04. 2013年7月03日 14:55:54
: niiL5nr8dQ
日本へ核の先制攻撃を真剣に考え始めた中国・朝鮮 米国の弱体化で危機が現実に、能天気な議論はやめよ 2013年07月03日(Wed) 森 清勇 北朝鮮が3回目の核実験を行い、原子炉の再稼働を発表し、弾道ミサイル発射の予告をして関係国を慌てさせたのはつい数か月前のことである。核実験やミサイルの発射予告などがあれば大騒ぎをするが、ことが終わり、または兆候が薄れると何事もなかったかのように忘れてしまう日本の能天気ぶりである。 好戦的と言われる北朝鮮の金正恩総書記(中央)〔AFPBB News〕
G8諸国と比較して、国民1人当りの自衛隊員はほぼ半数で、装備密度も低い。そのため、隊員ばかりでなく装備数も少なく、北朝鮮のミサイル弾道が南西方向に予測されれば九州・沖縄方面にミサイル防衛(MD)システム(イージス艦やPAC-3)を布陣する。 弾道の予測がつかなければ首都圏中心に配備され、配備されない日本の大部分は、ミサイルが飛んでこない僥倖を祈る以外にない。これが日本の現状である 北朝鮮の数発どころか、中国は100基を下らない核ミサイルを配備して、普段から日本に照準を合わせている。このように敵性をむき出しにしている国家がすぐ近くにあるのに、日本は憲法を盾に何もできない。米国もその照準を外させることはできない(R・アーミテージ、J・ナイ、春原剛共著『日米同盟vs中国・北朝鮮』)という。 中朝は核ミサイルを背景に米国への圧力を強め、日本の孤立化を策謀しているが、日本は無邪気に米国の「核の傘」を信奉するだけである。防衛の不備を報道するマスコミはなく、国民の関心(不安に思う心)は高まらない。これは何も中朝の核ミサイル対処ばかりでなく、専守防衛や集団的自衛権なども含めた安全保障全般について言えることである。 朝鮮半島の核問題 従来、北朝鮮は「ウラン濃縮は電力生産のための低濃縮で、平和利用が目的」であると主張してきた。しかし、金正日が核実験を2回実施し、生前「ウラン濃縮型核兵器の大量生産」を指示していたとする朝鮮労働党の内部文書が明らかになり、平和利用の主張は完全に覆された。 それもそのはず、何かことが起きると「韓国を火の海にする」という捨て台詞を吐くのが常であったが、その背景には、核開発を着々と進めてきたからである。 今年2月行なった第3回目の核実験は小型化、長射程化を目指すものとして注目された。これを手にすることによって米国への脅しは現実味を増し、交渉の場にも引き出しやすい。日米を分断し、日本からは援助物資などを手に入れる算段であるとも見られてきた。 米国がなかなか乗ってこないと見るや、「ワシントンを火の海にする」とまで豪語するようになった。ほぼ1か月間続いた4月の緊張では、いささか化けの皮が剥げた感が見えた北朝鮮であるが、核兵器の小型化やミサイルの長射程化を一歩一歩進めていることは確かであろう。 とにもかくにも緊張を煽り、相手をあたふたさせる。その後に柔軟姿勢を見せる。これが北朝鮮の繰り返してきた戦略である。緊張―緩和を繰り返して時間を稼ぎ、実戦兵器への道を確かにしている北朝鮮である。 早晩、米本土が射程に入る段階になると見られ、米国も従前ののんびりした姿勢に比べ、かなり真剣な対応をするようになってきた。 日本が留意しなければならないことは、韓国で核武装論が高まった時、李明博前大統領が「核武装論は愛国的な考えということで高く評価し、北朝鮮や中国に対する警告にもなる」として肯定していた点であろう。 若い世代の韓国人は南北統一すれば「我々の核」になるという民族主義感情も有しており、北の核兵器容認の声さえ聞こえてくる。 また、朴槿惠新大統領の就任前後から今日までの言動を見る限り、対中接近・日本隔離が顕著に見られ、韓国の核武装論は建前では「北朝鮮や中国に対する警告」であろうが、内心では日本に対する警告とさえ思えてくる。 また、北朝鮮の核開発に圧力をかけられるのは中国だけであり、その中国を本気にさせるのは日本の核武装論議しかないという論理がある。しかし、日本は原子力基本法で核利用について「平和の目的に限る」と規定したうえで、「安全保障」に資するとしている。 従って、中朝は日本の関心はエネルギー安全保障や核不拡散の強化しかなく、核装備など論外であることを熟知している。 中国の核戦略変更 核ミサイルを広域展開するためなどに開発されたとされる中国の大型輸送機「運20」(中国中央テレビ局の映像から)〔AFPBB News〕
