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国境なき医師団が見た世界の医療現場
プロフィール
黒崎 伸子(くろさき・のぶこ)。特定非営利活動法人国境なき医師団日本・会長(2010年〜)。黒崎医院(長崎県時津町)院長。市立大村市民病院(長崎県)で小児外科・女性総合外来。長崎大学大学院国際健康開発研究科非常勤講師。
1981年同大学医学部卒業。1983年より同大病院第一外科、国立小児病院外科などに勤務。独立行政法人国立病院機構長崎医療センター小児外科医長・外科医長を歴任。2001年より国境なき医師団(MSF)の医療・人道援助活動に参加。スリランカ、ヨルダン、リベリア、ソマリア、シリアなど計11回の派遣で、外科医として活動に従事。日本BPW連合会長、長崎県女性医師の会副会長などの社会活動にも参画。趣味は映画、読書、スキューバ・ダイビング。
患者や医療従事者が暴力にさらされている
2013年4月、4年ぶりの海外の現場に派遣されたのが、今回のシリアであった。MSF の外科医の活動場所はたいていが紛争地なので、治安が悪い場所であることには慣れていた。自身は納得していても、80歳代半ばの両親に伝えるのは躊躇したが、派遣期間が4週間と短期であったので何とか対応できた。
シリアで「アラブの春」に誘発された民主化運動が始まって2年が過ぎたが、人びとを取り巻く環境は壊滅的で、さらに悪化する一方である。政府に対する抗議行動の弾圧が強まる中、公立病院は治安部隊の監視下に置かれ、デモ鎮圧の際の負傷者が治療を受けようとして来院しても、逮捕・拷問される場となった。また、そのような負傷者を治療する医師たちも「反政府」のレッテルをはられ、命の危険にさらされた。負傷者たちは公立病院へ行くことを恐れているため、現地の医師たちが秘密の医療施設を開設する事態に至った。
政府への抗議運動は、次第に反体制派と治安部隊の武力衝突に発展して、シリア全土が内戦状態に突入。医療の提供はレジスタンス運動の一環とみなされ、医療施設や医療従事者が武力攻撃の対象にさえなった。
未認可のまま活動を開始
もともとシリアの保健医療体制は高い水準にあったが、武力衝突により、人材や医薬品などの物資、電力・救急車など医療に必要な全てのものが不足し、一般市民の医療へのアクセスは著しく制限されている。大勢の人が国内外へ避難を余儀なくされ、過酷な生活を強いられている。
MSFは、シリア政府に活動許可の申請を続けているが、現在に至るまでその許可は得られていない。そこで、昨年6月に未認可のままシリア国内での援助活動開始を決断した。医療不足の現地で増大しつづける患者のニーズ、人びとの命の危機に対応することが、人道援助だからである。
MSFの活動は、当初は医療物資の提供と紛争被害者への外科治療を主な目的としていたが、その後、出産介助、予防接種、慢性疾患、避難民向けの食糧や飲料水、トイレ・シャワーなどの衛生施設の提供などにも幅を広げている。しかし、政府に活動を認められていないため、活動地域はシリア北部の反体制派の支配地域内に限られている。2013年5月現在は国内で病院5カ所を運営するとともに、移動診療活動も行っている。
民家を改造した病院で、爆撃・銃器による負傷者を治療
筆者が働いた病院は、MSFが一般民家を改築して設置したもので、1階には手術室、回復室、滅菌室、救急蘇生室、X線撮影室、外来診療エリアがあり、2階は入院病棟(男性部屋10床、女性部屋5床、感染部屋2床)と事務所、という簡素な構成である。
ここでのプログラムは爆撃・銃器による負傷者を主な対象としている。炸裂爆弾の威力は様々で、血気胸、腹腔内では肝損傷や腸管損傷、上肢・下肢では筋肉・軟部組織の損傷や複雑な骨折を伴うもの、最悪の場合は血管・神経損傷で四肢切断を余儀なくされたものもあった。銃弾が通り抜けた部分は、組織挫滅に加え、感染のリスクもあり、すぐにデブリードメントを行うが、2回目のデブリードメントで二次的創閉鎖ができる症例は少なかった。それは、射出口部分の組織欠損が著明で、様々な骨折を伴っていることが多いからでもある。組織修復を待って皮膚移植をする症例もある。
4月半ばまでは肌寒く、家を追われての避難生活の中、暖を取ったり調理をするために使っていた粗悪な燃料が爆発することも多く、広範囲な熱傷を負った女性患者や子どもたちもたくさん入院していた。男性は爆撃や交通事故に伴った熱傷が多い。熱傷創の治癒促進のために2〜3日おきに手術室で麻酔下にガーゼ交換を行うのだが、非常に手間のいる仕事であった。紛争被害患者の治療に加え、病棟の半分近くを占める熱傷患者と外来通院のガーゼ交換や皮膚移植の患者への治療で、麻酔症例の4割を占めていた。
下肢切断を余儀なくされた4カ月の女児は…
シリアでは金曜日は休日だが、多くの反政府抗議運動などがあるため、MSFの施設に緊急搬送される患者は多い。ある金曜日、熱傷患者のガーゼ交換2例が終わり、宿舎へ帰ろうとしていたところへ救急車が着いた。
救急蘇生室には、重症の2例が運び込まれた。若い女性と、生後4カ月の女児。女児の顔は蒼白で動かない。くるまれてきた毛布を開くと、右下肢の膝下はぼろぼろになった皮膚と筋肉で、その上の傷からは折れた大腿骨の断端が飛び出している。止血して命を救うには下肢切断しかない。その前に、ルート確保!
麻酔科医・救命医とともに、残る三肢を駆血する。私が刺した針に血液逆流があった。「I got it!」。 輸液開始し、輸血バックをつないで、10mLシリンジで何度か押しているうちに、顔色が薄いピンクになってきた。そして、泣き声も…。
手術には家族の承諾がいるが、そばに座りこんでいた老婦人に聞くと、両親はともに爆撃でほぼ即死、この女児の兄も死んだという。隣のベッドの若い女性は一番上の姉で、老婦人は祖母であった。命を救うための下肢切断の必要性を説明し同意を得て、手術室に運んだ。
右下肢以外に全く外傷はなく、術後経過も順調であったが、母乳で育ってきた女児は哺乳瓶からミルクを上手に飲めない。3日ほどは空腹で泣いていたが、徐々にミルクの飲み方が上手になるとともに、同室の患者やその家族、職員たちにかわいがられて笑顔を振りまくようになっていった。両親も家も同時に失ってしまった彼女の退院を決めるには時間が必要だった。
今もかけがえのない命は失われている
この女児は、生きていたから、病院にたどりついたが、それもできずに多くのかけがえのない命がシリア全土で失われている。内戦の激化とともに増える犠牲者に、医療設備は追いついていない。シリア政府が、援助活動への許可を要請している国際NGO の受け入れを拒否し続ける間に、国内の医療施設の8割以上が崩壊あるいは機能不全に陥っており、残った施設や反体制派が設立した病院には患者があふれている。
紛争による負傷者以外にも、糖尿病や心疾患などの慢性疾患、産科医療、予防接種など、市民の様々な医療ニーズに対応するには、シリア全域に公平な援助を届けたいと願っている国際人道援助団体の活動範囲を拡大させ、国境や戦線の向こう側でも援助活動ができるよう、国際社会が後押ししていくことが急務である。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/msf/201306/530768.html
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