03. 2013年9月08日 11:29:07
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『オランダ・ハーグより』 特別編 「窮鼠に噛ませる・・・?」 □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 特別編 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ シリア政府軍が国民に対し化学兵器を使用したという疑惑がおき、西洋諸国はアサド 大統領懲罰のために軍事攻撃をかけるか否かを議論しております。安保理決議をうけ て、国連の調査団がダマスカスに入り、先週まで現地調査をしていました。調査団は 採取した疑惑サンプル(土壌、負傷者の血液など・・・)を、オランダ・ハーグにあ る弊化学兵器禁止機関のラボラトリーほか複数の研究所へ持ち込んで分析をしており ます。 英米の諜報機関も各自それぞれ調査をしたようで、使われたのはサリン系の薬品らし いと言う。だが、その報告書を読んだというオランダの諜報機関は、箝口令があるの ではっきり言えませんけどと断ったあと、「オランダ諜報部はシリアで化学兵器が使 われたという証拠は握っていないし、アメリカの報告書は信憑性に欠ける気がします」 とテレビで語った。ということで、わたくしたちはまだ100パーセントの確証を与 えられたわけではなく、だったらとにかく国連調査団の報告書の発表を待たなければ ねというとになった(疑わしきは罰せず、といいます)。報告の発表にはもう少し時 間がかかると言うことで、だったらそのあいだにシリア攻撃を決断してはまずいとい うことになりますな。イラクのときとおなじ結果になったら、世界はサダム氏に冤罪 をかけたとおなじ罪を問われてしまう。 さて先週の金曜日、わたくしは半日テレビのまえに座り、イギリスの議会中継を見て おりました。議会はキャメロン首相が緊急召集したもので、議題はもちろんアサド大 統領へ軍事懲罰をかけるかの是非であった。 いったいに、イギリスの議会中継はまるで芝居を観るようにおもしろい。文学歴史の 箴言が議員発言の随所に散りばめられて、見て聞いて飽きることがありません。今回 とくにおもしろく思ったのは、彼らの議論の仕方でありました。キャメロン首相と政 府要人が質問に答えるだけではなく、軍事攻撃に反対する議員も同様にその理由を問 われ、彼らもなぜ反対なのかと自説をディフェンドしていたのであります。イギリス の議会では、野党が政府を攻撃するだけでなく、政府も野党に疑問の矢を放つことが できる。すなわち甲乙の議論が交錯するのであります。だから、保守と労働党が互い にいれかわっても政権を運営できるのでしょう。批判するのはほんとうに簡単で、 「じゃあ、やってみろ」とやらせてみるとまるでできない、そういう例を、たまにで すが、よその国に見ることがあるが、もって他山の石とすべしであります。ここまで こなければ民主主義は成熟したとはいえないなとさえ、わたくしは思ったのでした。 その議会中継の翌日、アメリカでオバマ大統領が「攻撃に際しては議会の承認をうけ る」と言いだして、わたくしはこれもおもしろく思いましたね。アメリカの大統領は 軍の最高司令官として軍隊の移動・海外派兵は議会に諮ることなく、単独決定するこ とができます(ただし、戦争開始・宣戦布告には議会の承認がいる = それをすっ とばしたのはリンカーンでしたが、彼も後日承認をとりつけました。ルーズベルトが 真珠湾を待っていたのも、議会に「日本をやっちゃえ」と言わせるためだったと言わ れますね)。大統領にこれほどまでの権限が付与されているのは共和制の特徴で、似 たような例はオランド大統領のフランス共和国であります。であるからオバマ大統領 が単独で派兵を決めても違憲ではないのであるが、軍を動かすことに国民の同意をた とえ法的に必要でなくても、議会という装置を利用して打診するのはいいことだと思 いました(理論的であっても、議会は民意を反映するところですから)。 ところで、シリア攻撃の根拠は何でありましょうか?あの日の手に汗を握る議会攻防 戦のなかで、キャメロン首相は「われわれには人道的な責任がある」と言い、介入を 主張した。 「人道を理由に他国に武力攻撃をかける」すなわち(人道的介入)という正義感は、 コソボ以降定着した考えだと思いますが、「困っているひとびとを助ける」というお おっぴらには反対できない道徳観に裏打ちされているゆえに、為政者は武力攻撃をか けようとするときにすぐこの理由に持ち出す。ですがやはり、人道的な介入は崇高だ といっても、戦争に行きたくない国民はたくさんいるのです。兄弟や夫が死んでしま うのはかなわないのです。