さらに深刻な状況が現出している。従来、「核先制不使用」を原則にしていた中国が、一昨年あたりから先制核使用もあり得るという方向に転換したと見られることである。 中国は1964年の最初の核実験以来、「核兵器を開発しているのは防衛のためであり、超大国の核威嚇、核恐喝、核ペテン政策に打撃を与え、核独占を打破し、最終的に消滅させるためである」ことを繰り返し声明してきた。 すなわち「核の先制不使用」であり、1998年から2011年まで7回発刊された国防白書でも先制不使用を明記してきた。 ところが、2013年4月16日に発表した今次の国防白書では “先制不使用”を書かなかった。日本の各紙は尖閣問題に注意を奪われたか、あるいは自らの分析を怠ったか、この根本的な核戦略の変更を読み解いたものはなかった。 「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」(4月20-21日付)で、米国のカーネギー国際平和財団上級研究員ジェームス・アクトン氏が寄稿(「産経新聞」要約転載、同23日付)して初めて分かった。 アクトン氏は、2011年までの国防白書には「核先制不使用」の文言が「明確かつ無条件に」盛り込まれてきたが、2013年国防白書には「核先制不使用」の文言がないという。これは、うっかり書き忘れたというのではなく、習近平政権の出現とも関係して、しっかりした意図のもとに書かなかったと分析する。 核の先制使用に関しては、中国国家主席が「いついかなる状況下でも核兵器を先制使用しない」(never at any time or under any circumstances be the first to use nuclear weapons)と公言してきたにもかかわらず、人民解放軍高官は2005年以降、機会あるごとに言及してきた。 従って、軍内部においては核の先制使用が検討されているのではないかという疑念が以前からもたれてきた。 それが具体的な形で明確になったのは2011年1月時点である。中国人民解放軍の戦略ミサイル部隊である「第2砲兵部隊」が、「危機的状況に置かれ、有効な防衛策がない場合、核先制使用も検討する」(「産経新聞」平成23年1月6日及び11日)という内部文書を部隊内に周知していたことが分かったからである。 中国外務省は、「核先制不使用」に疑問が持たれるたびに、「厳粛に約束し、遵守している」との従来の立場を繰り返してきた。しかし、今回の国防白書で「核先制不使用」を採用していないことを露呈したわけである。 衛星破壊実験やステルス戦闘機の飛行試験、更には自衛艦への射撃レーダー照射などで、シビリアンコントロールが機能していなかったのではないかと疑問がもたれてきた。そうした疑問を解消するために、習政権が「先制核使用」を認めたということであろうか。 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が6月3日発表した2013年版年鑑では、米露は新戦略兵器削減条約(新START)に基づき核弾頭を削減したが、中国だけが増強している。また、昨年は米国全土を射程に収める新型弾道ミサイルの発射実験に成功しており、ステルス性を有し巡視活動に適したマルチ性能の新型艦艇を就役させた。 富国強兵が実現して戦略変更の背景になったのかもしれない。今後の推移が注目される。 米国は拡大抑止戦略を変更か 北朝鮮の核・ミサイル開発への必死な動きに対して、直接向き合っている韓国では核開発問題が論議されているが、日本では封印されたままで、むしろ米国内で日本の核武装が論議されている。 そうした中で、5月12日付「産経新聞」は、「バラク・オバマ大統領の北朝鮮からの核攻撃の威嚇への対応が米国年来の核抑止政策から外されてしまった」という批判が専門家から表明されたことについて書いている(古森義久氏の「あめりかノート」)。 