05. 2013年10月03日 03:50:20
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JBpress>海外>ロシア [ロシア] 常にすれ違う米国とロシア、その原因を探る 政治家の軽い発言は北方領土問題をこじらせるだけ? 2013年10月03日(Thu) W.C 9月の中旬に、学会や報道・実務関係の方々による恒例の“草の根”訪露団に参加させて頂いた。1週間ほどモスクワに滞在し、今年も政治や経済の分野でロシアの専門家たちと意見交換を行い、彼の国のインテリ層の見方や考え方を改めて確認する機会を得た。 多くの話題が中国に関係したものであったことは、昨年までと変わりはない。長大な国境を接する相手には、そこに異常がなくても観察の目を緩めなどしてはいない。中国との異常が消え去っていないのに、その問題が何となく風化しつつあるような日本とは大きな違いだ。 米国に対する呆れ、諦め、侮蔑 赤の広場を照らす壮麗な光のショー 今年9月、モスクワで開催された国際軍事音楽フェスティバルの花火〔AFPBB News〕 しかし、今年はそれに並んで、米露関係へも話が多々及んだ。そうなるのも当然だろう。9月27日にシリアの化学兵器廃絶に関する国連安保理の決議が出るまで、米露は外交交渉の場で極度の神経戦を演じていた。 米国が“決められない民主主義”の財政問題でこの問題から一時離れることになったものの、それに片がついたなら、またぞろ中東問題がホットになるのかもしれない。 米国にしてみれば、国家安全保障局(NSA)のエドワード・スノーデン元局員の亡命騒ぎでロシアにカリカリきているところに、シリア問題でもそのロシアに鼻面を引き回されたようなものである。 ロシアがシリアから化学兵器廃絶への同意を取りつけ、それに基づき米国は軍事行動取り止めに追い込まれた。その屈辱感や怒りは想像に余りある。 それをメディアが「ロシア外交の勝利」と持て囃していた時期に、我々とロシアの専門家との面談が行われたのだが、総じて彼らからはそうしたメディアの報道に同調する高揚感は見て取れなかった。 むしろ、米国の無茶で利口とはおよそ言えないやり方には、もうこれ以上つき合ってはいられない、といった呆れ、諦め、侮蔑のニュアンスを感じたものだ。 米露の対立とはよく知られているように、バッシャール・アル=アサド政権を武力によってでも打倒すべしと米国が主張し、ロシアがこれに反対し、あくまで外交で問題を解決に当るべし、と頑張った、という構図である。 今回日本側の一員として同行された、米国政治が専門の研究者の方は、この対立が、「内政不干渉」というものへの米露の見解の相違からもきている点を指摘されていた。 従来の国際法上では、「内政不干渉」は順守すべき掟である。だが、人権侵害、大量破壊兵器の保有や使用、内戦、といった問題が生じた場合でも、掟を守ってそれに干渉しないことが本当に正しい選択なのか、と米国は詰め寄る。 しかし、ロシアは「内政不干渉」の原則に固執する。その理由は、大きく分ければ2つだろう。 米国の行動は自国の利益追求にしか見えない 1つは、何が人権侵害で、何が大量破壊兵器の保有や使用で、何が内戦かを、いったい誰が判断するのか、という問題であり、それを米国一国に委ねることはできない、という立場。そしていま1つは、仮に武力を行使しても、問題の解決にはならないという現実主義者としてのプラグマティックな見方だ。 シリア北部の町占拠、反体制派とアルカイダ系勢力 対立の背景 シリア北部アレッポで政府側部隊に発砲する反体制派の戦闘員〔AFPBB News〕 前者は、冷戦終結後の一極支配とその崩壊、世界の多極化、という歴史観に支えられている。 ロシアは復活し、中国は台頭し、途上国だってもはや米国の言いなりになるとは限らない。米国が勝手放題に振る舞える時代はもう終わったのだ。 