★阿修羅♪ > 戦争b11 > 483.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
南京大虐殺“決定的証拠写真” 全てがおそらく合成かヤラセ (SAPIO) 
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/483.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 8 月 09 日 16:14:00: igsppGRN/E9PQ
 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130809-00000017-pseven-cn
SAPIO 2013年8月号


 中国の歴史捏造の代名詞が「南京大虐殺」だ。1937年の南京事件で30万人もの市民が虐殺されたと中国側は主張するのに、そのおびただしい死体を目撃した者は誰もいない。中国が捏造した写真と、真実の写真を比較すれば、でっち上げが一目瞭然である。

 ここに1点の写真がある。膝立ちになって首をはだけた男性を前に、兵士が左足を前に踏み出して刀を振り上げているという構図になっている。1938年7月発行の『日寇暴行実録』(国民政府軍事委員会政治部編)、『外国人目睹中之日軍暴行』(H.J.ティンパーリ編著)に掲載され、「日本軍による処刑写真」として流布されている有名な写真だ。

 しかし、この写真は粗悪な捏造写真であることが指摘されている。亜細亜大学の東中野修道教授は、『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社刊)で次のように分析している。

〈刀を持つ人は、首を斬るさい、右足が前に出ていなくてはならないが、左足を前に出している。これでは刀を振り下ろしたときに、みずからの足を斬ってしまう〉〈刀を持つ男はチャンチャンコのようなものを着ているが、将校、下士官、兵を問わず、このような服装をした軍人は日本軍には存在しない〉

 捏造写真について拓殖大学日本文化研究所客員教授の黄文雄氏はこう解説する。
 
「南京大虐殺の決定的“証拠“として出回る写真のすべてがこうした類のもので、おそらくは合成かヤラセ。それがデタラメな解説とともに流通している。それを承知で写真を使いまわし、適当なキャプションを付して報じてきた反日マスコミの責任は重大だ。30万人という数字も中国共産党中央の文宣部が決定したもので根拠は何もない」

 ジャーナリストの水間政憲氏は指摘する。
 
「中国が南京大虐殺を持ち出したのは1970年代に入ってから。1972年の日中国交正常化に向け、外交を有利に展開しようと歴史認識問題の利用を思いついたのです。これに乗じたのが朝日新聞をはじめとする左翼メディアだった。1971年に始まった本多勝一氏の連載『中国の旅』で大キャンペーンを張り、日本軍による南京大虐殺を国内外に喧伝しました」


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年8月09日 17:09:59 : W18zBTaIM6

東中野氏のむなしい「証拠写真」検証を論駁する  2006/12/14

南京大虐殺を記録した写真資料は多くない。日中戦争期の江南における、暴行や虐殺の写真ではあっても場所と時期が特定されているものは少ないのである。その中にあって、村瀬守保氏の撮影した写真は

(1)揚子江岸で撮られた
(2)時期は12月27日頃
(3)写真の中に虐殺を示す手がかりがある
(4)撮影者のキャプションが存在する

ことによって、南京大虐殺の証拠映像として貴重である。
ところが、この確実な写真に対して、なお、証拠にはならないという暴論を書き連ねる否定論者をみかける。そのウソの手口に反駁する。


1.東中野修道著『南京事件 「証拠写真」を検証する』のいいがかり
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/murasehanron.htm

南京事件の真実

「徹底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ  
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

南京事件143枚の写真
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/mojimokuji.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/sakuin.htm


02. 2013年8月09日 17:16:01 : W18zBTaIM6
南京大虐殺は昭和天皇が直々に命令してやらせたものなので、終戦後 GHQが必死に揉み消そうとした。

虐殺否定派が必死になるのも昭和天皇の戦争犯罪が明らかにされると困るからなんだ。


03. 2013年8月09日 20:37:31 : 44bGdbSBvI
ドイツのユダヤ人虐殺は嘘である。
最近確信するようになった。

南京虐殺はデッチ上げである。
ネット動画コメントで中国人市民が僕にそういってくれているのだ。


04. 2013年8月09日 21:59:13 : W18zBTaIM6
中国人は嘘付きだから信用しない方がいいよ。

南京大虐殺は欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害という調査結果を世界中に打電したから間違いないけどね。


05. 2013年8月10日 00:25:08 : sUpHQ8Q75g
>>04
> 南京大虐殺は欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害という調査結果を世界中に打電したから間違いないけどね。


息を吐くように嘘を吐くとはこいつW18zBTaIM6のこと

日本軍の南京入場前
南京周辺地域を含めて人口は約20万人だったんだから
例え日本軍にその意思と能力があったとしても30万人を殺すことは物理的に不可能
捏造してバラされて何が面白いのか判らん罠w


06. 2013年8月10日 00:33:05 : W18zBTaIM6

20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ


河村市長・南京大虐殺否定論の根拠のひとつは.. 河村市長が南京事件なかった、とぶちあげてから、大騒 ぎになっています。その根拠のひとつとして「20万人しかいなかったから 30万人殺せない」を挙げました。ただし、河村氏は否定論そのものもよく読んでいないので、「30万人いたから、人 口は減っていない」などの珍説まで披露する始末で南京事件についてはなーんにもわかっていらっしゃらないのですが。

  しかし、「20万人しかいなかったから30万人殺せない」は否定派や、否定派に騙された人たちがあげる否定根拠のうち の最多のものです。何回か書いたことがあるテーマなのですが、簡単だが深いところから書いてみましょう。


”南京市人口”の出典

文献をたどって見ますと、

南京市政府 書簡 11月23日
『調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余 万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である』

出典 中国抗日戦争史学会編『南京大屠殺』  『南京事件』pp220 笠原十九司著 岩波新書

  こ れが、最後の南京脱出がはじまる以前の最後の人口統計です。南京市では毎月人口調査が行なわれていました。この調査は王朝時代の保甲制度にならったもの で、実住 人口 を正確に把握するシステムがあり、非常に正確でした。なぜ、毎月調査していたかというと治安維持のため、反政府分子、特に共産党員が首都に入り込むことを 防止す るためであり、調査にあたっていたのは警 察でした。1937年の7 月までの統計が残っています。それ以降の統計は戦 争によって消失したのか残っ ていませんが、11月 までは調査が継続されていたものと思われます。

  50余万の余は1-9万までありえますが、言葉のニュアンスから言うと2-4万ではないかと思われます。南京市政府が撤退することが決まったため、南 京市民を戦 火か ら守るため南京在住外国人の間で住民保護のため「安全区」の構想が浮上します。国際安全区の委員長に推されたラーベの日記には何回となく南京の人口の記述 が出てきます。ラーベは市政府・軍関係者、各国大使館員も集うパーティに呼ばれます。その後、


37 年11 月25日
 今日は路線バスがない。全部漢口へ行ってしまったという。これで街はいくらか静かになるだろう。まだ二十万人をこす非戦闘員がいると言うけれども。 ここ らでもういい加減に安全区が作れるといいが。ヒトラー総統が力をお貸しくださるようにと、神に祈った。
『ラーベの日記』

ラーベの日記で「20万人」の初出です。ここでは、「二十万人をこ す」 であり、「・・・と言うけれども」と伝聞にとどまっています。次はアメリカ大使館の電文です。


39D南京 の状況 1937年11月27日

3 市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと。

『南京事件資料集』アメリカ関係資料編pp90

というのがありますが、「30万から40万」という幅を持っていわれているので、調査によった数字ではないことがわかります。


37年11 月28日
警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二〇万人住んでいると繰り返した。ここにとどまるのかと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「出来るだけ長 く」つまり、ずらかるということだな!
『ラーベの日記』

  ラーベは警察組織が治安維持と住民保護のため安全区に残るものとばかり思っていました。ところが、 警察庁長王 固盤氏が戦禍にさらされる市民を差し置いて、できるだ け早く南京を脱出したいと思っていることがわかり、日記の中で怒りをぶちまけます。 警察庁長は この日早くも20万人との認識を示しますが、市長の1日前の推計を10-20万人も下回ってしまいました。なぜ、下方の見積もりをしたかというと、警察庁長自身が早く南京を脱出したいとあせっているので、市民もどんどん脱出していると いう予測に傾いたのです。


37年12 月6日
し かもこいつは(注 中国軍のある将校)蒋介石委員長側近の高官と来ている!ここに残った人は、家族を連れて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が 犯した過ちを、こういう一 番気の毒な人民の命で償わせようと言うのか!なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ?首に縄を付けても残せばよかったじゃないか? どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ?

37年12月10日
それはそうと日本政府と蒋介石はなんといってくるだろう。一同、固唾をのんで待っている。何しろ、この街の運命と二十万の人の命がかかっているのだ。
『ラーベの日記』

  王固盤氏との面会の8日後、ラーベの認識は20万人に変化しました。11月23日の市長の書簡から後、人口調査が行なわれたという資料は一切ありませ ん。で は、なぜラーベ自身の認識となったのでしょうか。ラーベは最終的に預かる市民の数を常に意識していました。日本軍が刻々と南京市に迫って来る状況の中で市長による予想を口にしているうちに、そろそろ20万人に近づいた、20 万人になったと思い込んだのではないでしょうか。

Q:資料には残っていないが、なんらかの調査が あったのではないで しょうか?
市民のためにどのくらい食料が必要 か、把握する必要がありましたから

  市民の南京脱出が続き、しかも一方では新たな難民が流入して激しく人口が変動する状況でどのようにして人口調査ができるでしょうか。また、人手と時間 をかけて人口調査をする必要があるでしょうか。食料供給のために人口を把握する必要があるといいま すが、例え人口がわかったとしても、一体いつ戦闘が終了し、通常の食糧供給が再開するか予測できないので本当の必要量はわか らな いのです。それに、市民のための食料はすでに20万人予想のもとに11月下旬に国際安全区委員会に引き渡されることが決定しているのです。

  また、国際安全区委員会のメンバーは安全区創設、準 備お よび日本軍と南京市政府、南京防衛軍当局との交渉に追われ、市中を見廻る余裕もありません。当初安全区に入った住民は比較的少なく、城内で安全区外の地域 には多数の市民がそのまま在住していました。その 結果、安全区内の人通りだけを見て20万人という人口認識に疑いを抱かなかったものと思われます。ラーベら安全区委員会が人口予測を疑っていな い以上、人口調査を行なうはずもありません。

「陥落時人口20万人」を示す統計調査はな く、事前の予想にすぎない

Q:では、あな たは30万人が殺されたと主張するのでしょうか?

いいえ。「人口20万人だから」という理由で「30万人 殺せない」とは言えないと指摘しただけです。虐殺人口は他の資料から推計するのが筋です。
   
Q:人口20万人という根拠はない、と言われても釈然としないのですが、 もっと陥落時の人口を詰めることはできないのでしょうか。

その前に二つの問題があります。
1.郷区の人口を抜かしてはいけ ない。
2.南京防衛軍の人口を抜かしてはいけない。


南京市は城区と郷区からなる

 南京事件の地理的範囲は一般的に南 京市とされていますが、南京市は「南京城区」と「南京郷区」からなります。市長の予想は南京城区についてだけの人口予想です。なぜ市長は城区だけの人口予 想をしたのでしょうか。

  南京市の範囲は元々は城 区だ けでしたが、1927年に南京遷都が行なわれ、1935年には農村地域を含む郷区が 広域合併されました。そのた め、南京といっても元々の市街地である、城区を指す慣行があったのだと思われます。例えば東京府 と東京市は1943年に一体化され東京都という行政単位になりましたが、その後しばらくの間は「東京」といっても旧東京市の範囲、すなわち23区を指すこ とが多く、「東京」 の人口といえば区部の人口を意味していました。同様に、 先 にあげた市長の手紙でも「本市(南京城区)の現在の人口は約50余万」と書かれ、郷区の人口は入っていません。これには、人口予測は食料供給の課題と結びついていたので、自家食料を有する農村 地帯である郷区を考慮にいれる必要がなかったという理由 もあるでしょう。

  したがって、南京市の人 口 と言えば、城区の人口に郷区の人口を加えなければなりません。戦争開始前の7月にはおよそ100万人の人口を抱え、約 85万人が城区に住み、15万人が郷区に住んでいました。郷区は小さな市街化地域はありましたが、大半が農業地区であり、農民は そ うそう自分の土地を 離れようとしません。城区の人口は日本軍の南京爆撃を受けて富裕層が去り、11月23日の時点で戦前の約2/3になりましたが、郷区の人口はそれほど減っ てはいなかったと考えられます。

  したがって、11月23日の時点では城区の人口が50余万、郷区の人口は15万以下で10万よりは上。足すと約65万人ということでしょう。

南京防衛軍の人員
  虐殺数30万人は中国側主張であり、30万人の中には市民と兵士が含まれます。したがって、南京に実在していた人口は市民の人口に陥落時の南京防衛軍 の人員を加算しなくてはなりません。南京防衛軍については中国の歴史学者孫宅魏が資料を分析・総合して総数15万人としています。これには雑役をこなす少 年兵、輜重兵、壕を掘る軍夫などが含まれます。最新の研究では武装兵士は11万人という報告もあります。

 したがって南京市民と南京防衛軍をあわせると南京攻略戦前人口80万人ということになるでしょうか。日本軍が南京 に迫ってくるにしたがって、南京市民それに軍の一部も脱出したわけですが、いったい何人が南京市から脱出したか、資料はありません。陥落時の人口は80万 人から41万人(=26万人+15万人)の間にあるということしかわかりません。
  


郷 区人口と南京防衛軍の人員を計算 にいれない、「陥落時人口20万人」説はウソである。

Q:少し 待ってください。それでは陥落時の人口はわかりません。陥落時の人口がわからなければ、30万人殺されたかどうかの判定はできないのではありませ んか。

  考え違いをしていらっしゃるのではないかと思いますが、陥落時の人口で殺害 数を推定することは、はじめからできない相談です。資料がないのですから。そ れか ら、歴史には、なんでも資料が残っているはずとかいう先入観を持っていませんか?過去の事象で資料が残っていないことはいくらでもあります。むしろ切れ切 れ の 断片しか残されていないのが普通です。
  虐殺数は中国の歴史家も日本の歴史家もA(陥落時人 口)−B(虐殺終了時人口)=C(虐殺数)で算定したのではありません。個々の大量虐殺事件の殺害数、死 体の 数、埋葬数などの積み上げで推定しているのです。これらの資料に対する解釈の幅はありますが、資料としては確実に存在するのです。一方、陥落時の人口の資 料は存在しないのです。

虐 殺人口の推計は殺害数、死体数、埋葬数などの積み上げによって行なうべきである。

  なぜ、否定派が20万人しかいないから、30万人殺 せないといい始めたのかと言うと、こうした個々の虐殺資料の否定は困難である。そこで、資料がわずかしかない、陥落時人口などという概念によって一挙に 30万人なかった、と主張した方が有利だと考えたからです。玄関からは入り込 めないので裏口にまわって隙間から侵入しようとしているのです。
  これは先ほどのA−B=Cという一種の検算であって 考え方に間違いはないのですが、問題はB(虐殺終了時の人口)26万人は誤差1万人以下なのに対し、A(陥落時の人口)は80万人から41万人の 間にあるの で誤 差範囲は39万人ということ になり、C(30万人虐殺)があるかないかについての検算は成立しないのです。否定派はラーベらの認識がそのまま、事実のよう に思って(あるいは見せかけて)検算を強引に進めているのです。


注)虐殺終了時の人口は、12月末の日本軍による安居証の発行数及び安全 区内の状況からラーベらが推測した25万人と、3月末における日本軍特務委員会調査な どによる26万6000人が基準となる。


確実な「陥落人口」の範囲は80 万人から41万人の間にあるとしか言えない。


11月19日に国民党政府は 南京を捨て、重慶に遷都することを決定しまし た。官僚・高級軍人・富裕層などはこのときからすでに脱出を決意し引越しの準備を していました。少しばかり貯えのある市民は脱出を決め家財をまとめて出発に備えていました。しかし残りの貧民層はまず高騰する船賃が払えません。たとえ、 対岸に逃げたとしても着のみ着のままで逃げたのではたちまち食住に困ります。こういうときに人々はどうするでしょうか。

Q:残虐な日本軍が来ると知っていたら、たとえ危険に会うとしても無理を してでも脱出したはずでは?

