04. 2013年9月19日 01:28:32
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【第5回】 2013年9月19日 村尾龍雄 [キャストグループ代表/弁護士・税理士] 露・印など強者とは国境問題で終結はかる中国 果たして日本は尖閣問題を解決できるのか? 約20年にわたって中国ビジネスに携わってきた弁護士・税理士の村尾龍雄さんの新刊『これからの中国ビジネスがよくわかる本』の内容をダイジェストでお伝えする本連載では、前回まで中国ビジネスを継続するためにチャイナリスクを効果的にヘッジする手法を紹介してきました。初回から「尖閣問題は当面解決できない」前提でお話を始めましたが、何かと話題にのぼるテーマですので、正しく理解しておく必要があります。ここで、事の発端までさかのぼって尖閣問題のおさらいをしておきましょう。「棚上げ合意」は存在したのか? 尖閣問題は、2012年4月当時に石原慎太郎東京都知事(当時)がアメリカ訪問時に尖閣諸島の都有化を宣言したことを受け、民主党政権が日中関係を友好的に維持するために「都有化よりは国有化のほうがマシ」という理屈で国有化に踏み切ったことから勃発したものです。 中国側は、この一連の行為に対して、長らく両国間の暗黙の合意であった「棚上げ合意」を一方的に破棄するもので、両国間の緊張関係は日本側が一方的に作り出した、と主張しています。もっとも、日本政府はそもそも「棚上げ合意」は存在しないという立場のもと、中国側の主張は前提を欠く失当である、と反論しています。 そこで、そもそも「棚上げ合意」は存在していたのか、が問題となります。 まず、「棚上げ合意」があったとする見解には、2つの異なる根拠が主張されています。 ひとつは、1972年9月29日の日中国交回復の直前に形成された、という説です。きっかけは、1968年に実施された国連の調査船が尖閣諸島付近に莫大な埋蔵量の石油がある可能性を指摘したことでした。中国が尖閣諸島の領有権を突如主張し始めたことは、日中国交回復交渉の障害のひとつと認識されましたが、即時解決は難しいとの判断から、この問題を当該交渉では取り上げないというのが外務省の方針でした。 しかし、周恩来総理(当時)との交渉時に田中角栄首相(同)は突如シナリオにない次のような質問をしました。「周総理は、尖閣諸島をどのようにお考えですか」。これに対して、周恩来総理は「あそこは石油が出るから問題になった。しかし、この問題はここでは取り上げないこととしましょう」と回答し、これを受けた田中首相も「それもそうですな」と応じた、というのです。このやり取りが、「棚上げ合意」形成の根拠とされています。 少なくともこのような会話があったことは、当時外務省の国際情報局長であった孫崎享氏編『戦後史の正体 1945〜2012』(岩波書店、2012年)にも記されていますし、これをして「暗黙の了解」による「棚上げ合意」形成があったとする見方は、野中広務・元内閣官房長官が2013年6月3日に北京を訪問したときと、瀬野清水・前重慶総領事が同月5日日本記者クラブにて、それぞれ支持しています。 もっとも、この「棚上げ合意」は、わずか1分程度であろう首脳同士の会話のみに立脚しているうえ、棚上げ期間やその後の具体的解決法が明示されていない点で、合意というには未成熟だとの批判があります。中国側もこの首脳同士の会話ではなく、次に紹介する別の、ケ小平氏による「棚上げ合意」にその根拠を求めます。 もうひとつ棚上げ合意の根拠として挙げられるのは、1978年8月の日中平和友好条約締結に際して、北京でケ小平氏が園田直外相と会談したときに、「この問題はこれから先も当面脇に置いておこう」と提起した、というものです。さらに同年10月、同条約批准書交換のため来日したケ小平氏は、福田赳夫首相と会談した際にも「棚上げ」を提起し、続く日本記者クラブの会見でも次のような趣旨で明言しました。 「釣魚島(尖閣諸島の中国名称)の問題については、大局を重視し、国交正常化が実現した時には、双方この問題には関わらないようにしましょう。この問題について協議が整うとは思えず、触れないことが賢明ですし、この問題については少し棚上げしておいても差し支えないでしょう。われわれの世代の知恵では不十分だが、次の世代はきっとわれわれより聡明であり、いずれ、みんなが受け入れることができる良い方法を発見し、この問題を解決することでしょう」。 