それに、米国に思うがままの内政干渉をやらせたなら、いつでも好き勝手な理屈をつけて、ロシアも含めた他国に攻め込むことを認める結果になってしまう。 MGIMO(モスクワ国際関係大学)のトロイツキー准教授は、米国がどう民主主義・自由・人権・人道主義を喧伝しようと、これらは結局のところ、自国の具体的利益追求の言い訳に過ぎない、と切って捨てる。 バラク・オバマ大統領が、「米国は例外的な国」を繰り返すごとに、ロシアの保守系メディアはこぞってその唯我独尊を攻撃する。ウラジーミル・プーチン大統領自らも、9月11日付ニューヨーク・タイムズに寄稿し、シリアへの軍事行動を思いとどまるよう米国民に訴えかけ、米国を例外視する危険性を指摘するに到った。 一方、後者のプラグマティズムとは、煎じ詰めれば米国の中東政策での判断能力に対してロシアが疑問符をつけている、ということを意味するだろう。 ロシア・米加研究所のクレメニュク副所長は言う。 「アフガニスタンやイラクの例を見れば明らかなように、米国は自分の仕かけた戦いの後始末ができずにいる。今度はシリア、ときた。米国がシリアを攻撃すれば、イスラエルやイランがどう動くか予想がつかない。その結果の責任を誰が負えるのか。アサド政権を倒しても、その後にどのような政府がくるのか、これも予想がつかない。米国は、今度は始末をつけられるとでも言うのだろうか」 こうした議論の根底には、ロシアの抜き難い対米不信感がある。その不信感とは、1つには米国に繰り返して裏切られてきたという気持である。 ボリス・エリツィン大統領の時代に、米国は北大西洋条約機構(NATO)の東進は行わないと約束していたにもかかわらず、その歩を旧東欧諸国のみならず、旧ソ連のバルト3国にまで進めてきた。 同時多発テロではいち早く米国を支持したのに・・・ 米同時多発テロから12年、新たに犠牲者1人の身元確認 世界貿易センタービル跡地で、テロ犠牲者の名前が刻まれたモニュメントに立てられた米国旗〔AFPBB News〕 モスクワ・カーネギーセンターのトレーニン所長に言わせれば、 「ウラジーミル・プーチン氏が大統領になりたての2000〜2003年には、米国の同盟国にすらなろうとした。だが、その後ロシアの反対を押し切ってイラク戦争を始め、ロシア本土内に進行するかのごとく、ホドルコフスキー事件や周辺国でのカラー革命(グルジア、ウクライナ、キルギス)を扇動した」 ということになる。 上述のプーチン大統領の寄稿分の掲載日付が9月11日であることに、注意を払う必要があるだろう。ちょうど13年前のその日、9.11事件の直後にプーチン大統領はどの国よりも早くテレビ放送を通じて、「我々は米国と共にある」という連帯のメッセージを米国に送っている。 トレーニン所長は次のようにも言う、すなわち、 「裏切られただけではなく、米国はロシアをアフガン問題でもイラン問題でも、自国に都合の良いように利用することしか考えていない。ロシアを全体として見ようともしない。ヒラリー・クリントン前国務長官のアジア回帰演説にも、ロシアは1行も登場しなかった。オバマであろうとジョン・マケインであろうと、どの米国の政治家もロシアとの対話で明確な目標を欠いてしまっている」 親米派とも目されるこの所長が、ここまで米国を批判するのを耳にしたのは初めてだった。 ラジオ放送局「エーホ・モスクヴイ(モスクワの木霊)」のベネディクトフ編集長は、こうした米国のやり方に対峙せざるを得ないロシアは、自らが十分に保守的ではなかったからこそこれまで多くが失われた、と解釈し、対米政策の基本は、既存権益を守るという姿勢になった、と論じる。 さらに、前出・クレメニュク副所長は、「米議会では、米国が今ロシアを援助しても20年後のその結果を踏まえて彼らが米国に歯向かってこないと誰が言えるのか、といった議論が横行しており、対露警戒心を捨てきれていない」と指摘する。 