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軍事常識を欠いた集団的自衛権論議
今の自衛隊は地球の裏側では戦えない
2013年10月24日(Thu) 久保 善昭
冷戦終了後四半世紀、日本をめぐる安全保障環境は大きく変化しつつある。
大陸勢力の雄、中国は、その経済成長とともに、軍事費を逐年増大、軍の近代化を進め、なかでも海軍を増強し、東・南シナ海から太平洋へと海洋進出を企図している。
冷戦時代よりも日本への脅威は増した
北朝鮮崩壊に備え「米中の境界線決めよ」、米シンクタンク
北朝鮮の金正恩第1書記〔AFPBB News〕
また朝鮮半島では、北朝鮮が3代の世襲独裁政権のもと、核開発とその運搬手段たる弾道ミサイルの開発と実験を繰り返し、その能力を高め、日本を射程に収めるとともに、やがて米国本土まで脅威を及ぼす勢いである。
北方に目を転じれば、大陸勢力の他方の雄、ロシアは北方領土の経済開発を進め、実効支配を強化している。
さらに、科学技術の進歩は著しく、遠隔操作無人機を主体とする作戦、電子空間を使ったサイバー戦が登場してきた。また、9.11事件以降、人と爆薬による原始的な無差別テロは後を絶たない。
現在の世界情勢を勘案すると、米国を中心とする自由圏とソ連を中心とする共産圏が対立していた冷戦時代よりも、我が国への脅威が現実味を帯びつつあるのではなかろうか。
今や、日本の安全保障問題は、好むと好まざるにかかわらず、国民一人ひとりが直視し、自らのこと、さらに将来世代のこととして考えるべき転機にある。
安倍晋三政権成立後から、政府は厳しさを増す北東アジアの安全保障環境を考慮し、集団的自衛権行使について、憲法解釈(権利は有するが、憲法上行使することは許されない)の見直しを政治日程に乗せようとしているのは適切である。
集団的自衛権の行使は、日米安保条約の信頼性をより一層高めることに貢献し、さらに価値観を同じくする海洋国家たるアジア諸国との連携も視野に入れるものである。
そもそも、国際連合憲章に明記された集団的自衛権は、大国の拒否権行使の専横を防止するため、軍事的に劣る米州諸国が相互に連携し集団として防衛するチャプルテペック協定を基本としている。
集団的自衛権行使の容認は、長年にわたる不行使の憲法解釈が国民に定着しているので、その変更については、分かりやすく、かつ丁寧な説明による国民への啓蒙が不可欠である。
現在行われている政府、各政党間の議論、マスコミ報道は、容認派も、反対派も、法理面、政治、外交面に偏り、あるいは情緒に訴えるなど、我田引水の感がある。特に、自衛隊の作戦、運用面からの実態に即した合理的な議論や実証に欠けているのではとの危惧を持つ。
日本と米国の艦船、敵はどちらを先に攻撃するか?
米無人機X47B、空母への着艦に成功 史上初
米空母ジョージ・H・W・ブッシュに初めて着艦した無人機「X47B」(2013年7月10日)〔AFPBB News〕
以下、2つの例を軍事的合理性の観点から考えたい。
第1は、集団的自衛権行使容認における4類型の1番目の項目に挙げられている「公海上における米艦船の防護」である。
これは、「日米が共同訓練で同一海域を行動している時、米艦船が攻撃を受けた場合、日本の海上自衛隊は、集団的自衛権行使ができないので、座視せざるを得ない」という問題提起である。
相手の攻撃は砲撃、ミサイル、航空機、潜水艦などが考えられる。そのような攻撃が予想される海域は、共同訓練によって脅威を強く感じる国家が存在する東シナ海、南シナ海、日本海であろう。
その海域で訓練を実施する場合、予告あるいは公表した時点で様々な抗議などが外交上行われ、その反応によって、実際に攻撃されるかどうか予測がつくと思われる。相手の軍事的準備状況、訓練監視などの現況を正確に把握しながら訓練を実施すれば奇襲攻撃を受けることはない。
それでも想定外の攻撃が実施されるとした場合、相手は、日米のどちらの艦船を攻撃するかということになる。軍事常識からは「弱点攻撃」である。相手の立場からすれば日本の艦船をまず主目標とするであろう。
弱点とは海上自衛隊が精強でないとの意味でなく、報復能力に欠ける専守防衛の装備しか有せず、また危機に即座に反応できない国家体制を指している。
間違っても世界最大の報復能力を有し、武力行使をためらわない米国に属する艦船、いわば強点を、最初に攻撃する可能性は、作戦、戦術上の戦理として皆無に近い。したがって、第1撃を受けるのは日本側になるであろう。
それに対し米国艦船が反撃するのは、日米安保条約に基づく連携であって集団的自衛権容認の論理的な根拠にはならない。
また、相互連携できる海域で、前述のように戦理上可能性は低いが、米艦船が攻撃された場合は、その防護というより、第2撃は日本の艦船にも及ぶ緊急事態であり、直ちに反撃せねばならない。まさに緊急避難、個別的自衛権の範疇である。
「地球の反対側で戦闘」は実情を歪めた暴論
「米艦船が攻撃された場合」の類型から導き出されるのは集団的自衛権の問題より、日本が米国と行動する場合、国家体制としての弱点を是正し、少なくも米国の足手まといにならぬ世界標準の国家たれということではないか。
強いて集団的自衛権の問題として挙げるならば攻撃すると予測される相手の戦略情報、戦術情報のリアルタイムの共有である。言うまでもなく情報は戦闘力発揮のための重要な前提であり、これを相互に密接に連絡することが集団的自衛権行使に抵触するというならば、これを容認する基本的な根拠となる。
