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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu292.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アメリカ人が広島長崎に原爆を落としてもキリスト教徒として良心の
呵責に苛まれないのも神に許された行為だからであると考えるからだ。
2013年7月31日 水曜日
インディアスの破壊についての簡潔な報告 ラスカサス(著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003342712
◆「インディアスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサス 岩波書店
http://library666.seesaa.net/article/108242002.html
何かの本で紹介されていて気になっていた本。会社休んで神田の古書店街をうろついていてGETしました。
コロンブスが新大陸を発見後、スペイン人が続々とおとずれ、原住民のインディオ達を虐殺しまくり、金を奪い、人々を奴隷として虐げるまさに『生き地獄』が始まる。本書はスペイン本国には届かない(隠されたいた征服行為の実態を)そういった非道の行為をスペイン国王に訴え、直ちに禁止しようと働きかける為に書かれたレポートです。
本書を書いたのはカトリックのドミニコ会の聖職者。
著者はスペイン人の侵略者と混じって現地へ布教を目的に渡ったものの、大陸で見たものは、キリスト教の福音を広めるどころか、悪魔そのものの行動で原住民のインディオを略奪、拷問、虐殺するスペイン人の同胞達。
インディオにとって、キリスト教・キリスト教徒とは、悪魔の宗教とその僕に他ならず、この世の楽園のような平和が『金』を求める侵略者に蹂躙される様を数十年に渡って見続け、あまりの理不尽さと憐れみから、インディオ達によるスペイン人の殺害さえも正義の行為と看做すなど、当時にあっては、むしろ例外的な存在だった人物だったようです。
本書を読むと、その半端ではない侵略行為の凄まじさに言葉を失います。
本来はキリスト教の福音を広める為という建前の下で植民者へ付与された権利は捻じ曲げられ、ひたすら『金』と『奴隷』獲得を目的とする侵略行為を正当化に使われます。
実際、彼らが行った結果は、数百万、数十万人のインディオが住んでいた島々を全滅させ、あるいは数十人しか生き残っていない状態にまでしました。島は荒廃し、この世の楽園は見るも無残な生き地獄と化したのです。
しかもそれを行ったスペイン人は、厳しい航海で生死の境にあった時に、無償で食料と住居を提供してくれた非常に慈悲深いインディオ達に対して、その返礼として為されたのでした。
原住民のインディオは、非常に穏健且つ従順であり、また善良であったが故に、スペイン人の求めるままに食料や金まで差し出したのですが、彼等はより多くのものを求め、効率良く『金』を集める為に、人々を虐殺したのです。
本書では彼らが為した極悪非道の所業が延々と羅列されています。現実の役に立つとは思えない道徳の教科書よりは、本書を一読することをお薦めしますね。いかほども教育効果が高いでしょう。戦争はいけないとか、正義とか、立派なお題目はさておき、『正義』は勝ち取ってこその正義であります。イエーリングの「権利のための闘争」を読むまでもありません。現実の世界に、水戸黄門や遠山の金さんはいないのです。(ランボーもいませんけどね)
『大航海時代』なんて、所詮、こんなもんです。某国が石油利権の為に堂々と侵略戦争を行って未だに撤退しないのと五十歩百歩の行動原理です。利益の為に、人は大胆且つリスクテーカーとして行動するのであって、決して善意の為ではありません(例外はあるし、否定はしませんが・・・)。人の行動は今も昔も変わりません。
正義ではなくて、強者が勝つんだなあ〜と思いました(勝てば官軍って訳です!)。欲望への執着心こそ、最強の行動原理かもしれませんね。
だからといって、正義を踏みにじって利益の為に邁進するのも私の人生哲学に反するのでできませんが、負け惜しみで綺麗事の『正義』を主張するのもいかがなものかと思います。
世界史の副読本として、こういうの読まないとねぇ〜。世界史の先生自体が世界を知らないのでは話になりませんが・・・。まあ、期待してはいけないかも?