MGIMO(モスクワ国際関係大学)のトロイツキー准教授も、米国が同盟国以外の国に対しては長期的利益を与えようとはせず、そこからロシアは互恵関係を期待できない、と述べる。 単なる憂さ晴らしにしか見えないロシアの対応 米露、シリア化学兵器に関する安保理決議案で合意 27日にも採決 国連総会後に会談するジョン・ケリー米国務長官(左)とロシアのセルゲイ・ラブロフ外相(2013年9月24日)〔AFPBB News〕 この対米不満、あるいは憤懣が、対米対等を要求する気分に昇華していくのだろうが、米国から見れば、主権国家、安保理、核弾頭ではそれが実現しているのに、それ以上の何をロシアが求めようとしているのか分からない、と前出の日本の米国政治研究者の方は米国の困惑を解説する。 分からないから、ことあるごとに米国の動きを邪魔しようとするロシアの対米対等要求は、単なる対米憂さ晴らしにしか見えてこない、ということになる。 相手がそんな輩なら、それを相手に大統領は何をもたついているのか、という批判が米議会で湧き起こる。そして、米国の権威失墜などとメディアに叩かれれば、これは何としても我慢ならない。ロシアはそもそも冷戦の敗戦国である。その敗戦国が何を偉そうに勝者の米国に楯突くのか。 そうした雰囲気を反映してか、ある著名な米国の国際情勢評論家などは、ロシアは今回のシリア問題で勝利したかもしれないが、得たものは誰も支持しないシリアという「ならず者国家」との絆を深めたことだけであり、汚職にまみれた今年の冬季ソチ五輪は、反体制弾圧や同性愛者差別といったロシアの政治姿勢を糾弾する場にもなりかねないだろう、とややヒステリー気味の論を張っている。 よほど、プーチン大統領とセルゲイ・ラブロフ外相のコンビにしてやられたことが、腹に据えかねるのだろう。 プーチン大統領の寄稿文に対抗するかのように、マケイン上院議員は自らの主張をロシア共産党機関紙のプラヴダに寄稿(9月19日付)した。 何でプラヴダ?なのだが、その内容は自らをロシア支持派と称して、「だからロシア国民のためにもプーチン大統領を追い出すべし」といった批判一色であり、プーチン大統領の寄稿文に比べれば、どうにも品が欠けているようにしか見えない。 前出のベネディクトフ編集長は、もしプーチン氏が米国に生まれていたなら、共和党右派に属してマケイン氏の隣に座っていただろう、と評する。寄稿文の出来の良し悪しはともかく、2人は政治家としては意外に近いタイプなのかもしれない。 内政面で西側から批判されている同性愛者差別はさておいて、反体制弾圧については、9月7日に行われたモスクワの市長選で、政権与党を「詐欺師と泥棒の党」と激しく批判していたナヴァーリヌイ氏が、敗れたとはいえ予想を上回る善戦という結果になった。西側のメディアは、これをプーチン政権への打撃と喧伝する。 プーチン氏寄稿掲載は「ニュース性」重視のため、NYタイムズが釈明 ニューヨーク・タイムズ紙はプーチン大統領の寄稿を掲載したことに対する釈明文を9月12日に載せた〔AFPBB News〕 だが、今回このナヴァーリヌイ氏について語ったロシアの複数の専門家は、口を揃えて彼が保守なのか革新なのかはまだ分からない、と述べている。 政権打倒を彼が叫んでも、それを奪取した場合のプログラムには保守・革新の双方のメニューが取り込まれ、そのために訳のよく分からないものになっているという。 モスクワ・カーネギーセンターのシェフツォーヴァ上級共同経営者(Senior Associate)は、彼は君主政治に反対はしておらず、プーチン大統領に反対しているのみであり、リベラルでも守旧派でも左派でもない、と素描する。 聞けば聞くほど、ロシアが右から左に大きくひっくり返るといった話などではないようだ。日本に例えるなら、さしずめ旧来の左右分類には必ずしも当てはまらない「維新の会」に近い存在のようなものではないのだろうか。 