  中国では軍閥が割拠し長い間内戦が続いていました。軍閥間の戦争でも市民に被害が及ぶことはよくありましたが、少しの間隠れていればだ戦闘はそのうち 終結 しました。戦争の危険はあっても、南京を脱出して身の安全を確保することもまた難しいとすれば、自宅にこもって戦闘が終わるのを待とうと考える市民は多 かったのです。あるいは、脱出を希望していたが、船を待つ間に船舶輸送が停止してしまったという市民も多数いることでしょう。

  2005年ニューオリンズをカトリーナ・ハリケーンが襲ったとき、市街地の大半が水没するから脱出せよと警告があったにもかかわらず、多数の住民が自 宅で 被災しました。このように、危ないと言われても、おそらく大したことにならないだろうとたかをくくる人たちは少なからずいるものなのです。人々が本当 に全員逃げ出すという状況は本当に危険が目の前に見えてからなのです。


Q:揚子江の渡し船の輸 送力からして、1日当たり2.5万人から5万人の脱出が可能であったという説がありますが。

  その輸送力とは700−800人を乗せることができるフェリー2隻と、中小の船舶200-300隻がフルに運送してということでしょうね。こういう場 合、最大 の輸送力の話だけは何の結論もでません。問 題はそれらの船が実際にどれだけの人数を運んだか、その資料があるの か、ということで す。そういう資料はありませんよね。
  おそらく11月20日から数日間は官僚・富裕層を中心として順調に脱出は進んだでしょう。しかし、日本軍が南京に刻々と迫って来ている という情報が流れ、対岸の六合県にも日本軍は包囲網を縮めて来ました。12月7日には対岸の港、浦口が爆撃されました。こういうとき、船主はどういう行動を取るでしょうか。おそらく自分の家族と乗 客ともども、揚子江を朔行して上流の港まで一気に逃げたことでしょうね。12月13日には軍が残った船舶のすべてを動員して撤退する兵員の輸送をしたけれ ど1日あたり3000人しか輸送で きなかったのはそういうわけです。

Q:陥落 時の人口の資料がないと言われてもどうしても納得が行きません。ある程度街を観察して人口を見積もった人もいるのではないですか。

南京市の文化機関に勤めていた李克痕は南京を脱出した後、『地獄の南京からの脱出』を発表し、1938年漢口『大広報』に連載されました。李克痕は南京の 中華門外にある雨花台の板橋に住んでいました。


『目撃者の南京事件』滝谷二郎(三交社)pp177
 南京が陥落したとき、城内に四〇万人の人が住んでいました。難民区を設立してから、家賃が高くて住んでいた人は一五万人くらいですが、難民区外に住んで いた住民はほとんど敵に殺されました。

もうひとつ、匿名ではありますが、捕虜が見た日本軍の暴力』にも同様の南京の人口が記述されています。


『目撃 者の南京事件』滝谷二郎(三交社)pp196
統計によると住民は一〇〇万人いますが、戦争が始まってから残った人は四〇万人くらいで、ほかの人はみんなよそへ逃げさりました。難民区が成立してから家 賃が高くて、入れる人が少なかったから、中華門、光華門、通済門に住んでいる庶民はみな日本軍に虐殺されました。

  1938年のことですか ら、 後年の「20万人しかいなかったから30万人は殺せない」などの論争を意識して書いたわけではありません。ラーベらがほぼ安全区内で活動したのに対して、 彼らは城外や安全区以外の城内 も歩き回っています。ラーベらは南京市の住民すべてが安全区に集まったとおもっていましたが、安全区以外の城内と城外にはラーベらが知らないだけで、多数 の市民が住 んでいたのです。

  ところで、この二人の認識も決して人口をひとりひとり数えたものではないので、どの程度正しいかは不明です。しかし、その土地に長く住んでいたり、そ の土地の中をよく回っているものの場 合かなり正確な人口見積もりができるようです。
  その例として、1月になって安全区内の住民が自由に街路を歩き回るようになったとき、ラーベは南京安全区の人口を25万人とほぼ正確に言い当てていま す。また、スマイスは3月に人口調査を行い、統計結果が 22 万人と出たにもかかわらず、その結果を疑い、調査員が回り切れなかったためではないかと考えて27万人とほぼ正しい数字に修正します。1938年8月のこ と、ベイツは街をめぐった際に南京市政府の調査結果は知らない はずなのに、南京の人口は30万人に達したと日記に書いています。
  この二人の南京脱出者の人口認識はラーベらの認識より確度が高いと思います。


Q:なる ほど、南京の陥落時の人口は40万人の方が正確なのですね。では、南京の人口40万人をもとに30万人虐殺も可能だということもある程度いえるのではない ですか。

   そういうことを言おうとしているわけではないのです。今まで、ラー ベらの人口認識は調査された、すなわち数えられた人口ではないので、検算には使えないということを散々言ってきました。この二人の南京の人口の認識は南京 城内と南京城外の市街化地域についての認識と推定され、農村地区の人口は対象となっていないようです。したがって、これを基に検算方式で虐殺人口をあれこれ推計するつもりはありま せん。
http://www.nextftp.com/tarari/20mannin.html


07. 2013年8月10日 01:47:16 : sUpHQ8Q75g
長過ぎるノーガキは読む気にならん
要点のみ記述してくれ
できるかな?

08. 2013年8月10日 02:05:26 : W18zBTaIM6
南京の陥落時の人口は20万人では無いという事さ

おそらく周辺地域を含めて80万人位だろうな。


09. 2013年8月10日 02:50:21 : sUpHQ8Q75g
80万と推測する合理的根拠は何だ?
要点のみ記述してくれ
できるかな?

10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
中国軍の兵士も南京周辺に15万人位いて、殆どが捕虜になって殺された。

そういうのまで正確に評価するのは不可能だね。

欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。


11. 2013年8月10日 18:15:53 : oIjRF9fAyw
人数についてはともかく、南京虐殺は実際に有ったと 「階行社」 が認めている

階行社は元軍人の立場に立った組織であり、「南京虐殺は捏造」 とする立場から調査を始めた
階行社の調査だからこそ、旧軍人たちは重い口を開き 証言を始めた
すると次々と虐殺を実際に証言する人達が現れ、とうとう階行社も認めざるを得なくなった

「残念ながら南京虐殺は有ったと認めざるを得ない」 これが現在の階行社の見解である

ただし、30万人という数字は さすがに大袈裟とは思うが。


12. 2013年8月10日 18:46:15 : aQzNQz0hJk
まだ南京大やらせの議論やっているのかよ。

13. 2013年8月10日 19:13:12 : K4wmGqMf9o
当時の帝国陸軍の軍人なら可能な限りの無差別殺人を戦果ににして軍隊の士気を鼓舞していたのは真実だ。華々しい戦果だけが神国日本にとって必要だったからだ。

陸軍大臣が総理大臣を兼務したら最強だろ。日本史上最強の軍隊はただ残虐なだけで、アジアを欧米列強から守るためなどという大義名分は存在する余地などないくらいの大量殺戮をやらかした。

所詮は軍隊など論理矛盾を実行する愚かな存在でしかない。勝手に暴走したら誰にも止められなくなる暴力装置とは蓋し名言である。勝手な国防軍の軍人など、同国民の手によって真っ先に処刑して日本の平和を守るのが正攻法の国防であろう。


14. 2013年8月10日 22:04:30 : Hhc7Yr184g
南京市内にいた中国側の軍は一体どこに居たんでしょうね?
市外に逃れて状況が収まるまで見ていたとの話もあるが。
また、ゲリラ戦に持ち込んで民間人と同じ服を着ていたため、それらしき市民を捉えて処刑したのだとも聞くが。
民間人になりすますのって、確かその当時の国際法違反だったはずでは?

15. 2013年8月10日 23:00:11 : W18zBTaIM6
中国軍は全員降伏した。

それから私服に着替えた武器を持たない軍人は殺したら犯罪

便意兵は存在しなかったというのが定説


16. 2013年8月11日 09:08:33 : qvWbiAxIFM
合成写真だとわかるのは同じ写真で微妙に違う、手を加えられたものが何枚も出て来てるから
猟奇的なものは露店で売られていて誰でも買うことができた
残虐なことは文化大革命まであるいはその後も延々と続くわけで中国の日常光景とも言える

日本人馬鹿ねが世界常識


17. 2013年8月11日 09:10:33 : RQpv2rjbfs
こういうのを水掛け論という。決定的な証拠は消滅している、細部は違っているかもしれないし虐殺を過大に言っているかもしれない。しかし、日本が中国を侵略したのは否定しようのない事実だ。

戦争は人を狂わせるから、正視に堪えないような残虐行為を兵士たちはしばしばする、ソンミ村事件や、アウシュビッツがその例だ、日本兵も中国各地で残虐なことをしていた証拠なら無数にある。許されることではない、原爆と同様人類に対する犯罪だ。

南京でたった一人でも民間人を虐殺していたなら許されることではない。そして一人も虐殺しなかったはずがない。開き直って謝罪を拒否してはならんと思う。日本には困った指導者がいる。対立を煽るのではなく、和解の道を探らないといけない、日中戦争を経験した人は既にあらかた鬼籍に入っているのだから。


18. 母系社会 2013年8月11日 09:37:58 : Xfgr7Fh//h.LU : XaeuN8WwIo

●日本軍は、シンガポールでも大虐殺。

シンガポールの中心街の地下鉄シティホール駅のすぐ前 に・・・
「日本占領時期死難人民記念碑」という高さ約70メートル巨大な塔が
あります。

一般には「 血債の塔」と呼ばれている「戦争記念公園」内にそびえ立つ
四本の塔で、日本占領時期に、日本軍が虐殺した約5万人ともいわれている
中国系住民の慰霊塔です。

血債とは、中国語で「人民を殺害した罪、血の負債」という意味。

1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃の数時間前から上陸作戦と
シンガポール空爆を実施、翌年2月15日にシンガポールを占領。

占領直後に、山下奉文司令官は、中国系住民を集合させ現場を封鎖。

中国系住民の中から「抗日」闘争しそうな住民を選別し、トラックで
海岸などに運び、まとめて大虐殺した。

1961年12月、工事現場から白骨が続々と発掘され、大虐殺事件の
被害者とわかった。

発掘は全島でおこなわれ、63年8月には「殺人は命で、血債は血で償え」
のスローガンを掲げ、日本に対してた<血債の償い>を求める数万人規模の
大集会が開催された。

その後、中国系住民の組織が「日本占領時期死難人民遺骸善後委員会」
を発足させ、67年に記念碑を完成。

実際の虐殺数は不明だが、シンガポールでは5万人が「共通の認識」。

要するに、どこでも同じだが、何人殺したのか、殺した日本軍側さえ、
正確にはわからないほど多くの人々を殺したということ。

日本から、何も知らない観光客が多数、暢気にシンガポールに遊びに
行くが、遺族らは複雑な思いで、何も知らない日本人を見ているだろう。

●先の大戦では、<欧米の帝国主義支配から、アジアを解放する>という
日本政府のプロパガンダを本気で信じて、アジア人の解放のために命を
捧げようと思い出征した日本軍兵士も実際にいた。

しかし、そうした兵士は、残念ながら直ぐに失望することになった。

というのは、日本軍は現地で、解放者ではなく新しい<支配者>として
振舞っていたからである。

しかも、日本軍は食料は現地調達だから、何の価値もない軍券で食料
を住民から取り上げるなどしたり、策略を用いて現地の女性を強制的に
慰安婦にしたり、天皇崇拝を強制したために、欧米の支配者よりも乱暴
な支配者だったのである。

だから、日本軍が不利になったり、敗走しても、現地の住民は日本軍を
助けなかった。助けるどころか、現地の住民の中には、米軍に味方して
ゲリラ戦を挑む者さえいた。

解放軍なら、現地の住民が味方するはずだが、逆の方が多かったのが真実。

日本政府は、日本人も騙して戦争に動員したのだが・・・

★当時の日本には、アジア人の解放のために命を捧げようとして出征した
日本軍兵士も実際にいたことは真実であり、誇っても良いのではない
だろうか。


19. 2013年8月12日 01:28:40 : sUpHQ8Q75g
>>10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
> 中国軍の兵士も南京周辺に15万人位いて、殆どが捕虜になって殺された。

この一文でおまいの挙げる数字は捏造つうことがはっきりした
ここまで合理性を欠いた作り話を恥ずかしくもなく開陳できるのは
抗日史観に洗脳された哀れなチャンコロだけだが
洗脳から開放され普通の中国人に戻れるとすりゃそのきっかけは何だろうな

> そういうのまで正確に評価するのは不可能だね。

捏造を自ら告白してるに等しいんだが
それにも気付かず間抜けなコメント晒すとは
洗脳のなせる業かw

> 欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。

おまい中国の戸籍制度について自分自身で調べたことないだろw

顔洗ってついでに尻の穴も洗ってから出直してこいやw


20. 2013年8月12日 02:09:48 : sUpHQ8Q75g
>> 15. 2013年8月10日 23:00:11 : W18zBTaIM6
> 中国軍は全員降伏した。

またまた平気で大嘘を吐く
そもそも全員降伏してりゃ事件にはならん罠w
無血入場を望んでた日本軍は北門を開けて脱出を促すビラも撒いた
だが逃げたのは中国軍および政府上層部だけ
部下に何も告げずに逃げたため
残された連中が日本軍入場にびびってパニックになった

> それから私服に着替えた武器を持たない軍人は殺したら犯罪

ジュネーブ陸戦条約じゃ真逆なんだがw
嘘を吐くにしてももっとやり方があると思うんだが
洗脳されたチャンコロは分別の欠片も持ち合わせて無いらしいw

> 便意兵は存在しなかったというのが定説

嘘を吐くな
便意兵はそこらじゅうにいただろうがw
中国じゃ今でも地面に穴掘って野糞するらしいなw
もちろん便衣兵がいないわきゃない
多数の中国民間人が衣服目当ての中国軍人によって殺されたつうのが定説

だが全ては中国軍および政府上層部が部下を放置して自分達だけ逃げたことに起因する
その責任を取りたくない連中が
偽のストーリーをでっち上げ日本軍将兵に責任を転嫁しようとしただけの
セコイ話だ罠


21. 2013年8月12日 06:10:27 : Oeom75xoFA
>南京市内にいた中国側の軍は一体どこに居たんでしょうね?

