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軍法会議復活めざす自民党憲法改正草案の時代遅れ ――軍事ジャーナリスト 田岡俊次
http://diamond.jp/articles/-/35306
2013年5月2日 ダイヤモンド・オンライン
自民党はもし今年7月の参院選で大勝すれば、憲法改正に進む構えだ。私は自民党が昨年4月に決定した「日本国憲法改正草案」のなかで、軍法会議の設置を想定していることは、草案中の重大な問題点の一つ、と考える。
■軍法会議の問題点
自由民主党はもし今年7月の参院選で大勝すれば、まず憲法96条の改正手続を改定し、現行憲法で、「各議員の総議員の3分の2以上」の賛成で国会が発議するとしているのを「過半数の賛成で」と変え、そののち憲法9条を含む大幅な憲法改正に進む構えだ。いまや憲法改正は相当の現実性を帯びており、その際には自民党の憲法改正推進本部が昨年4月27日に決定した「日本国憲法改正草案」がそのままか、あるいは若干の修正を加えて、憲法になると考えられる。
メディアではその草案のうち「日本国民は国旗および国歌を尊重しなければならない」(3条の2)とか「国防軍を保持する」(9条の2)など「分かりやすい」条文に焦点を合わせがちだ。
だが私は9条の2の5に「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない」として、軍法会議の設置を想定していることは、憲法草案中の重大な問題点の一つ、と考える。「審判所」と名付けても「裁判を行うため」としているから、これが軍法会議であることは疑いの余地がない。
軍法会議は軍人・軍属の非行、過失、怠慢を裁くため軍隊内で開く裁判で、国によっては、軍に対する民間人の行為を裁く場合もある。戦前の日本でも諸外国でも、被告より階級が上の将校たちが裁判官となり、検事は法曹資格を持つ法務将校、弁護人は一般の将校である場合が多い。軍法会議は軍人を一般の司法制度の外に置く一種の「治安法権」を認めるものであり、
@身内の裁判であるため「仲間かばい」や「組織防衛」(すなわち上部の保身)が露骨に反映され、国民の不信を招く
A兵卒や叩き上げの下士官など下級者には厳格だが、高級将校の責任は不問となる例が多く、規律の乱れの元となる
B軍法会議を開けば世間に事実が知れて軍の威信を損なったり、監督責任が問われるような場合、捜査も憲兵隊(自衛隊では警務隊)が行うからもみ消しが横行する
C被告の同期生や、思想に同調する将校らが救援活動を行い、集団で軍上層部や軍法会議に圧力をかけたり、法廷で上官である判事に暴言を浴びせるなど下剋上の風潮が生じる
などの弊害が起きがちだ。
■米軍法会議も身内かばい
2001年2月、ハワイのオアフ島沖で漁業練習船「えひめ丸」が急浮上した米原潜グリーンヴィルに衝突されて沈没、9人が死亡した事故では潜水艦側に全責任があるのは明白だったのだが、米海軍は査問会議(予備審問)で艦長ワドル中佐を不起訴とし、その半年後の10月に除隊とする、との行政処分ですませた。
すぐに退職させなかったのは、米国の会計年度末の9月までワドル中佐が在籍すると、年金受給資格が付く勤続年数に達するためと聞き、その温情裁定にあきれた。これでも一応査問会議を開いたのはまだしもで、1981年4月に米弾道ミサイル原潜ジョージ・ワシントンが鹿児島県甑島列島沖で貨物船「日昇丸」に当て逃げし、同船の乗組員はゴム製いかだで一昼夜漂流、2人が死亡した事件では査問もせず、艦長資格停止だけだった。
1994年4月、米海兵隊の電波妨害機EA6がイタリア・アルプスでロープウェイの鋼索の下を潜(くぐ)ろうとして接触、切断したためゴンドラが落下し、20人が死亡した際には軍法会議が開かれたが、米軍の航空地図にロープウェイが載っていなかったことを理由に、操縦士は事故自体については無罪となり、その模様を撮影したビデオテープを破棄した証拠隠滅で禁錮6ヵ月となった。地図に出ていなくても、目でロープウェイを見てその下を潜る冒険をし、記念撮影をしていたのだから、「地図になかった」とは、海兵隊将校仲間の判士たちがなんとか罪を軽くしてやりたくて付けた理屈だろう。