プロ同士の話し合いができない日本の政治家 その日本については、今回喋ってくれる向きは多くはなかった。領土問題にこちらからの質問が集中したためもあったろうが、会う相手が代わっても、プーチン大統領やロシア政府の姿勢は簡単には変わらないだろう、という異口同音の答えに少々めげてもくる。 その中でシェフツォーヴァ氏は、「露中間でアムール河の島を巡る領土問題が解決したのは、交渉を秘密裏に運んだからであり、それに比べて北方領土問題はオープンになり過ぎてしまっている。従って、双方ともに譲歩が困難」と感想を漏らした。 ふと思ったのだが、最近の日露間の交渉でロシア側が、「静かな落ち着いた雰囲気の中での交渉」と繰り返しているのは、このことを指しているのではないだろうか。 今から、国民に知らしめずに政府間だけで交渉を進めて妥結に持ち込むことは、もちろん不可能であろう。特に日本においては、である。 だが、ありとあらゆる感情が巻き込まれてくる国民一丸の運動が、実際に領土問題を解決できるのか、と問えば、少なくともこれまでは、半ば精神論とでも言うべき「粘り強い交渉」といった台詞しか残されてこなかったことも事実だろう。 世の交渉事をすべて衆目に晒す形で行ったなら、恐らくまとまる話は万に一つになってしまう。交渉者が引くに引けなくなってしまうからだ。 最近、ビザなし渡航で北方領土を訪問した日本の政治家が、領土返還要求を口にしたことをロシア外務省が問題視したのも、彼らが日本に対して、「もういい加減にして、本格的なプロ同士の話を始めようではないか」と要求している証しなのかもしれない。 これを受けて立つのか否か。ひょっとしたら尖閣問題への対処より難しい課題かもしれない。
JBpress>日本再生>国防 [国防] 尖閣の実効支配を急げ そのときアメリカは助けてくれない 2013年10月03日(Thu) 北村 淳 先日、アメリカのシンクタンク(ウィルソン・センター)で、中華人民共和国に関するシンポジウムが開かれた。テーマは、最近の東シナ海ならびに南シナ海での島嶼領有権をめぐっての中国の対日本、そして対フィリピン強硬姿勢をいかに解釈すべきか、というものであった。 デンマークの学者(王立デンマーク国防大学教授)で現在ウィルソン研究所にも籍を置いているオドガード博士(中国=南アジア関係、南シナ海が専門)は、「中国の行動を否定的に捉えるのではなく、中国固有の伝統的な“平和的共存”戦略を推進しているという文脈で捉える必要がある」といった趣旨の持論を展開した。 対中ハト派の危険な議論 彼女のような中国に寛容な学者の主張に対して、元アメリカ海軍少将で現在シンクタンク研究員(CNA:東アジア地域と中国海軍が専門)のマクダヴィット少将は、「中国の南シナ海や東シナ海での侵略的行動はとても何らかの戦略に基づいていると見なすことはできない。中国はかつては孫子のような大戦略思想家を生み出し、その戦略的伝統を受け継いでいると考えられていたが、とても現在の中国の政策決定者たちは素晴らしい戦略の伝統を引き継いでいると考えることができない」と真っ向から反対意見をぶつけた。 オドガード博士の著書『China and Coexistence』 この「中国の平和的共存戦略」に関する議論は、中国による東シナ海と南シナ海での強硬な領域確定行動に関連して、中国の戦略(あるいは戦略らしきもの)をどのように評価すべきなのか? に関する議論であって、日本やフィリピンの対中対抗策や、アメリカによる日本やフィリピンへの支援策といった政策的な議論とは一線を画するものである。
