01. 2013年7月08日 04:12:52
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JBpress>海外>Financial Times [Financial Times] エジプトの最大の問題は経済 ガソリンとパンの行列、モルシ政権下で悪化した生活苦 2013年07月08日(Mon) Financial Times (2013年7月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) エジプト・カイロにあるタハリール広場の地下鉄の看板の上で国旗を掲げる人々〔AFPBB News〕
ガソリンの行列、下落する通貨、かつて立派だった観光業の衰退は、エジプト軍によるムハンマド・モルシ大統領の追放に効果的な背景を提供した。そして、モルシ氏の後継者を待ち受ける大きな問題がどういうものかを知るヒントを与えている。 1年前にモルシ氏が大統領に選ばれてから、エジプトの慢性的な経済難は危険なほど深刻化しており、新政府は現金と構造改革、一息つける時間を是が非でも必要としている。以前より貧しく、気短になったエジプト国民は、そうした余裕を簡単に与えてくれそうにない。 7月3日に起きた異常事態の後、アドリ・マンスール氏率いる暫定政府が権威を確立しようとする中、エジプトの直近の騒乱に火を付けた不安定な政治を掌握するには、機能不全に陥った経済を蘇らせることが不可欠だ。 切っても切り離せない政治と経済 「一連の出来事には、非常に大きな経済的、政治的要因があった」。エコノミストのアシュラフ・スウェラム氏はこう言う。同氏は、元外相のアムル・ムーサ氏が昨年モルシ氏の対抗馬として立候補し敗れた大統領選で、ムーサ氏のアドバイザーを務めていた。「危機以前も政治と経済は結び付いていたし、今後もその状況は続く。この2つは切っても切れないものだ」 エジプトの経済的運命と政治的未来の絡み合いは、モルシ政権の初日から最後の日まで一貫したテーマだった。 モルシ氏にとどめを刺した先日のデモのわずか数日前、深刻なガソリン不足によって、悪名高い渋滞がカイロ市内の各地で完全な停止状態に発展した。ガソリンスタンドからは車の行列が溢れ出し、既に満杯の幹線道路の流れを止めた。 ドライバーたちは、車の中で食事の配達を注文しながら、ガソリンを入れるために何時間も待ち、ガソリンスタンドでは順番を巡って喧嘩が起きていた。 こうした騒ぎは、より幅広い経済的な怒りを映し出している。投資や観光、建設、サービス、製造業の減速が、その多くが日雇い労働者として働く、既に貧しい何百万人ものエジプト人の生活に打撃を与えているからだ。 カイロのイスタブル・アンタルのスラム街は、頻繁に停電が起き、警官もいない、道路が舗装されていない地区。ここでは、すでに苦しい生活が目に見えて悪くなっていると住民が不満を漏らしている。 建設工事を見つけるのに苦労してきている労働者のサラー・アブ・ヤサールさんは、ホスニ・ムバラク政権下の方が暮らし向きが良かったと言う。「私たちは今、ひもじい思いをするようになっている。私には7人の子供がいるのに、定職がない。建設現場でレンガを運んでいるけれど、今は誰も何も建てないんです」 ヤサールさんの近所に住む、8人の子供の母親であるソアド・サイードさんは、政府支給のパンを手に入れるために行列で長時間待つことに不満を訴えていた。配給では、1人分の割り当て――10斤――が少なすぎるため、サイードさんはすぐにまた列に戻って、もう1度待たなければならない。 「確かに、モルシ大統領の在任期間は十分でなかったけれど、人々が彼に『イエス』と言いたくなるように、国民のために何かすべきでした」 軍事クーデターで株価が急騰した理由 エジプトの株式市場は、この国の経済状態と、モルシ政権の経済運営に対する見方について多くのことを物語っていた。選挙で選ばれた政府が軍部主導で倒され、激しい暴動が起きる可能性に直面しながら、投資家はパニックせず、これを歓迎した。市場はすぐさま急騰し、主要な株価指数が5%という1日の値幅制限を超えた後、取引が停止された。 見出しを飾る経済指標は、モルシ氏が政権を握った時点で厳しいものだった。主に30年に及ぶムバラク体制の遺産のせいだった。だが、多くの場合、経済指標はモルシ氏が去った時に一段と悪化していた。失業率は13%を超え、インフレ率は8%を上回り、財政赤字は国内総生産(GDP)比13%近くまで膨らんでいた。 エジプトの外貨準備は、ムバラク政権が崩壊する直前の2011年1月時点の360億ドルから、今は160億ドルという危険なほど低い水準まで減少している。経済的重圧の重要な節目である3カ月分の輸入コストをほんの少し上回る水準だ。 カタールやトルコ、リビアからの資金投入がなければ、この数字はさらに悪くなっていただろう。