104. 中川隆 2013年7月26日 08:18:34
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釈迦と輪廻について 初期仏教の経典には、「輪廻からの解脱」という言葉が繰り返し述べられているが、「輪廻からの解脱」というときの「輪廻」ということについて、釈迦は、一体、いかに捉えていたのだろうか? 言い方を換えれば、釈迦は「輪廻」という言葉を、実在としての意味で使っていたのか、または、それは「方便」であったのか、あるいは、「輪廻」という言葉の表現は、釈迦弟子による、後代の付加であったのだろうか? 言うまでもないが、「輪廻からの解脱」とは、古代インドにおいて、ジャイナ教やバラモン教においての「苦」や「迷い」から離れることを表わす根本的理念であり、そして、それらの教理において、「輪廻」とは、決して「方便」であるのではなく、それらは、実在的、かつ、形而上学的なことがらを示しているものであるのだろう。 しかし、その一方において、初期仏教の経典に登場する釈迦は、「無我説」や「無記説」、あるいは、後の大乗仏教で言うところの「空観」を説いたと言われている。 それらが、釈迦仏教の根本であるとすれば、釈尊が、『毒矢の譬えの経』などを一連とする、十四の形而上学的諸難問を捨て去ったとされる「無記説」と、「輪廻からの解脱」ということを言うときに、実在としての輪廻を前提としたことがらを、同じ人(釈迦)が、同一の相手に対して説いたのであるのだろうかという疑問が、ここに生じるのである。 釈迦が、同一の人に、「無記説」と「実在としての輪廻説」とを説いたするのであれば、それは明らかに矛盾であるのだろう。 それがなぜかと言えば、実在としての「輪廻」とは、人間の死後においても存在するという何らかの存在(仏教では、それはアートマンではないことになっているが、「永久不滅なるナニモノカの存在」)を前提としいるはずであり、人間の死後における、「永久不変なるナニモノカの存在」がないのなら、「輪廻説」は、あり得ないと思われるからである。 より具体的に言えば、「輪廻説」というものは、「永久不変、あるいは半永久不変なるナニモノカの存在」を前提としている、ということである。 つまり、実在としての「輪廻」の存在の主張は、十四の形而上学的難問を捨て置いた、釈迦の「無記説」とは、それらが、もし、同一の人に対して説かれたとするのであれば、明らかに両立しないものである、と考えられるのである。 そして、最も注目すべき点の一つは、悟った釈迦が、そのような矛盾するようなことを、同一の人に説くことがあり得るのだろうか、ということである。 これらのことに関して、中村元博士と奈良康明博士との対談『仏教の道を語る』の中で、両氏は、初期仏教に出てくる「輪廻」というものに関して、それは物理的な意味での輪廻を必ずしも考えなくてもよいものであり、「輪廻からの解脱」とは、悟りを開き涅槃に達すると、迷いは離れるので、再び迷いの存在には戻ることはない、というようなことを説明している。 けれども、懐疑的な視点から言えば、初期の経典に書かれている「輪廻からの解脱」の「輪廻」とは、 釈迦は、実在として言っているのか、 あるいは、 当時の、多くのバラモンたちの根本思想の手法をもって表わした言葉である、いわゆる、「方便」であるのか、 それとも、 釈迦は、悟る前まで「輪廻からの解脱」を求めていたが、最終的に到達したその手法とは、「輪廻」を含める形而上学的難問に対する執着さえも捨て置いたものであったのか、 それらのことは、初期経典そものが、複雑に編纂してあるその事実においても、最終的には、その明かなる釈迦の真意を知る方法はない。 そもそも、釈迦の仏教というものは、消去法であると言われている。ここで言う消去法とは、執着の対象を一つずつ、無くしていく、ということである。 ただ、そういうことの中で、釈迦という人は、無執着の境地に至る過程において、捨て去る対象に、「例外」を適用することを許すことができなかった、一切の妥協のない人であった、ということは、間違いなさそうである。 http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1804467.html 釈迦の待機説法について
私は、もう随分前のことであるが、初めて仏教の経典を読み始めたときに、仏教の経典には(それが同じ経典の中でさえも)、それぞれに全く矛盾するような言葉が存在することに強い違和感を感じたことを、今でも覚えている。 具体的に言えば、ある経典には、永久不滅なるアートマン(霊魂)の不死(または「来世」や「冥土」に関しても同様)や絶対者なる神の存在の有無に関しては捨て去れ、と言い、また別の経典においては、アートマンの不滅性や、どう考えても「来世」あるいは「あの世」としか捉えようのない「極楽浄土」や「仏国土」のようなものの状況の内容までもが詳細に語られている、ということである。そして、一方では、すべての存在は無常であるとも言う。(実際に、古い経典には、釈迦は、一切の現象は無常であると説いている。) 一体、何ゆえに、仏教というものは、 全く別物であるかのように見える多くの仏教が存在するのか?そして、宗派ごとに、「これこそが釈迦の直説である!」などと唱えて罵り合うことの最大の原因は、一体、どこにあるのか?最近になって、私は、それらが、一体なぜなのか、少しずつ分かり始めてきた。
