03. 2013年9月26日 11:33:22
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JBpress>リーダーズライフ>映画の中の世界 [映画の中の世界] 野生動物の聖地ケニアで起きたテロ事件 その背後にある欧州列強による植民の歴史 2013年09月26日(Thu) 竹野 敏貴 大規模なテロ事件が世界各地で相次いでいる。「ボコ・ハラム」の襲撃が続くナイジェリアでは100人以上が犠牲となり、イエメンでは軍施設を狙った爆弾テロや銃撃で約40人が死亡。パキスタンでは日曜礼拝のさなかキリスト教会を狙った自爆攻撃が80人あまりの命を奪い、イラクのサドルシティでは自爆攻撃で50人が死亡・・・。ケニアのテロリスト「イスラム教徒は助けてやる」 ケニア襲撃事件、容疑者「白い未亡人」 ケニアで起きたテロには「白い未亡人」と呼ばれる英国籍の白人女性が容疑者の1人として浮上している〔AFPBB News〕 そして、9月21日、ケニアの首都ナイロビの高級ショッピングモールで起きた惨劇の死者は60人以上。横たわる犠牲者や逃げ惑う人々の姿を映し出すニュース映像は衝撃的だった。 モール内に立てこもる犯人グループに治安部隊が攻撃を仕かけ、ケニア政府が建物の制圧を発表したのは24日になってからのこと。 順調に経済成長を続けるケニアだが、白昼堂々の凶事に、外国からの投資や基幹産業である観光への影響は避けられないだろう。 犯行声明を出しているのは隣国ソマリア南部を拠点とするイスラム過激派組織アル・シャバブ。一見無差別テロのようにも見えるが、モールから逃げ出してきた人からは、イスラム教徒は助けてやるから外へ出ろ、と犯人に言われたとの証言も聞かれる。 2011年、ケニア政府が国内の治安を悪化させているとして、ソマリアへと軍を越境派遣したことへの報復とされるが、ケニアとソマリアとの争いは近年始まったものではない。 その根源には、英領東アフリカのソマリ人居住地域である現在のケニア北東部が、独立の際、先に独立を果たしていたソマリアへ組み込まれることを望む住民の意見を汲み取らず、ケニア領となったことで、「大ソマリア主義」を掲げる者に争いの種を与えてしまったことがあるのだ(このあたりの複雑な歴史は「戦乱続くアフリカの角」で紹介済)。 愛と哀しみの果て そこには欧州列強が勝手に引いた国境線の呪縛がある。
1885年のベルリン会議に始まるアフリカ分割で、「英国のもの」となったケニアの地にやって来た白人たちは、高地での生活を好んだ。赤道直下にもかかわらず、涼しく肥沃なケニア人の土地を、勝手に我がものとして、「ホワイト・ハイランド」としたのである。 デンマーク人女性カレン・ブリクセンも、1914年、ケニアでコーヒー農園経営を始めた。そして1931年に帰国するまでの紆余曲折の生活を綴った「アフリカの日々」は、アイザック(イサク)・ディネーセン名義で1937年に発表され、この時代の英領東アフリカの様子をうかがい知る作品として今も読まれ続けている。 50年後には映画『愛と哀しみの果て』(1985)となり(小説も映画も原題は「Out of Africa」)、その雄大な風景は人類の「Out of Africa Theory」へのロマンも重なり、大自然の中でのサファリへの憧れをも膨らませる。 そんな小説が発表された頃、ウィーンからケニアへとやって来ていたフレデリケ・ヴィクトリア・ゲスナーものちにベストセラー作家となる女性。1943年に狩猟監視官ジョージ・アダムソンと結婚、ジョイ・アダムソンと名乗り、やがて自伝的著作「野生のエルザ」で知られることになるのである。 白人による土地収奪の被害を最も多く受けた人々 野生のエルザ その「野生のエルザ」は、人的被害を与えることから殺害されたライオンの子を育てたものの、やがて手に余るようになり、野生に返すための訓練を始める、という1956年頃の夫妻の経験を綴ったもの。
しかし、その当時のケニア社会の関心は独立運動にあった。 英国映画『暗黒大陸/マウマウ族の叛乱』(1955)には同時代的にその様子が描かれているが、当然のことながら宗主国の目を通したもの。 そして、英国人の良心的主人公を悩ます野蛮な「テロリスト」として描かれているのが「マウマウ団」と英国に名づけられた集団。 暗黒大陸/ウマウマ族の反乱 貧農を中心として急進的民族解放運動を続けていたケニア土地自由軍(KLFA)のことである。