格付け機関は度々エジプトと同国の銀行を格下げしており、借り入れコストを押し上げている。 外貨準備を維持するため、中央銀行は、年初からエジプトポンドの対ドル相場が約10%下落するのを容認しており、これが物価上昇の一因になっている。 最近の燃料不足は、エジプトが国内で操業する石油会社に約80億ドルの借金(未払い金)を負っているために、燃料を輸入する能力が制限され、ガソリンとディーゼルの供給で断続的なボトルネックを招いたことが一因だった。夏場には、農家が闇市場の相場で買ったディーゼルを自宅に貯め込んだ。小麦を収穫するために燃料を見つけられるかどうか定かでなかったからだ。 こうした状況はすべて、エジプトの新たな支配者が、モルシ政権時代にカタールが80億ドルの援助を投入して行ったような支援を提供できる友人を大いに必要とすることを意味している。 明らかな候補者は、モルシ氏の追放を歓迎したサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)だ。カタール自身も、新政府にも支援を提供することが政治的に賢明だと感じるかもしれない。 エジプトの新政権の正統性に関する疑問が、念願の国際通貨基金(IMF)融資を含め、世界の金融機関から資金を確保する取り組みを複雑にするかもしれないが、援助計画を何とか実現するだけの国際的支援があるかもしれない。 観光業に深刻な打撃 それよりも厄介なことは、暫定政府は任期が短いことが見込まれるうえ、エジプト国民からの信任を得ていないことだ。このことは、時間がかかったり、不人気だったりする経済改革を暫定政府が実施するのを難しくするだろう。 モルシ氏の在職期間が激動の最後を迎えた際、カイロのタハリール広場の近くに点在する観光ホテル周辺で起きていた若者と警官隊との大規模な衝突や催涙ガスの煙は、エジプトの政治危機が深刻さを増す経済危機でもあることを改めて思い出させる光景だった。 「紅海のリゾート地では、観光客の数は大きな影響を受けていないが、カイロやナイル川流域では落ち込みが非常に大きくなっている」。エジプト観光相のアドバイザーを務めるアムル・エル・エザビー氏はこう言う。「もちろん、値段は20〜30%下げなければならなかった」 By Michael Peel and Heba Saleh
イスラムと民主主義と軍:エジプトの悲劇 2013年07月08日(Mon) The Economist (英エコノミスト誌 2013年7月6日号)
ムハンマド・モルシ氏は、確かに力不足だった。だが、モルシ氏の解任は、祝うべきことではなく、悔やむべきことだ。 大統領辞任を求める大規模デモにより、ムハンマド・モルシ氏は就任1年で追放されることになった〔AFPBB News〕
ムハンマド・モルシ氏がエジプトの大統領に選ばれた1年前、本誌(英エコノミスト)は警戒の目を向けていた。 自由民主主義を熱烈に支持する本誌は、モルシ氏が所属するムスリム同胞団の「政治は宗教に従属する」という信条を好ましく思わず、イスラム主義運動に浸透している女性や少数派に対する姿勢に徹底的に反感を抱いている。 本誌としては、エジプト革命を主導した世俗主義者たちが勝った方が望ましかった。だが、52%という得票率――その5カ月後にバラク・オバマ氏が得た得票率より高い数字――により、モルシ氏が国を統治する権利を獲得したことは認めていた。 そして何よりも、30年にわたる独裁の後、エジプトが民主主義国への道を歩み始めたことを喜んでいた。 だからこそ本誌は、ここ数日間のエジプトの状況を不安視している。デモと軍という組み合わせでモルシ氏を権力の座から追放したことは、中東という地域にとって忌まわしい先例となるものだ。 現状の責任の一端を負う軍は、できるかぎり速やかに、新たな選挙に向けた取り組みを始めなければならない。そうでなければ、エジプトの先行きは暗い。 モルシ後のエジプト モルシ政権の崩壊が始まったのは、大統領就任1周年にあたる6月30日に、エジプトの各都市で市民が大挙して街頭に繰り出した時のことだった。デモは暴力に発展した。ムスリム同胞団の本部には火が放たれた。死者は48人に上った。 7月1日、軍はモルシ氏に対して、48時間以内に反対勢力との争いを解決するよう求めた。それに対してモルシ氏は、自らの権力の正当性を主張し、辞任を拒んだ。7月3日、エジプト軍の最高司令官であるアブドル・ファタ・アル・シシ国防相が憲法の一時停止を発表し、モルシ氏は軍に拘束された。 エジプトの民主主義に降りかかったこの災難の責任の大部分は、モルシ氏にある。デモの規模の大きさ――1400万人が街頭に繰り出したとする推計もある――は、モルシ氏の反対勢力が少数の不満分子ではなかったことを示している。 大統領の座を追われ、軍の施設に拘束されているとされるムハンマド・モルシ氏〔AFPBB News〕
