2800エンジンを搭載していますが、より大口径のプロペラを利して高性能ぶりを発揮しました。ここまで来るとゼロ戦も押しまくられるばかり。戦後、フランスにも供与され、インドシナ戦争で活躍しました。フランス海軍仕様も紹介します。

Chance Vought F4U Corsair Whistling Death
http://www.youtube.com/watch?v=71W4x169fzc

P-51 D Mustang Engine Sounds "No Music" - Merlin Engine Start and Gun Port Whistle Sounds
http://www.youtube.com/watch?v=-yTHDQZL1dE
●第二次世界大戦の最高傑作P-51Dマスタングです。これが投入されてドイツ爆撃のB-17、B-24の損害が激減しましたが、日本でもB-29に随伴して日本側の損害は甚大なものに。

ゼロ戦について語るには、次の動画を見ておくとよいでしょう。

世界が語る零戦─「侵略の世界史」を転換させた零戦の真実
http://www.youtube.com/watch?v=edE0eNwzDH8

こちらもどうぞ。

ニューギニア・ソロモンで激しい航空戦を戦い抜いた零戦パイロット─日本の南洋戦略8
http://www.youtube.com/watch?v=cNV7sxiZFm8


03. 2013年12月28日 02:50:40 : f2hKZBxa0s
>軍事ジャーナリストの井上和彦

こいつ嫌い 悪しき軍ヲタの見本みたいな奴


04. 2013年12月28日 03:48:23 : BDDFeQHT6I
今更昔のプロペラ機を持ち上げたって何の意味も無い、ステルス機を捕捉出来るレーダーとかを開発したなら意味も有るだろうが。

05. 2013年12月28日 22:04:58 : NWSQqGLXIg
負けた機体を神格化。OH CRAZY!!

一撃食らったら即爆破炎上、20秒しか撃てない機銃。アホの極み。


06. 2013年12月28日 22:38:42 : SnTjSdZQ0o
軍事大国日本!驚きの日本製ステルス戦闘機が完成 (simatyan2のブログ) 
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/604.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 9 月 01 日 10:20:00: igsppGRN/E9PQ

07. 2013年12月29日 05:10:49 : qgLUdXd0Ng
負けているのにいまだに世界中の航空ファンの間で
神話・伝説となっているワンダー。
パイロットの奮戦もさることながら、
歴戦と壮烈な最期の姿に
世界は高潔な魂を見たのだろう。

08. 2013年12月29日 12:26:49 : DuP9JLTVbc
02ですが、今や伝説と化したゼロ戦。アニメに映画、小説に取り上げられていますが、バックには明らかに軍国日本の復活を目論む勢力が画策している広報活動が見えます。建国以来、日本からしか攻撃を受けていないオーストラリアから見た観点ですが。

ゼロ戦にケチつける積もりはありませんが、陸軍機がやたら低い評価になっていることが納得できませんね。外国人から当時の日本を見た場合、海軍のゼロ戦と陸軍の一式戦・隼を別々に開発、配備したことが、無駄の極致に思えます。当時の陸軍と海軍の仲の悪さは有名ですが、ドイツのダイムラーエンジンのライセンス生産の権利を買いに、陸軍と海軍が別々に特使を派遣したことは、ドイツ側も呆れていたとか。(陸軍の飛燕、海軍の晴嵐のことです。)

陸軍の隼にしても、南方作戦で航続距離の長い戦闘機が必要だと陸軍が判断して開発したそうですが、それならどうして海軍のゼロ戦を採用しなかったのかと。イギリスでは空軍のスピットファイアを海軍が空母艦載機として採用しています。ゼロ戦と隼の概観は遠目にはそっくりで、エンジンも同じ。(同じエンジンなのに名称が違う。)生産面でもゼロ戦の半分以上が中島飛行機でつくられていたとか。(エンジンが中島製です。)

海軍のゼロ戦は終戦と共に活躍は終わりましたが、陸軍の隼はインドネシア独立戦争やインドシナ戦争で独立派が使用しました。(日本の元軍人が操縦方法を伝授。)中国大陸でも蒋介石の国民党軍と毛沢東の人民解放軍の双方が使用しました。