2003年、イギリスにはトニー・ブレアという口だけは 達者な首相がいて、サダムが大量破壊兵器を45分以内に撃ち込めるといういまにし て思えば虚偽の報道をし、ブッシュ政権とともにイラク攻撃をはじめた。おかげでイ ギリスの国民はいまでもイラク、アフガンのトラウマから立ち直っていない。議員た ちはそういう「敗戦を抱きしめて」的過去に鑑みながら、一億総懺悔的議論をしてお りました。 ケリー長官は、サリン系の兵器が使われたのだから、世界が禁じたこの兵器の使用者 を罰するのは世界の義務だと言った。だが、かたや、国連調査団や0PCWのラボはサ ンプルを分析し終わるにはあと数週間かかると言っているのであります。化学分析と いうのはこれくらい時間と手間がかかるというのだが、アメリカはとっくに分析を終 えたうえで発言しているのだろうか。複数の俳優がおなじ探偵役を演じているようで、 おかしい。 また五十歩譲って、禁じられている何かが使われたとしようか。このとき考えなけれ ばならないことは、わたくしは二つあると思います。まず、使われたと言う物質が暴 動鎮圧剤だったらどうだろう。暴動鎮圧剤は化学兵器と区分されておりますが、国内 の治安保護のための使用は禁じられていない。「化学兵器禁止条約」における例外で あります。2002年、モスクワの劇場でチェチェン反乱軍が人質を取って立てこも ったとき、ロシア当局は化学兵器を投入して打開をはかったと疑われたが、あの事件 が国際的に問題とならなかったのは、そのせいである。使用されたのはコロコル剤と いう化学物質と推定されたが、多くの死傷者がでたのは彼らが窒息死したからで、そ のこともあって鎮圧剤の使用そのものが批難されることはなかった。そこから類推す れば、ちょっと苦しいかもしれないが、シリアの一件も国内騒乱の鎮圧と説明できま せんかね・・・。 繰り返しますが、わたくしたちは使われたというのはどのような化学製品であったの か、まだ正確に知らされていないのである。こういうときに現れるのがきまって、コ ンスピラシー・セオリーでありますね。8月21日に国連調査団はダマスにいるのだ から、いかにアサド大統領が馬鹿でもそんなときに化学兵器を撃ち込む愚挙は犯さな いだろう、こいつは反対派の自作自演だという説も流れております。イラクの時も反 対派が西洋諜報部員にガセネタをつかませ、彼らがそれにとびついたといいますが、 これは結構真実らしかった。0PCWにも各国の諜報員がもぐり込んでいるけれど、彼 らも人間ですからね、成功を焦ることも多いのであります。(もちろん国連調査団に は英米の利害に直接関わる職員は選別されてはおりません。それでも仲良しの同僚か ら情報を・・・という手はある)。ガセネタが飛び交うのはこういう時であります。 そうなるとイラクの二の舞である。 ふたつめ。それに、なぜいま化学兵器なのだ?という議論もあった。化学兵器はたし かに残忍な武器ですが、でも死んでしまえば通常兵器も化学兵器もかわらない、通常 兵器による死傷者が8月21日(化学兵器が使われたという日)より多かった例はす でに相当数あるではないか、そういう議論もでていました。これについてケリー長官 は、化学兵器がテロリスト・グループの手にわたったら西欧世界の安全保障に関わる からだと説明した。だったら、とわたくしは思うのですが、これが生物兵器だったら アメリカはこれほど大騒ぎをしただろうか。騒ぐ資格があっただろうか。生物兵器も 残忍さにかけては化学兵器に劣らない。さらに、化学兵器以上に簡単に製造できてし まう、ほんとうはもっと恐ろしい武器なのであります。なので、こいつも化学兵器と 抱き合わせで禁止しようという会議がジュネーヴで続いておりましたが、事務局を設 置するという寸前に、アメリカは突然政策の見直しを理由に一転反対にまわり、世界 がやっと合意にこぎつけた議定書を葬ったのであります。2001年のことでしたが、 おかげで世界はいまだに実効的な生物兵器禁止条約機関を持っていないのであります。 テロを言うならば、放置された細菌爆弾が敵にわたるほうがよほど怖いだろうに・・ ・。 シリアは「化学兵器禁止条約」に加盟していない数少ない国のひとつです。理由は、 中東地域ではイスラエルが同兵器をもち、アラブ諸国に対して使用するかもしれない からで、同じ理屈でイスラエルも0PCWには加盟していません(「囚人のゲーム」と いう、あれです)。つまり、彼らは化学兵器の使用を担保するために加盟していない のに、それでも攻撃されるとあってはなんのために加盟していないのかわからないで はないか。似たような理屈でアメリカは国際刑事裁判所に入っていませんが、軍事行 動の成り行きで、シリア市民に死傷が生じれば、戦争犯罪は構成されうるはずですよ ね。多数が死ねばジェノサイドでさえありうるでしょう。もしアメリカ軍がシリアで 人道上の犯罪、戦争犯罪(それらしい例はイラクであった)、ジェノサイド等を行っ たとき、アメリカは国際刑事裁判所不加盟であっても責任をとるか・・・。