この発言は当時の日本政府の了解のもとに発せられたものであるから、ここにおいて「棚上げ合意」が形成された、と中国は主張しています。日本政府は「棚上げ合意」を否定する立場ですから、このケ小平氏の発言も日本政府が了解したものではなく、一方的に発表したものにすぎないと反論しています。 日本の主張は国際的には通りづらい? 両論とも水掛け論だ…そう感じる読者の方も多いのではないでしょうか。「棚上げ合意」の有無をどのように捉えるべきなのでしょうか。 持論を述べさせてもらえば、仮に明確な「合意」はなかったとしても、日本政府は過去の継続的態度に鑑みて「棚上げ合意があった」と認めざるを得ない、と考えます。決して中国へ迎合するわけではなく、一法律家として以下のように考えられるからです。 英米法には「禁反言(estoppel)」という考え方があります。これは「何らかの行為によってある事実の存在を主張した者に対して、その主張した事実に反する主張を禁止する原則」(英米法辞典参照)です。これと同じような考え方(禁反言)は日本でも民法の権利濫用(民法第1条第3項)を根拠として認められていますし、中国でもそうです。 この考え方を、尖閣問題にあてはめて考えてみましょう。日本政府が「棚上げ合意」は一切存在せず、尖閣諸島について領有権問題すら存在しない、尖閣諸島は歴史的に見て日本固有の領土であると考えてきたのであれば、その実効支配を対外的に表示するなんらかの行為を見せるべきだったのです。たとえば、1980〜1990年代の中国が脆弱で日本の助力を必要とする時代、特に1980年代の中曽根--胡耀邦蜜月時代に、ドンドン助力を与える代わりに、灯台や船着場を建設して公務員を常駐させるなどすればよかったのです。 しかし、そうした対外的な表示行為をしないままに、現在まで累計約3兆6500億円ものODA(政府開発援助)を中国に付与するだけで、尖閣諸島についてあたかも「棚上げ合意」が存在するかのように振舞い続けてきました。 この行為に対し、英米法だけではなく、それを参照して日本でも中国でも採用される禁反言を適用すれば、今さら日本政府が「棚上げ合意」を否定することは認められません。その反射的効果として(逆説的に)、「棚上げ合意」は存在したという法的効果が生じ得ます。日本政府は外交上の約束は書面によらない限り無効と主張しますが、40年もの間、「棚上げ合意」が存在するかのごとく振舞った後でそのように強弁するのは権利濫用であり、それこそ無効だと反論されるでしょう。 禁反言の反射的効果として認定される「棚上げ合意」の中身は、文書がないだけに曖昧です。仮に具体的内容を与えるとすれば、ケ小平氏が述べるとおり、尖閣問題を友好的に解決するための「聡明な将来の世代が発見する良い解決方法」が出てくるまで、お互いに領有権を一方的に主張するのはやめる、という趣旨にならざるを得ないでしょう。 尖閣問題はしばらくの間、解決のしようがない 「棚上げ合意」の成立が、両国政府の「暗黙の了解」によるのか、禁反言の原則の反射的効果によるのか、という見方は別として、仮にその存在を認めるとしましょう。ともかく、2012年4月の都有化宣言から9月の国有化に至る一連の流れにより、「棚から下ろしてしまった」状態であることは間違いがありません。では、これをもとの「棚上げ合意」状態に戻すことが可能でしょうか? 結論から言えば、相当難しいと考えています。 現状に鑑みれば、ケ小平氏が期待した「聡明な将来の世代が発見する良い解決方法」をただちに出し合って、友好的に解決する術はない、と言わざるを得ません。それには次のとおり両国の事情が関わっています。 中国は強硬姿勢を崩せない まず中国側の状況です。 ここでは三大タイトル(総書記、中央軍事委員会主席、国家主席)を独占する習近平氏が、尖閣諸島への対応を含めていかなる対日政策をとる意向であるのか、が最大の問題となります。少なくとも2013年7月時点までの対応を見る限り、胡錦濤氏と比較して、相当強硬な対日政策をとる意向は明らかに見えます。 その姿勢は、具体的な対象の名指しこそ避けたものの、(日本やフィリピンなどと)戦争になった場合には必ず勝てる準備を徹底せよ、と二大タイトル(総書記、中央軍事委員会主席)のみ手にした時点で、早くも人民解放軍に指示したことからも裏づけられます。