スマホやデジカメが普及して津波や地震動画があふれる中、原発爆発の音や煙の証拠や証言がほとんどないのだが一体どこにいったんでしょうね?
14km離れた地域からでも凄まじい爆発音と煙が確認できたというのに。
現在ですら情報はこんなに統制されている。
大本営発表など今も昔も信じられるものではない。


>こういうのを水掛け論という。決定的な証拠は消滅している、細部は違っているかもしれないし虐殺を過大に言っているかもしれない。しかし、日本が中国を侵略したのは否定しようのない事実だ。

そう思います。


>解放軍なら、現地の住民が味方するはずだが、逆の方が多かったのが真実。

本当にその通りで、現地の住民と欧米軍が共闘して日本軍に復讐を果たした映像記録があります。欧米軍が来るまで大本営発表的には表面上日本による友好的解放などとされたでしょうが、武力により力ずくで屈服させただけの話。

敗戦時には「日本に統治されたい」「残ってくれ日本人」などのデモがアジア各国で沸き起こり戦勝国に対する抗議の声があちらこちらから上がったということはなく、日本に勝ったと喜んでいます。
敗戦後も各地で散発的戦闘は続きましたから、日本軍が脅して「日本軍万歳」などと現地の住民に強制的に言わせた可能性はありますが。


22. 2013年8月12日 06:35:12 : AROxPnS2cU
映像に出てくる兵隊のゲートルの巻き方も逆になっているようだ。

23. 2013年8月12日 06:50:08 : hFVIGxPOfI
人口統計がしっかりしているという割に
その元になる戸籍に基づいた数字や
戸籍を使って、叔父が殺されたなどと言い出す人いないんだよなぁ。
変態の思いつきは証拠にならんよ。

24. 2013年8月12日 08:28:19 : xYUHqhvOhg
戦後、日本共産党、社会党は真実を述べてたか?在日朝鮮人はすべて強制連行されて日本にひどい目に遭ってる。保障しろ優遇しろと昭和では常識になってたね。
最近は朝鮮戦争での共産党員、親日罪での迫害をのがれるための避難民であることがあきらかになった。避難民がユダヤ人のようにデイアスプロイ?=永住してんだね。これに対して売国左翼は正式コメントはない。つまりは日本国民がペテンにかけられた訳だ。在日は嘘で南京は事実とはペテン師の論法に反する。
こんなくだらない議論はやめよう。南京攻略戦はあったが南京大虐殺なるものはあるわけないね。南京を掘ると頭蓋骨が腐るほどでる。有史以来中国の歴史では20回以上の大虐殺があったわけだ。日本が降伏後にも中国軍が行ってる。ので中国国民党は何も問題にしない。ついでに日中戦争前後の中国の虐殺のすさまじさは中国人に聞こう。省の人口が半分になったとか民間人が共産党包囲戦でたくさん虐殺されてるね。現在進行形で目新しくないしもし本当に南京大虐殺があったとしても中国大陸では珍しくないので無視でいい。言い掛かりもほどほどにと言おう。
中国共産党はスターリンが作ったグループで共産党という一神教で他の宗教、仲間でも支持に従わないグループはポアする。この系譜が日本共産党で真実を探すという阿修羅の対極にある。ソ連中国の過去で判るでしょ。
と言う事で現代までの中国を勉強しよう

http://www.youtube.com/watch?v=rNA5KVBJQjo&list=PLxPxw_07r_s88OmtQ9IymZrq2reZPWWG_



25. 母系社会 2013年8月12日 12:26:53 : Xfgr7Fh//h.LU : PkiixYYYzU

<<日本軍はアジア人を殺し過ぎた>>

日本軍将校は、どこでも占領すると直ぐに住民をスパイ
容疑で殺した。

古山高麗雄の小説に出てくる。

とにかく、日本軍はアジア人を殺し過ぎたのだ。

★アジア人を蔑視する「ネットウヨ」を見れば、日本軍が
アジア人を殺し過ぎたことがよくわかる。

新大久保で「殺せ」と叫ぶ「ネットウヨ」が武器を持ち、
集団で大陸に行けば、また、アジア人を殺しまくる
のではないか?

西欧優位思想に染まり、劣等感の塊となった日本人は、
アジア人蔑視で心のバランスをとっている。

西欧中心主義に染まって、何かの理由で劣等感の塊となると、
国籍・民族ぐらいしか自慢できない日本人が出来上がる。

新大久保に押しかけ、アジア人差別をして憂さを
晴らすしかない可哀想な日本人だ。

★とにかく、日本軍が致命的だったのは、食料不足で食料を
現地調達したこと。

軍票などという紙切れで、無理やり食料を取り上げたわけだ。

兵士も無理やり食料を取り上げなければ、生きることさえ
できない。

要するに、日本政府は、アジアに解放軍どころか、強盗集団
を送り出したということ。

★更に愚かなのは、「生き神」信仰の<天皇教>を強制したり、
名前も日本風に変えさせるなどというモンゴル軍でさえしな
かったことまでしている。

それで、独立運動を行っていたビルマのアウンサン将軍は、
ビルマ共産党の初代書記長だった人だが、鈴木敬司大佐の
「南機関」の支援でバンコクに「ビルマ独立義勇軍」を創設。

日本軍と共に戦い、ビルマからイギリス軍を駆逐して、
「ビルマ国」を誕生させた。しかし、日本が「ビルマ国」を
独立国として扱わないことから、日本に不信感を持つようなり、
ついに日本軍に対して反抗・決起した。

結局、連合国軍だけでなく、日本もビルマの独立を認める
つもりは無く、アウンサン将軍を利用しただけだった。

★これが真相であり、「大東亜共栄圏」は、単に日本が欧米
に替わり、新しいアジアの<主人>になろうとした
プロパガンダに過ぎなかった。

日本の多くの若者が「大東亜共栄圏」を夢見て散った。

日本の多くの若者が「アジア主義」・「アジアは一つ」という
スローガンに共鳴して決起し、散ったのである。

しかし、今は違う。

そろそろ、「東アジア共同体」が俎上にあがる。

ついに、無念にも散っていった日本の多くの若者たちの夢が実現する。

「東アジア共同体」に反対する右翼とは何者なのだ。

右翼こそ、米国の「アジア分断支配」の手先になるべきではないだろう。


26. 2013年8月12日 14:26:04 : K4wmGqMf9o
しかし日本の右翼さんたちよ、南京大虐殺が実際にあったことは証拠なしでしんじることはできるだろ。当時の日本では大戦果だったはずだ。それをなんで今頃になって立派にカッパ着たように反論してるんだ、みっともない。

警察が捜査するような事件でもないのに、半世紀以上もたった戦時下における作戦が実行された事実の確認ができれば良いことだ。

問題は戦後処理にあるんだろが。誠実に日本が近隣国に対して接してこなかったことが大きな原因なんだろ。何人以上の殺戮をもって大量虐殺とするというような問題ではない。ウヨさんたちよ、近所の国々をいたずらに刺激して日本の国益に莫大な損害を与えるような主張はいい加減にして止めたらどうなんだ。寝ても覚めても中国憎し、韓国憎し、キタチョン憎しだけでは日本人として無能すぎるんだぞ、今の国際社会では。よーく考えてみろよ、怒りまくってないで。

するってーと何か、ウヨさんたちはこの上、国防軍と最新鋭兵器に金を浪費し、日本人にだけ馬鹿高い軍人恩給や遺族年金を半世紀以上も支払ってるのに、隣国で日本兵に殺された民間人が多数いるというのに雀の涙程度しか金も払わず一方的に示談して逃げ去りたいということか。

日本の良いウヨさんたちはそんな卑怯な人間ではないんだろ。デモや悪口する暇があったら早急に国際示談に持ち込んで二度と後世に禍根を残さないような解決に頭を使うべきだ。そうすれば自衛力増強も不必要になって国家予算が助かるだろ。

ウヨさんやちよ、もっと頭をつかって愛国心をたかめてくれないか。国をまもることより、国家予算を助けるような国防を考えろということだ。


27. 2013年8月12日 16:01:53 : oIjRF9fAyw
これは 樺太で生まれ、幼少の頃 満州に渡り 終戦時まで満州で育ち 壮絶な逃避行を経験した
私の大叔父から直接聞いた事である

当時の満州では、一番偉いのが日本人 次いでロシア人 そして中国人 モンゴル人
一番下が朝鮮人だと、当時の大人たちは堂々と こう子供たちに教えていたと言う
私の大叔父は親から直接聞かされたと言う

この事自体、満州に於いて いかに当時の日本人が思い上がっていたか如実に現している
そもそも中国人から追い出すように土地を奪っておいて この言いぐさである

一般人でさえこの不遜な態度であるからして、関東軍の軍人たちの威張りようは目に余ったという
日本人に非ずは人間に非ずという訳である

私の大叔父は言う、「あの戦争の最大の責任が有るのは国民自身だ、国民一人一人が戦犯なのだ
そう言えるぐらい、あの当時の日本人は思い上がっていた。」

八紘一宇も五族協和も 掛け声だけの欺瞞スローガンでしかなかった
本来、八紘一宇とは 天皇以外は皆平等という意味が有るのだが その一方で勝手に日本人達は
都合の良いように私的な身分制度を作っていたのであり、完全に人種差別をしていた

そしてその人種差別とアジア人に対する蔑視は、現在でも立派に受け継いでいる連中が居る
欧米人に対しては劣等感を持ち 亜細亜人に対しては優越感を持っていたい
それがどういう人達なのか、もう言わなくとも判るであろう。


28. 2013年8月12日 17:34:52 : 9NKiiqErzo
26. 2013年8月12日 14:26:04 : K4wmGqMf9o
しかし日本の右翼さんたちよ、

白人のプロパガンダさんよ。なんのようだい?
なめとったらあかんで。


29. 2013年8月13日 00:30:40 : sUpHQ8Q75g
>>26. 2013年8月12日 14:26:04 : K4wmGqMf9o
> 南京大虐殺が実際にあったことは証拠なしでしんじることはできるだろ。

おまいは証拠なしで何でも信じるのか?
ウヨがどうとかIQ低杉w

東京大虐殺〜東京大空襲による民間人10万人焼殺〜
これは証拠が残っており信じないわけにゃいかん罠
東京大虐殺・大阪大虐殺・長崎大虐殺・広島大虐殺
実際に起きたことはしっかり証拠が残るもんだが
だが事後の捏造じゃそうはいかん罠w

> 当時の日本では大戦果だったはずだ。

南京入城は大きな戦果だが虐殺が戦果となることはない
って常識なんだがw

> 半世紀以上もたった戦時下における作戦が実行された事実の確認ができれば良いことだ。

超低IQのおまいには何が問題なのか一生掛かっても理解できん罠w


30. 2013年8月13日 01:28:04 : W18zBTaIM6
南京市内に死体を埋めてある所が沢山あるから掘ればすぐに20万体はすぐに出てくるよ

31. 2013年8月13日 08:30:15 : sUpHQ8Q75g
>>30
> 南京市内に死体を埋めてある所が沢山あるから掘ればすぐに20万体はすぐに出てくるよ

今から掘るから20万体出てくるまで待ってくれつうならまだしも
実際に掘るわけにゃいかんが埋まってるはずつうんじゃ妄想の域を出ん罠w

まぁおまいには宿題がこれだけ出てるんだ
南京発掘の旅に出る前にちゃんと答えろよw

>>10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
> 中国軍の兵士も南京周辺に15万人位いて、殆どが捕虜になって殺された。
> 欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。

1.南京市街にいた15万人ほどの中国軍兵士の殆どが捕虜になった挙句に殺されたことの証拠
2.当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率に関する資料

>>15. 2013年8月10日 23:00:11 : W18zBTaIM6
> 中国軍は全員降伏した。
> それから私服に着替えた武器を持たない軍人は殺したら犯罪

3.中国軍が全員降伏したことが判る証拠
4.私服に着替えた武器を持たない軍人の処遇に関するジュネーブ条約の条文

ほら4つに絞っておいてやったからさっさと答えてくれ


32. 2013年8月13日 08:35:50 : 4LPd8OlMvg
まだ、南京大捏造の事実を認めると都合が悪い人が居るんですかね。彼らのご主人様である中国ですら「別に南京での捕虜・住民への虐殺限定じゃなくてぇー、南京を中心とした地方で30万人の中国人が死んだって言いたかったんですよぉー」と主張が後退してる事実を見れば、少しぐらい洗脳から覚めてもよさそうなもんですが。

33. 2013年8月13日 09:35:52 : W18zBTaIM6
俺は忙しいから自分で読め:

南京事件の真実

「徹底した史料の読解によって、南京事件の真実を明らかにします」
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ  
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


34. 2013年8月13日 12:39:21 : K4wmGqMf9o
>>28. 2013年8月12日 17:34:52 : 9NKiiqErzo
26. 2013年8月12日 14:26:04 : K4wmGqMf9o
しかし日本の右翼さんたちよ、

刀から手を放せよ、公衆の面前でござるぞ。日本が世界中から経済封鎖されるような明治維新以降の世間が愚鈍だったことを責めているのではない。

天皇の仏法興隆の詔に反逆した国家神道を重んずる日本人が罪人だろが。国も人も台無しにしておいて何が国家だ。およそ今のウヨ連中に国を語る資格などないと言いたいだけだ。それが真実だろが。

馬鹿ウヨは真っ先に外国のプロパンに屈して国防軍などというから日本人の迷惑なんだよ。怒りに任せて悪巧みなどするんじやねーよ、国を疲弊させることばかり主張するくせに。盆中なんだから少しは仏道の法華経の剣でも学んだらどうなんだ!