イラク、アフガニスタン戦争では誤爆、誤射で多数の地元民間人が死傷しただけでなく、外国の外交官や記者、米軍軍人にも犠牲者が出たが、軍法会議は開かれず、地元政府は米国等の軍人に対する裁判権を放棄していた。イラクのアブグレイブ刑務所での恒常的な捕虜虐待、拷問事件では看守の2等軍曹以下7人を起訴。最長で10年の禁錮となったが、上官らが「尋問前に軟らかくしておけ」と指示していたため、実行者の下士官、兵は罪の意識を持たず、卑猥、サディスティックな行為の写真まで撮って、仲間に回覧していたから発覚した。だが、そうした指示をした疑いのある少将以下の上官の責任は追及されなかった。
■裁判長に草履投げる中尉
日本の戦前の軍法会議の弊害は米軍の例とは比較にならない。1923年9月の関東大震災の際、無政府主義者として監視対象としていた大杉栄と内妻、六歳の甥の3人を憲兵司令部で絞殺、井戸に捨てた憲兵大尉・甘粕正彦と憲兵曹長・森慶次郎は軍法会議にかけられたが、士官学校の同期生らが、「甘粕母堂後援会」を作って救援活動を行い、在郷軍人会を通じて65万人もの減刑嘆願書を集めた。判決は甘粕大尉に懲役10年、森曹長に同3年という3人殺害に対しては軽い刑で、森は1年、甘粕は3年で出所、のち満州映画協会理事長になった。
軽い刑でも有罪判決に右翼の青年将校達は不満で、休暇を取り和服で傍聴していた中尉が裁判長の歩兵第1連隊長・岩倉正雄大佐に草履を投げ付ける事件まで起きた。ほかの思想がらみの事件の軍法会議でも、傍聴人や弁護側証人の若手軍人らが、上官である判士や検事役の将校に暴言を吐いたり、テロの犠牲者である陸軍省軍務局長、永田鉄山中将を証言で「毒蛇」と罵るなど、軍規の乱れは顕著となった。
1928年6月には首相・田中義一陸軍大将が、満州の権益確保に利用しようとしていた満州軍閥の首領・張作霖の列車を、関東軍の高級参謀・河本大作大佐が首謀者となって爆破させ、張を殺す事件が起き、憲兵隊は首謀者も実行犯も突きとめていた。田中首相は昭和天皇に責任者の厳重処罰を秦上したが、陸軍は「天下に非をさらし軍の威信にかかわる」と起訴に反対、河本大佐は退役ですまされ、陛下に食言をとがめられた田中首相は辞任、間もなく死亡した。
■勝手に戦争を始めても処罰なし
軍規の乱れはついに出先の軍人が勝手に戦争を始めるまでに至った。1931年9月に関東軍高級参謀・板垣征四郎大佐、同参謀・石原莞爾中佐ら数人の将校は参謀本部、陸軍省、関東軍司令官に対しても秘密にして計画を立て、鉄道を爆破し、それを口実に部隊を出動させ満州全域を占領した。これに呼応して朝鮮の平壌に駐屯していた第39歩兵旅団と飛行部隊は満州に出動した。日本の一部だった朝鮮から、外国領の満州へ出兵するには天皇の命令が必要だが、この部隊は東京の参謀本部の制止を振り切って越境した。関東軍将校らが天皇の統帥権を公然と無視したのは、河本大佐が軍法会議にかけられなかったのを見て増長したと考えられる。
この前後、軍人のクーデーター計画が事前に発覚した例は少なくとも3件あったが、憲兵隊が反乱予備罪で検束した将校達は留置所ではなく料亭に収容され、将官たちがなだめて中止させるとか、軍法会議にかけた場合も、犯罪とせず停職と転勤ですませた。1932年5月の5・15事件は計画がついに実行に移されたもので、海軍中尉・三上卓、同古賀清志など海軍将校10人、陸軍士官学校生徒11人と民間右翼が首相官邸などを襲い、犬養毅首相と警官1人を射殺、1人に重傷を負わせた。
陸軍の軍法会議は11人の士官候補生全員を禁錮4年の軽い刑にした。海軍の軍法会議では、三上ら3人の将校に法務官が死刑を求刑したところ、部内での反発が激しく海軍省法務局長が辞表を提出するという理不尽なことも起きた。判決は最高の三上で禁錮15年、反乱を起し首相を殺したにしてはあきれるほど軽い罰で、三上は5年で出所した。1936年の2・26事件は1400人余の兵力を21人の皇道派陸軍将校が率い、内大臣・斎藤実海軍大将、蔵相・高橋是清ら4人を殺した大反乱で「以前の処置が甘すぎたためだ」との批判が強く、軍人17人と民間右翼2人が死刑となった。だが青年将校を扇動、支持した将官は処罰されなかった。