習近平氏の心のうちには、人民解放軍を完全掌握できなかったと噂される胡錦濤氏の前車の轍を踏まないよう、一歩間違えると好戦的ととらえられかねないギリギリの強硬姿勢を示すことこそが、支持基盤を早急に固めるために必要だとの認識があるのかもしれません。 人民解放軍に対して積極的に戦争準備を促した結果、尖閣諸島には海からだけではなく、空からも領域侵犯を再三にわたり仕掛けてきています。2013年2月には中国軍艦が海上自衛隊の護衛艦に対して、攻撃に不可欠の準備行為として、射撃用の火器管制レーダーを照射(ロックオン)したことが問題になりました。一触即発の事態を招きかねないこうした行動が数分も継続したということは、仮に中国外交部に事前通知されることはなくとも、中央軍事委員会主席である習近平氏に知らされていなかったことはあり得ないでしょう。 また、仮に中央軍事委員会の主席就任直後に起きた混乱により、明確な事前通知がなかったとしても、部下がトップの対日強硬政策を忖度したことは確実であり、それなしに現場がただ暴走したと考えることには無理があります。このように習近平氏が対日強硬路線をとることが明らかである以上、話し合いによる平和的解決は当面難しいと考えられます。 付言すれば、中国人民の大半は「釣魚島」という名前すら知りませんでした。しかし、2012年8月頃からテレビ番組で「中国の領土である同島を国有化するという暴挙に出る日本はけしからん」という論調が連日あふれ、おびただしい数の抗日ドラマが放映されたことにより、中国人民の反日感情が国交回復後で最悪になったのは間違いありません。この感情が沈静化するには相当な時間経過を必要とします。 こうした中、習近平氏がリーダーになったばかりの不安定な段階で、日本に迎合する案を示すことなど、できようはずがありません。共産党のリーダーにとって、1980年代に日本の中曽根康弘元総理と仲良くしすぎた胡耀邦元共産党総書記がそれを重大な理由のひとつとして1987年に失脚した後、「日本と仲良くしすぎると、総書記といえども失脚する」というトラウマも根強いですから、日本がよほどの譲歩案を示さない限り、習近平政権が妥協してくる可能性は極めて低いでしょう。 新たな「棚上げ合意」を中国側が日本側に積極的に働きかけようものなら、その弱腰姿勢そのものが中国人民や左派(共産主義の中国では右翼ではなく、その対極である左派が保守派)から激しい攻撃の的となるでしょう。それはアメリカが中国の想定以上に日本を積極的に防衛する意思を示し、中国に対してこの問題の平和的な解決を促した後でも変わりません。2012年8月以降、あらゆるメディアを使って反日扇動したツケは、融和策が外交的に妥当であると判断される局面になろうとも、それができないという自縛効果となってあらわれているのです。 日本も引くに引けない状況に 次に日本側の状況です。日本でも安倍晋三首相は、2012年12月の衆議院議員選挙前から再三にわたり領土を守る決意を表明し、この姿勢は首相就任後も一貫しています。現在は対中配慮から明言を避けていますが、尖閣諸島への公務員常駐案の検討を選挙公約にしていました。 もっとも安倍首相は一方的にエキサイトする中国に乗せられることなく、あくまで冷静さを維持し、日中関係を好転させるための平和的な話し合いを行う機会を模索しようとしています。 しかし、このことは尖閣諸島において領有権問題が存在することを認めて、ただちに話し合いのテーブルにつくことを意味しません。今の日本国民の圧倒的多数の感情を代弁すれば、「中国が滅茶苦茶な恫喝と領域侵犯を繰り返す中で安易に屈して、子々孫々にも影響しうる領有権問題について、その紛争の存在を認めて交渉のテーブルにつくことは、上場企業が反社会的勢力の圧力に負けてコンプライアンスを捨て去るよりもずっとひどい」というものではないでしょうか 確かに話し合いによる平和的解決は、それに相応しい相互に気遣える雰囲気の中で模索されるべきものです。相手方に戦争準備の指示など暴力的、恫喝的な動向が見られる中で実施できるものではありません。日本側から安易に懇願調で話し合いの場を模索すれば、日本は恫喝すれば、いかなる不合理にも屈する弱腰な国である、という誤ったイメージが中国に定着しかねません。 こうして日本側は「時間が経過し、中国側も日本側もこの問題について冷静さを取り戻し、アメリカなど第三者の仲介により平和的な話し合いの機会が設定され、またはいずれからともなくそのような機会を希求する雰囲気が醸成されるまで、ひたすら待つ」ことにならざるを得ないでしょう。