35. 2013年8月13日 17:03:11 : RHLoEX86H2
ナチスのユダヤ人虐殺はなかった?それは無知すぎる。実際に、フィルムで記録されていますよアウシュビッツ強制収容所に山のように詰まれたユダヤ人の死体(餓死)の山や、ドイツ兵が穴を掘り穴の前に男女問わず1列に整列させユダヤ人を銃殺し穴に突き落とす光景がフィルムで記録されています。
あと以前、朝生に出演していた旧日本兵の方が、自分は現場にいたと。南京大虐殺はあったと言っていたかな。はっきり記憶していないので参考までに。

36. 2013年8月13日 19:08:55 : sUpHQ8Q75g
>>33. 2013年8月13日 09:35:52 : W18zBTaIM6

南京事件捏造の歴史
「徹底した史料の曲解によって、南京事件の真実を隠蔽します」
「肯定派の嘘と捏造のすべてを明るみにだします」 by 汗

の間違いだろw
たった4つに絞っても全部嘘
嘘やめますか人間やめますかってとこだ罠w


37. 2013年8月13日 20:23:48 : W18zBTaIM6

日本軍は降伏すれば命は助けると約束して捕虜にしたんだけど、食べ物が無いから全員殺したのさ

38. 2013年8月13日 21:02:24 : sUpHQ8Q75g
>>37. 2013年8月13日 20:23:48 : W18zBTaIM6

チミの妄想なんかはどうでもいい罠w
客観的証拠の提示を求めてるだけだ
そんなに難しいことか?

1.南京市街にいた15万人ほどの中国軍兵士の殆どが捕虜になった挙句に殺されたことの証拠
2.当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率に関する資料
3.中国軍が全員降伏したことが判る証拠
4.私服に着替えた武器を持たない軍人の処遇に関するジュネーブ条約の条文

すぐに出てくるよな?


39. 2013年8月13日 21:20:20 : W18zBTaIM6
俺は勉強が忙しいんだ

それ位自分で調べろ


40. 2013年8月14日 00:07:50 : X8K3Jt2Lhg
久米宏のニュースステーションでお爺さんが証言しているのを聞いたよ。


41. 2013年8月14日 02:54:05 : sUpHQ8Q75g
>>39. 2013年8月13日 21:20:20 : W18zBTaIM6
> 俺は勉強が忙しいんだ

嘘吐きの勉強なんかせんでええ罠w
勉強が忙しいと言いながらあちこちで糞コメント書いてやがるw
嘘まみれの人生ってそんなに楽しいか?

> それ位自分で調べろ

ば〜か
おまいの主張の裏付けを訊いてるんだ
答える義務はおまいにある
客観的証拠があるならここにきちんと残しといた方がおまいの為だろ

まぁ実際のところは何から何まで妄想と嘘の塊だったからな
穴があったら入りたいつうその気持ちは判らんでもないが
このまま逃げたんじゃ全部嘘ですたって白状するようなもんだ罠w


42. 2013年8月14日 03:38:45 : 4LPd8OlMvg
>>35
>ユダヤ人の死体(餓死)の山
写真も残ってるはず。「収容所を解放したイギリス軍が、ブルドーザーで土砂のように死体を寄せ集めて撮影した」ものが。ドイツ側から言えば無差別爆撃で食糧を送るべきインフラが潰滅してるんじゃ大量の餓死者が出るのは仕方ないし、イギリス側から言えば一人一人丁寧に弔っている余力はとてもないんだから両者を責められないけど、ドイツの収容所経営が残酷だった証拠として使うのは明らかに間違い。
>男女問わず1列に整列させユダヤ人を銃殺し穴に突き落とす
フィルムが本物だったとして反ドイツのゲリラが射殺されたんでない、それ?
>朝生に出演していた旧日本兵の方が、自分は現場にいたと
中帰連の洗脳はもちろん、そうでない帰還兵でも「死ぬ前に証言して日本の良心を示せば中韓も理解してくれて名誉の回復が〜」とか言われればありもしない証言をする半ボケ爺も何人かは出てくるでしょう。証言だけで「あった」とは言いづらいと思われます

>>39
マトモな言論の場では「敗北宣言」と看做される発言なので、早めに撤回して疑問点に答えるべきかと。


43. 2013年8月14日 05:21:11 : W18zBTaIM6
>客観的証拠があるならここにきちんと残しといた方がおまいの為だろ

昔読んだ話を書いてるだけさ

南京大虐殺の資料は無数にあるんだから自分で探せよ

誰が調べても結果は同じさ。

俺は数学と物理の勉強で忙しいのさ:


南京事件−日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/

南京事件資料集
http://www.geocities.jp/kk_nanking/


44. 2013年8月14日 07:34:39 : sUpHQ8Q75g
>>43. 2013年8月14日 05:21:11 : W18zBTaIM6
> 昔読んだ話を書いてるだけさ

数学と物理の勉強?
捏造とミスリーディングの勉強だろw
ったく何から何まで嘘まみれの糞野郎じぇねぇかw

もし数学とか物理とか少しでもかじってるんなら
客観的証拠を何一つ提示できないことの意味は判るよな
垢点確定w

> 南京大虐殺の資料は無数にあるんだから自分で探せよ

おまいの主張を裏付ける資料なんてどこにもねぇよw
大嘘吐きのコンコンチキとはおまいのことだ罠w


45. りっくどむ 2013年8月14日 08:04:34 : ciHMCkO6Pm4yM : fh0nyQu4BI
河村市長の発言は父親の実体験を基に発言している。

戦闘行為があったのだから犠牲者が一人もいなかったなんて誰も言っていない。
日本軍が組織的にまたは管理せずに非武装の市民を大量に殺害したことは無いと言う意味だ。実際、不心得者が出て略奪暴行に及んだこともあったろうが、だからこそ松井司令官の訓示につながったのだろう。

「南京事件」は多くの研究者が研究しているので、いい加減な嘘や誇張はできなくなっている。個々の事件を勝手に拡大解釈して「大虐殺」というがしっかり分析すれば全体像が見えてくる。

軍組織による無差別の住民大虐殺は「通州事件」の方だろう。

また中国兵は降伏せず便衣兵になっていたことは多くの将兵の証言からも明らか。
その過程で略奪暴行を受けた市民は多数に上ったろう。「レイプ・オブ・南京」はほとんどが嘘や誇張のフィクションだが、そこの出てくる被害状況は日本人のメンタリティには合わないものばかりで、便衣兵の犯行とすれば納得がいく。

もし何十万人にも渡る住民を殺したらその後はどうなる?
ゲームじゃないから死体は亡くならず、腐敗する。簡単に処理はできない。だからこそドイツのアウシュビッツでは工場のような施設を作って処理しなくてはならなかった。かの昔、元軍は城塞都市で住民をすべて殺したが腐臭がひどくその城塞都市を放棄せざるを得なかったという。

南京事件もいわゆる「従軍」慰安婦と同じ構図で、「南京事件」は起こったが、
「南京大虐殺」は無かったというのが妥当な歴史の見方というもので、殊更日本軍の非を鳴らすのは、中韓の政治的思惑(国力の増進、国内の安定)によるもの。
実際の真実はどうでもよくて日本を弱体化させればよいので、被害者の数もどんどん増える。つまりは「でっち上げ」である。

大虐殺派は当時の日本軍を貶めることで、相対的に自分を高みに置きたがっている。そのためにはどうしても日本軍が悪辣残虐でなくてはならず、中国が「白髪三千丈」的な表現をしても否定はしない。歴史的事実を見ようとしないのはどちらか。


46. 2013年8月14日 09:13:52 : W18zBTaIM6
>もし何十万人にも渡る住民を殺したらその後はどうなる?

リンク切れだから自分で探せ


遺体埋葬の記録

紅卍字会
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m..南京市衛生局
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m..赤十字・第一隊
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m..赤十字・第二隊
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m..その他、埋葬関係資料
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/m...


47. 2013年8月14日 19:06:00 : K4wmGqMf9o
なんだと! 大概にしろよバカヤロ!!

    >>大虐殺派は当時の日本軍を貶めることで>>

お前は正気か! 旧日本軍を今の日本人が批判した何が悪いのか。馬鹿な軍国主義の思想の匂いだけで狂う馬鹿ウヨどもよ、今のお国のために靖国思想などの誤った思想を捨てろよ、バカヤロ!! 国民の迷惑だ!!


48. 2013年8月14日 19:22:52 : sUpHQ8Q75g
>>46. 2013年8月14日 09:13:52 : W18zBTaIM6

おまいが客観的な証拠をここに提示できないつうことが全てを物語ってる罠w

政府系とかのある程度信頼できそうなサイトならまだしも
何が仕掛けてあるか判らんリンクを貼って自分で見ろと?
ITリテラシーの低さを披瀝してさぞかし楽しいんだろうなw


49. 2013年8月14日 19:28:08 : sUpHQ8Q75g
>>47. 2013年8月14日 19:06:00 : K4wmGqMf9o

>>45のコメントはとてもまともだが
チミは何に対してそんなに興奮しとるんw
南京大虐殺は捏造だと聞くと反射的にアドレナリンが出るビョーキか?
もちっと冷静に読解できんか悩w


50. 2013年8月14日 19:41:19 : W18zBTaIM6
>政府系とかのある程度信頼できそうなサイトならまだしも


日本政府が

南京大虐殺は昭和天皇の命令でやりました

なんて言う訳ないだろ。


51. 2013年8月15日 01:11:09 : sUpHQ8Q75g
>>50. 2013年8月14日 19:41:19 : W18zBTaIM6

なんだ今度は泣き言かw
使えねぇチャンコロだ悩w
そんなコメント書いてる暇があんなら客観的な証拠を何か出せよ


52. 2013年8月15日 02:42:20 : tWvHsHqJ3E
勉強で忙しいW18zBTaIM6は、連日連夜レス返してないでグウの音も出ない証拠を一発で出していけばいいのに。要するに、懐疑的な人間を納得させる証拠なんて何一つ提示できません、ゴメンナサイいじめないで!って事だよね?

53. 2013年8月15日 07:38:44 : W18zBTaIM6
そもそも虐殺があったのは歴史学会の定説だから否定できる訳ないだろ


54. 2013年8月15日 16:23:42 : tWvHsHqJ3E
>>53
>>30
>南京市内に死体を埋めてある所が沢山あるから掘ればすぐに20万体はすぐに出てくるよ
すぐに20万体出てくる=死者はもっと大量 と言っているのだからあなたは明らかに中国が主張する三十万人説を採っていますが、マトモな日本の学界では相手にされてない代物ですよ、それ

55. 2013年8月15日 16:59:21 : W18zBTaIM6
>マトモな日本の学界では相手にされてない代物ですよ

日本の研究者は右翼から嫌がらせされたくないから控えめに言ってるだけ

中国では南京事件当時の被害者を戸籍と対応させてかなり精密に被害者数を算出していると聞いた事がある。

それによると殺されたのは30万人よりはかなり多いそうだ。


56. 2013年8月15日 18:29:11 : sUpHQ8Q75g
>>55. 2013年8月15日 16:59:21 : W18zBTaIM6
> 日本の研究者は右翼から嫌がらせされたくないから控えめに言ってるだけ

そういう理屈が通るんなら
中国にも真実を探求しようとする研究者はいるが
反日教育で洗脳されたチャンコロから嫌がらせを受けたくないから
日本軍が10万人も殺せるわきゃないじゃんって言えないってことだ罠w

> 中国では南京事件当時の被害者を戸籍と対応させてかなり精密に被害者数を算出していると聞いた事がある。

ば〜か
その話は真っ赤な嘘だ罠w
ほんの少し調べりゃすぐに判ることなんだが悩w
その嘘を素直に信じたおまいの脳みそにゃ重大な欠陥がある

> それによると殺されたのは30万人よりはかなり多いそうだ。

ハズレ杉
1万人よりかなり少ないが正解


57. 2013年8月15日 18:54:12 : sUpHQ8Q75g
>>53. 2013年8月15日 07:38:44 : W18zBTaIM6
>>55. 2013年8月15日 16:59:21 : W18zBTaIM6


おまいの国でも嘘がバレ始めたようだな
半世紀以上掛けて地道に洗脳してきたつもりだろうが水泡に帰そうとしとる
中国人が続々と洗脳から解放されるのも時間の問題か


〈石平のChina Watch〉ほころび始めた反日教育 中国政府に向かい始めた“ブーメラン” (ZAKZAK)
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/596.html


58. 2013年8月15日 20:01:17 : W18zBTaIM6
中国の田舎では何処に誰が住んでいるかみんな知ってるから、被害者数くらい簡単にわかるのさ。

調査の進展と共に中国は発表する被害者数を増やして来ている

最新のが一番正確なのさ


59. 2013年8月16日 02:33:32 : sUpHQ8Q75g
>>58. 2013年8月15日 20:01:17 : W18zBTaIM6
> 中国の田舎では何処に誰が住んでいるかみんな知ってるから、被害者数くらい簡単にわかるのさ。

おまいは『戸籍と対応させて精密に被害者数を算出』と書いてるが
一転して行政書類じゃなく個々人へのヒアリング調査かよw
おまいのコメント転記しといてやるがどうやって整合性とるつもりよw

↓転機開始
>>10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
> 欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。
>>55. 2013年8月15日 16:59:21 : W18zBTaIM6
> 中国では南京事件当時の被害者を戸籍と対応させてかなり精密に被害者数を算出していると聞いた事がある。
↑転機終了

>調査の進展と共に中国は発表する被害者数を増やして来ている

最初から事実と大きく乖離した捏造された数字って気付いて欲しかったんだろw
逃亡中の犯罪者が早く捕まって楽になりたいって心理に似てるなw

>最新のが一番正確なのさ

いつまでも当時の住人が正確な記憶を保持したままそこに住み続けてるってか?

