03. 2013年10月11日 06:21:49
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>>02侵攻を阻止しようとする国(米国)があっても、それを排除できる 【第136回】 2013年10月11日 姫田小夏 [ジャーナリスト] 「中国という隣人」との軋轢 日本と同じ悩みを抱える国・ブータン 世界第3位の面積を誇る中国は、総延長2万2800kmの国境線をもつ。ギネスブックによれば、世界最多の16ヵ国と国境を接していると認定されているが、中国はそのほとんどの「隣国」と、国境問題や領土問題を抱えている。 ヒマラヤの小国である「ブータン王国」もその一国だ。しかし、日本ではブータンについて、あまり報じられることはない。 日本の報道でブータンがクローズアップされたのは、直近では2011年11月、ワンチュク国王とベマ王妃の震災後初の国賓としての来日と、それをきっかけに、ブータン国家の経済発展の哲学とされる「国民総幸福量(GNH)」が紹介されたときのことだ。 国王夫妻の民族衣装は、日本の着物に良く似ていた。しかもブータン人は木造家屋に住み、ソバも食べれば、米も食べる。晴れの日には赤米(日本のお赤飯に相当)を炊く習慣もあるという。メディアを通して伝えられたブータンという国に、自然と親しみを感じた日本人視聴者も少なくないだろう。 ブータンは、九州ほどの面積に70万人が住む。日本でいえば島根県ほどの人口だ。だからこそ、なのだろう。ブータン人であることのアイデンティティの強化は重要な国策の1つでもあり、これが「国民総幸福量」ともリンクしているのだ。 「国民総幸福量」は、経済的な繁栄の中に精神的に保たれた状態を両立させようというもので、「経済成長率が高ければいいのか?」「医療が高度に発展すればそれでいいのか?」「所得額や消費額が高ければそれでいいのか?」という、人間と社会の根本的なあり方に向き合うものである。 これはブータン人が信仰する仏教の「諸行無常」や「因果応報」などの思想とも深くかかわっている。近代化の足かせと思われがちな宗教に、積極的にアイデンティティを見出し、それを21世紀の健全な発展につなげていこうとする挑戦は、世界もまた注目するところでもある。 筆者はまだ高校生だった1980年代前半に、ブータンを訪れたことがある。当時、ティンプーの町は、首都とはいえ集落のほとんどが田畑で占められ、ジーンズやTシャツ姿はまばらであった。確かにこうした西洋文化は彼らの憧れではあったが、一方で民族衣装もきちっと着こなす若者たちを見て「誇り高い民族なんだな」とおぼろげながら実感したものだった。 そして、奇しくも先日、筆者は縁あって日本在住のあるブータン人と出会うことができた。在日ブータン人はわずか54人(2012年外務省)。貴重な情報源でもあるその方に、現在のブータンはどうなっているのかを伺った。 「1980年代前半と比べて、30年経った今は、ティンプーの町も高層ビルが林立しているのでは」と尋ねると、「いや、ビルはあっても6階建てまでですね」という。「当時の観光といえば寺院巡りだけでしたが、今はどうですか?」と尋ねれば、「トレッキングやエコツアー、ホームステイもできるようになりましたよ」と答えてくれた。 世界一を競う高層ビルもなければ、ディズニーランド計画もない。当たり前の「等身大の開発」である。外国のもの、先進的なものへの盲目的な崇拝はそこにはなかった。その方はこう続けた。 「ブータンでは、開発計画を策定するたびに、文化や環境を保全し、均整のとれた発展であるかを、必ず検証するのです」 一見のどかなブータンの 悩みのタネとなる「隣人」 ブータン王国は、一見してのどかで、スローライフを実践するかのような平和な独立国である。しかし、地政学的には、中国とインドという「核を保有する大国」に挟まれた、緊張を強いられるロケーションである。特に中国からの「国境」に対する脅威は、日本やモンゴル、ベトナムと同様に無視することのできないものだった。 ブータンにとっての対中関係は、日本以上に深刻だ。ブータンは中国と470kmにわたって国境を接しているが、その多くが未解決状態にある。一説には、ブータン側は4ヵ所計269km2の地区において争議があるとし、中国側は6ヵ所計4500km2で争議を主張しているとされ、両者の主張は相当に食い違っている。 ブータンの国土面積については1997年(8th Five Year Plan97-2002)に4万6500km2と報告されていたが、2002年には3万8394km2(9th Five Year Plan2002-2007)と報告され、8106km2もの減少がみられる。静岡県より大きい面積が消滅してしまったことになる。 ちなみに、日本語版のウィキペディアなどでは「2006年の新国境線をきっかけに」と説明されているが、減少に転じたのは、さらにそれ以前にさかのぼるようだ。その原因については、「中国が道路建設を行った」「薬草の冬虫夏草を目当てに越境した」などの報道も見られる。 