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【9月8日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月に同国東部スレブレニツァ(Srebrenica)で、国連(UN)平和維持活動に参加していたオランダ軍部隊の施設から退去させられた後にセルビア人勢力によって殺害されたムスリム系住民の遺族が、住民の保護を怠ったとしてオランダ政府の責任を認めるよう求めていた裁判で、同国の最高裁は6日、政府の責任を認めた高裁判決を支持する判断を下した。
訴えていたのはセルビア人勢力のもとに送られて殺害された電気技師リゾ・ムスタフィッチ(Rizo Mustafic)さんの遺族と、セルビア人勢力に両親と兄弟を殺害された元国連通訳官ハサン・ヌハノヴィッチ(Hasan Nuhanovic)さん。今回の最高裁判決で、ヌハノヴィッチさんはオランダ政府に賠償を求めることができるようになる。
2011年に高裁で、オランダ政府は自国の国連平和維持軍の行動に責任があるという初の判断が示されたが、オランダ政府は、ボスニアに派遣した平和維持部隊は国連の管理下にあったとして上告していた。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は声明で「オランダ最高裁の判断は、国連平和維持活動に参加した部隊が行った行為について、部隊を出した国の政府が責任を問われることがあり得ることを示す最初の例になった」と指摘し、今回の判断を歓迎した。
■「戦いはまだ続く」
約10年前からこの裁判を戦ってきたヌハノヴィッチさんは最高裁の判決後にAFPの取材に応じ、「素晴らしい、本当に素晴らしい。いまはまだ私の気持ちを十分に言い表すには早すぎる」と喜びを語った。しかし「ボスニアではまだ何百人もの戦犯が大手を振って歩きまわっている」として、戦いはまだ続くと述べた。「私の母の殺害を命じた男は私と同じビルで働いている。わたしはこのことと毎日向き合わなければならない」
この裁判の中心となった殺害された男性3人は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月、セルビア人武装勢力司令官、ラトコ・ムラディッチ(Ratko Mladic)被告が率いる部隊が、軽武装のオランダ平和維持軍が駐留し国連が「安全地帯」に指定していたスレブレニツァに侵入してイスラム教徒の男性と少年約8000人を殺害したスレブレニツァの虐殺の犠牲者の一部。同被告は戦犯として国際法廷に起訴されている。(c)AFP/Nicolas DELAUNAY
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2966811/11311187
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当時、セルビア人勢力からの迫害を逃れて、国連から「安全地帯」に指定されていたスレブレニツァに、多数のムスリム系住民が避難していた。そこにムスリム系住民の「民族浄化」作戦を進めるセルビア人武装勢力が侵入し、ムスリム系住民を保護する義務を有する国連平和維持部隊のオランダ軍が事態を傍観する中、子供を含む男性8000人を拉致し殺害するにいたった。この事件は「スレブレニツァの虐殺」として、ユーゴ内戦における最大の悲劇とされる。
虐殺を指揮したムラディッチの責任は言うに及ばす、「安全地帯」を確保・維持する任務を負っていたオランダ軍の責任もまた免れ得ない。
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