ロシアの ラブロフ外相は、アメリカはダブルスタンダードをもてあそんでいると言ったが、わ たくしもそういう気がします。 最後に、ひとつ。 かつての世界秩序とは、戦争に関しては自由放任であった。気に入らないことがあれ ばどの国も戦争に訴えることができた。それではいけないということで、世界は二つ の大戦争のあとに国際連合をつくり、集団安全保障という制度をつくりあげたのであ ります。どんなに気に入らないことがあっても話し合い、交渉を通じて、世界のコン センサスで決めましょうと決めたのである。安保理五大国が持つ拒否権はその抜け穴 だと言われるが、反対同士でもどうにか合意をつくりあげて、はじめて軍事行動にで ていけるというのは、歴史に例をみない大発明なのであります。今回のシリア問題に 関してはロシアと中国が拒否権を行使しそうだから、国連を避けて単独行動に出ると いうのは、いかに先例があろうとも、いかに人道的介入の正統性を言おうとも、国連 憲章から逃げる、ルール違反ではないか。大国アメリカだからそれができるというな らば、帝国主義・神聖同盟・絶対主義などの弱肉強食時代への回帰ということではな いか。わたしたちはたった数年前に、国連フォーラムを迂回することの危険と失敗と その悲惨な結末をイラクで学び、懲りたのではなかったか。同じことがまたはじまろ うとしているそのことのほうが、こう言っちゃあなんだが、シリアの化学兵器問題よ り世界の安全保障にとってよほど危険な爪痕を残すのではないか。国連というフォー ラムを通過しない軍事行動はすべて違法だという約束を、わたくしたちは1945年 にしたのであります。 さらに、ほんとうに最後のひとつ。 『戦争論』を書いたクラウゼヴィッツは、戦争とは、外交手段がすべて尽くされたあ とに残された最後の手段だと言った。だったらいま、状況を見回して、外交手段はす べて消耗されたといえるだろうか。すべてが尽くされたので、わたくしたちは仕方な く介入を論じているのだろうか。どうもそんな気がしないのですが、ここに、わたく しが思う隠し球がひとつある。イランであります。昨今のイランは、あたらしい政権 のもとにきわめて柔らかいアタマを持っている。この国は公式にはシリア政府寄りで はあるが、イランは化学兵器に関してはどこの国よりも一日の長があるのであります。 イライラ戦争のときにサダム・フセインの化学兵器を浴びたことで、イランは中東諸 国のなかでまっさきに0PCWへ加入し、主要な場での発言権を確保し、さらにはさっ さと主要上級ポストを巧みに手に入れたりもしたのです。いまでも0PCWの医務官は 定期的にイランへ出かけて、被害者の健康のフォローアップ調査を続けているのであ ります。化学兵器のインパクトを身を以て知るこの国を、ひさびさに交渉の舞台にひ きだしてみるのはどうだろうとわたくしは思うのですね。 というふうに、リーダーたちはそれぞれにオープンな議論をしていると言われても、 わたくしたちには実のところ、謎ばかりであります。大統領、首相、議員や軍人、ジ ャーナリスト、学者たちはわたくしたちの知らない事実を聞かされているのかもしれ ないが、彼らはいずれも戦地へ赴くひとびとではない。戦地で命を落としたり一生障 害を抱えたりするのは、兵士となる市民なのであります。その攻撃がガセネタや感情 的な正義感で決定されたとあれば、たまったものではないではありませんか。市街戦 が続き、難民が放り出されるのをみると、遠くにいても感情的感傷的になりやすいが、 そんなときこそわたくしたちは、まず客観的なデータを手にして、それからイギリス の議会のように賛否対等に冷静な議論をしたいものだと思うのであります。 ---------------------------------------------------------------------------- 春(はる)具(えれ) 1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学 修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000 年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。2010年退官。 現在オランダのハーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に 『Chemical Weapons Convention: implementation, challenges and opportunities』 (国際連合大学)がある。 ( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 ) |