しかしながら、中国の東シナ海ならびに南シナ海での昨今の拡張主義的行動をどのように解釈するのかに関するアカデミックな議論は、アメリカ政府ならびに連邦議会が、対中戦略および対日・対フィリピン支援戦略を決定する際に、少なからぬ影響をおよぼすことになる。 アメリカで強大な勢力を振るっている中国ロビイは、「平和的共存戦略」のような中国にとって好都合な一見“学術的”主張を、アメリカのメディア・連邦議会・政府諸機関など各方面に流布させるであろう。 そして、あたかも「平和的共存」を目指している中国に対して日本が頑なな態度で話し合いにも応ぜず、中国の言い分に対して全く聞く耳を持たない日本こそが日本と中国のそして東アジア諸国の平和的共存を阻害している、といったプロパガンダを推し進めることは目に見えている。 基本的に尖閣問題には無関心なアメリカ 残念ながら、自らが日本防衛に関与している軍関係者や研究者、それにジャーナリストなどごくごく少数の人々を除いては、アメリカの一般国民はもちろんのこと政治家、軍関係者、政府関係者の大多数は尖閣諸島問題への関心もなければ知識もない。 もちろん、連邦議会で尖閣諸島問題をはじめとして東シナ海や南シナ海での中国軍による目に余る覇権主義的な行動に対する非難決議がなされたり、政府高官が時折苦言を呈することはあっても、尖閣諸島問題に高い関心を持った上での決議であるわけでも真剣な懸念の表明であるわけでもない。 アメリカ政府や連邦議会による尖閣問題に対するコメントは、世界中の“もめごと”に口出ししてきたアメリカが日常的に繰り返している「第三国間の“もめごと”に対して、アメリカは目を光らせているぞ」というポーズの1つにすぎないのである。 そして、シリア内戦における化学兵器使用に対する軍事介入ができなかったオバマ政権の失態は、もはやアメリカがこのようなポーズを取っても実際に軍事力を投入することは極めて厳しい状態であることを国際社会に露呈してしまったのである。 国際常識では尖閣をめぐる領土紛争は存在している このように、もともと尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立に関心も知識もないアメリカ政府や連邦議会、それに米国メディアにとっては、「日本が自国領土として施政権を行使していると主張している尖閣諸島に対して、中国共産党政府も台湾政府もそれぞれ自国領であると主張している」という客観的事実の存在だけで、「尖閣諸島は領土紛争地域である」と考えているのは無理からぬところである。 アメリカ・エネルギー情報局が作成した地図 まして、日本が自国領としている尖閣諸島周辺海域に、やはり領有権を主張する中国の公船それも軽武装した沿岸警備隊艦艇までパトロールを名目にしてひっきりなしに侵入している、という現実に起きている状態を見て、「尖閣諸島に関する領土紛争が存在しない」と考えるアメリカ政府、連邦議会、そして軍関係者は存在しないであろう。実際に、アメリカのシンクタンクやメディアは当然のように尖閣諸島ならびに周辺海域を「日中間領域紛争地」として取り扱っている。
NewYorkTimesが用いる日本の領土紛争地図 拡大画像表示 日本政府にとっては、国際慣習法的に見て全く合法的に日本領に組み込まれた尖閣諸島は何の疑念もなく日本領なのであるから、そもそもその領有権に関する難癖など相手にすべき対象ではなく、そのような無理難題に対して正面から取り組むことは「欠缺なき合法性」を自ら捨て去ってしまうと解釈されかねないために、「尖閣諸島をめぐって日中間に領土問題は存在しない」との立場を堅持しようとしている。だが、中国側の尖閣周辺海域での活動がこれだけ恒常的になってきてしまった現在、日本政府の立場こそ国際社会からは奇異に映ってしまっているのである。