南京事件に関しては時間の経過と共に誇張が激しくなっとるが
中国側から出てきた数字は最初から最初まで一貫して捏造
まぁ馬賊の成れの果ての中共政府に良心や公平性を求めても仕方ないがなw

W18zBTaIM6は基地外で全部妄想つうことで決着か


60. 2013年8月16日 07:28:13 : W18zBTaIM6
俺は昔どこかで読んだ事を書いてるだけさ

細部まで覚えて無いから表現が違う事もある

しかし本質は変わらない


61. 2013年8月16日 07:34:06 : W18zBTaIM6
事件直後に行われた欧米人の調査では

上海デルタ地域で30万人虐殺


日本外務省も30万人虐殺を世界中に打電した電報を傍受して、広田弘毅が昭和天皇に即時虐殺中止を申し入れたが、昭和天皇に断られている。


62. 2013年8月16日 07:53:17 : sUpHQ8Q75g
>>60. 2013年8月16日 07:28:13 : W18zBTaIM6
>>61. 2013年8月16日 07:34:06 : W18zBTaIM6

脊髄反射的に出てくる嘘は米青ネ申のビョーキ
反日教育による洗脳も米青ネ申禾斗の領域
いつも通ってる米青ネ申禾斗のセンセーに相談して入院させてもらえ


63. 2013年8月16日 11:07:04 : W18zBTaIM6
おまいが基本的な事を何も知らないだけ

南京での虐殺命令は昭和天皇から浅香宮を通して直接日本軍に伝えられたのさ

松井石根はお飾りでツンボ桟敷だったのは有名な話

すべて昭和天皇が主導したんだな


64. 2013年8月16日 18:32:11 : dfWm7ODklg
>>63
ああ、基本的な事をご存じないようですが、蒋介石が唐生智を通して中国軍に「日本軍の仕業に見せ付けるため虐殺を行え。死人は多ければ多いほどいい」と命令したのが30万人以上の命を奪った南京大虐殺の真相で、日本軍は誰一人殺していないのに欧米の反日ジャーナリストがデマをばらまいた というのは有名な話ですよ(棒)

65. 2013年8月16日 19:52:59 : sUpHQ8Q75g
>>63. 2013年8月16日 11:07:04 : W18zBTaIM6

基本的なことを何も知らず嘘と妄想を肥大化させてるのは おまい の方なw

客観的証拠を一つも提示できないし
矛盾点を指摘されると
嘘の上塗りか論点ずらしに終始

まぁ米青ネ申病的嘘吐きの典型的なパターンだが
米青ネ申病患者だから嘘を吐きまくっても許されるつうもんじゃない
米青ネ申病院の中じゃ大目に見てもらえるだろうがw
病院から一歩外へ出た途端
嘘はどんなに糊塗しても嘘のままなんだぜw
知らなかったようだなw


66. 2013年8月16日 21:24:14 : W18zBTaIM6

こういう関係者の証言が沢山あるからね:

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


67. 2013年8月17日 01:30:02 : sUpHQ8Q75g
>>66. 2013年8月16日 21:24:14 : W18zBTaIM6

嘘やめますか
人間やめますか


68. 2013年8月17日 04:24:52 : W18zBTaIM6
松井石根自体が皇族の虐殺命令に憤慨してたんだから仕方ないだろ

69. 2013年8月17日 04:26:40 : 5jNL3B6LkM
>>66
>8月15日にテレビ朝日系列で放送された、『ニュースステーション』の特集『南京戦元兵士
>102人の証言』において仮名を鬼頭久二(76)と称する男性が出演し、60年以上前の南京で
>の様子を証言した。

> しかし、年齢を計算すると鬼頭氏は当時11才であったことになり、各所で物議を醸している。

放送された内容に総ツッコミを受けた直後の第二版では「当時21歳だった」に訂正されてるらしいですが、仮名・匿名で裏も取れない、そもそも証言が嘘まみれの「南京戦・元兵士102人の証言」は単なる「ブサヨ婆さんが南京大虐殺の妄想で承認欲求を発散したオナニー本」でしかありませんよ。果たして仮名・鬼頭久二は実在したのでしょうか。実在したとして、番組に出演したのは証言した「仮名・鬼頭久二」と同一人物だったのでしょうか?


70. 2013年8月17日 04:32:23 : 5jNL3B6LkM
追記・後に引けないW18zBTaIM6さんとしては「バカウヨはたった1つの誤植で良心を取り戻した日本兵の皆さんの貴重な証言の価値を全否定する!少しでも理性があればやらない『木を見て森を見ない』勘違いだ!さすがバカウヨ!」と反論する事が予想されますが、やめといたほうがいいですよー

71. 2013年8月17日 07:59:02 : W18zBTaIM6
同じ様な証言はいくらでもあるから、そういう揚げ足取りは無意味だよ:

沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、
南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。
するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。

北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。 だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。

皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました


虐殺命令は浅香宮から出てるから、昭和天皇が浅香宮に電報で指示したんだろ。


72. 2013年8月17日 09:30:02 : K4wmGqMf9o
日本の軍人および関係者らががつくった帝国主義において、軍人が強権的に天皇の代理権を行使したに決まってるだろ、そんなもん。幻の大日本帝国とは軍人が威張って何でもやった日本の暗黒時代である。

だから敗戦後の軍部関係者のほとんどが自閉症みたいに当時のことを話したがらなかったんだろ。それは人間の行いは時が経過しても記憶に残り、行為の良し悪しは人間としての価値を決定的に拘束するからなんだよ。どんな人間かもひとそれぞれということなんだ。

だからこそ、人間形成に重大な因果となる思想の良し悪しは何でも良いなとと間違った考えをする訳には決していけないということだろう。凄惨を極めた当時の時代を奇跡的にも命を長らえた人々も是非そのことを一考していだたきたい。

無念にも亡くなられた人には信仰の寸志を改めることができないからです。正しい思想が充満した日本国であったなら、あのような犠牲や戦争など日本がするはずがなかったのであります。


73. 2013年8月17日 09:34:30 : W18zBTaIM6
アホに教えてやるよ。 これが真実:


御文庫といって、天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ、

それを指図ができると 東条が受けてですね やるわけです、

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作りそれを東条に渡すわけです、首相の東条は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中も。

そういうシステムで戦争が進んでいくわけです


74. 2013年8月17日 13:31:44 : OwCP9VYxYE
>>71
・昭和天皇から浅香宮を通して直接日本軍に伝えられた と言う文章がどこにもありませんが。「ゴメンナサイ、当時11歳の鬼頭さん(仮)以外の証言は見つかりませんでした、許してください話を逸らさせてください、辛いんです」と言う全面降伏宣言ですか?

そもそも、その発言のソースは?恐らく同じく「南京戦・元兵士102人の証言」なのでしょうが、その時点で証拠能力は同じく0と言う事になりますが。まあそもそも、命令書の一枚も残さずに現場レベル以上の虐殺が発生するなんてある訳ないんですがね。
>>73
それを「妄想」と言う。


75. 2013年8月17日 15:04:22 : K4wmGqMf9o
>>73. 2013年8月17日 09:34:30 : W18zBTaIM6

お前は修羅で何でもかんでも真実などと言う馬鹿中川隆だろ。

違うのか本当か答えろよ、馬鹿野郎!! 嘘の真実など阿修羅に来て貼り付けるな!

お前が貼り付けになったらどうするんだ、バカヤロ!!


76. 2013年8月17日 15:40:51 : W18zBTaIM6
>命令書の一枚も残さずに現場レベル以上の虐殺が発生するなんてある訳ないんですがね。


アウシュビッツでも命令書なんてないよ。

そんなのが有った未来永劫 殺人鬼扱いされるだろ。

南京大虐殺は組織的にやったものだから、個人の犯罪では有り得ないというのが常識。

そして松井石根がツンボ桟敷に置かれていた位だから、昭和天皇以外には命令できる人間はいないのさ。


77. 2013年8月17日 17:49:14 : OwCP9VYxYE
>>76
まずは「昭和天皇から浅香宮を通して直接日本軍に伝えられたと言ってるのは鬼頭くん(当時11歳)だけです」と確認してくださったようで嬉しいです。一つ一つ妄想をなくしていくのが真実への近道ですよ。

>アウシュビッツでも命令書なんてないよ
そりゃあアウシュビッツでガス殺された死体なんて一体も確認されてないんだから、虐殺の命令書があるわけないじゃないですか。

>南京大虐殺は組織的にやったものだから、個人の犯罪では有り得ないというのが常識。
証拠が何一つ無く、存在するのは「30万人虐殺されたってウワサを聞いた」程度の証言だけなんだから、反日プロパガンダだと判断するのが理性的態度でしょう?前の天皇陛下に罪があるというなら、証拠を持ってきて初めて訴える権利が生まれるのではないでしょうか


78. 2013年8月17日 20:57:02 : W18zBTaIM6
南京の生き残りは全員虐殺を目撃してるからね。

松井石根も虐殺を認めて、処刑される前に自分は昭和天皇と浅香宮の身代わりに死ぬんだという意味の事を言ってるしね。

日本の裁判でも南京大虐殺は歴史的事実として認定されてるしね。

悪足掻きはみっともないよ。


79. 2013年8月18日 01:06:01 : OwCP9VYxYE
>>78
そりゃ中国兵がゲリラ戦やってるただ中なんだから、処刑や不逞兵士による蛮行の1つや2つ見るでしょう。日本軍を虐殺者として裁くなら世界中の軍が虐殺者ですよ
>松井石根
「虐殺を認めた」とする資料がどこにもありませんでした、提示をお願いします。さらに連合国側の2つの意図「反日プロパガンダ・南京大虐殺を復讐裁判で事実認定する」「皇族には罪を着せない」の犠牲になったのが彼であり「身代わりに死ぬ」=「自分の犠牲が皇統を守る」と言う意味だと解するのが妥当。

ならず者に襲われたわが子を守った母親が代わりに死んだとして「あの母親は子供が悪い事をした事を知っていたから、身代わりになったんだ」なんていいます?
>日本の裁判でも南京大虐殺は歴史的事実として認定
あー、「証言者と写真の女性は別人ではないか」って疑いをかけられた人が訴えて勝訴したのを「南京大虐殺を裁判所が事実として認定した!」って主張するバカな人がたまに居ますよね。あなたの場合わざとやってるんでしょうけど。

「みっともない」「悪あがきしている」でっかいブーメランが突き刺さってますよ


80. 2013年8月18日 02:28:53 : W18zBTaIM6
>中国兵がゲリラ戦やってるただ中なんだから

便衣兵はいなかったというのが定説

ゲリラ戦やったのは八路軍だけだ


何れにしろ世界の歴史学会で疑う研究者が一人もいない南京虐殺をデマだと思ってるのはアホ右翼だけさ


81. 2013年8月18日 04:54:36 : sUpHQ8Q75g
>>80. 2013年8月18日 02:28:53 : W18zBTaIM6
> 便衣兵はいなかったというのが定説

おまいの主張は
客観的証拠の裏付け一切無し
っておまい自身がすでに証明済

ゲリラ戦についていえば
南京攻略戦はゲリラ戦じゃないが
南京政府軍兵士が唯一開放されてる北門から逃げる際に
民間人の服を剥ぎ取って軍服を脱ぎ捨て
民間人を偽装して脱走を計画
服を剥ぎ取ろうとした際に民間人を殺し大量の被害者を出した


まぁそんなこたぁどーでもいい
当時の戸籍を基に被害者数を算出したと主張した以上
当時の戸籍に関する資料は何か出さなきゃまずい罠w
それを免れようと論点ずらしを画策しても
論点ずらし戦法自体がバレバレなんじゃ目晦まし効果ゼロw


82. 2013年8月18日 08:46:01 : W18zBTaIM6
おまい、情報統制とか証拠隠滅という言葉を知らないだろ(呆れ)

83. 2013年8月18日 15:54:50 : 459kvsgYdA
>>82
はいはい、また根拠の提示もなく「定説」「常識」「右翼だけがおかしい」ですね。「日本の裁判所が南京大虐殺を事実として認定した」この妄想も解消されたようで嬉しく思います。「サヨク」の宣伝をあまり素直に受け取らない方がいいですよ、彼らは異常な思想が世の中に認められないのを逆恨みして反日活動してるだけですから。

>情報統制とか証拠隠滅
横から口出してすみませんが、「大虐殺を隠すために日本軍は当時の戸籍に関する資料を隠蔽しそれは現在も見つからないほど完璧なものだが、欧米人や中国は被害者と当時の戸籍を対応させて確かに30万人以上の犠牲者が居る事を明らかにしている」と言いたいのでしょうか。 頭大丈夫?


84. 2013年8月18日 16:51:52 : W18zBTaIM6
100人斬り訴訟がどうなったか知ってるだろ

85. 2013年8月18日 16:55:50 : W18zBTaIM6
こんなのも有ったな


松村俊夫は『「南京大虐殺」への大疑問』で、夏や夏と同じく南京事件の証言者である李秀英に対し、彼らが南京大虐殺の生き残りであることを否定する文章を記した。そのことにより松村は最高裁から李秀英に対し150万円の慰謝料支払いを命じられている。 夏は松村に対し、2012年7月に賠償額80万元(約511万円)の強制執行を求める訴訟を東京地裁に提訴した


86. 2013年8月18日 18:04:36 : sUpHQ8Q75g
>>82. 2013年8月18日 08:46:01 : W18zBTaIM6
> おまい、情報統制とか証拠隠滅という言葉を知らないだろ(呆れ)

おまいがやってる偽情報の流布と嘘の上塗りのことだろw

>>84. 2013年8月18日 16:51:52 : W18zBTaIM6
> 100人斬り訴訟がどうなったか知ってるだろ

バカじゃねぇの
ありゃ毎日新聞が書いたフィクションだって裁判所も認定してるだろうw
だいたい日本刀で人を切ったら歯がこぼれてすぐに切れなくなるのは常識で
親中売国奴の本多勝一でさえ『戦闘で百人も斬れるはずがない』と言っとるぞw

>>85. 2013年8月18日 16:55:50 : W18zBTaIM6

些細なことだがそんなに重要だと思うなら最高裁が何を認定したか書いてみな
中川T得意のゴマカシと論点ずらしはバレバレなんだからもう通じないってw


そんなことより
>>10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
> 欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。

『当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率』
1週間以上経ってもそのデータの断片すら提示しないつうことは
『嘘』ってことで決定だなw


87. 2013年8月18日 18:15:08 : W18zBTaIM6
日本軍が欧米人の調査した資料はすべて没収して、残ってるのは30万人虐殺を知らせた電報だけだろ。


>だいたい日本刀で人を切ったら歯がこぼれてすぐに切れなくなるのは常識で

そんな酷い日本刀は存在しないよ。

1000人斬っても大丈夫なのは有名な話だろ。


88. 2013年8月18日 18:19:38 : sUpHQ8Q75g
>>87. 2013年8月18日 18:15:08 : W18zBTaIM6
> 1000人斬っても大丈夫なのは有名な話だろ。

知能指数低杉w
   +
時代劇の見杉w


89. 2013年8月18日 19:12:33 : W18zBTaIM6

100人斬って使えなくなる刀しか持ってなかったら足軽にもなれないよ


日本刀VSピストル真剣勝負(笑)

ゴールデンウィーク最終日、普段は見ない『トリビアの泉』をボーっと見ていたら、「テレビ史上最も危険な実験 日本刀VSピストル真剣勝負の衝撃映像!!」というのをやっていた。 日本刀とピストル、どっちが強いか実験して確かめる、というのである。

その方法は、日本刀をほぼ垂直(やや刃面が上向き)に固定しておき、その刀身の中央部に向かって銃器射撃装置で水平に固定したピストルから弾を発射する、というシンプルなもの。 射撃距離は5メートル。

実験に用いた日本刀は、特別なものではない平均的な日本刀、ということで、市販価格90万円程度を目安に現代の刀工(小田九山さん)に作製してもらった新作刀。 ピストルはかつての米軍制式拳銃であり、強力な大口径拳銃の代表とも言えるコルト1911ガバメントモデル(45口径)である。

結果は……日本刀の完勝だった。 超高速カメラを用いた撮影により、日本刀の刃に命中したピストルの弾が真っ二つに切断され、泣き別れになっていくさまが克明に映し出されたのである。 日本刀には刃こぼれ一つなく、弾が当たった部分に指先大の鉛がこびりついた痕跡が残っただけだった。 この結果に納得できないアメリカの銃砲店主(実験に用いたピストルの提供者)からの要請で実験は数回繰り返されたが、結果は同じだったという。

これだけなら「日本刀は凄い!」で終わってしまうところだが、この実験には番組作成者がまったく意識していなかった重大な意味がある。 言うまでもなく、百人斬り事件との関係である。

