http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/160.html
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【江戸時代に尊ばれた太公望の魚釣り】
太公望が中国の磻溪 で魚釣りをする様子は、日本国の重要文化財に指定されている室町時代の狩野元信筆 「紙本墨画淡彩太公望、林和靖図 」*や江戸時代の尾形光琳 筆「太公望図」*を始め、江戸時代の狩野探幽筆「太公望釣浜図 」*、谷文晁筆「石番蹊跪餌図 」*、河鍋暁斎筆「太公望図」*、明治時代の平福百穂「太公望」*などに描かれ、また江戸時代の川柳にも「釣れますかなどと文王側へ寄り」 と詠まれ、当時の日本ではよく知られた故事だったようだ。
*e国寶>狩野元信筆 「紙本墨画淡彩太公望、林和靖図 」東京国立博物館蔵
http://www.emuseum.jp/detail/100267/006?word=%E9%9C%8A%E9%9B%B2%E8%A6%B3%E6%A1%83&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=1&mode=simple¢ury=
*e国寶>尾形光琳 筆「太公望図」京都国立博物館蔵
http://www.emuseum.jp/detail/100982/000/000?d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E5%A4%AA%E5%85%AC%E6%9C%9B&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=2&mode=simple¢ury=
*群馬・ハラ ミュージアム アーク>狩野探幽筆「太公望釣浜図 」
http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/94xIerGy7U6RNOgXhpcz/
*頼山陽史跡資料館>谷文晁筆「石番蹊跪餌図 」広島県立歴史博物館蔵
http://www.raisanyou.com/tenji106.htm
*板橋区立美術館>河鍋暁斎筆「太公望図」
http://www.itabashiartmuseum.jp/art/collection/ntb018.html
*三重県立美術館>平福百穂筆「太公望」、川柳
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/hillwind/hill_64/hill64-5.htm
【太公望(姜太公)】
しかし、現代の日本語でこの故事を解説した資料をウエブ上で見つけることはできなかった。そこで、「太公望」の名を中国語で検索して漢文として読み、次の通り現代文に意訳してみた。
太公望は、姜太公とも称され、紀元前11世紀(縄文時代)に、東海の浜で生まれた姜姓の人。しかし彼は、身内の姜姓の王が統治する殷王朝を倒して姬姓の王が統治する周王朝を建て、自身は封王の座に就いた軍事戦略家だった。彼が人生を通して実践したその兵法は、明代末から清代初めの学者・謝詔が著した「風月夢」第十回によって成語「姜太公釣魚 願者上鉤」としていっそう広まることになった。
*百度百科>姜太公
http://baike.baidu.com/view/2745.htm?hold=syn
*百度百科>姜太公钓鱼,愿者上钩
http://baike.baidu.com/view/372878.htm?fromId=254432
【兵法: 姜太公釣魚 願者上鉤】
姜太公は、しばしば番の谷川の傍らに鈴を垂らしていた。釣竿から垂れ下がる糸の先には真っ直ぐな釣鉤を付け、餌も無く、しかも水面から三尺の高さに離して水中に入れることはなかった。そして曰く「ここで生きたくないと願う魚よ、私の鉤につかまれ」と。
ある日、風変わりな魚漁を見た人が説教した。「爺さんよ、あんたのような魚の釣り方では百年たっても魚一匹釣れやしない」と。
姜太公曰く「おまえに本当のことを言おう。私は魚を釣るためにしているのではない。諸侯かつ王座を釣り上げるためにしているのだ」と。
その珍奇な魚釣りの噂が殷王朝の諸侯であった姬昌の耳に入ると、兵士が偵察にやってきた。そして姜太公曰く「釣れ、釣れ、魚の子は食いつかない。蝦の子が騒いでいるわい」。
今度は役人が偵察に来やってきた。そして、姜太公曰く「釣れ、釣れ、大魚は食いつかない、小魚騒ぐでない」。
すると、姫昌が釣魚の暗喩を解して姜太公に釣り上げられた。姜太公は姫昌に召抱えられると、腐敗した姜姓の殷王朝の倒し方を教え、また姬姓の周王朝建国に至る軍事戦略を指導した。そして、姬昌の息子の武王が周王朝を建てると、姬昌に周の創始者・文王という尊号が与えられ、また姜太公もその功績を讃えられて斉国の封王に任ぜられた。
*大紀元>文化網>故事點播>成語典故>太公釣魚願者上鉤
http://www.epochtimes.com/b5/0/11/4/c2645.htm
【魚釣島の国有化と 兵法「姜太公釣魚 願者上鉤」】
2012年9月11日、日本国は魚釣島を国有化した。ただし、9月11日と言えば、米国にとって最も忌まわしい日として有名である。
そこで、東海の浜で生まれ、身内が統治する大国を倒した姜太公を日本国に読み替え、また大国を米国に読み替えてみると、恐ろしいほどに「姜太公釣魚 願者上鉤」の兵法と重なることがわかる。
・姜太公による釣魚:日本国による魚釣島の国有化
・腐敗した殷王朝:腐敗した米国
・殷王朝の諸侯・姬昌:米国には逆らわない国連常任理事国の中国
・姜太公を召抱えた姬昌:日本国の元首相の中国訪問
・姜太公が姬昌に殷王朝の倒し方を教える:日本国が中国に米国の倒し方を教える
米国の倒し方とは、もしかすると、1945年世界で初めて人間の生活圏に原爆を投下して核実験を行い、1951年世界で初めて原子力発電に成功し、その知的財産権で世界を牛耳る米国の、その利権を無価値にすることであろうか?ちょうど恐ろしいことに、福島第一原発事故後2年を経過した現在、日本国は、「日本の子ども約291,600人に甲状腺ガンの疑い*」が出ている状態を放置している。
http://www.asyura2.com/13/genpatu31/msg/453.html
また、米国が広島・長崎で実施した核実験を肯定し、原発の利権に連なった日本人が、放射能の正体を知らずに我が子を殺そうとしている。このままでは近い将来、日本人が若い者から順番に大量に被曝死していくことになる。そうなったら、原爆や原発の知的財産の利用者は激減し、米国は武力でも経済でも世界を牛耳ることができなくなるのだろう。まるで、「姜太公釣魚 願者上鉤」の兵法の途上のようだ。
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