05. 2014年7月04日 07:02:03
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PTSDも、ある種の文明病だろうなhttp://diamond.jp/articles/-/55548?page=5 2014年7月3日 橘玲 拒食症とPTSDから分かる、誰もが「アメリカ人と同じように狂わなければならない」時代[橘玲の世界投資見聞録] ?前回はイータン・ウォッターズ『クレイジー・ライク・アメリカ』(紀伊国屋書店)から、日本でうつ病が急増している背景に抗うつ剤SSRIを販売する大手製薬会社のマーケティングがあるということを述べた。これは陰謀のような話ではなく、グローバル化によって、わたしたちはみなアメリカ人と同じように心を病まなければならなくなったのだとウォッターズはいう。 [参考記事] ●製薬会社が「病」をつくり出し治療薬を売りさばく-論文捏造問題の背景にある肥大化したクスリ産業の闇-- ?これはたいへん刺激的な主張なので、今回は同書から拒食症とPTSD(心的外傷後ストレス障害)についての分析を紹介してみたい。 拒食症は文化的な病 ?ウォッターズは、拒食症がどのように生まれたのかを調べるために香港を訪れた。1980年代には拒食症は欧米人の病気だとされていて、日本や韓国で若い女性の症例が報告されていたものの、香港や中国ではまったく知れられていなかった。 ?香港が長くイギリスの統治下にあり、ひとびとは欧米の価値観に馴染んでいた。広告やファッション雑誌にはスリムなモデルが登場し、スリムなセレブがもてはやされてもいる。欧米で拒食症の原因とされる要因はすべて揃っていたが、それでも若い女性が拒食症にならないことが世界の研究者の注目を集めたのだ。 ?もちろん80年代の香港でも、食事を拒否して痩せるという症状はわずかながら報告されていた。だがその症例を詳細に調べると、欧米の拒食症とは大きく異なっていた。患者は地方出身の貧しい女性で、ダイエットやエクササイズに興味はなく、自分が痩せていることを正確に認識し、太りたいと口する。ただ、失恋などの出来事を期に食べることをやめてしまうのだ。 ?こうした症状は、19世紀前半のドイツで流行した拒食症に酷似していた。 ?フロイトが精神分析理論を唱えた19世紀中頃(ヴィクトリア時代)のヨーロッパはヒステリーの全盛期で、痙攣性の発作、麻痺、筋収縮、言語障害、記憶喪失、脊椎過敏症、昼盲症、低温過敏症、幻影、起立歩行不能など、その症状はじつにさまざまだった。 ?これらのヒストリー症候群のなかで、胃の痛みや食欲不振、嘔吐、喉のつかえなどから起こる拒食の例も報告されていた。それは最初、たんなる端役にすぎなかったが、19世紀後半になると徐々に目立つようになってくる(たとえば1860年から64年にかけて、リスボンの学校に通う若い女性114人のうち実に90人が、脚の脱力や麻痺と何カ月もつづく嘔吐を繰り返したことが報告されている)。 ?1873年、ヒステリー研究の権威とされていたラセーグによって、この症状は「ヒステリー性無食欲症」と名づけられ、その後「神経性無食欲症」という用語に統一された。病名が特定されたことで拒食症は急速に広まり、19世紀末にはヒステリー患者のなかでもっとく多く見られる症状になった。 ?ところが20世紀になると、多くのヒステリー症状とともに拒食症も消えてしまう。20世紀中頃のニューヨークの病院の入院記録には、拒食症は平均して1年に1症例しかなかった。 ?このことは、ヒステリーと同じく拒食症が文化的な病であることを示している。 ?思春期の女性は、家族・友人関係や恋愛、将来への不安などで不安的な精神状態に置かれていて、自分のこころの苦しみを周囲のひとに認めてもらいたい、という無意識の願望を抱いている。そんなときに、医学的に権威づけられた都合のいい「病名」があると、その説明能力に引きつけられて“病気”を発症するようになるのだ。 ?ウォッターズはこのことを、「患者が心理的苦痛を表現しようというときは、その時代の症状の「貯蔵庫」からもっとも適したものを選ぶ」のだという。 ?患者は曖昧で言葉にできず、歯がゆいやっかいな感情や心のなかの葛藤を、その時代の文化で“苦痛のサイン”として認識されている症状や行動に変えることで軽減しようとしている。だからこそ、その症状があまりにありふれたものになると「発病」の意味がなくなって病気そのものがなくなってしまうのだ。 「文化的な病」であるから「病気は増やせる」 ?拒食症が文化的な病であるのなら、地域によって現われ方が異なったり、流行り廃りがあるのも当然だ。 ?すっかり忘れられていた拒食症が欧米でふたたび注目されるようになったのは1983年2月4日からだった。この日、人気歌手のカレン・カーペンターが拒食症による心不全で死亡したのだ。 ?香港において、欧米型の拒食症が爆発的に広まることになった日付も特定することができる。こちらは1994年11月24日で、主役はそれまでまったく無名だったシャーリーン・チーインという14歳の中学生だ。シャーリーンは学校で気分が悪くなり帰宅する途中、ビジネス街の真ん中で倒れ、病院に運び込まれたもののそのまま死亡した。 ?