08. 2013年9月14日 18:48:12
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「遠ざかる「911」、そして現在進行形のシリア問題」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第644回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2001年の9月11日は快晴でした。どこまでも澄んだ「クリスタル・ブルー」 の空の色は、地上で起きた惨劇のコントラストとあいまって、多くの人の心に刻まれ ています。その1周年は強風でしたし、中には雨に濡れた911という日もありまし た。ですが、今年のように猛暑の911というのは、今までなかったように思われま す。 その911の日の朝は、いつものようにマンハッタンの南部、貿易センタービルの 跡地では慰霊祭が行われました。8時46分の第一回衝突に合わせた黙祷に始まり、 計6回の黙祷をはさみながら、4時間弱をかけて3000名の犠牲者氏名を読み上げ るというスタイルは、この12年間、一切変更されることなく貫かれ、今回もそのス タイルで行われました。 ですが、今年の場合は「何か」が違いました。猛暑だったということもありますが、 一つには、12年間にわたって慰霊祭を指揮してきたニューヨークのブルームバーク 市長が任期満了退任するということで、今回がその「最後」であったことが大きいと 思います。ブルームバーク市長は、この12年間、慰霊祭を政治的に中立に保つため に極めて厳格な姿勢を取ってきました。 例えば最初の7回を通じては、当時のブッシュ大統領とチェイニー副大統領の慰霊 祭参加を拒否し続け、その後には政府要人の参加を許したこともあるのですが、その 際には「詩句の朗読」をするだけで、絶対に政治的なスピーチはさせなかったのです。 結果的に、この慰霊祭が政治的な「分裂の場」になることはありませんでした。 そのブルームバーク市長ですが、法律上の上限である3期目の終わりに近づく中で、 実はあまり評判は良くありません。「ソーダ水のLサイズは禁止」という条例を作ろ うとして失敗したり、NY市内全域に貸自転車による交通システムの導入を主導した り、ある種の強引さ、それも「エコ」とか「健康」といった価値の「ゴリ押し」には、 多くのニューヨーカーはやや距離を置いて見ているようです。 実はこの911の前夜には後任を選ぶNY市長選の候補者を決定する予備選が行わ れており、市民の関心はそちらに移っています。ちなみに、この予備選ですが、現在 のNYの政治風土では基本的に民主党が有力という情勢下、リベラル派のビル・デブ ラシオ候補が40%前後の支持を得ており恐らくは統一候補になりそうな雲行きです。 ただ、世論には「本当は満足の行くような候補はいない」という声も大きく、現職の ブルームバークの市長の存在感を意識しているのも事実です。 いずれにしても、この「911」という日は、遺族にとっては極めて重要な日であ り、慰霊祭そのものは毎年変わらぬ厳粛さに覆われていました。ですが、「何かが違 う」ということでは、NY市以外の場所ではもっと大きいと思います。というのは、 NYを(あるいはペンタゴンやペンシルベニア州のシャンクスビルを)一歩離れると この「911」というのは思い切り風化が進んでいるということです。 例えば、この4時間近い慰霊祭に関しては、NYのローカル各TV局は今でもCF 抜きの特番として中継をしていますが、全国版の三大ネットワーク、あるいは全国向 けのケーブル・ニュースなどでは、もう随分前から中継というのは「開始時の黙祷」 だけになっています。ですが、今年の場合はもう「911のその日の朝」のニュース でも、トップニュースではなくなってきているのです。 全国レベルでのトップニュースは、何と言ってもシリア問題であり、とりわけ前夜 に行われたオバマ大統領の演説のニュース、その他には新婚旅行中にケンカをして新 郎を崖から突き落として殺した女性の事件であるとか、あるいは北カリフォルニアの 山火事などが先に来ていました。 実はニューヨークの「地元紙」である「ニューヨーク・タイムス」でも、9月11 日の1面には「セプテンバー・イレブンス」に関する記事はゼロ、トップは市長予備 選のニュースで後はシリア問題でした。翌日の12日付けでは、さすがに慰霊祭に出 席していた元消防士の険しい表情を写した写真がトップでしたが、その記事は「27 面から」という扱いで1面には「911」関連の内容は他には何もなかったのです。 これは明らかに「風化」です。「風化」と言うと、「良くないこと」という印象に なりがちです。