インドネシア共和国軍が使用した隼。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:AURI_Oscar.JPG

中国・国民党軍が使用した隼。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakajima_Ki-43_ROCAF.jpg

陸軍の戦闘機は空中格闘戦のみならず、地上攻撃もできるよう設計されていましたから、小型爆弾を吊り下げて爆撃にも使用されました。同時期の海軍機に比べ、防弾設備が不充分であったものの施されていたことも考慮されるべきです。(同じ三菱が生産した海軍九六式陸攻と陸軍の九七式重爆を比較すると一目瞭然。陸軍九七式重爆が配備されていた飛行場の近くに住んでいた当方の父が、翼内タンクに使用する天然ゴムの塊を駅で見たとか。貨物列車で運ばれていたそうです。)

脱線しまくりの話になってしまいましたが、ゼロ戦ばかり持ち上げられていますので、陸軍機・隼のことも思い出して欲しいと言いたかったのです。

インドネシア独立戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89


09. 2013年12月29日 12:46:47 : 7Onnx32U7Q
>>脱線しまくりの話になってしまいましたが、ゼロ戦ばかり持ち上げられていますので、陸軍機・隼のことも思い出して欲しいと言いたかったのです。


歌の 加藤はやぶさ戦闘隊 で知ってますよ。僕は50代ですが親や叔父から戦争の話や歌も教えられて大体の軍歌は全部歌えるよ。まだ戦争終わってまもないから子供の頃は軍艦や飛行機の模型はたくさん作りました。

P51ムスタングには 紫電改 が結構互角の能力になってたんじゃなかった?

アメリカが作ってもいなかったジェット機が(試験段階までいってた)戦時の終盤じゃなくて1941年までに間に合えばまた戦況もかわったでしょうけどね。



10. 2013年12月29日 17:41:48 : DuP9JLTVbc
09さん、08です。書き込みありがとうございます。P-51ムスタングに対抗する紫電改ですが、ゼロ戦が性能でアメリカ軍機に対して劣勢になったことから、当時の日本海軍は一大増産計画を立てました。三菱重工に対し雷電の生産を中止し烈風の開発も中止させ、紫電改の生産に全力投入せよと言うのです。これにより岡山県の水島製作所を開設し、大規模な埋め立てを行いました。(現在の三菱自動車です。)ところがアメリカ軍の猛爆撃で工場は壊滅。終戦までに完成した三菱製紫電改は、9機だったそうです。

外観がグラマンF6Fヘルキャットに似ていたことから、友軍から攻撃を受けることもあったとか。

紫電改の最高速度は594km/hと紹介されていますが、アメリカ軍と同じ燃料を使って飛行したところ、ボートF4Uコルセアが置いてけぼりになったそうです。正式に測定していないことが惜しまれますが、680km/h出ていたのは間違いないらしい。

もっと早く紫電改が登場していれば…と惜しまれることについては、当時の備蓄燃料事情から燃費の悪い高出力エンジンを使用する新鋭機を採用しにくかった時代背景もあるのでは ? ゼロ戦や隼に採用されていた中島・栄エンジンは燃費がよかったのです。そのためか、隼は1945年の段階でも生産され続けていました。ゼロ戦も三菱・金星エンジンを採用した五四型が試作されたものの、金星エンジンを製造していた三菱重工業・大幸工場(現在のナゴヤドーム)がB29の名古屋大空襲で壊滅しました。(名古屋城も消失しました。)このため量産できなかったそうです。

ジェット機の話題ですが、世界初は技術の国ドイツですね。
ハインケル He 178 (航空機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/He_178_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

次はイギリスでした。
グロスター E.28/39
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC_E.28/39

三番手はアメリカでした。
ベル P-59 (航空機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/P-59_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

世界初のジェット軍用機です。
メッサーシュミット Me262
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Me262
●エンジンがBMW 003からユンカース・ユモ004に変更されています。

遣独潜水艦作戦で図面を日本に輸送中に撃沈されてしまい、日本に到着したのはわずかな資料のみ。ここから橘花を作り出した日本の技術者の不屈の努力を我々は見習うべきでしょう。(実際には、ゼロから新型機を開発したのと同じだそうです。)