まあ、論より証拠で本文より印象に残った部分を抜粋してみます。実はあまりにも凄過ぎてキリがないのですが・・・(後略)
(私のコメント)
昨日の続きになりますが、西尾先生の講演の中でラスカサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」という本が紹介されています。スペイン人によるアメリカにおける残虐行為を告発した報告書ですが、これは当時のヨーロッパ人の常識から見れば大罪でもなんでもなく、中世ヨーロッパという時代では野蛮行為が当然のように行なわれて、魔女狩りやリンチは娯楽だった。
西ローマ帝国が滅んだ後には、野蛮なゲルマン部族が移動してきて西欧を荒らしまわったのだから野蛮な行為が当然のように行なわれて、暗黒時代が続いた。ローマ帝国の時代にはまさに帝国であり国家があり、軍隊もあり治安も維持され裁判も行なわれていましたが、ローマ帝国が滅んだ後はゲルマンの蛮族が入り込んで、西欧は長い中世暗黒時代に入った。
西欧に文明がもたらされたのは、8世紀から15世紀まで続いたイベリア半島におけるイスラムとの戦いの時であり、ギリシャローマ文化はイスラムに引き継がれて、北アフリカからイベリアに入ってきたイスラム国家との戦いの中でゲルマンの蛮族たちは文明を受け入れていった。ゲルマンの部族たちがいかに野蛮であったかは十字軍遠征の記録を見ても分かりますが、野蛮人そのものだった。
当時は獣と人間との区別はなく、殺戮が横行して、キリスト教ローマ教会の権力は新興宗教として大きな権力となりましたが、中世のキリスト教が神の名の元に野蛮な行為を正当化する手段に使われた。免罪符や魔女狩り裁判など野蛮人そのものですが、当時のキリスト教は洗練されておらず、地動説を唱えたガリレオを宗教裁判で裁くなど、17世紀まで続いた。
しかし大航海時代になれば、天動説では大航海など出来ないから、ローマ教会も権力を失いはじめた。しかしアメリカではいまだに進化論を認めないキリスト教会があるなど、キリスト教原理主義が生き残っている。ガリレオが地動説を唱え始めたのは望遠鏡で木星とその衛星を見たからで、月を地球の衛星と見立てれば辻褄が合う。
アメリカのキリスト教がヨーロッパのキリスト教と異なるのは、アメリカには15世紀に渡って来たキリスト教が生き残っている為であり、神の名の元にインディアンを殺戮する事は正義と認められたキリスト教がまだ生き残っている為だ。スペインにはラスカサスのような良識的神父がいたが、イギリスにはラスカサスのように蛮行を告発する神父がいなかったのだろう。
むしろ南米には多くのインディオを見かけますが、USAではインディアンを見かけることはほとんどない。当初は300万人位いたというインディアンも30万人まで減ってしまったのは中南米以上に徹底した殺戮が行なわれたからだ。聖書を絶対とするキリスト教原理主義は白人のキリスト教徒のみを人間としてみなし、異教徒の殺戮は認められた。だから広島長崎に原爆を落とすなど出来たのだ。
16世紀頃のキリスト教徒がいかに野蛮であったかは、2006年1月27日の「株式日記」でも、「日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか?」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400
と題して書きましたが、秀吉や家康がキリスト教の野蛮さを排斥したのは当然であり、当時は世界各地に「日本人女性の性奴隷」が見かけられた。このように特定の宗教を批判する事は、現代の日本の学校教育やマスコミでは認められていない。
日本における政教分離は500年も前に信長によって行なわれましたが、ヨーロッパの政教分離は80年戦争や30年戦争などのように凄惨な歴史を経て政教分離が行なわれて来た。中世ヨーロッパは政治と宗教は一体であり、イベリア半島におけるキリスト教徒とイスラム教徒との戦いは8世紀から15世紀まで行なわれた。