大きな惨事があって多数の犠牲者が出ており、直接の遺族の嘆きはま だ続いているが、最初騒いだ世間はもう忘れつつある、ということですと、その世間 は「冷たい」とか「忘れっぽい」という批判がされることになります。ですが、この 「911」に関しては別の面もあるのです。 それは、「911」を忘れるということがアメリカの世論には二つの変化をもたら しているということです。つまり「自分たちはイスラム原理主義の過激派と今でも戦 っている」という意識、そして「アメリカは強くなければならない、強くなければ敵 の攻撃を受けるだろう」という意識についても、「忘れつつある」ということでです。 それこそ、911の直後は当時のチェイニー副大統領などは、あらゆる平和主義で あるとか、盗聴や保安検査などへの反対意見を「911以前のようなナイーブな暴論」 などと言って「全否定」をしていたわけです。そうした世相はほぼ完全に消えていま す。盗聴問題がいい例で、NSAによるネットを通じた盗聴行為に関しては、派手な 暴露をしてロシアに亡命したエドワード・スノーデンに関しては、若年層を中心に幅 広い支持があります。 その前に話題になった「ウィキリークス」の問題では、主宰していたジュリアン・ アサンジを主人公にした映画も作られています。来月のトロント映画祭で公開される "The Fifth Estate"(ビル・コンドン監督)がそれで、スピルバーグが製作に深く 関与しているようです。ちなみに、アサンジ自身は脚本を読んで「自分たちへの攻撃 だ」という声明を出していますが、主演のベネディクト・カンバーバッチに関しては 「同志」だと述べているなど、どうも映画そのものは「反権力」的なメッセージを内 包したものになる気配があります。(コンドン監督は徹底して中立的に描いたと言っ ていますが)仮にそうであれば、それが正に現在の世相を反映することになるかもし れません。 それ以上に、戦争への嫌悪という意識は深く広く広がっています。考えてみれば、 アメリカは911への大きなリアクションとして、アフガンの戦争、イラクの戦争を 戦い、その双方ともに当初考えていたような戦果は得られなかったわけです。 つまり、現在のアメリカに深く存在している「他国の政権崩壊に関与するような戦 争への参加は二度とやりたくない」という厭戦意識、あるいは「治安を理由に人権を 侵害してもいいという思想や政策には反対」という思想の復活というものは、「91 1の記憶の風化」と表裏一体であるわけです。私は、この現象は間違っているとは思 いませんし、こうした種類の「風化」であるならば、それはそれで構わないと思いま す。 そもそも911で大きな被害を受けたのはニューヨークであったわけですが、事件 を受けて「アメリカが攻撃された。これは大変だ」と激しく感情的になって、無関係 なターバン姿のインド系を射殺してみたり、突如軍に志願してみたりというような行 動、あるいは組織的な広がりを見せた「草の根保守」の現象などというのは、中西部 の911とは無関係の場所で起きたわけです。そうした動きが沈静化し、911とい う事件がNYローカルの事件として遺族とその周辺の静かな記憶へと「戻っていった」 のであれば、それはそれでいいことなのだと思います。 さて、そのような厭戦意識、他国の政権交代に介入することへの拒否感というのは、 全国レベルでは大変に強固であるわけで、それが依然としてオバマのシリア問題への 姿勢を縛っています。この問題については、オバマは8月21日にシリアの化学兵器 使用疑惑が明るみに出た当初は、英仏と共同で空爆を実施する方向に傾いていました。 ですが、英国が議会の反対で脱落すると「自分も議会の決議を待つ」という立場に豹 変しました。その上で10日(火)には国民に向けて演説をすると宣言しています。 その議会決議は8日(日)ごろの時点では相当に難しい情勢となったわけで、10 日に演説をしても形勢を変えるのは難しいという中、9日までにロシアが妥協案を出 してきたのです。それは、「シリアは化学兵器禁止条約に加盟させる。そのために現 有の化学兵器は国際管理に移行する」という案を、ロシアが仲介するというものでし た。 アメリカ国内は騒然となっただけでなく、益々もって10日の大統領演説は見送る べきという声が出ました。ですが、オバマはその10日には演説を行って「ロシア仲 介案には乗る」としながらも「シリアの妥協は米国の軍事力による圧力の成果」であ り、「空爆への構えは引っ込めない」としたのです。その上で「事態が流動的なので 議会の議決は先送りするように」ということも忘れませんでした。 一見すると、宿敵のロシアに屈服する一方で、依然として国民の反対する「空爆へ の構え」は続ける中で、「今なら負けそうな議会での議決は先送りで逃げる」という 狡猾な面も見せた、全体としては「合衆国大統領らしくない」弱々しい演説というこ とになります。 