以上が、軍事常識に適うシナリオである。可能性の低い「米艦船攻撃」を主題として取り上げ検討、議論するのは一方的に過ぎると考える。
第2は、集団的自衛権行使を容認すれば「米国とともに地球の反対側まで行って戦争する」という議論についてである。
これは、憲法を盾として、一国平和主義に安住した日本人の国民感情に訴えるもので、いわゆる俗耳に入りやすい。しかし、これは自衛隊の編成、装備、態勢を知ってか、知らずか、実情を故意に歪めた暴論としか思えない。
自衛隊は「専守防衛」という基本にしたがって、その編制、装備などは国土戦に最適なように設計され、すべての教育訓練目標はそれに集約され、創設以来60年有余それを逸脱したことはない。
陸上自衛隊を例に取れば、長期にわたって作戦可能な戦略部隊とされる「師団」の編制は国土戦ということで、補給整備部隊の規模が列国に比べ極端に小さく、海外で戦闘する場合、兵站面で欠陥を露呈する。
現代戦は補給整備などの態勢が整っていなければ戦闘は継続できない。兵站を無視し多大の犠牲を払った日本軍のインパール作戦、糧食までも途絶し悲惨な状況に陥ったガダルカナル島作戦の戦訓を忘れてはならない。
例えば、1個師団を海外に戦闘目的で派遣するとすれば、現在の編制、人員充足率から考えて、数個師団の兵站部隊を付加して編成せねば十分に機能しない。また、1個師団を派遣するならば、交代準備の師団が1つ、派遣の終了した師団は休養させねばならない。
大雑把に考えても、それだけで国土防衛に即応する師団はなくなる。これでは日本が北東アジアに軍事的な間隙を作り、この地域の不安定要因となってしまう。
師団はもとより旅団の派遣も事実上不可能
師団が無理なら旅団を派遣すればよいとの議論もあろう。しかし、旅団は国土の局所的な戦闘には適しているが、海外派遣となると各種の行政機能を付加し、兵站部隊を大幅に増強する必要がある。
結局、師団派遣と似たり寄ったりの様相となるであろう。 第一線戦闘部隊は地球の反対側に行けるであろうが、その地域に、燃料、弾薬、食料、整備、衛生資材などを常続的に補給する輸送手段、シーレーンの防護がなければ継続的な戦闘任務を達成できぬことは自明である。
次に、装備の実態について述べる。
陸上装備の代表であり4世代にわたり国産開発した61式、74式、90式、10式の戦車の場合、開発の基本コンセプトは「日本の国土地形、気象に最適であること」である。これに加えて「武器輸出の禁止」があり国外で運用する考えは全くない。
主要な性能である射程、速度、航続距離、河川の渡渉能力、登坂能力などは国土戦仕様であり、履帯の形状などは日本の地質に適合している。さらに、FCS(射撃統制装置)、通信機、乗員の環境などは日本の気象を考慮して設計されている。
このように戦闘装備はもちろんであるが、隊員の衣食住に関わる装備もすべて日本仕様に統一されており、海外での戦闘は完全に考慮外にある。
「地球の反対側まで行く」という論者の想定地域は、米国が関心を持ち、日本の石油輸入のほぼ100%を依存する紛争の絶えない中東であろう。
この地域は砂漠地帯で、気温は想像を絶する高温であり、さらに砂質の微粒子が粉塵として舞う環境である。このような地域で日本仕様の装備が、その性能を十分に発揮できるだろうか。
恐らく、戦車のエンジンは過熱し、フィルターで濾過し得なかった微粒子により摩耗し、FCS、通信機は高温、砂塵のため、その性能を極端に低下させるであろう。履帯は摩耗変形し機動に支障を生じ、戦車乗員は冷房設備もなく体力を一挙に消耗することになろう。
日本が誇る戦車も灼熱の中東地域では性能発揮に疑問
第4次中東戦争に参加したエジプト軍の戦車将校から直接聴取したことだが、「エジプト軍は当時、西欧、ソ連など世界各国から輸入した戦車でイスラエル軍と対峙した。部品の補給、整備体制が整わず、戦闘数日にして稼働率が一挙に下がった。ソ連の戦車は寒冷地仕様でとても高温の砂漠地帯では運用できず、さらに戦車乗員の体力消耗で戦闘不可能になった」と実情を話してくれた。
地球の裏側で戦闘を可能にするには、自衛隊の従来の装備体系を根本的に改め。世界基準にする必要がある。さらに、中東など予想戦場において開発段階から実験を反復せねばならない。
このようなことが、果たして国際情勢、日本の政治姿勢、経済状況、国民感情などから許されるだろうか。
以上、軍事常識の観点から、集団的自衛権行使容認の論議に疑問を提示した。
筆者は日本を取り巻く北東アジアの安全保障環境の厳しさから、米国の信頼をより強固にするため、また大陸周辺の海洋国家群との連携をにらんで、集団的自衛権行使は、憲法解釈上容認されるべきと考える。
さらに進んで、憲法改正によって疑義なきよう明確に規定されるべきである。しかしながら、この問題は、将来の安全保障の方向を決定する重要課題であるため、政府、政党、マスコミなどは、あらゆる角度から公明正大に議論し、国民世論の関心を高め、その冷静な理解と判断を求めねばならない。
集団的自衛権行使は、すでに何度も繰り返したが、安全保障環境が厳しさを増している北東アジアにおいて、将来も海洋国家として価値観を同じくする諸国と連携、協調し、生存と繁栄を図ってゆく国家安全保障戦略の基盤となる。
机上の空論を排し、真剣かつ責任ある議論がなされねばならない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38973
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