どういうことかと言うと、北朝鮮の最近の一連の軍事的挑発言辞で米本土への核ミサイル攻撃の脅しがあったが、「大統領はアラスカなどのミサイル防衛の強化を命じただけで、核の攻撃や威嚇には核の報復、あるいはその意図の表明で応じ、相手の動きを押さえるという核抑止の構えを全く見せなかった」というのである。 すなわち、「好戦的な北朝鮮の独裁支配者」に、最大の抑止となる「自国の消滅の可能性」を示さなかったという批判である。「米国歴代政権が保ち、ソ連の攻撃を見事に抑止した」とする「核抑止を、(自身が)核廃絶を唱えたために重視しないということか」という疑問である。 これ以前にも、「オバマ大統領は、歴代大統領が継承してきた核抑止政策を逆転させ、核の効用を無視してきた。その結果、『核なき世界』という幻想の目標に向かい、既存の核兵器の一方的な削減や縮小、新開発の中止など危険な措置を次々にとり、実際の核抑止の段階的な行使能力をすっかり弱くしてしまった」という批判も受けていた。 東アジアの安全を考えると、北朝鮮の核開発は危険な要素であるから、日本の核武装論が日本より先に、しかもより活発に米国で起きる。日本では核がタブー視され、発言は政治生命にすら関わるために、慎重にならざるを得ないことも影響している。 しかし、日本が安全を依存する米国で変化が起きているのである。オバマ大統領の各種演説などを分析した結果として言われていることが2つある。 1つは2009年のプラハにおける核廃絶演説で、自分の生存中に実現しないかもしれないと条件を付けていたが、心底には廃絶への端緒を何とか掴みたいという意思が伺われ、その一環として、今年6月のベルリンにおける核兵器の3分の1削減提案である。 もう1つは、こうした核廃絶願望から、核の抑止体制に綻びらしきものが見えるというのである。 自国の抑止体制に綻びが見えるということは、拡大核抑止も効くはずはなく日本見捨てでしかない。だからこそ、米国内では日本が核開発にすすむのも仕方がないのではないか、いやむしろ米国の安全のためにも推進すべきではないか、などの議論が出ているというのである。 知らぬは日本ばかりなりということであろうか。ここにも日本の能天気ぶりがみられる。 おわりに 中国は「中華民族の偉大な復興」という中国夢の実現に血眼になっている。核兵器の先制使用も頻繁にちらつかせるようになってきた。北朝鮮も同様であるが、「核の先制使用」という文言を、米国(それは日米同盟の日本)に対する切り札に仕立て上げようとしているのである。 日本は「抑止」ではなく「対処」しかできないが、肝心の米国が抑止戦略を弱めつつあるのではないかという危惧が持たれるようになってきた。 いまこそ日本は、米中朝の核を真剣に見つめる必要がある。そして核対応(核・非核を問わず抑止や対処する方策)を練ることである。しかし、政治家は核について語ろうとしないし、国民に現状を認知させる啓蒙もしようとしない。 米国が日本の核武装云々を議論する前は難しいだろうが、同時期以降は日本自身が真剣に議論しなければならないだろう。 福島瑞穂社民党党首は「金曜討論」(「産経新聞」平成24年8月31日付)で、「(憲法)9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思わない」と発言しているが、政治家というよりも夢想家でしかない。問題は福島党首ばかりではないことである。 憲法前文と9条があるばかりに自分の国を自分で守れない現実に目を向けようとしないばかりか、国民に幻想を振りまく姿は悪徳政治家としか言いようがない。 核の環境が激変している現実世界にあって、核不拡散条約(NPT)の2015年再検討会議に向けての準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に「どんな状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という文言があるため、米国の拡大核抑止に依存する日本の安全保障政策に一致しないとして日本は署名しなかった。 日本が選択肢を残したという意味で画期的なことだと言えるが、そろそろ、米国の拡大核抑止が効かない場合の保険が必要なことに気づくべきではないだろうか。 |