百人斬り殺人競争を虚報と決め付け、それを突破口として南京大虐殺を否定しようとする勢力は、執拗に日本刀の脆弱さを主張してきた。 日本刀の威力などというのは伝説に過ぎず、とても百人もの人間を斬ることなどできない貧弱な代物であり、だから百人斬りなどありえない、というのである。 偽ユダヤ人イザヤ・ベンダサンこと山本七平など、自分の戦場体験からの結論だとして、一本の刀で斬れるのはせいぜい三人、と断言していた。

時速900キロで鉛の弾を撃ち込まれる衝撃に耐え、その弾を両断して傷つきもしない日本刀が、わずか三人の人間を斬っただけでダメになるものだろうか。 要するに山本七平は、戦争体験者は黙して語らず、戦場体験のない世代には確かめようもないのをいいことに、大嘘を吐いたのだ。

フジテレビ(あのフジサンケイグループの)が全国に放映してくれたこの実験は、日本刀の性能に関する否定派の嘘を文字通り一刀両断にしてしまった。

まさに快挙である。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm


日本刀の殺傷力

刀剣研究家成瀬関次氏は、戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った。氏は、実戦で使われた軍刀を修理した経験から、「研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼きつぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ」と断りつつ、「概して日本刀は強靭なものである」とその実用性を保証している。以下、氏の著書『戦ふ日本刀』からその一部を引用する。

--------------------------------------------------------------------------------

 今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。自分は、兵隊の撮影した写真で、斬撃された敵屍の折重なつてゐる所を見た事があり、5月初旬、蘭陵鎮へ行軍途中、左荘といふ部落の近くで、刀疵で倒れてゐる敵の死体十幾つかを見た事があつた。
 …
 蒙橿の天鎮城内で敵と戦った時、逃げようとすれば十分に逃げられるのに、日本軍の抜刀突撃にあつて、一たまりもなく気が挫けて了つたのか、城門際に折り重なつてひしめいてゐたので、敵が多すぎて斬るのに骨が折れたと、或る兵隊は語つてゐた。(p.25)


--------------------------------------------------------------------------------

 面白い事は、兵種、戦闘の難易、地形其の他によつて、刀の損傷に共通点のある事で、例へば文字通りに血戦した部隊の刀を手にして見ると、判で押したやうに同じ傷み場所は、柄糸の磨り切れてゐる事、鍔元がぐらつき目釘が折れてゐる事、刀身の先の方が多くは左に曲がつてゐる事、同じ刀身の先の方に刃こぼれのある事の四つの点であり…(p.36)

--------------------------------------------------------------------------------

 自分は、日本刀の鑑識者ではなく、さうした知識には浅い者である。元来、古武道の内にくるめて、武用的方面から日本刀を見て来たのであるが、弾雨下の一線に従軍して、さうした所でなくては見られない血と泥≠フ破損刀を手がけ、二十数回の斬撃を目のあたりに見て、戦場で使ふ日本刀は、かうしたものでなくてはならぬといふ、本当の業物の姿をとらへて来たのである。(p.37)

--------------------------------------------------------------------------------

 斯様な事を述べると、一見斯道の異端者とも見えるだらうが、実際にあたつて見て、元来から物打に二分からの刃ギレのあつた刀で、敵十五六人も斬つて何ともならず、却つて他の部分に刃こぼれの出来てゐたものも見、切先が蛇の口(口を閉ぢたる)のやうな刀で七名から斬つたのも、他に疵はついても、その部分は何ともなつてゐなかつた。
 概して日本刀は強靭なものである。ただ、研ぎべりのした、刀身のへなへなと薄い刀、焼け身、中心を焼つぎにしたもの、洋鉄を延して焼きを入れただけの昭和刀、手に合はぬ直刀等は、避けねばならぬ。
 刀身の選定については、ただ名のある人といふよりも、刀の売買に関係のない、軍人などの鑑定家とか、実戦に経験のある人に見てもらふのが第一である。(p.40)

--------------------------------------------------------------------------------

 今、全国に残つてゐる昔鍛の日本刀はどの位あるか。推定四百万振といふのである。
 …
 右の内の約六七割までは、新刀新々刀とはるる刀であつて、大阪夏冬の陣前後から以降の作刀である。徳川時代から、明治大正にかけては、大量の日本刀を戦陣に於て試みるやうな機会はなかつた。
 日清日露の両役にしても、今次の事変に比較して見ると、物の数でもなく、彼の天草の乱、戊辰戦争、西南の役にしてからが、量的にはさう大したものでは無かつた。
 …
 今次の事変では、…一面恐ろしい器械化戦が行はるると共に、他面一騎打の原始戦が盛んに行はれ、戦風は一部元亀天正に逆戻りしたかのやうなところさへある。その上、未曾有の廣い戦線で混戦的に戦ひつつあるのと、昭和九年来日本刀そのままでの使用が、事実上復活となり、戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。(p.41-42)

--------------------------------------------------------------------------------

 八木工兵中尉(此の人は静岡県相良町の名望家で、徐州戦当時筆者は共にその北部戦線に居た。)最近中支奥地からのお便りの中に、

……あつけない程脆く首が落ちた。昔からぬれ手拭いをはたく様な音がすると云はれてゐるが、まさにその通りでハツフツといつたとたんに四尺もすつ飛んで一声もない。(中略)この一戦で非常に大なる信念を得た。自分の刀で敵を斬り、その刀に信頼を持つた時から、武術が生きてくる。つまり刀も武術の内だ。云云。
 中尉の佩刀は、大阪石堂康廣の若銘安廣で、二尺三寸余、自分には見覚えのある刀である。(p.57-58)


--------------------------------------------------------------------------------

 或る暑い日であつた。開封城内の修理班へ時目といふ変つた姓の少尉が自身刀を持つて修理にやつて来た。…無銘古刀の武家伝来らしいよい刀を持つてゐた。それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐州戦で十人、都合四十七人を手にかけ、縛り首は一つも斬らなかつたといふ。
 …
 刀を見ると、血糊で白くなつてゐる。性質のよい古刀で骨ごと斬ると、必ず刃まくれの出来るのは一つの定則であるが、中央から上、物打下にそれも型の如くに出来て居り、刃こぼれも三ヵ所、刀全体がジツトリしてゐた。(p.77)

--------------------------------------------------------------------------------

…陣中では、修理に出てくる刀の十振が十振いづれにも目釘の故障がある。それを一本一本竹を割つて削つてゐたのでは、徒に時間がかかつて急場の間に合わない。竹箸だと一寸削つて切つただけで用に立つ。しかも、何処の竹だか非常に堅くて、なかなか折れさうにもない。これは天が与へてくれたものと、自分はいまでもさう信じてゐる程である。
 …
 それから、最初自分の見込みでは、軍刀の故障は、刀身が六分外装が四分といふ考へで行つたところが、全くの反対であつて、殊に柄の故障の多かつたのは屡々発表したところであるが、それが為め早くも材料がなくなつてしまつた。(p.126-127)

--------------------------------------------------------------------------------

 さすがに第一線の戦闘部隊だ。一寸見ただけで其の損傷状態がまるでちがつてゐる。試みに手にした一刀、何げなしに抜いて見ると、刀身は鍔元から血糊でそれが稍褐色がかり錆のやうになつてゐる。プンと臭い。目釘が折れるか飛ぶかしたと見え、生木の小枝を打ち込んである。指先でつまんで抜くと。そこから黒褐色の悪臭をもつ汁がポタリと一滴落ちた。血の腐つたやつだ。戦ひの最中に、血が刀身をつたはつて、(金+祖)のすき間から柄の中に入り、それが間隙にたまつて腐つたのだ。柄木を抜いて見ると、その汁がダラダラと落ちる。
 …
 これは今度の事変ばかりでなく、日清日露から西南役維新戦争に溯つて見て、実際乱戦中に敵とわたり会つて血戦した事実は、小説や講談にあるやうにザラにあつたものでは無いらしい。殊に今度の事変などでは、いざ接戦となると敵は逃げ足となり、一人斬つて二人目に及ばんとする時は、早二間も三間も離れて居るといふやうな場合が多く、実際十人も二十人も斬つたといふやうな話は、例へば敵を城壁域内際とか袋路地のやうな所に追ひつめ、ひしめき合ひわめき合ふ処を片つ端から滅多斬りにした時などの事で、さうした将兵の血刀を手にし、状況を聞いて見るに、四五人斬つたかと思ふ頃、多くの場合血がぬるぬると柄に伝はつて来る。斯様な時に、昔の柄巻の有難さが本当にわかるもので、殊に小倉木綿をそのままたたんで巻いたのなどは、手がすべらなくてよい。(p.153-154)

成瀬関次 『戦ふ日本刀』 実業之日本社 昭和15年

(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』にも一部引用あり)

--------------------------------------------------------------------------------

成瀬氏が指摘しているとおり、日中戦争では将校はもちろん下士官までが日本刀を戦地に持参した。彼らが、持参した日本刀の切れ味を試してみたくなったであろうことは想像に難くない。そしてそれを試すための最も容易な手段は、抵抗することのできない捕虜や住民を使った据え物斬りだった。これほど大量の日本刀が人間相手に実際に使われ、膨大な量の生き血を吸ったのは、有史以来このときだけなのである。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm


90. 2013年8月19日 02:00:41 : FOArXv8ZJo
>>85
それが>>79で話題に出した「これを根拠に 日本の裁判所が南京大虐殺を事実認定した と主張するバカが居る」判例でしょうが。フィルムに映っている女性と証言者が別人だと言う合理的な証拠は無い、って話がなぜ「日本軍は組織的に30万人以上の民間人を虐殺した」と認めた事になるんですか?この質問からも逃げるでしょうけど、一応聞いておきますね
>>87
>日本軍が欧米人の調査した資料はすべて没収して、残ってるのは30万人虐殺を知らせた電報だけだろ。
それはおかしい、あなたは>>55
>中国では南京事件当時の被害者を戸籍と対応させてかなり精密に被害者数を算出していると聞いた事がある。
と仰っている。現在の中国が戸籍と対応させて被害者数を精密に算出できると言うのが本当であれば、調査が出来るだけの資料が没収されずに中国に残っていると言う事。30万人虐殺の証拠を隠滅したいのなら、そんな資料を中国側に残す訳がないでしょう。感情任せにギャーギャー騒いで「悪」を叩いてれば同じようなバカに褒めてもらえる阿修羅式「議論」に甘えてるから、そうやって次々ボロが出るんですよ。

91. 2013年8月19日 02:17:38 : FOArXv8ZJo
百人斬りについては第三者なんで簡潔に意見を述べますが、「人体は硬い上に脂と血の塊であり、百人斬る間にまともな刃物としての役割を果たさなくなるのは間違いない」って事と「日本の裁判所も『戦闘で百人斬ったと言う記事ははなはだ疑わしい』と判断している」事から、戦意高揚のための新聞の創作に利用された日本兵が、戦後に新聞が戦争を煽ったその口を拭うための犠牲になった、と言うのが妥当な判断だと思うのですよ。大体>>89の証言にしたって「自称三十七人斬り」の刀がガタガタになってるって証言があるし、血と脂にまみれた鉄棒でさらに70人近く殴り倒したんですかねえ?

92. 2013年8月19日 07:32:58 : W18zBTaIM6
>現在の中国が戸籍と対応させて被害者数を精密に算出できると言うのが本当であれば、調査が出来るだけの資料が没収されずに中国に残っていると言う事


事件当時 欧米人が行った被害調査の資料は日本軍に没収されて証拠隠滅の為焼却された。

現在の中国の資料は戦後行われたもので全く別さ。


百人斬りについては据え物斬りと言って、近所で捕まえた農民を正座させて首を切っただけだ。

据え物斬り体験者の証言

鵜野晋太郎氏は、旧陸軍第39師団232連隊第2大隊情報将校として自ら40名以上もの中国人を、主に日本刀(「備州長船祐定」および昭和新刀「助川貞光」)を用いて虐殺した体験者であり、中華人民共和国における戦犯裁判において、大尉以下の800名の中ではただ一人重刑判決を受けた。 以下、氏の告白手記『日本刀怨恨譜』(本多勝一編『ペンの陰謀』収録)から引用する。 (小見出しは高橋による。)

--------------------------------------------------------------------------------

1942年5月、最初の斬首体験

 竹薮を背に、私は半身に構えて農民の左後方に立った。 彼の瞼は腫れ、口からは血が流れていた。 祐定を抜くと、一五人許りの日本兵のざわめきが消えた。 ……苦し気な農民の息づかいだけが聞こえる。 刀を構える直前、農民の斬撃点である後首を見て、一瞬当惑した。 斜め下に見るそれは僅かに二センチ位にしか見えない。 沙陽鎮の立木とは雲泥の相違である。 外れると後頭部か肩を横一文字に斬ることになり、その瞬間、将校としての威信失墜必至である。 而も初体験であり、成功の保証はない。 ……二秒、三秒、グッと刀を振り上げた。――

「エイッ!」

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、九分通り斬れた首が胸に巻きこむように倒れた。 斬った瞬間真っ赤な血が噴水のように三、四本吹きあがり、胴体は血溜りの中にのめりこんだ。 自分自身が下手人であり、それこそ万死に値する罪を犯したのに、逆に私はホッとした心境で刀の血糊を拭いた。

御稜威≠フ下(天皇の威光の下)赫々たる「戦果」に酔っていた皇軍の一つの側面は、明らかにその底流で敗戦の要素が比重を高め、進行しつつあったことである。 だが、私はそんなことなど露知らず、勝手な総括をしていた。――

一、祐定は切味と重さのバランスがよく、うまく斬れた。 刃こぼれや目釘損傷なし。

二、日本刀は無抵抗の人間(奮戦したが刀折れ矢尽きて不幸にして逮捕された捕虜)の「据え物斬り」には最適である。 つまり小銃拳銃の如きでは射撃音響が大きくて殺人現場が喧騒となり、まかり間違えば友軍(味方)を殺傷することもある。 その点日本刀は軽便にして殺傷力大で、殺人現場は概して静粛に保たれ、日本刀使用者の技量のかなり低い者でも十分成果が期待し得る。 従って刃がしっかりし、折れ・曲りの顧慮少ない刀の場合は、一挙に五名乃至十名の連続斬首は十分可能と思われる。 但し「警備地区内」での殺人は予め穴を掘り、斬首後直ちに埋没の準備をしないと、最大の欠点たる大量の流血のために「刑場汚染」となり、具合悪く、注意を要する。

三、但し白兵戦闘の場合はその刃渡り(刃部の長さ)はとても着剣小銃に対抗できず、而も軍刀として外装したものは重くて成果は期待し得ず、従って単に将校の単独軍装として兵を指揮する場合のサーベル的役割を果たせる程度のものに過ぎない。

1944年、民間人9人の連続斬首

 私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れてくるりと剣背(嶺、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。

ドスッ≠ニ鈍い手応えと同時に、噴水の如く二、三本と吹き出す血。 村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。 凄愴、無残。ただよう血の匂い。 ……つづいて私は次の四十がらみの村幹部の後方に廻った。

(先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな?)