エジプト国民の大多数が反モルシに回ったように見える。その一因は、モルシ氏の能力不足だ。 モルシ氏は、エジプト経済を迫り来る崩壊から救うための策を、何ひとつ打ち出せなかった。エジプトポンドは下落し、外貨の準備高は減少した。インフレが昂進しており、24歳未満の失業率は40%を超える。 国際通貨基金(IMF)は、エジプトへの巨額融資で合意に至る希望を失っていた。IMFの融資が合意されれば、他国からも融資を受けられる可能性があった。 夏の酷暑のなか、腹立たしいほど停電が頻発するようになった。 ガソリンスタンドには長蛇の列ができた。農家が小麦の代価を得られないことも多い。犯罪も急増した。革命以降、殺人発生率は3倍になった。 順調な時でも統治が難しい国で、これだけの失政 さらに愚かしいのは、ムスリム同胞団が初めての政権に幅広い意見を取り入れられなかったことだ。社会が二極化しているエジプトは、順調な時でも統治が難しい国だ。一般に、世俗的で高い教育を受けた人たちは、エジプトが現代的かつ多元的で、外向きな世界の一員となることを望んでいる。 一方、比較的保守的で、宗教を重視する層は、何世紀にもわたって続いた不正や格差、腐敗を解消する手段として、社会主義や資本主義ではなく、「政治的イスラム」に期待を寄せている。 さらにエジプトには、神経をとがらせている大規模な少数派のキリスト教徒(恐らく8400万人の人口の10分の1を占める)と、もっと小規模な少数派であるシーア派イスラム教徒も存在し、そのどちらもがイスラム主義の政権に動揺していた。 モルシ氏は、成熟した民主主義国家で権力監視の役割を果たす独立組織(裁判所、メディア、中立的な官公庁、軍、警察など)を構築しようとするどころか、ことあるごとに、そうした組織の力を弱めようとしてきた。投票率わずか10%の選挙で選ばれた上院(シューラー評議会)を通じて法律を制定した。 モルシ氏は、あらゆる局面で誤った選択、不適切な選択、あるいは臆病な選択をした。憲法問題で姑息な手を使い、同胞団の仲間を主要ポストに就け、大統領の仲間があらゆる手段を講じてすべての面で社会をイスラム化するつもりなのではないかという世俗派の不安を煽った。宗教的少数派が偏狭な者や暴力組織に脅され、襲われていても、大統領は口を閉ざしたままだった。 人権と民主主義を後押しする権利擁護団体で働く外国人が明らかな冤罪で追い立てられ、起訴され、有罪となる(そのほとんどは欠席裁判だった)のを黙認した。 従って、これほど多くのエジプト国民がモルシ氏を排除したいと望んだのは、全く無理のないことだ。だが、その望みが叶ったことは、結局は災厄をもたらすかもしれない。そしてそれは、エジプトだけの厄災ではない。 モルシ氏の解任は、ほかの不安定な民主主義国にとって、悪い先例となる。この先例に背中を押され、政権に不満を抱く者たちは、選挙を通じてではなく、統治を混乱させて政権を排除しようとするはずだ。 これに触発され、アラブ世界の全域で、政権に反対する者たちが、議会ではなく街頭で自らの主張を追求するようになる。そうなれば、中東地域全体で、平和と繁栄の可能性がしぼんでしまう。 また、この展開は、各地のイスラム主義者に忌まわしいメッセージを送ることにもなる。彼らはエジプトの出来事から、こんな結論を導き出すだろう――自分たちが選挙で勝っても、反対勢力は非民主的な手段で取って代わろうとする。従って、イスラム主義者が政権の座に就くことができたなら、あらゆる手を尽くして自らの権力を固めようとするはずだ。「反対派の粉砕」が、彼らのモットーになってもおかしくない。 少しでも事態を良くするには エジプト軍の最高司令官であるアブドル・ファタ・アル・シシ国防相〔AFPBB News〕
そのダメージは、もう加えられてしまった。なかったことにはできない。だが、この後の展開は、良くも悪くもなり得る。 軍が権力を掌握し続ければ、エジプトはホスニ・ムバラク政権崩壊以前に逆戻りする。しかし、かつて国中に行き渡っていた希望はすでになく、革命は一度試みられ、そして失敗してしまった。 軍が選挙の実施予定を発表し、それをきちんと守れば、エジプトにもチャンスはある。また軍は、イスラム主義政党でも選挙に勝てば(過去1年の実績を考えれば、同胞団が勝つ可能性は低い)政権を委ねると確約する必要がある。イスラム主義政党にそれを信じさせるのは難しいだろうが、選挙を迅速に実施すれば、やりやすくなるはずだ。 エジプト軍は、ムバラク政権に対する革命で極めて重要な役割を果たした。民衆の力がムバラク氏を追放するのを黙って見ていたのだ。今でも、エジプト国民の多くは軍に信頼を寄せ、危機の際には軍を支持する傾向がある。軍の司令官は、その信頼に応えるために、できるかぎり速やかにエジプトを民主主義へと向かう道に戻さなければならない。 |