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ザワヒリは、イスラムが支配する国家を建設するためには殺人も肯定されるというジハード思想を確立し、アルカイダの理論的支柱となった人物。かれはビンラディンにジハード思想を吹き込み、ビンラディンをアルカイダのカリスマ的な指導者に祭り上げた。ビンラディンの背後にはいつもザワヒリの影がつきまとい、ビンラディンはザワヒリの操り人形であったとさえ言える。ビンラディン亡きあと、現在はザワヒリがアルカイダの最高指導者である。
ザワヒリは、「近い敵」と「遠い敵」という言葉で二つの攻撃対象を規定した。「近い敵」とは、イスラム国家でありながら異教徒におもねるエジプトであり、「遠い敵」とは、いうまでもなくアメリカである。彼は自らのジハード思想を「預言者の旗の下の騎士たち」というエジプトで出版した著作の中で明らかにしている。著作は出版と同時に発禁処分になったが、ロンドン発行の汎アラブ紙アッシャルクルアウサト紙上で連載された。
『預言者の旗の下の騎士たち』第11章「将来の地平」で、ザワヒリはまず、第一段階の戦術としてジハード=テロは不可欠だと強調した。そして、イスラム世界内で西側権益を撃つテロの効用を次のように述べている。
「アメリカ人とユダヤ人を我々の国(イスラム国の意)で撃つことにより、我々は三度勝利することができる。第一に、その手先たち(イスラム世界内既存政権の意)の背後に隠れている大きなマスター(アメリカの意)に打撃を与えることができる。第二に、ムスリム社会が好む標的(イスラエル、ユダヤ人の意)つまり、それを撃つ者たちにムスリム社会が同情する標的を選ぶ時、ムスリム社会を味方に引き入れることができる。三番目に、マスターであるアメリカ人とユダヤ人を守るために(イスラム世界内)既存政権が我々を攻撃する時、ムスリムの前で同政権の正体を暴露することができる。これによって既存政権は、その醜い顔――(「イスラムの家」の)占領者、ムスリム社会の敵に忠実に奉仕する雇われ警察官の顔――を現す」
アルカイダとそれにに連なる武装勢力が行なった主要なテロには次のものがある。
1993年10月 ソマリア 米軍襲撃事件。ソマリアに展開していたアメリカ軍の兵士が現地の武装勢力に襲われ18人が死亡した。ビンラディンにつながる勢力が遠い敵・アメリカに対するジハードを仕掛けた
1993年11月 エジプト セドキ首相 暗殺未遂事件。エジプトのカイロで首相暗殺未遂事件が発生した。ザワヒリ率いる過激派集団が近い敵・エジプトに対する闘いを仕掛けた。
1998年8月7日、タンザニア ダルエスサラームのアメリカ大使館で爆破テロ事件。11人が死亡し、85人が負傷した。
同じ1998年8月7日の同時刻、ケニア ナイロビのアメリカ大使館で爆破テロ事件が発生。213人が死亡し、4000人以上が負傷。タンザニアのアメリカ大使館との同時テロ事件だった。
2000年10月12日、イエメンのアデン港に停泊していたアメリカ海軍の駆逐艦コールめがけて小型ボートが体当たりした。海からの自爆テロ。駆逐艦の船腹には10メートルの穴が開き、乗組員17人が死亡した。
2001年9月11日、アメリカ ニューヨーク 同時多発自爆テロ事件。3000人が死亡した。
2012年10月、ザワヒリは声明を発表し、「イスラム戦士はシリアへのジハードに参加せよ」と指令を下した。それ以降、シリアにはイスラム過激派勢力のアル・ヌスラ戦線などが大挙して参戦しはじめ、現在では反体制派勢力の約3割を占めるまでに急増した。これらの勢力は自由シリア軍よりも強力な武装をしており、その排外的イスラム至上主義の傾向からしばしば自由シリア軍と武力衝突を繰り返している。
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