ヨーロッパ人が文明化されたのは、イスラム人から航海術や大砲や銃などの戦闘術を学んだからであり、1453年のコンスタンティノポリス陥落はオスマントルコ軍の大砲によるものだった。しかし1683年のウィーン包囲戦では火砲が不足し、城を落とせなくなり武器も旧式化して、ヨーロッパ連合軍に敗れた。その後は敗戦に敗戦を重ねてオスマントルコ帝国は衰退した。
このようなヨーロッパ諸国の急速な近代化は、アジアとの海洋路の通商と新大陸からの金銀などの富によってもたらされて来たものであり、キリスト教も聖書がドイツ語や英語に翻訳されて布教されるようになり、野蛮なゲルマン部族も自国語の文字が読める人が多くなり、文明化が進んだ為だろう。イスラム文化を学んできたヨーロッパ人が逆にイスラムに襲い掛かって逆に封じ込められてしまった。
このような事は明治期の日本にも起きた事であり、蘭学としてオランダから世界の情報はもたらされてきましたが、社会科学用語は翻訳のしようがなく、造語による翻訳で日本語自体が大きく変化して西欧文明を受け入れられるようになった。日本はアジアで始めて西洋文明を受け入れて国家の発展に寄与してきましたが、政教分離がされていたので西洋文明は受け入れてもキリスト教国化はしなかった。
日本が近代化に成功したのに比べて、他のアジア諸国の近代化が遅れたのは、中国などもいまだに中世社会が残っている為であり、法の支配よりも人の支配の社会であり、契約や約束もなかなか守られない社会が続いている。借金は踏み倒されるし国際条約すら守られない。中世を克服する為には近代国家の建設が避けられませんが、近代国家は倫理や道徳の大切さが徹底しなければ成り立たない。
日本は終戦後、憲法まで書き換えさせられて、倫理道徳教育も軍国主義を支えたとして否定された。日本国の歴史もアメリカ占領軍によってひそかに書き換えさせられましたが、7700冊の歴史書が発禁処分され、新聞なども検閲されてNHKラジオなども「真相はこうだ」という放送が行なわれて日本人の反発を招きましたが、東京裁判による「日本が戦争犯罪国家」という汚名を一方的に着せるものであり、アメリカによる戦争犯罪は裁かれる事はない。
ラスカサスの報告書は何処まで正しいのか分かりませんが、USAによるインディアン大虐殺や黒人奴隷などの歴史は裁かれる事はない。非キリスト教徒殺害はイスラム教徒ばかりでなくユダヤ教徒にも向けられており、ナチスドイツの犯罪は現代の「ラスカサスの報告書」だろう。しかし日本には神の名のもとに人を殺めても良いと言った思想はない。
「中世におけるユダヤ人迫害」
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99nkzt2.htm#nisho
によれば、『最初の迫害は、早くもクレルモン公会議直後の1095年12月、フランスのルアンにおいて発生した。狂信的な十字軍志願者達は武器を手に取り、同市のユダヤ人をシナゴーグに詰め込んだ。そしてそこから引きずり出して性別、年齢に関係なく無差別に殺害したのである。しかしこの時、「キリスト教信仰に帰依することを同意した者は虐殺の脅威を免れ」た。』という事ですが、
ラスカサスに報告書に開かれた事は、十字軍の時代に行なわれた残虐行為の延長線上の行為であり、スペイン人ばかりでなく、北米アメリカはイギリスの流刑地であり、送り込まれたイギリスの囚人達がこれより残虐行為を行なった事は疑いがない。オーストラリアでもタスマニア人は狩の射的として撃ち殺されて絶滅した。だからアメリカ人が広島長崎に原爆を落としてもキリスト教徒として良心の呵責に苛まれないのも神に許された行為だからであると考えるからだ。キリスト教徒はそういう宗教なのだ。
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