 目釘は異常ないが、刀身はわずかに曲りが出たようだ。
(大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ)

 次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。
(失敗だ!落ち着け!)

 私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。

「おい!警戒兵、そこの水桶を持ってこい!」

 私はひったくるようにして水桶の水で刀の血糊を拭いた後、タオルを刀身に巻いて切先から四○センチの所に膝をあてがい、右に約五度曲がったのを両手でぐいと元にもどしたが、僅かな曲りは残った。
(エイッ、あとの五人を殺らなくちゃ)

 そのとき、聞き覚えのある不気味な歌――「抗日歌」を、5人が涙を流して斉唱し始めた。低く怒りの気概が迫る。

「止めろ!止めないか!よーし、斬ってやる」

 だが不安がふとよぎった。 ――(貞光の目釘はかなり緩んどる。これ以上緩めば刀は使えないぞ。でも父の祐定に取り替えて使うべきではない。勿論郭劉湾で一度血を吸わせたが、父の魂として祐定は一旦緩急の決戦の秋まで静かに保管した方がよいと決心して来たではないか。この母の魂たる貞光は昭和新刀だが、据え物でもこんなに曲るとは思わなかった。しかしここで父の祐定に取り替えては母の貞光を汚すことになる。……そうだ!母のためにも断じて貞光で斬ろう!)

 そのとき五人の斉唱は止んでいたが、悲痛な泣き声は続いていた。 私は一段と凶暴に刀をふるって斬った。 目釘は更に彎曲して緩み、顎元がガタガタになって来た上、再び刀身の四○センチまでが右五度に曲った。 そのために二人斬首して曲りを直し、また二人斬っては直して、ようやく最後の九人目の首を斬り落とした。 首を完全に落としたのは一番目と九番目だけであった。

 血の匂いはしばらく消えなかった。 鉄柵の中の捕虜の集団は、涙を拭おうともせず立ちすくんでいた。

 この蛮行は勿論私の独断専行であったが、情報主任の権限として何等越権ではなく、寧ろ「天皇の軍隊」への反抗に対する統帥権の当然の発動とさえ思っていた。 事実、翌朝、連隊長山田正吉大佐(陸士二九期)に情報・捕虜関係事項の報告の後この問題を詳細報告したところ、「ウン、馬鹿に派手にやったな……」と苦笑いしただけで、何のお咎めもなかったのである。

「百人斬り競争」に対する鵜野氏の感想

昭和十二年十一月 ― 十二月の日本の新聞は、連日南京へ進撃する皇軍のニュースで埋まっていた。 とりわけ私の関心は、野田・向井両少尉の百人斬り競争であった。 今日は何人目と報ぜられる記事は何者にもまして素晴らしく、一八歳の私の胸は皇国の無敵ぶりへの確信を一段と高めたものである。

当時私は幼稚な「天下無敵大和魂武勇伝」を盲信していたので、百人斬りはすべて「壮烈鬼神も避く肉弾戦」(当時の従軍記者の好きなタイトルである)で斬ったものと思っていたが、前述の私の体験的確信から類推して、別の意味でこれは可能なことだ――と言うよりもむしろ容易なことであったに違いない。 しかもいわゆる警備地区での斬首殺害の場合、穴を掘り埋没しても野犬が食いあさると言う面倒があるが、進撃中の作戦地区ではまさに「斬り捨てご免」で、立ち小便勝手放題にも似た「気まま(イ盡)な殺人」を両少尉が「満喫」したであろうことは容易に首肯ける。

ただ注意すべきは目釘と刀身の曲りだが、それもそう大したことではなかったのだろう。 また百人斬りの「話題の主」とあっては、進撃途上で比隣部隊から「どうぞ、どうぞ」と捕虜の提供を存分に受けたことも類推できようと言うものだ。 要するに「据え物百人斬り競争」が正式名称になるべきである。 尚彼等のどちらかが凱旋後故郷で講演した中に「戦闘中に斬ったのは三人で他は捕えたのを斬った云々」とあることからもはっきりしている。

その戦闘中の三人も本当に白兵で斬ったのか真偽のほどはきわめて疑わしくなる。 何れにせよ、こんなにはっきりしていることを「ああでもない、こうでもない」と言うこと自体馬鹿げた話だ。 私を含めて何百何千もの野田・向井がいて、それは日中50年戦争――とりわけ「支那事変」の時点での無敵皇軍≠フ極めてありふれた現象に過ぎなかったのである。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/uno.htm


93. 2013年8月19日 18:15:36 : sUpHQ8Q75g
>>89. 2013年8月18日 19:12:33 : W18zBTaIM6
>>92. 2013年8月19日 07:32:58 : W18zBTaIM6

論点ずらしも効かないとみるやログ流しかよ
アラシ認定されてアク禁くらうはずだ罠w


中川隆 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/834.html
『今後は他の人が立てたスレには一切コメントしない事にしますから、コメント書き込み禁止を解除して頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。』

って管理人に頭下げてコメント禁止解除してもらったんじゃないのか?
嘘吐きのハードルが低杉w


94. 2013年8月19日 18:27:49 : W18zBTaIM6
遂に反論できなくなったかwwwww

小沢信者は右翼のクルクルパーばかりだというのが良くわかった


95. 2013年8月19日 20:33:35 : FOArXv8ZJo
>>92
>>10. 2013年8月10日 08:13:08 : W18zBTaIM6
> 欧米人が虐殺直後に調査して30万人殺害と概算した方法は、当時の戸籍を元にした地域毎の人口と各地域で生き残った人の比率から出していると思う。
>現在の中国の資料は戦後行われたもので全く別
欧米人の調査資料を日本軍が取り上げて虐殺を隠滅したなら、調査の元になった当時の戸籍を残しとく訳ないでしょうが。しかしあなたは、中国は戦後に、被害者を戸籍と対応させてかなり精密に被害者数を算出している と主張しています。つまり「南京大虐殺など存在しない、日本軍には後ろ暗い事など無かった。当時の欧米の反日ジャーナリズムと中国の政治的理由で捏造され、野蛮な復讐裁判で事実認定された大嘘が南京大虐殺だ」と言う結論が、あなたの今までのごまかし・一瞬でバレる嘘・言い逃れによってよりハッキリしましたね。

>百人斬り
百人斬りを報じた新聞記事が捏造・創作だと言う見解は一致していますね。これを根拠に尊い人命が奪われたのだから、全くとんでもない話です


96. 2013年8月19日 20:55:27 : W18zBTaIM6

おまい完全なアホだ


>調査の元になった当時の戸籍を残しとく訳ないでしょうが

表現が confusing だったけど、中国では戦後、徹底した聞き取り調査をして、どの地域の誰が居なくなったかを記録に残してるよ。


>百人斬りを報じた新聞記事が捏造・創作だと言う見解は一致していますね

裁判官は百人斬りが事実だと認定している、


97. 2013年8月19日 21:21:26 : sUpHQ8Q75g
>>94. 2013年8月19日 18:27:49 : W18zBTaIM6
> 遂に反論できなくなったかwwwww

完全に逝っとるなw
反論できなくなってアラシ行為に走ってるのはおまい
なwww


>>96. 2013年8月19日 20:55:27 : W18zBTaIM6
> 表現が confusing だったけど、中国では戦後、徹底した聞き取り調査をして、どの地域の誰が居なくなったかを記録に残してるよ。

おまいのオツムの中はconfusingどころじゃない超絶chaos
嘘が充満しとる
『もうゴマカシはうんざり』


98. 2013年8月19日 22:02:38 : W18zBTaIM6
俺は昔読んだ事を書いてるだけさ

99. 2013年8月20日 03:11:26 : sUpHQ8Q75g
>>98. 2013年8月19日 22:02:38 : W18zBTaIM6
> 俺は昔読んだ事を書いてるだけさ

中川隆のオツムの中では定説化してることを書いてるだけでアラシが目的じゃない
って管理人にアピールしてるつもりかw

1週間経っても客観的な証拠は何も提示できず
追求されると論点ずらしで逃げを図り
逃げ切れそうもないとみると虚偽に満ちた長文を貼り付けてスレ流し
れっきとしたアラシ行為w

“一切コメントしない”って自ら宣言してるのにここでスレ流しするつうことは
南京事件に詳しくない人達に知られちゃ困ることが書いてあるの鴨なw


100. 2013年8月20日 03:58:21 : FOArXv8ZJo
>>96
>戦後、徹底した聞き取り調査をして、どの地域の誰が居なくなったかを記録に残してる
人が居なくなる原因が、当時一体いくつあったと思ってるんですか?「あそこでは何人居なくなったという証言がある、あそこは何人だから…30万人以上いなくなってる、もちろん全て日本軍に虐殺されたんだ!」とか、「中国政府は全員キチガイ」と主張してるのと同レベル。
>>98
それはご愁傷様、今日までずーっと騙されてきたのですね。まあ、昔読んだ事を書いてるだけにしては随分熱心ですけどね。まるで、自信満々に出した主張の矛盾・妄想・勘違いを突きつけられて引っ込みがつかなくなったバカサヨみたいに一生懸命。

101. 2013年8月20日 13:56:39 : W18zBTaIM6

ここは歴史学会の定説を根拠も無しに否定するクルクルパーしかいないな。

102. 2013年8月20日 23:35:22 : kM9xLRhFxE
>>101
散々否定する根拠を突きつけられて反論出来なくなる度に論点をずらして逃げ回り、逃げた先でもあっという間に追い詰められて、を繰り返した挙句に言い出しす負け惜しみがそれですかい。次に南京大捏造の話題に参加するなら、再び無知を晒さないよう、せめてマトモな本の1冊でも読んでからの参加をオススメします。それでは、お大事に。

103. 2013年8月21日 04:30:59 : sUpHQ8Q75g
>>101. 2013年8月20日 13:56:39 : W18zBTaIM6

歴史学会の定説を根拠も無しに否定するクルクルパー=おまい

客観的事実から目を背けて生きるのはおまいの自由だが
嘘まみれのコメントは迷惑千万


104. 2013年8月21日 22:40:02 : W18zBTaIM6
アホがまだ言ってるのか

これが客観的事実だろ:

南京大虐殺証拠集http://www.geocities.jp/kk_nanking/


105. 2013年8月22日 05:46:01 : sUpHQ8Q75g
>>104. 2013年8月21日 22:40:02 : W18zBTaIM6

おまいには『客観的事実』の意味すら判っとらん
脳に深刻な障害があるのか
別の目的のために基地外を演じてるのかは知らんが

おまいが投稿を許されてるのはリバイバル板だけで
管理人にそれを申し出たのはおまい自身だし
管理人は条件付でアク禁解除したんだろ?
勝手に隔離病棟から出てきて嘘と妄想振り撒くりじゃまずいよなw


中川隆 2013年8月21日 23:32:02 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ペンネーム入りでコメントした証拠も残っており
偶然IPが被ったつう言い訳は成立せん罠w


106. 2013年8月22日 12:25:23 : W18zBTaIM6
悔しかったら南京大虐殺はなかったと学会発表しろよ

107. 2013年8月22日 13:40:12 : W18zBTaIM6

裁判の判決書でも歴史書の記事でもすべて目撃証言だけで組み立てられているのさ。

アホ右翼が想定している『客観的事実』なんか実際には存在しないし、研究者は誰も問題にもしていない。


108. 2013年8月22日 21:41:38 : sUpHQ8Q75g
>>106. 2013年8月22日 12:25:23 : W18zBTaIM6

悔しいとか悔しくないとかの前に学会人じゃねぇしw
阿呆か

売国奴朝卑新聞本多勝一らの策謀により政治的にはこじれちまったが
南京大虐殺の虚構性は常識人の間ではとうに確定済み
洗脳から開放されて南京大虐殺の虚構に気付く人達がどんどん増えてるんで
悔しいどころかとても嬉しいwww

だが東京大虐殺はれっきとした事実
だから半日で10万人が焼き殺されたことは60年経っても変更なし
事実とはそういうもの


>>107. 2013年8月22日 13:40:12 : W18zBTaIM6
> 裁判の判決書でも歴史書の記事でもすべて目撃証言だけで組み立てられているのさ。

あら?戸籍も元にどうとかぬかしてた間抜けがいただろ?
確かIDはW18zBTaIM6だったなw

> アホ右翼が想定している『客観的事実』なんか実際には存在しないし、研究者は誰も問題にもしていない。

おまいにとって『客観的事実』はただ不都合なだけw
客観的証拠の裏付け無しには人々を騙し続けることはできない
いつかは必ずバレる
残念だったなw


109. 2013年8月22日 22:49:50 : qCDSjKN9kQ
被害者側・加害者側の双方に多数ある証言・記録が「客観的」でないなどと言ってみたところで、それらが噓や捏造だという根拠には全くならないのだが、sUpHQ8Q75g のようなバカウヨの残念な脳味噌では一生理解できないのだろう。
ま、いくらバカウヨが匿名落書きで粋がろうと、南京大虐殺についての歴史学の定説を含む、世界の認識は微動だにしないからどうでもいいが。

110. 2013年8月23日 00:34:37 : sUpHQ8Q75g
> 109. 2013年8月22日 22:49:50 : qCDSjKN9kQ

捨てIDで捨て台詞とは
悔しいのぉ悔しいのぉwww

嘘や捏造に手を染めなきゃ済むだけの話なんだが
精神が侵されてる香具師は嘘のハードルが驚くほど低く
息を吐くように嘘を吐いちまう

実はおまいが最高に悔しがってるのはそういう自分自身の姿だろw
自傷行為はほどほどに
自慰行為はリバイバル板だけにしとけよ


111. 2015年7月02日 01:58:43 : J1mrqufw1c

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130809-00000017-pseven-cn
SAPIO 2013年8月号

削除されてます。コミンテルン日本支部がやったの?