その根源は、白人に奪われた農地返還の訴え。中心となっていたキクユ族は、「アフリカの日々」にも使用人として登場しているが、白人による「土地収奪」の被害を特にひどく受けた人々だった。 そうした描写も1987年の映画となれば随分と変わってくる。映画『キッチン・トト』では、穏健派の父を急進派に殺害されたキクユ族の少年が主人公。民族意識と白人との友情の板挟みとなる。そこには白人からの一方的な視線はない。 映画のラストでは、「紛争で80人の欧州人と1万4000人のアフリカ人が殺害された」と、アフリカ人犠牲者が圧倒的多数であったことが示される。そして、映画にも登場する英国サイドで戦い犠牲となったアフリカ人も数多くいたのである。 「野生のエルザ」は1960年出版されベストセラーとなった。アフリカ諸国が次々と独立を遂げ「アフリカの年」と呼ばれた年で、ソマリアも独立を果たした。そして、ケニアもようやく1963年12月、独立を達成。 英連邦王国から共和国へと形態を変えるなか、初代首相そして初代大統領となったジョモ・ケニヤッタは、かつて「マウマウ団の乱」に関係したとして投獄された身であった。 野生動物保護以上に切迫したアフリカ人の事情 おじいさんと草原の小学校 1966年、『野生のエルザ』は映画となり、テーマ曲も大ヒットした。70年代にはテレビシリーズ化され、知名度の上がったジョイ・アダムソンは、世界中で講演を行い、野生動物保護の世論を高めていった。
しかし、1980年、不慮の死を遂げることになる。 当初、ライオンに襲われたとの報道もあったが、元使用人による凶行だった。さらに1989年には、ジョージ・アダムソンも殺害されてしまう。ソマリ族の密猟者による犯行とされている。 実際、ソマリ族による密猟は多かったのだが、そこには大ソマリア主義の政治的主張という一面もあった。野生動物保護以上に切迫したアフリカ人の事情が2人の死の背後にあったのである。 『おじいさんと草原の小学校』(2010)は、80歳を超えてから無償化された小学校で勉強を始めるケニア人の実話である。老人は、独立運動で中心的役割を果たした誇り高き元KLFA戦士だが、満足な教育を受けていないのだ。 教育だけではない。ゲリラ活動を続けてきた人々の多くにカネはなく、独立後、土地が売りに出されても、買い戻すことができなかった。 さらに、第2代大統領ダニエル・アラップ・モイによる長期政権では、少数民族カレンジン族出身であることもあって、キクユ族は冷遇された。近隣諸国ほど露骨な戦乱に明け暮れることがなくとも、民族問題はくすぶり続けていた。 それが白日のもとにさらされてしまったのが、2007年の大統領選挙後。キクユ族出身の現職ムワイ・キバキ候補が当選となると、対立候補ルオ族出身のライラ・オディンガが選挙の不正を主張。それがキクユ族を攻撃する暴動へと発展、それに対し発砲、と各地で民族対立が激化していったのである。 結局、1000人を超す死者を出した暴動は、コフィ・アナン前国連事務総長の仲介により、大連立とすることで収まったのだが、この暴動で政治家たちが人道に対する罪で国際刑事裁判所(ICC)に訴追されることになってしまったのである。 サファリはケニアの大切は観光資源 その1人、ウィリアム・ルト現副大統領の審理は先日始まったばかり。そして、11月に公判が予定されているのがウフル・ケニヤッタ大統領。初代大統領ジョモ・ケニヤッタの息子である。
ケニヤッタ大統領は1961年10月生まれだが、それに先んずること3か月弱、地球の裏側ハワイで、ルオ族の父のもと、生を受けたのがバラク・オバマ米国大統領。 今回の事件後、2人は電話で会談し、対テロ戦での協力関係も確認したというが、もともと、1998年の米国大使館爆破事件などもあって、テロ対策などに米国は巨額の資金援助を行ってきた。 オバマ大統領は、22日、追悼演説を行った。ホワイトハウスとは目と鼻の先の海軍施設で12人が犠牲となった銃乱射事件の追悼式である。 そして、改めて銃規制の必要性を訴えたのだが、今回のナイロビの事件の実行犯の中に、米国人が含まれているとの情報もあるから、銃乱射事件が日常茶飯事とも言える米国でも、今回は国民の反応も少々違うかもしれない。 そして米国の強力な同盟国である日本。2020年東京オリンピック開催に向け、すでにヒートアップ気味だが、「平和が当たり前」の日々を長く送ってきた我々に、万全のセキュリティは実現できるのだろうか・・・。 (本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号) (509)(再)愛と哀しみの果て (792)野生のエルザ (793)暗黒大陸/マウマウ族の叛乱 (794)キッチントト (429)(再)おじいさんと草原の小学校 (再)509.愛と哀しみの果て Out of Africa 1985年米国映画 愛と哀しみの果て (監督)シドニー・ポラック (出演)メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード (音楽)ジョン・バリー