シャーリーンが痩せはじめたのはその年の夏前だが、わずか4カ月ほどで彼女は見る影もなく変わり果てていた。 ?体重は34キロしかなく、副腎、甲状腺、腎臓、胃などあらゆる臓器が萎縮し、心臓の重さはたった84グラムだった。通学鞄から生徒手帳を見つけた警官は、彼女が健康的な笑顔の少女と同一人物だとは信じられなかった。シャーリーンが運び込まれた病院の看護士は最初、担架に横たわるやせ細った身体をみて老女の遺体だと思った。 ?この衝撃的な事件を香港のメディアは大々的に報じた。 ?1994年といえば中国の天安門事件から5年で、3年後には香港はその中国に返還されることになっていた。カナダやオーストラリア、ニュージーランドへと移民するひとたちが列をなし、香港社会は大きく動揺していた。そんなとき、この世紀末的な事件はひとびとのこころを大きく揺さぶったのだ。 「通りで死亡した少女、歩く姿は骸骨」といったセンセーショナルな見出しとともに、連日のように新聞やテレビで拒食症の詳細が報じられた。ある有力紙は、「中学教師、ソーシャルワーカー、両親、同級生は手遅れになる前に協力して、拒食症を見つけ出さなければならない」と書いた。 ?それに加えて、翌95年には摂食障害を広く知らしめる世界的な事件が起きた。ダイアナ妃がBBCとのインタビューで、4年以上、過食症を患っていたことを認め、「私は救いを求めていた」と述べたのだ。 ?このようにして、それまで拒食症の症例がほとんど報告されていなかった香港で、1996年には若い女性の3〜10%に摂食障害の行動が見られるようになった。香港のひとびとはわずか2年のあいだに拒食症という病を欧米からまるごと輸入したのだ。 ?ところで拒食症が文化的な病ならば、専門家がそれを「病気」と見なすことで病気を増やしているのではないだろうか。ウォッターズはこの疑問を、イギリスの著名な摂食障害の教育専門家にぶつけてみた。 ?彼は「そう懸念したこともあります」と率直にこたえた。 「この病気のおかげで、私は冠(かんむり)口座を持つ終身教授の地位を築きました。さて、私は人々を助けてきたのだろうか、もしかしたら傷つけてきたのではないだろうか(中略)。拒食症によって多くの少女たちがアイデンティティ――それも時には致命的なもの――を確立するのと同じように、私もそれを確立したのだということは、認めざるを得ません」 次のページ>> 誰もがアメリカ人と同じように苦しむのか? 誰もがアメリカ人と同じように苦しまなければならない…
?2004年12月26日、インドネシア西部スマトラ島沖で発生したマグニチュード9.1の地震によってスリランカを大津波が襲い、3万5000人以上の生命を奪い、83万人が被災した(インドネシアやタイなどを含む死者・行方不明者の合計は25万人以上に達した)。 ?この未曾有の大災害が起きると、世界各国から救援物資がスリランカに送られ、国際緊急援助隊も相次いで到着した。そのなかには、NGOや大学、民間グループなどからなる大小さまざまなカウンセラーのチームも混じっていた。 ?ベトナム戦争の帰還兵が重い神経症に苦しんだことで、トラウマによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)は欧米社会で「病気」として認知されるようになった。スマトラ沖大地震の後、専門家は生存者のうち15〜20%がPTSDになり、きちんとしたカウンセリングを受けなければPTSD患者の16%が自殺を図る可能性があると警告した。欧米のカウンセラーたちは、こうした二次災害を防ぐべく被害者のメンタルケアにスリランカまでやってきたのだ。 ?PTSDの症状としては思考の侵入(フラッシュバック)、記憶障害、抑えきれない不安、覚醒感などが挙げられる。小説や映画にも頻繁に取り上げられたことで、トラウマやPTSDという心理学用語は日本でも日常語になった。 ?メンタルヘルスの専門家は、人間のこころにダメージを与える出来事の類型と、影響を受けやすいパーソナリティについてさまざまな仮説を組み合わせ、複雑な迷路のような世界観をつくりあげていった。そこには、トラウマに対して人間の身体がとる本能的な反応――アドレナリンの分泌や恐怖・攻撃・逃避反応など――と同じく、心的な後遺症もまた世界中のどこでも変わらないという前提があった。 ?それに対して、『クレイジー・ライク・アメリカ』でウォッターズは、“こころの傷の癒し方“は文化によって異なるというカリフォルニア州立大学の心理学者の説を紹介している。 ?この心理学者によれば、スリランカの癒しの風習は宗教的な伝統と結びつき、アーユルヴェーダの施術者、医者、占星術師、宗教指導者、霊媒師、信仰治療家などによる多様な医術がある。近代的医学とこうした伝統的医学のあいだに明確な線引きはできず、スリランカ人は複数の伝統的医療を受けることが多かった。 ?そもそもスリランカ人のトラウマ体験はアメリカ人とは異なるのだと彼はいう。 ?戦争(スリランカでは政府軍とイスラム系武装組織「タミル・イーラム解放の虎」とのあいだでずっと内戦が行なわれていた)や災害で近親者をなくしたスリランカのひとたちは、PTSD症状チェックリストにあるような心の状態(不安、恐怖、無感覚など)ではなく、関節痛や筋肉痛、胸の痛みなどの身体症状を訴えることが多かった。 ?このちがいは、欧米ではPTSDが個人のこころのなかの出来事だとされるのに対し、スリランカでは社会性と個人の精神が混ざり合っているからだと考えられる。スリランカのひとびとはトラウマではなく、近親者を失ってこれまでの社会的立場が変わったことに適応できず、さまざまな症状を訴えるようになるのだ。 ?だが欧米の精神医学はこうした説明を一顧だにしない。そこには、誰もがアメリカ人と同じように苦しまなければならないという強烈なメッセージが隠されている。 次のページ>> デブリーフィングの効果とは? カウンセリングやセラピーの効果もあやしい ?欧米からスリランカの被災地にやってきメンタルヘルスの支援者たちの活動現場を見た現地の医師や専門家は、いちようにその効果に首を傾げた。 ?大小さまざまなカウンセリンググループが被災地に集まったため、たちまちグループ間で患者の奪い合いがはじまった。どの支援グループも「この避難所は自分たちのものだ」と言い張り、おもちゃなどで子どもたちの気をひいた。彼らは「自分たちの」子どもに「よその」子どもと遊ばないようにいいつけ、そのことで喧嘩になったり、子ども同士で敵対心が芽生えることもあった。 ?さらに問題なのは、欧米のカウンセラーのほぼ全員が地元の言葉を話せず、通訳を雇わなければならなかったことだ。スリランカでは大規模な国際緊急援助が行なわれており、通訳は圧倒的に不足していた。そのためカウンセラーたちは、観光バスの運転手のような片言の英語しか話せない者を使ってセラピーを行なった。 ?こうした“にわか通訳”は、当然、メンタルヘルスの専門用語をまったく知らない。セラピーは“ことばによる治療”だが、それはデタラメな翻訳で行なわれた。 ?大手製薬会社もこの混乱に加わった。抗うつ剤ゾロフトを販売するファイザー製薬は津波から1ヵ月後にバンコクで大規模なセミナーを主催し、「抗うつ剤は津波に苦しむひとびとの、こころの健康や社会心理的な適応、経済的回復を進めるのに有効な手段となる」との専門家の講演が行なわれた。WHOの監視団によれば、スリランカを訪れた団体のなかには、住民にただ抗うつ剤を配るだけのところもあった。 ?しかしそれでも、カウンセリングやセラピーに効果があるのなら、なにがしかの役に立つかもしれない。だがそれも最近ではあやしくなっている。 ?アメリカではPTSDを防ぐために非常事態ストレス・デブリーフィング(CSID)という手法が確立している。恐ろしい出来事の数時間から数日後に実施されるカウンセリングで、訓練を受けた指導員がトラウマによるストレス反応についての情報を被害者に与え、体験の内容や感情を聞き出し、事件全体をもういちど再現してもらう。PTSDの原因は心的「外傷」だから、デブリーフィングも傷を受けてからすぐに行なうよう推奨されている。支援員たちは台風の被災地などアメリカ国内で活躍するだけでなく、大挙して国外にも出かけていくようになった。 ?だがその後、デブリーフィングはほとんど役に立たないことがわかってきた。 ?トラウマ・カウンセリングが全盛をきわめた1990年代に発表された研究はことごとく、早期介入には効果がないことを示している。数百人の交通事故被害者を追跡調査した研究では、デブリーフィングを受ける犠牲者群と、早期の心理療法をなにもしない犠牲者群に振り分けたが、3年後のインタビューではデブリーフィングを受けたひとびとに不安や抑うつ傾向があり、車に乗るときに絶えず恐怖を感じていることが多かった。 次のページ>> 興奮しているひとは暗示にかかりやすい 精神医学の専門誌に掲載されたこの研究は、「心理的デブリーフィングには効果がなく、長期的な悪影響がある。トラウマの被害者に対する適切な治療法とはいえない」と結論づけている。 ?なぜこのような奇妙な結果になるかというと、興奮しているひとは暗示にかかりやすくなっているからだ。“早期介入”によって事故直後にカウンセラーが被害者に「怒りを感じるようになる」と示唆すると、ほんとうにそのとおりになってしまうのだ。 ?被災地のスリランカに欧米から大挙してやってきた善意のカウンセラーたちは、よくいっても「大きなお世話」であり、現地に混乱をもたらしただけでなんの役にも立たなかった。PTSDというのは「病」というよりも、欧米人が熱中する「宗教」なのだ。 ?いまや私たちは、誰もが「アメリカ人と同じように狂わなければならない(Crazy Like US)」時代を生きているようだ。 作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)などがある。 ●DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)にて 橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を配信開始!(20日間無料体験中) 『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル 』 作家・橘玲が贈る、生き残りのための資産運用法!
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