04. 2013年6月05日 06:24:21
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社説:爆発したトルコ国民の怒り エルドアン首相の不寛容は破滅の元か 2013年06月05日(Wed) Financial Times (2013年6月4日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 機動隊はデモ隊を解散させるために催涙ガスや放水砲を使った〔AFPBB News〕
イスタンブール中心部に残る数少ない公営公園を再開発から守るための数百人規模のデモが、ほんの数時間で街全体を揺さぶり、野火のように全国に広がったことは、レジェップ・タイップ・エルドアン首相について多くを物語っている。 タクシム広場の近くにあるゲジ公園で機動隊が見せたおぞましい過剰反応が「火花」だった。 だが、エルドアン氏は、火が付く「火薬」が存在しなければ、デモが全国に広がることはなかったということを熟慮する必要がある。この火薬は、エルドアン氏本人と、次第に権威主義的になる彼の態度が社会に残してきたものだ。 ところが、ネオイスラム主義の首相は、実態のない陰謀を激しく批判し、混乱を煽っている「街頭の無法者」や「過激派」の道具かのようにツイッターを糾弾し、諜報機関に対して全国的な騒乱の背後にいる「外国勢力」を突き止めるよう指示した。 今回、国民の怒りが突然爆発したことは、確かに、ほぼすべての人を驚かせた。だが、こうした怒りはどこからともなく出てきたわけではない。 強権的になる首相と、投票先になり得ない野党 エルドアン氏に言わせると、選挙で勝てない野党勢力が、議会以外の手段を使って彼を倒そうとしているのだという。エルドアン氏率いる公正発展党(AKP)が2002年に初めて政権を取って以来、同党は3回連続で総選挙で勝利を収め、毎回得票率を伸ばしてきた。 近代トルコの建国の父であるムスタファ・ケマル・アタチュルクの流れを汲む主な野党勢力の大半は、自分たちに共和国を支配する当然の権利があるかのように振る舞い、AKPのことをアナトリアの「コーランベルト*1」出身の新参者として扱ってきた。 野党は実際、エルドアン氏に対する陰謀を熱心にたくらみ、トルコの軍部と判事を利用して選挙で失い続けているものを取り戻そうとした。だが、陰謀は失敗した。軍が2007年にトルコ国民に指図しようとした時、エルドアン氏は総選挙で国民の信を問い、地滑り的というよりは雪崩のような圧勝を収めた。 *1=米国の「バイブルベルト」のようにイスラム色の強い地域の呼称 レジェップ・タイップ・エルドアン首相〔AFPBB News〕
それ以来、軍は無力化し、将校のほぼ8人に1人が投獄されている。 だが、首相自身が過去の戦争をまだ戦っている将校のように振る舞っており、ツイッターを利用する多様な階級を、自分がそれと識別できる1つの型に押し込めようとしている。エルドアン氏は肝心なことを理解していない。 2007年には、エルドアン氏は国民を信頼していた。2011年に再選されると、反対意見に対する寛容さがごく限られているのと裏腹に、野望は際限なく膨らんでいった。 だが、エルドアン氏はまだ野党のリーダーの意識を捨てられない。本能的に対立構造を生み出そうとするため、トルコ全土を代表する指導者になれないのだ。 首相就任から10年を経た今、エルドアン氏は無限に近い権力を握って孤立している。一方で、ケマル主義の野党は選挙で勝てる見込みがない。この2つの要因が重なった結果、トルコ国民が街頭に繰り出したのだ。 国家の命令に反発する多様な社会 環境への影響を顧みず、強硬に開発を進める政府のアプローチは、1つの症状に過ぎない。国民の私生活に踏み込むエルドアン氏の姿勢――「宗教の戒律」に言及しながら、アルコールの販売を制限したり、人工中絶の権利を抑制したりしている――は、都市部のトルコ国民を激怒させた。彼らは、AKPの統制を受け入れるためにケマル主義の統制を捨てたわけではない。 北大西洋条約機構(NATO)の同盟国であり、欧州連合(EU)の加盟候補国でもあるトルコは、中国とイランの合計数よりも多くのジャーナリストを投獄してきた。また、エルドアン氏は主流メディアを脅して自主検閲するように仕向けた。彼が「ソーシャルメディアはトラブルメーカーだ」と言うのも無理はない。 これはもはや、沸点が低く、勝手な政策を好む傾向があり、荒っぽい発言をする人物という話では済まない。エルドアン氏は多元主義を受け入れられないのだ。これは残念なことだ。 彼の功績――トルコ経済を近代化させ、軍部を手なずけ、イスラム民主主義の政治を切り開き、EUと加盟交渉を開始し、今ではトルコ国内のクルド民族と和平プロセスに乗り出した――は目覚ましいものだ。世界的に小物の政治家が多い世の中で、エルドアン氏は確実に際立つ存在だった。 多大な功績がふいになる恐れ しかし、タクシム広場のメッセージや、命令されることに甘んじなくなったトルコ社会の多種多様なグループの声に耳を傾けなければ、その功績は危うくなる。エルドアン氏は犠牲者のふりをすることをやめ、政治家のように振る舞うべきである。 ケマル主義や民族主義の政党は何についてもAKPと協議する気がないとはいえ、現在議論されている新憲法を多様性を受け入れる手段として使うべきだ。エルドアン氏はこれを、来年、自身が首相から権限を強化した大統領に姿を変える方法に関する議論と見なしているようだ。 アタチュルクの共和国建国100周年を迎える2023年に大統領でありたいとどれだけ願っているとしても、エルドアン氏は、自身が後世に残す社会と民主主義制度の状態によって評価されることになる。 |