しかし、その場合も日本政府は、「棚上げ合意」も領有権問題をめぐる紛争も初めから存在せず、尖閣諸島は日本の固有の領土であると何度も国民に向けて断言を繰り返しました。このため、いかなる平和的な話し合いの機会においても、これらの前提を覆すことはアメリカが仲介しようができるはずがありません。 こうした両国の状況に鑑みれば、「賢明な将来の世代が発見する良い解決方法」がただちに出てくる環境には到底ないと思えます。日中国交回復交渉時に田中角栄首相(当時)に面談した毛沢東主席(当時)は、周恩来総理(当時)らとの交渉について「喧嘩は済みましたか」と尋ねたそうですが、尖閣諸島をめぐる両国の「喧嘩」がまだ当面継続することは確実です。今しばらく「喧嘩」を継続し、それがエスカレートして戦争になるなどの最悪の結果を回避するほうが両国の国益に資すると、それぞれの国民が納得する状況が生じない限り、「賢明な将来の世代が発見する良い解決方法」が出せる環境は整わないと考えます。 だとすれば、今後しばらくの間、中国ビジネスを行うに当たって、「日本」「日本人」「日本企業」「日系企業」だからという理由で、継続的に反日リスクに直面することは確実です。それに向かう覚悟なしに中国ビジネスに従事することはできません。 尖閣以外にも領土拡大をはかっている中国 ちなみに、中国が現在、領有権を争っているのは、日本の尖閣諸島だけではありません。フィリピン、ベトナム、ブルネイなどに対しては、一方的に中国領としての実効支配を進め、何の合意もないうちから自国のパスポートには中国領として明記するという暴挙にも出ています。このような傍若無人というべき強硬な対応を見ると、今のところ自衛隊の兵力が優れているからか、沖縄の米軍基地があるからか、日本に対する態度は相対的に「驚くほど平和的(!)」ということになります。実際、中国のネット上では、尖閣諸島に関する中国政府の対応は生ぬるすぎるとの批判が溢れています。 中国の多くの人は、一連の領有権問題に関する紛争について次のように考えているようです。1840年のアヘン戦争以来、西洋列強や日本にいじめられて本来中国が所有していたものを取られたので、いま領有権を主張しているのは失ったものの回復措置なのだ、と。しかも、清朝は「大陸」にのみ固執して「海洋」を重視する必要性を感じていなかったことから、西洋列強や日本に攻め込まれる結果となったため、「海洋」に関しては回復措置というよりも、今度こそ海軍力を増強し、「海洋」を守り抜かなければ過去の愚を再び犯すことになりかねないという危機感が背景にあるようです。 中国は、国家としても個人としても、弱者に対し徹底して見下した態度をとる傾向が顕著ですが、その例が中央アジアです。中国と隣接する小国、旧ソビエト連邦から分裂した国などには半ば暴力的に、合意もないのに自国領だと主張し、どんどん道路を建設して、自国以外の車はパスポートを見せないと通さない、という無茶をやってきました。「海洋」に関するベトナムやフィリピン、ブルネイなどに対する強硬な態度も、終始一貫してブレがありません。 ところが、過去に中国が領有権問題に関する紛争で譲歩した国家が2つだけあります。 ひとつは、ロシアです。中ロ国境の下線、黒竜江(アムール川)にある黒瞎子島(大ウスリー島)と銀竜島(タラバロフ島)は、もともと中国が実効支配していました。しかし、2004年10月の中ロ首脳会談で、2島を2分割することで基本合意し、2005年6月末、中国とロシアの代表団がハバロフスク市内で航空写真を間に挟み、中ロ国境の下線、黒竜江(アムール川)にある黒瞎子島(大ウスリー島)と銀竜島(タラバロフ島)における国境線を画定しました。 もうひとつは、インドです。なお最終解決はしていませんが、基本的に平和的な解決を目指す姿勢を示しているようです。中国とインドは1950年代から国境問題を抱えてきましたが、2013年5月20日に中国の李克強首相がインドのニューデリーを訪問してマンモハン・シン首相と会談した際、事態打開に向けた協議を進め、双方が受け入れ可能な解決策を探ることなどで合意しました。 ロシア、インドの両国はいずれも核兵器保有国であり、強者に対して中国は友好的態度をとったと理解できます。 はたして日本は、ロシア・インド組に入りたいのか、それとも悲劇の中央アジア組に入りたいのか。よく考えて、必要な対応を講じる必要があります。 |