ですが、世論は決して大統領に「アメリカの強大さを見せろ」という期待はしてい ません。むしろ、現在のオバマの姿勢ですら「戦争に巻き込まれるのはイヤだ」とし て反対しているのです。いわゆるリベラルな反戦左翼だけでなく、元来が「ティーパ ーティー系」であった「小さな政府論」の右派も、左派以上に「関係のない戦闘に巻 き込まれるのには反対」だとしている現状があります。 そんな中で、オバマは微妙な綱渡りを続けていると言っていいでしょう。ところで、 この「壮大な心理劇」の進行はとどまるところを知らず、11日(水)には、今度は ロシアのプーチン大統領自身が「ニューヨーク・タイムス」に寄稿して「アメリカは 自国が特殊な存在であることは止めるべきだ」とアメリカを痛烈に批判すると同時に 「国連の創設時の精神は、平和というのは合意(コンセンサス)によって守られると いう思想だ」と高らかに述べてアメリカの「空爆の構え」を牽制したのです。 この「ロシアのウラジーミル・プーチン氏の寄稿」というのをNYタイムスは、1 面でも国際面でもなく、オピニオン面に掲載したのですが、大きな反響がありました。 ベイナー下院議長(共和党)は「我々を侮辱する気か」と激怒、一方の民主党でもメ ネンデス上院外交委員長が「反吐が出そうな内容だ」とカンカンです。 そんな「心理戦」が続いている一方で、オバマ政権はジュネーブにジョン・ケリー 国務長官を送り込み、ロシアのラブロフ外相と協議を続けています。1回目の協議は とりあえず終わったようですが、現時点では以下のように総括ができると思います。 (1)何はともあれ、シリアのアサド政権が「化学兵器の保有」を認めたような格好 になっているのは進展です。 (2)一方でプーチンの「安保理のコンセンサスが重要」という建前論は、背景に自 分とアサドの親密な関係があるとはいえ、国際法の法理としては筋が通るわけです。 また、オバマはブッシュの「安保理決議がダメなら有志連合で」という手法を昔は批 判していたわけで、この論議をどう誘導してゆくかは難題といえるでしょう。 (3)ですが、プーチンの論には習近平も同調の兆しがあるわけで、仮に「常任理事 国5カ国でのコンセンサス」という流れができた場合は、オバマはそこでのイニシア ティブを取りにかかる可能性もあります。そう考えると、21世紀のアメリカがずっ と振る舞ってきた「有志連合」という行動形態から、アメリカが離れていくこともあ るわけで、それはそれで大きな動きになるかもしれません。 (4)その場合は、NATOはどうなのか、あるいは金融危機の前にはよく言われた 「EUとしての軍事外交の一本化」という問題との調整も必要でしょう。国際社会に おける日米同盟の位置づけにも影響が出てくるかもしれません。いずれにしても、今 回のプーチンの「寄稿」の持つ意味は無視できないと思います。 (5)反面、シリアが化学兵器の保有を認めつつあるということは、恐らくはロシア が原材料を提供したという話にもつながっていくわけで、ロシアとしては多少の「叩 けば出てくるホコリ」があるかもしれません。 (6)それはともかく、ロシアがやや柔軟な姿勢で表舞台に出てきたのは、G20時 の隠密折衝の成果とも言えるし、空爆辞さずという強硬論のプレッシャーが効いたと も言えるし、オバマには悪い展開ではないと思われます。 (7)一方で、「反政府勢力も参加した国際会議を」という案が浮上していますが、 反政府勢力側は「アサド退陣が会議参加の条件」だとしています。ですが、「会議の 開催」イコール「アサド政権の消滅」を意味するということでは、会議の開催は非常 に難しいと思われます。 (8)本稿の時点では不明ですが、仮にアサド政権が「化学兵器を製造した」ことを 本当に認めるのならば、「ケジメとしてのアサド退陣」というストーリーにはアメリ カも、ロシアも乗れる可能性があるとは思います。ですが、受け皿をどうするのか、 例えばアサド派の中で、つまりアラウィ教徒の少数派支配というスキームの中で、大 統領を取り替えるということが可能なのか、現状は極めて不透明です。反政府勢力の 中の「穏健派」というのも、今ひとつ実態が良く分からないからです。 (9)その「国際会議」をどうするのかという点については、米ロの外相会談をもう 一度行うという話も出ているようであり、今後も「成り行き任せの心理戦」が継続す ると見るべきでしょう。 ということで、オバマの「演説」とプーチン「寄稿」という事件により、この問題 は新しい段階に入ったようです。オバマの計算通り、議会は「決議の先送り」という 動きになっていますし、それ以上に世論にはこの問題への関心を薄れさせてきている ようです。週末に入った時点でのニュースのヘッドラインは、「コロラドの洪水被害」 「ニュージャージー沿岸部の大火」といった国内の事件に移っています。 |