もっとひどい例は、東条陸相の陸軍次官だった富永恭次中将だ。在フィリピンの陸軍第4航空軍司令官だったが、米軍が上陸すると、山下奉文第14方面軍司令官に無断で、部下を置き去りにし、参謀らと輸送機で台湾に脱出。台北近郊の北投温泉で発見されたが軍法会議は開かれず、予備役に編入され、終戦直前に第139師団長に補された。兵、下士官が戦地から逃亡すれば当然死刑だ。
■医療過誤は医師会で裁判するか
今の自衛隊(あるいは「国防軍」)が2・26事件のような大反乱を起す可能性はまずないだろうが、一部の偏狭な思想を抱くものが5・15事件型の行動に走る可能性は否定できない。どの国の軍人にとっても仲間を見捨てないことは職業倫理の一つだから、その場合でも隊内で救援活動が起き、軍法会議への圧力になることは考えられる。
すでに自衛隊でも大規模な業務上過失致死事件では、被告支援のために隊内で募金活動が行われた例がある。自衛隊幹部たちは「専門的知識のない警察官や検事、判事らが取り調べ、裁くのはけしからん」と言うが「それなら医療過誤事件は医師会で裁くべきか」と問うと黙ってしまう。「軍法会議の無い軍隊はない」との説もあるが、ドイツでは憲法上は設置可能でも、現実には設けておらず、オランダ、ベルギーは軍法会議を廃止している。
現実に国防軍の審判所で裁判をしようとすれば、裁判官に指名された将校は刑法、刑事訴訟法、判例等をにわかに勉強せざるをえず、世間の注目を集める事件、事故の裁判長には部内で信望があり、社会的常識も豊かな優秀将校を選ぶ必要がある。だが刑が軽ければ被害者、世間から「仲間かばい」と非難され、その後は表に立つ要職につけにくくなる。一方、重ければ「世論に媚びた」などと内部で指弾されて孤立するから、あたら最優秀将校を潰し、内部での反目が残る結果になりそうだ。
■軍法会議は過去の遺物
軍法会議は、封建時代の領主が持っていた「領主裁判権」が起源とされる。諸侯が家臣、領民を率いて出陣すれば裁判権もついて回ったのは自然だ。それが現代まで残ったのは、ごく近年まで交通、通信が不便だったためで、例えば米軍が第2次世界大戦でヨーロッパに出動し、そこで罪を犯す者が出ても、本国へ送還して裁判することは困難だったから、現地で裁判まがいの審判をするしかなかった。
だが航空機、インターネット、ファックス、衛星電話が発達した今日では、仮にPKOで海外に出た隊員が事件を起した場合、警務隊が調べて日本に報告、輸送機の次の便や旅客機で送還し、日本の検察庁へ送致し、一般の裁判所に起訴することは、裁判所、検察庁の管轄権などに関する法令や自衛隊法の若干の手直しで可能だろう。その方が効率が良く「市民社会の中の軍」の原則にも合致する。軍法会議は過去の遺物と言えよう。また自民党の草案では「職務に関する罪」だけを国防軍の審判所で裁く、としているが、業務上過失事件だけではなく、収賄や武器の不正使用、政治的行為なども「職務上の罪」に当り、これらも一般の捜査、司法の範囲外になる可能性は高いだろう。
その一方で、草案は76条では現行憲法とほぼ同様に「すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。特別裁判所は設置することができない。行政機関は最終的な上訴審として裁判を行うことができない」としている。国防軍の審判所は76条で禁止される「特別裁判所」に当るはずだ。
またそこでの判決に不服の被告人(軍人・軍属)は一般裁判所に上訴できるが、甘い判決に不満の被害者側は検察官が上訴することを期待できないから、軍人・軍属に一方的に有利な規定で、国民の軍への反感が高まる場合もありそうだ。自民党憲法草案には他にも問題点が少なくないが、9条2の5の国防軍の「審判所」は、76条の「司法権」と矛盾するうえ、実務上もほぼ有害無益、鎖の最も弱い環ではあるまいか。
たおか・しゅんじ
軍事ジャーナリスト。1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、編集委員、筑波大学客員教授などを歴任。動画サイト「デモクラTV」レギュラーコメンテーター。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』など著書多数。
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