中島飛行機・航空技術廠 橘花 (航空機)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E8%8A%B1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

ここから蛇足になりますが、BMW 003は戦後、米ソ仏が接収しました。第二次世界大戦でドイツに破れたフランスは、ドゴール将軍率いる自由フランス軍がパリに凱旋し、フランス臨時政府を樹立。1945年より主要産業の国有化を推進。ドイツに負けた教訓を元に、一足飛びに軍用機のジェット化を決定。国営企業スネクマが設立されました。ここにジェットエンジンを開発したBMWの技術者を招聘(実際には連行らしい。)し、同社で国産化を目指しました。これがスネクマ・アターエンジンです。


11. 2013年12月29日 19:33:22 : oIjRF9fAyw
>>10
残念ながら、紫電改が多少早く登場しても戦局の挽回は難しいと思います

昭和19年6月のマリアナ沖海戦で惨敗を喫した原因は ひとえに熟練搭乗員の不足です
「永遠のゼロ」原作にも述べられていましたが、本当の日本の敗因はガダルカナル攻防戦にある
無理な長距離攻撃を重ねてしまったために熟練搭乗員の大半を失ってしまった事でしょう
つまり昭和18年ごろにはもう、勝負は決していたと言っても過言では無いそうです

マリアナ沖海戦では、敵の潜水艦の遊弋により事前に訓練が出来なかったと言われてますが
これとて本当は、実際に発着艦訓練はしてみたものの 訓練するたびに事故が頻発し
敵との決戦の前に大部分の航空機を失いかねない事態に 発着艦訓練は中止したそうです
(着艦は出来なくとも発艦さえ出来れば 攻撃後はサイパンにでも着陸させれば良いと)
そしてその理由に敵潜水艦の遊弋を名目にしただけだそうです
この事も 永遠のゼロ原作には取り上げられております

つまり、戦争序盤の目覚ましい活躍も 戦争後半の劣勢も、一にも二にも 搭乗員の錬度に尽きる訳です

日本の航空機が総じて防御が薄かったために あっという間に熟練した兵が失われた訳ですが
性能を高めるために防御を薄くしている事を 運用側が充分認識していなかった事が
この戦争の最大の敗因と、この原作でも述べられております

ぜひ、原作を ご一読される事を願います。


12. 2013年12月30日 15:20:01 : WzX8nPCmYM
日本は戦争するには十年も早かったにもかかわらず、馬鹿な帝国軍人が愚かな頭で勝てると思い込み、開戦すれば道が開けると考えて実行した誇大妄想狂がやらかしたことである。今の日本人が如何なる理由があったとしても決して賛同することなど許されるはずがない。

今の時代感覚で戦時中の兵隊さんの心理を描写するのは間違っている。背筋が寒くなるほど気持ちが悪くリアリティーに欠ける。当時の軍人の誰であっても映画のような気持ち悪いセリフを吐く人間はなどいなかった。まともな今の日本人なら見なくても分かることだ。


13. 2013年12月31日 00:26:51 : 7Onnx32U7Q
10さん、098です。

>>本田氏への取材を重ねた前述書の著者である軍事ジャーナリストの井上和彦氏が解説する。「意外に思われるかもしれませんが、睡魔です。特にガダルカナルの戦いでは、往復8時間連続で操縦しなければなりません。特に、空戦を終えて帰る復路ではどっと疲れが出て眠くなるわけです」
>>こうした睡魔によって、急にフラフラしたかと思うと、海に真っ逆さまに落ちてしまう機もあったという。

実は子供のゲームソフトで遊んであげていていろいろなゲームがありましてね、僕も面白くなって(今はやりませんけどね)僕自身の興味のあるソフトも買ったことがありますのが、飛行機の操縦ソフト。民間のジェット機だとか、軍用機だとか、空戦ソフトまでいろいろあるんです。大きな50型のテレビで画面に出して操縦するのが面白くて、中々リアルでしてパワーの掛け具合で失速してしまったり、急降下を機体の弱い飛行機でおこないますと空中分解してしまったりと(笑)、ジェット機の操縦もあればレシプロ機の操縦もあっていろいろなシミュレーションがあり私はあれで操縦中何度も戦死、事故死しています。(笑)ゲーム上ですが海戦への参加や空戦の参加も何度もやってみましたが昔あれがあると操縦士の皆さんも相当腕があがったんだろうなあと思いました。