そして上記のように、中国ロビイや尖閣諸島や中国の本質を理解していない研究者やジャーナリストなどによって中国を利するような言説が(南京大虐殺のごとく)アメリカや国際社会で大手を振ってまかり通る状態になりかねない。 日本の施政権への疑義 日本政府が“冷静な対応”という“言い訳”の陰に隠れて、「積極的に日本の平和を堅持する」努力を放棄し続けてきたために、中国公船が頻繁に我が物顔で尖閣諸島周辺海域の日本領海を遊弋するような事態になってしまった。そして、国際社会には通用しない日本独自の論理によって、領土紛争は存在しないと公言し続けており、その結果として、引き続き何ら“積極的”な対抗策を具体的には実施していない。 (占領された島嶼奪還との触れ込みで、陸上自衛隊に水陸両用戦能力を構築しようとする動きが生じているが、残念ながら、この程度では島嶼奪還などまだまだ先の話であるし、尖閣諸島防衛は、そのような小手先の対処では不可能であり、防衛システムの抜本的修正が必要である) いつまでも、現状のように軽武装艦艇を含む中国公船が恒常的に尖閣諸島周辺海域を遊弋するような状況が続くと、国際社会の常識では「尖閣諸島は日本政府により“施政”あるいは実効支配されているのか?」という疑問が持たれても致し方ない。 もちろん、尖閣諸島に何らかの日本政府機関や沖縄の官公庁施設あるいは民間の施設が存在しているにもかかわらず中国公船が日本領海に侵入を繰り返すという状況であるならば、いくら恒常的に中国船が領海侵入を繰り返しても、日本の施政権の存在そのものには疑義は持たれることはないであろう。 具体的な施政権の行使が必要 第三国間の領有権には関与しないという伝統的な外交方針の鉄則が存在するため、アメリカ政府は尖閣諸島に関してもその領有権についての立場は明らかにしていないし、今後もしない。しかしながら現在までのところ、尖閣諸島に関するアメリカ政府高官のコメントや連邦議会決議などでは「尖閣諸島は日本の施政下にあるため、日米安全保障条約第5条適用の対象となりうる」とされている。 現在、そして近い将来において万が一にも日中間に本格的戦争状態が引き起こされてしまった場合には、これまで効果的自主防衛能力構築を怠ってきた日本は、否が応でもアメリカの軍事力に頼らざるを得ない状況に置かれている。 尖閣諸島領有問題が引き金となって日中軍事衝突が勃発した場合「尖閣諸島が日本の施政権下にある限りにおいては」アメリカが本格的軍事介入に踏み切る可能性が存在する(ただし、日米安保条約第5条に基づいて、日本に援軍を送るかどうかの意思決定は、自動的になされるわけではない)。 ということは、尖閣諸島に対する日本の施政権行使、いわゆる実効支配に対して、国際常識から見て疑義が生じているような状況下においては、アメリカ政府や連邦議会が安保条約の適用そのものを見送ることはほぼ間違いない。 本コラム(9月26日、9月5日、8月8日など)でも繰り返し指摘しているように、軍事予算が縮小して、とても第三国間の揉め事に軍隊を送り込めなくなりつつあるアメリカにとって、これまでになく大規模な支援が必要になるであろう日中戦争への軍事介入などは、最も手を出したくない紛争の1つである。 尖閣諸島に対する日本による実効支配が目に見える形で堅持されていない場合、(現在直面している財政危機が続いている限りは)軍事介入に踏み切りたくないアメリカとしては、「日本の施政権が及んでいるとは認められない」という正当化事由を押し立てることによって、同盟国に対する義務の履行を回避したという国際的信用を低下させることなく、局外中立を維持することが可能になる。 したがって、日本がアメリカの軍事的支援を期待するのならば、直ちに目に見える形での国際常識的な実効支配に必要な行動が必要である。 日本独自の“ガラパゴス化した論理”によって「領土紛争は存在しない」と言い張って実効支配を明示する行動をためらっていると、日本による尖閣諸島に対する施政権の行使という主張は中国はもとよりアメリカからも国際社会からも相手にされなくなってしまう。 集団的自衛権と同様に施政権は、「持っている」といっても行使しなければ実効支配とは言えないのである。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38823 |