私は、仏教の経典ごとに異なった言葉は、釈迦の「対機説法」というものにあると思うのである。 釈迦は、出家修行者においては、その修行のレベルに応じて、その人に合った説法を行っていた、ということである。 もちろん、在家信者や、在家の仏教徒ではない人々に関しても、その説法の内容は、決して、修行者に対して語られたものとは同じである、ということはできないだろうと、私は思うのである。 もし、釈迦が、「来世」や「アートマン(霊魂)の不滅性」を信じる一般の人たちに、そのようなものはすべて捨て去れ、などと言ったら、一体どうなっただろうか? おそらく、お釈迦さまが、そのように言ったとすれば、彼らの自我は一瞬にして壊されてしまい、泣き叫ぶ人も現れてくるだろうことは、容易に推測できると思うのである。 もちろん、釈迦の滅後、多くの考え方を持った仏教者たちが仏教に自らの理念や思考を盛り込んで、(釈迦の死後、500年以上後に)様々な経典や物語が書かれていった、と言うこともできる。 実際に、紀元後にインドで生きていたとされるナーガールジュナ(漢語で言う「龍樹」)が記したとされる『中論』の中には、仏教には「世俗諦」と「勝義諦」(真理諦)とがあり、その両方を知っておかなければならない、とも記されている。 そのことは、釈迦の「待機説法」の真の意味を知っておかなければならない、ということであるのではないのかと、私は思ってる、ということである。 http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1795001.html スッタニパータ 第二章 小なるもの 第一経 宝
222 ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも、まさしく、一切の精霊たちよ、意[こころ]楽しく有れ。しかしてまた、〔わたしの〕語るところを、謹んで聞け。 227 正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。 230 深遠なる知慧の者によって見事に示された、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を分明する者たち――たとえ、何であれ、彼らが多く怠る者たちで有るとして、彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。 http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html 増谷 文雄氏はこう書いている。「ブッダの説いたことのなかには、そのような教え(生天もしくは往生を説く思想)はまったくなかった。」『仏教概論』(『現代の仏教』第12巻所収、筑摩書房、1965、17頁)
スッタニパータには最初から此岸と彼岸,精霊という言葉が出てくるというのは,バラモン教の経典の書き方を踏襲しているという事なんですね. そして,スッタニパータを書いた目的は 善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。 というのを一般の人に納得させる事なんですね. 要するに,我々僧侶にもっと金を出せ というだけの事です. 輪廻転生や死後の世界を素朴に信じている無知蒙昧な一般人に大金を出させるには,僧侶が特別な選ばれた人間であると思わせなければならないですからね. 坊さんも水を飲んで霞を食べて生きている訳じゃないからね. ハッタリも方便 スッタニパータは釈迦の教えそのものじゃない
「法(に従って得た)財をもって母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように暮らしている在家者は、死後に『みずから光を放つ』という名の神々のもとに生まれる」(スッタニパータ・ダンミカ品1)
ダンミカ品のような生天話は、何故、いつごろ、だれによって、だれに対して説かれたのであろうか。それは仏教の主調音とどう関係するのだろうか。 1期経典2では、その対告衆(説教の相手)はすべて出家者となっており、生天話はひとつも存在しない。 2期経典3にはじめて生天話が現れる(二百余経のうち二十二経)が、そのほぼすべてが在家者に向かって説かれている。 2期経典の生天話の半ばは、その告示者をゴータマではなく、諸天子としている。この部分については弟子や民間の伝承である余地は大きい。とはいえ拘薩羅相応品の七経はじめいくつかは、ゴータマを告示者としており、そこになにほどかの歴史的事実の反映を見るのは自然であろう24。 ではゴータマは何ゆえ天界往生話を説いたのであろうか。 その一つの理由は、ゴータマが積極的に説くというよりは、相手の関心や質問に応じたためだと思われる。例えば次のようなマーガ婆羅門との問答がある。 「『・・・光輝ある人よ。どうしたならば梵天界に生まれるのでしょうか?』 師(ゴータマ)はこたえた、『マーガよ、三種より成る完全な祭祀を実行するそのような人は、施与を受けるべき人々を喜ばしめる。施しの求めに応ずる人がこのように正しく祭祀を行うならば、梵天界にうまれる、とわたくしは説く』と」25。 この例からもわかるように、天界往生は、もともと当時のバラモン教や他の宗教指導者によって、すでに説かれていたものであり、そもそも天界という概念自体が、その由来を『ヴェーダ』26に持っている。 天界に生まれることのできるものは、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの上位三階級の者に限られ、祭儀(供犠)・布施に励んだものである。とりわけ布施は重視され、後のマヌ法典には次のように明文化されている。 「人はその能力に応じて、『ヴェーダ』を知り且つ独り住めるバラモンに富を与うべし、(かくて)人は死後天界の福祉を獲得す」31。 ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。 ところで、ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。 そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう32。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである33。 このような事情のためか、生天話は多くの場合布施と結び付き、ヒンドゥー教のそれとほどんど同工異曲である。 http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/com/comp5.html 要するに僧侶にとって宗教は,職業として生活の為にやっているものなので,釈迦の本当の教えなんかどうでもいいという事かな.
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