スウェーデン人貴族との結婚を機会に、ケニアのコーヒー農場で生活することになった主人公のデンマーク人女性。しかし、農場経営はうまくいかず、夫は女遊びにふけるばかりで結婚生活も破綻気味。 そこに現れたのが、その後の彼女の人生に大きな位置をしめることになる冒険家の男だった・・・。 カレン・ブリクセン(アイザック・ディーネセン)が自らの記憶を辿り綴った「アフリカの日々」を原作としているものの、それとは全く異質のロマン大作となった映画版の魅力は、何と言っても映し出されるアフリカの雄大なる自然である。 792. 野生のエルザ Born free 1966年英国・米国映画 野生のエルザ (監督)ジェームズ・ヒル (出演)ヴァージニア・マッケンナ、ビル・トラバース (音楽)ジョン・バリー
ケニアの狩猟監視官ジョージは、人を襲ったライオンを仕留めたものの、その幼い3頭の子ライオンをみかね、家へと連れ帰った。 うち2匹は動物園へと引き取られることとなったが、妻ジョイは一番小さな「エルザ」をかわいがった。しかし、次第に手に負えなくなり、野生に返すことを考えるが、1週間後餓死寸前となったエルザを見つけ・・・。 野生のライオンとの交流を描き、動物愛護、そしてファミリー映画のクラシックとして長く愛され続ける作品である。 アカデミー主題歌賞を獲得した「Born free」も多くの歌手にカバーされたエバーグリーンとして親しまれ続けている。 793.暗黒大陸/マウマウ族の叛乱 Simba mark of Mau Mau 1955年英国映画 暗黒大陸/マウマウ族の叛乱 (監督)ブライアン・デズモンド・ハースト (出演)ダーク・ボガード、ヴァージニア・マッケンナ、ドナルド・シンデン
兄と農園を経営するべくケニアへとやってきた英国人青年アラン。しかし、兄はマウマウ団に殺害されていた。 そこにあるのが「Simba」という文字。スワヒリ語でライオンのことで、白人を恐れ指す存在だった。 その「Simba」はケニア人医師カランジャではないかと疑うアラン。しかし、殺人予告となるサインが自宅に掲げられ・・・。 ケニアで「マウマウ団の反乱」が現在進行形の頃、撮られた宗主国英国映画。 同じ頃の作品として、ほかにシドニー・ポワチエがキユニ族を演じた『黒い牙』(1957)や『死の猛獣狩』(1956)がある。 794.キッチントト The Kitchen Toto 1987年英国映画 キッチントト (監督)ハリー・フック (出演)エドウィン・マヒンダ、ボブ・ベック
暴力による独立運動に反対したがため父を殺されたケニア人少年ムワンギは、白人警察署長の家の台所の下働きとなった。 署長の息子とも仲良くなったムワンギだったが、独立急進派の男に捉えられてしまい、白人に抵抗することを強制され、事態は悲劇へと向かうことになる・・・。 民族意識と友情の板挟みに悩む無垢なる少年を当時まだ27歳のハリー・フック監督が生き生きと描いている。 「トト」とはスワヒリ語で「少年」。題名は少年の仕事「台所の下働き」を示している。 (再)429.おじいさんと草原の小学校 The first grader 2010年英国映画 おじいさんと草原の小学校 (監督)ジャスティン・チャドウィック (出演)オリヴァー・ムシラ・リトンド、ナオミ・ハリス
2003年、ケニア政府はすべての人への教育無償制度を始めることを発表した。 そのニュースをラジオで聞いた84歳になるマルゲは、地元の小学校に赴き、勉強したいとの意志を伝えるが取り合ってもらえない。諦め切れないマルゲが何度も小学校に通い詰めるうち、情熱に負けた校長は入学を許可する。 マルゲの目的はまずは読み書きができるようになること。英国統治下、独立運動で中心的役割を果たしたマウマウの戦士として戦ったマルゲだが、教育を受けたことがなかったのである。 こうして、いわば常識外れの状況となった小学校には興味の目が向けられるようになり・・・。 実在の人物マルゲは、ケニアのみならず英米の新聞やBBC、CNNまでもが注目する存在となったギネスも認める「最高齢の小学生」。 2005年9月には国連ミレニアムサミットに出席し、初等教育の重要性を演説するまでになったが、獣医になる夢をみながら、2009年、他界した。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38788 |