http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/180.html
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続いて、後半の特集は...【真珠湾 スパイ視された沖縄人】真珠湾攻撃から72年。日系米兵として沖縄戦を戦った男性が沖縄を訪れた。戦時、沖縄では、多くの住民がスパイ視され殺害された。日系米兵たちが見た虐殺現場とは? 土曜日午後5時半から。ご覧ください。#houtoku
— 報道特集(JNN / TBSテレビ) (@tbs_houtoku) 2013, 12月 6
久米島守備隊住民虐殺事件(Wikipedia)から
日本軍久米島守備隊が、アメリカ軍に拉致され渡された「投降勧告状」を持って部隊を訪れた住民を「敵に寝返ったスパイ」として処刑したことに始まる事件である。
この非戦闘員の処刑は現在の価値観に照らし合わせて人道上の問題があるだけでなく、当時の国内法や軍法、軍規からも逸脱する行為であった。まず陸軍刑法や海軍刑法、軍人勅諭をはじめ、国内法にスパイ容疑で裁判を経ずに処刑する法規が存在していない。たとえ明らかなスパイを犯罪者として現場で処罰する場合であっても、将校らによる軍法会議が最低限必要である。一介の准士官が主観的な判断のみで処刑を実行することはできないはずで、超法規的措置ないし違法行為の疑いがある。
当時の責任者だった日本海軍通信隊の守備隊のトップであった鹿山正兵曹長(事件当時32歳)は、戦後の1972年にサンデー毎日のインタビューに応じ、処刑の事実を認める一方で、大日本帝国軍人として正当な行為であったと自らの正当性を主張した。
<参照>
「現地妻が告白する『沖縄の怨』」 (『サンデー毎日』 1972・6・4号)
http://keybow.co/sundaymainichi/gentizuma.html
http://megalodon.jp/2013-1208-2134-50/keybow.co/sundaymainichi/gentizuma.html
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