海の上を操縦していますとね、もう眠くなるのはゲームでも一緒です。しかも東西南北海ばかりなので風景が変わらないし、エンジン音が子守唄になります。

飛行機操縦のシミュレーションをしていて思ったのがもう風のある日の着陸が難しいなあと思いました。何度も事故死しましたよ。(笑)


14. 2013年12月31日 09:23:01 : WzX8nPCmYM
今日は55インチのテレビ画面に阿修羅サイトを映してるけどね、なかなかプレステの空中戦ゲームを出して遊ぶ心境ではないよん。

航空機が好きな理由は操縦の模擬体験にあると思うんだ。ラジコン機も制作してエンジンテストやっても、やはり操縦するならコックピットから見た映像が欲しい。

ラジコン機にテレビカメラを搭載してモニタスクリーンに映して飛ばしたら面白いだろうな。


15. 2013年12月31日 09:48:06 : WzX8nPCmYM
Core i 7を搭載したMac MiniにWindous8を入れてモニタ画面にSonyのブラビア55インチを使って阿修羅やると結構面白いよん。

MacのWirelessマウスは反応しないときあるけど、調整方法がわかる方いらっしゃいますか?


16. 2013年12月31日 10:33:16 : WzX8nPCmYM
無人偵察機や爆撃機など既に実用化されている時代である。

やはり世界を救うのは軍需機密や技術の民需転用だと思う。

誰も被弾して死ぬことがないだけではなく、リアル感がある飛行を楽しめるだろ。

軍需技術の民需転用は世界にパソコンが普及したより遥かに早く広まるだろう。

アメリカと中国の関係が世界情勢を支配することになるのか、欧ロも負けじと参戦するのか協調を選択するのか。

どこの国でもドイツでmp、馬鹿ウヨが奇声をあげてデモしてるようではアメリカに負けるだろうな。


17. 2013年12月31日 20:14:42 : 3eGUdwVSrM
安倍首相、映画「永遠の0」に感極まる 感想に「……」
朝日新聞デジタル 12月31日(火)19時50分配信

 冬休み中の安倍晋三首相は31日、東京・六本木の映画館で公開中の映画「永遠の0」を鑑賞した。約2時間半の上映後、記者団から感想を求められた首相は「感動しました」と感極まった様子。印象に残った場面を問われると、数秒間沈黙し、声を絞り出すように「やっぱり、ラストシーンですかね……」と語った。

 「永遠の0」は、作家の百田尚樹さんの同名の小説が原作で、零戦で出撃に向かうパイロットの若者が主人公。首相は百田さんの作品の熱心な読者で、27日には共著を出版しており、その中でも「百田さんの小説は読むと元気が出ます」と絶賛していた。

 百田さんも2012年の自民党総裁選前、「安倍首相を求める民間人有志による緊急声明」に発起人の一人として名を連ねるなど、首相の支持者として知られる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131231-00000024-asahi-pol


18. 2014年1月01日 09:19:32 : seGAXoSWH6
下痢ピーがみにいったのか?

みたくなくなった。

戦争を美化すんなよ…


19. 2014年1月01日 12:32:31 : WzX8nPCmYM
見に行って来い!!

ジャニーズ系の男優がヒーローなんだろ、どうせな。

硫黄島からの手紙でも荒らしだったか上官の糞ツボを運んでいた奴がいたな。

何故かあいつだけは旧日本兵であっても憎みきれないでいる。カッケーかったな


20. 2014年1月04日 12:03:29 : oIjRF9fAyw
あの 「亡国のイージス」 も、原作はあんなに面白かったのに映画は・・・いまいち
さて、「永遠のゼロ」 は どうなんでしょうね。

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