そもそも、ブータンと中国との間に国境問題が顕在化するのは、中国による1959年の、いわゆる「チベット解放」にさかのぼる。これまで中国と属国関係にあったチベットが中華人民共和国に飲み込まれてしまうのだが、同時にブータン領の飛び地をも併合してしまったことから、緊張と懸念を生じさせるようになったと言われている。 しかも、ブータンとチベットは文化、歴史、宗教、そして経済においても強いつながりを持っていただけに、その後ブータンは完全に中国に背を向けるようになってしまったという。 また、中国が1961年に発行した中国の地図も、ブータン人には大きな衝撃的だった。「中国の地図」にはブータン、ネパール、シッキム王国、アルナーチャル・プラデーシュ州などが含まれていたのである。 国交樹立を迫る中国と ブータン側の消えない懸念 実は、中国にとってブータンは、隣国の中で唯一国交を結んでいない国である。ちなみにブータンは、1971年に国連に加盟してようやく国際関係が開け、今では53ヵ国と外交関係(2013年3月時点 ブータン外務省による)を持つものの、それまでは孤立化政策を貫いてきた。そんなブータンに中国は近年、外交関係樹立のアプローチを仕掛けている。 2012年8月、中国とブータンとの間で「第20回国境策定会議」が行われた。「第20回」とあるように、国境をめぐっては何度も協議を繰り返しており、ついにこの会議では国交の樹立についての言及があった。だが、国交樹立は今に至るまで実現していない。 一刻も早い国境画定のためには、まずは国交樹立ともいえるのだが、ブータンにとってはそこに懸念が存在する。 中国は「国交樹立と経済支援」のパッケージでの提案という、常套手段を使ってアプローチ。2010年のブータン国会は「保健衛生と教育分野における中国の投資を受け入れるかどうか」で大揺れとなった。「中国との外交関係を結ぶことは国境問題解決を促進する」として中国との経済関係強化を主張する政党もあるが、中国の南下政策に反対する声は強い。 確かに、ブータン人のネット上の書き込みからは「森林資源が破壊され、工業ベルトが敷かれ、中国人がどっと入ってくる」と懸念の声がひしひしと伝わってくる。 ところで、ブータンには年間10万人の旅行客が訪れるが、うち日本人がトップで2012年には6976人が訪れた(ブータン紙「Kuensel」2013年9月)。その一方で、2003年以降中国人旅行客も増えており、現在、日本、アメリカに次いで3番目にランクされるようになった。こうした現象の先には「金払いのいい中国人好み」の観光地化が進行する懸念もある。雲南がそうだったように、中国は未開の資源を材料にした観光開発も視野に入れている可能性もある。 話を国交樹立に戻そう。2012年夏の会議直後、中国メディアは「中国とブータンは国交の樹立を望んでいるが、問題はインドだ」と主張する論説を掲載した。だが、これに対し、ブータンメディア「The Bhutanese」は「誤報である」とし、日本のメディアもまたジンバ元公共事業定住相のコメントを次のように伝えた。 「メディアの誤報であり今後も外交関係を結ぶ予定はない」 ブータンは中国のみならずアメリカとも外交関係を結んでおらず、「あくまで中立」という非同盟の外交方針を強調している。 インドは尊敬できる兄 中国に依存しない道を歩む 本稿ではインドについて言及しなかったが、このブータンを挟む2つの大国の力関係を象徴するかのようなエピソードがある。 2012年、ブータンの首都ティンプーに中国製バス15台が走るようになった。その入札は「不正な調達」とされた上、「国有資産にまで中国の手が伸びる」と国民の反感を買った。応札したブータン資本の中国車の販売会社は、首相の義理の息子の経営であり、何らかの金の流れがあったものではないかと疑惑の目が向けられたのである。 他方、おもしろくないのがインドの自動車メーカーTATAだ。インドはブータンと1968年に外交を樹立して以来、多くの支援を与え続けて来たにもかかわらず、大事な市場を中国に取られてしまったのである。今後、二つの超大国がヒマラヤの小国でぶつかり合うこうした事態がしばしば起こることは容易に想像がつくだけに、ブータンの命運は他人事ではいられない。 ちなみに、そのインドに対するブータン人の心情を一言で語るならば「インドは尊敬できる兄」なのだそうだ。果たして中国は周辺諸国に信頼される大国となれるかどうか。むしろこの点で、ブータンは中国に無言のカードを突き付けているような気もする。 ブータンは、いまどき世界でも珍しく「中国に依存しないで生きる道」を選択している。その毅然とした態度は日本の武士道を想起させ、むしろ日本人以上に「武士は食わねど」の潔さを体現しているようにも見える。そんなブータン人とメンタリティを共有できるのは、日本という友人だろう。1986年の国交樹立からすでに27年、来年春には東京に、インド、バングラデシュ、クウェートに続いて4番目となるブータン大使館が開設するとも伝え聞く。官民を問わず交流が一層活発になることを期待したい。 |