ーーーーーーーーー

保守速報
http://hosyusokuhou.jp/archives/34972823.html

【貴重写真】『南京大虐殺』は捏造だった!…南京の本当の写真

2013年12月18日06:35 | カテゴリ:画像 管理人おすすめ

123:名無しさん@13周年:2013/12/03(火) 18:38:51.68 ID:a3WwuDBQ0
「南京大虐殺」は捏造だった

中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。

<証拠写真の数々>
<略>

36. 名無しさん@ほしゅそく 2013年12月18日 07:13 ID:Sbjhl6B50 このコメントへ返信

●こういう状況がシナ共産には極めて不都合で、日本が進駐し平和回復した地域に対し、なんと同国人を襲撃、殺害、虐殺、目せしめのため公然と生きたまま、人体解剖をおこないそれを食わせた。

●テロ、恐怖でシナ共産は支配を拡大し、自らの行為を日本兵の仕業として、ユダヤのウソつき通信社をフル動員し世界に日本の非を宣伝し、米の世論をひっくり返し、排日移民法を成立させ、シナユダヤ(共産)の謀略工作によりユダヤの奴隷を使い日本に軍事攻撃(シナ兵に便衣したアメリカ兵(フライングタイガース))をさせ、シナの挑発に乗った低能(自称天才)日本軍指揮官たちは自分らが嵌められているのも気づかず長期戦に引きずり込まれ(戦争は終わらせるのが難しい)、ユダヤの指示によるその奴隷、ルーズベルトからの事実上の宣戦布告を受ける。

シナの伝統的支配、恐怖、暴力、専制、現在に同じ。これが始まりでその帰結は恐怖以外統治する能力がないシナ共産国際テロ組織による強権軍事専制無法の軍国主義。
●日本も親中国派と呼ばれる属国運動に従事する連中がその手先として日本の中心にいる。

<略>

ーーーーーー


112. 2015年7月02日 02:18:22 : J1mrqufw1c


正しい日本の歴史


真珠湾攻撃、その真実の歴史  ~その3~

On 2013年4月29日
http://rekisi.amjt.net/?p=193



●「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった



クリックすると綺麗に見れます



援蔣ルート(画像)


●アメリカ合衆国は、日本海軍によるパールハーバー攻撃のずっと以前より、大消費地として植民地化を狙っていた支那、特に日本が支援していた満州国の利権を強奪すべく、着々と計略を実行に移していた。

●その最終段階として、国際法の『中立条約』に違反し、中国軍に2つの援蒋ルート(南部仏印とビルマ経由)を使って、イギリスと共に戦闘機・戦闘車両・重火器を含む軍事物資を大量に送り込んだばかりでなく、空軍兵士(フライング・タイガース)までをも送り込み、日本軍機と戦闘を行うなどなど、日本軍とはすでに交戦状態、戦争を起こしていたのです。


●「国際法の基本原則によれば、もし一国が、武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出しを禁止し、他の当事国に対して、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、この紛争に軍事干渉をすることになるものであり、宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」 (東京裁判 裁判官 ラダ・ビノード・パール ※国際法の世界的大家)



●「国際法」に照らしても分かるとおり、米・英両国は、日本に対して「宣戦布告をせずに戦争を仕掛けていた」のである。

●しかもこのことは、日本政府が再三にわたり注意を喚起したところであり、彼らはこの勧告をあえて退けて、敵対行為を続行していた。



●昭和20年12月、アメリカ上下院合同調査委員会で、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将は、共和党H・ファーガソン上院議員につぎのことを認めた。

●「アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライングタイガー社の社員に偽装して中国へ行き、戦闘行動に従事していた」  (『パール判事の日本無罪論』田中正明著より引用 )





フライング・タイガース


中華民国の蒋介石と(妻の)宋美齢、アメリカ陸軍のスティルウェル推将(談笑する3人の画像)

● 蔣介石夫妻は、上手にインフォメーション(広告宣伝)活動を行うことで、悪逆な日本軍により侵略されつつある中国

を見事に演出、アメリカからの支援を取り付けていた。 今の日本に最も足りない行動である。

※ 蔣介石夫妻は、キリスト教に改宗することで、キリスト教国であるアメリカ人の絶対的な仲間意識を見事に演出した。



●「第二次大戦で蒋介石総統の中国国民党軍に協力、中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜したことで知られる「フライング・タイガース」は、日米開戦半年前の1941年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット259人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と6日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。
● 同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、国防総省自体、陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、約100人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、このほど退役軍人として認められたという。(中略)

●さらに同紙は、「フライング・タイガースは大統領と米軍中枢の承認を受けている」との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(1942年)も見つかったとしている。
真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを示すものとして議論を呼びそうだ」  (読売新聞、平成3年7月8日)



中国軍に偽装した「フライング・タイガーズ」(画像)


日本爆撃計画

●実は、それだけではなく、中国空軍に偽装したアメリカ軍の爆撃機で日本本土への空襲を計画していたことまでもが、近年明らかになっています。

●昭和16年年7月23日、ルーズベルト大統領は、陸海軍長官の連名で(7月18日付)提出された合同委員会の対日攻撃計画書『JB355』にOKのサインをした。これは、10月1日までに、350機の戦闘機と150機の長距離爆撃機を中国に供与して、中国の基地から神戸、京都、大阪の三角地帯と横浜、東京地区の産業地域を爆撃する計画だったのです。表面上は中国空軍にやらせる計画でしたが、その中国空軍の中枢にいるフライング・タイガーズが実働部隊として行うことが決定されており、アメリアよりの増強要員が中国軍(蒋介石軍)に送られました。

●このJB355計画は、大統領の許可を得て進行し、順調にいけば9月末あるいは、10月には日本本土爆撃が行われるはずであった。しかし、欧州戦線が急迫し、大型爆撃機をそちらに回さなければならなくなったために、中国への供与が遅れることになり、結果として、日本本土爆撃は実施できませんでした。しかし、これはアメリカによる単なる対日戦に備えた戦争計画と言ったものではなく、中国を通じたという形ではあるが、アメリカ大統領がサインをした、アメリカ軍による、日本本土への爆撃命令なのです。





●日本への先向爆撃計画「JB-355」を承認したルーズベルト大続領のサイン入り文書

「 1941年7月23日。 了解―ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ方式を採るかについては再検討されたし。 FDR 」
『「幻」の日本爆撃計画 』(アラン・アームストロング著、塩谷紘訳) (日本経済新聞社)



●12月8日の真珠湾攻撃を、今でもアメリカ人のほとんどは、日本の卑怯な不意打ち攻撃 “sneak attack” であると信じています。日本人も、「和平への道を求めていたアメリカへ無謀な戦いを日本軍は仕掛けた」と信じ続け、いまだにNHKテレビを始めとするマスコミ各社が喧伝し続けています。

●真実は、その5ヶ月も前に、ルーズベルト大統領がアメリカ軍による日本本土への攻撃計画に対し、正式なゴーサインを出していたのです。

●日本陸軍は、支那各地に張り巡らせた情報網により、このアメリカ軍の動きをつかんでいた。故(ゆえ)に陸軍も「日米開戦やむなし」の結論に至ったものと推察できます。

●そればかりか、このJB355計画は大統領補佐官ロークリン・カリーが中心となって昭和16年初めから進めていました。5月9日にこの計画について大統領に覚書を提出したのに対し、5月15日にはルーズベルトからその具体化を進めるよう指示の書簡が送られていました。

●即ち、ルーズベルトは陸海軍からの提案を単に承認したのではなく、ずっと前からカリーを通じてこの計画を進めさせていたのです。ルーズベルト大統領は、私たち日本人が信じてきたような「平和を求めた親日家」などではなく、戦争をこよなく愛し、対日和解など全く考えていない、むしろ白人を超える能力と人格を持つ日本人を許さず、徹底的に嫌い、4つの島に閉じ込め、この世から抹殺しようとすら考えていた、

●獰猛(どうもう)極まりない「好戦的な大統領」であったと言えます。

●真実の歴史は、「アメリカの方が先に宣戦布告

をせずに、日本との戦争状態に突入した」と、客観的な資料からも断言できるのです。



太平洋の覇権を我が手に

天皇陛下による玉音放送が流れた日、アメリカ時間で8月14日、日本のポツダム宣言受諾を知ったニューヨークタイムズの社説にこうあります。

『太平洋の覇権を我が手に』という大見出しの下に、

「我々は初めてペリー以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これでアジアの市場と覇権は、わが物になったのだ」  (『裏切りの世界史』清水馨八郎著より引用 )





お勧めの書籍

新 歴史の真実 前野 徹 講談社α文庫

パール判事の日本無罪論 田中正明 小学館文庫

裏切りの世界史 清水馨八郎 祥伝社黄金文庫


お勧めのインターネット情報

正統史観年表(フライング・タイガー)

http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-134.html



ABC NEWS

http://www.youtube.com/watch?v=C1cX_Fr3qyQ (前半)

http://www.youtube.com/watch?v=2Uf_3E4pn3U (後半)



日米開戦 アメリカ最大のタブー

http://www.youtube.com/watch?v=-IVN_HVS8DY



史実を世界に発信する会

http://hassin.org/01/opinion/



No!自虐史観

http://ameblo.jp/hironk2005/day-20111210.html


「正しい日本の歴史」 (目次)

http://rekisi.amjt.net/?page_id=9


 目次 (予定) | 正しい日本の歴史 :
[…] http://rekisi.amjt.net/?p=193 […]

2013年5月4日22:53

目  次   (仮) | 正しい日本の歴史 :
[…] http://rekisi.amjt.net/?p=193 […]

2013年5月12日17:48

 目 次   (仮) | 正しい日本の歴史 :
[…] http://rekisi.amjt.net/?p=193 […]

2013年5月12日23:13

 目 次 | 正しい日本の歴史 :
[…] http://rekisi.amjt.net/?p=193 […]

2013年6月9日


113. 2015年7月02日 02:33:16 : J1mrqufw1c

援蒋ルート
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%B4%E8%92%8B%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88

援蒋ルート(えんしょうルート)は、日中戦争(支那事変)に於ける大日本帝国と中華民国の対立の際、主にアメリカ、イギリス、ソ連が中華民国を軍事援助するために用いた輸送路のことである。

(略)
ーーーーーーーーーー

正しい日本の歴史

南京大虐殺の真実 20 シビリアンコントロールの “暴走”

On 2013年9月2日
http://rekisi.amjt.net/?p=4482


シビリアン・コントロールの暴走



●実は、このとき陸軍は、満州北方に展開する強大なソ連軍に備えるべく南京占領をもって戦闘終了を強く具申していたが、昭和13年1月16日、時の総理大臣近衛文麿は、2日前に行われた天皇陛下を迎えての御前会議の結論を完全に無視、有名な内閣声明 「南京政府(蒋介石)を対手(あいて)とせず」を世界に向かって発表。

●陸軍は和睦の相手を失ってしまった。

●さらにその2日後、「対手とせず」とは 「 蔣介石を抹殺する」ことの意味であるとの解釈をわざわざ政府声明として内外に発表した。

●文民政治家達も事変拡大に走る近衛に追随し、前年の昭和12年7月7日に起こった死者ゼロの 『盧溝橋事件』 をきっかけとした小さな局地戦に対しての予算編成では、現地で停戦協定が結ばれていたにもかかわらず、( 陸軍の反対を押し切って ) 戦時予算にまで次々と上積みさせ、増税までを行い、三個師団の増派を閣議決定。

名称までも 『 北支事変 』 に改変。

同年9月10日には、早々と 『 支那事変 』 と中国全土に戦域が拡大したがごとき名称に変えていたのである。

新聞各紙も、中国戦線の拡大を目指し、事実と異なった戦意高揚の記事を連日掲載。

●陸軍としては、引くに引けない状況に追い込まれた。



私たちが学んだ歴史によると、当時人気絶頂だった 近衛首相 は、平和を希求するも気が弱く、軍によって翻弄させられた可哀そうなお公家さんであったが、彼の口癖は「軍の先手を打つ」であった。

●戦う意味 (実益) のない、いつ止めても日本の国益には影響のない支那事変 (日中戦争) は、陸軍の暴走ではなく、必死に止めようとした陸軍に対し、「 シビリアン (文民) の暴走 」 によって拡大し泥沼化させられたのである。

●私たちが学んできた歴史とは、戦後、GHQにより歴史が作られる際、日本国民の怒りを(アメリカではなく)日本人の誰かに向けるべく、陸軍と東条英機をスケープゴードとするために見事にすり替えられた、『 架空の歴史物語 』だったのである。



●その結果生まれた、現代日本の 「シビリアン・コントロール」 とは、日中戦争を真実の歴史に基づき反省していないために出てきた戯言としか考えられない。 ● 独立国家を堅持するための基本要素となる国防が、今の日本では、シビリアン・コントロールの名の元、迷走を続けているのである。



正しい歴史に基づく正しい反省をしていないが故に、「シビリアン・コントロール」 の解釈、使い方を誤り、例えるなら、「野球を見たこともやったこともない人間に巨人軍の監督をやらせ、ペナントレースを戦わせている」 状態にしているのが、今の日本の国防 (防衛大臣) なのである。

何も解っていない人間が (国家を守る重責を担う) 国防を判断する現状では、日本に防衛上、重要となる報告すらまともに理解が出来ず、ましてや有効に自衛隊を活用することなど不可能であり、独立国家としての日本を危機的な状況に陥れる。

シビリアン・コントロールの名の元、まったくもって不適格な大臣が続く我が日本では、『 国の存続の最も基本となる防衛 』 に関する状況は、役に立たないどころか害悪でしかない決定にまでにも多大な時間と労力を浪費する現状であり、本当に必要なところには予算が回らず、必要な対処を怠り、必要な防衛体制を築くことすらおぼつかないばかりか、無駄な防衛費の使い方までさせる結果を招き、結果、日本を弱体化させ、戦争の危機を増大させているのである。 

●(※ 世界常識として、人間の心理は、「強い相手とは、喧嘩をしようとは考えない」ことに、多くの日本人が(国会議員や有識者も含めて)理解できていないのも、その一つ )



●南京陥落後、蒋介石総統は九江に逃れ、街を丸ごと接収し糧食を奪ったため人々は自分の街で難民と化した。 日本陸軍は、和平を結ぶことが不可能となったため蒋介石軍を追った。

●日本軍が迫ると追撃が出来ないよう長江の堤防を切り10万人もの支那人を巻き添えで殺し、井戸にペスト菌をまいてまた逃走を図った。

●日本軍は街の人々に食料を分け、堤防を直し、井戸の水を浄化してから蒋介石の軍勢を追撃した。 日中の平和条約を踏みにじり、いつ襲ってくるか分からない蒋介石軍を 「完全に殲滅」 することで、日本人居留民(民間人)の安全を確保するしか方法がなくなり、追撃を続けたのである。

●日本軍は南寧を落とした後、蒋介石軍を抱き込んで日本軍と戦わせていたアメリカが、イギリスと共に国際法を無視し、日本からの度重なる懇請(こんせい)を黙殺、大量の武器弾薬をビルマ側から蒋介石軍に送り込むために使っていた 『援蒋ルート』 を遮断すべく、

昭和15年8月30日、国際法に則って、フランス・ヴィシ―政権との間に 「松岡−アンリ協定」 を結び、

9月23日、フランス支配下にあった仏印(現ベトナム)に進駐。

●対するアメリカは、将来の日米開戦の伏線とすべく、対処を始めた。

●国務長官のコーデル・ハルは、国際法に基づき合法的に結ばれた『日仏協定』に対して不承認声明を発した上で、

●昭和15年9月26日、「全等級の屑鉄屑鋼の対日輸出を禁止する」方針を発表したのである。

●そのおよそ1年後、対日戦争の準備が整ったことを確認したルーズベルト大統領は、

昭和16年8月1日、日本への石油輸出を禁止した。

●日本の生命線が断ち切られた瞬間である。



『援蒋ルート』の半分を輸送していた仏印ルート(画像)










  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト

 次へ  前へ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 戦争b11掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

▲上へ      ★阿修羅♪ > 戦争b11掲示板
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