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(回答先: テスト 投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 2 月 12 日 07:50:24)
子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション(内容書き出し)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3607.html
2014-03-12(10:49) みんな楽しくHappy♡がいい♪
H.Station.SP - thyroid carcinoma Fukushima... 投稿者 peanuthouse
「お母さん放射能は調べないでくれ」って泣いて訴えるんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
子どもが甲状腺がんに・・・
母が苦悩の告白
福島の18歳までの若い方の甲状腺がんについて、今日はお伝えしたい事があります。
まず、現在の考え方からです。
福島原発の事故由来の放射能と、当時18歳よりも若かった福島の方々の甲状腺がんが出た、と、
この因果関係は「考えにくい」というんですね。
「考えにくい」というより「分からない」ではないか、という疑念を番組では持ちました。
これは「因果関係がある」とか「ない」とか、
「どちらも分からないのではないか」というところから福島での取材を始めました。
そして今まではですね、若い方の甲状腺がん、子どもの甲状腺がんというのは
「100万人にひとりかふたり」と言われていました。
福島では現段階で、27万人の方が検査を受けてうち33人が甲状腺がんと分かり、摘出手術を受けています。
33人。
これまでおよそ27万人の子どもが受けた福島県での甲状腺検査で癌と確定した人数だ。
すでに摘出手術を終えている。
子どもの甲状腺癌は年間100万人に1人から2人とされてきたが、今その数字は大きく覆されている。
33人。
古舘:
お子さんの甲状腺がんが発見されて摘出手術を受けたという親御さんにこの番組では接触を試みました。
7人の方に接触させていただいたんですが、
やはり、インタビューをお願いするとことごとく断られました。
いろんな事情があると思います。
そしてある方はこういう事をおっしゃいました。
担当したお医者さんに「こういう事に関しては周囲にしゃべらない方がいいだろう」と。
「お子さんの就職の際などはマイナスになるから」という様なアドバイスを受けたという方もいらっしゃいました。
そういう中で、番組ではお一人のあるお母さん。やはりお子さんが甲状腺がんだったんですが、
その方は迷いながらも、音声を変えて、そして顔を映さないなど、
様々な条件がクリアされれば「この胸の内を語ってもいい」といって下さいました。
その方にお話を伺います。
10代の子どもを持つ田中佳子さん(仮名)
県の検査で子どもの甲状腺に5mmを超えるしこりが見つかった。
甲状腺がんだった。
周辺のリンパ節の一部の切除した。
田中:
小さい10代の子どもでも「がん」と聞けば、「なぜだ」って
「なぜだ、自分だけがなぜなんだ」
「どうせがんなんだから死んでしまう」そこまで言われました。
古舘:はぁ・・・、
田中:
親として励ます言葉をどうやってかけていいか分かりませんでした。
だから一緒に、「死ぬときは一緒だからな」って、言いました。
古舘:あぁ・・・、そこまでおっしゃいましたか
田中:
夫と子どもは私に「放射能の話はするな」
「お母さん放射能は調べないでくれ」
泣いて訴えているんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
毎日が喧嘩になります。
夫は「知らないのが一番幸せなんだ」って、
「知らないで生活するのが一番いいんだ」
古舘:「つきつめていけばいくほど辛いじゃないか」っていう考えなんでしょうかね…。
田中:
そうです。
だって、
なってしまったんです。
取ってしまったんです。
戻ってこないんです。
田中さんは日々の様子を詳細にノートに記している。
事故当時家の近くは年間の線量でおよそ40ミリシーベルト。
家の雨どい付近では85ミリシーベルトという高い値だった。
子どもは部活に熱心で、原発事故で学校が休みになっている間もひとり雪の中練習していた。
古舘:
2011年3月15日。
大変な量の放射線が降り注いだという時も、全く普通と、今お話し下さったような日常だった。
田中:
そうです。
あの、その日は雪が降ったんです。
で、その日は近所の奥さんが「うちの井戸水を使っていいよ」っていうことで、
みんなして(水を)汲みに行きましたから。
そして「ああ、雪が降ってきたね」っていうかたちで、
とにかく水はあらゆるところを探して歩きました。
古舘:ああ、そうですか。
その震災から7カ月後、県の甲状腺検査が始まった。
1次検査で異常がないとされるとA1判定。
5mm以下のしこりや甲状腺に水分が溜まってできるのう胞が20mm以下の小さいものがあるとA2判定になる。
それを超える大きなしこりやのう胞が見つかるとB判定、C判定とされ二次検査が必要になる。
癌の疑いもあるためさらに詳細な検査が行われる。
そもそもなぜ甲状腺検査が必要なのかといえば、原発事故と深い関係があるからだ。
甲状腺は成長や発達を促すと同時に全身の新陳代謝を調整する甲状腺ホルモンを作りだす。
問題なのは、この甲状腺が必要とする栄養素が「ヨウ素」だということ。
原発事故で放出された「放射性ヨウ素」も甲状腺は区別なく取り込んでしまう。
甲状腺に集まった放射性ヨウ素は放射線を出し続け癌の要因の一つとなる。
新陳代謝が活発な子どもほど放射線の影響を受けやすくなる。
田中さんの子どもは1次検査でB判定。
つまり、5mmを超えるしこりが見つかった。
しかし、手元に届いた通知はこのわずか1枚。
何の説明もなかった。
2次検査まで半年以上待たされた。
田中さんは半年も待てず他の病院を探したが、そこで思いもよらない事を言われたという。
田中:
いざそこに行きましたら、
「(病院の)事務所の手違いです、ここでは検査する事はできません」
「(県が)決めている事なので、個人の病院では検査することはできません」と言われました。
(病院の)事務所では、「どうぞ検査に来られてください」と予約までとりましたので、
いざ先生とお会いしたら、先生は
「うちは出来ません。ここでは出来ません。(県が)決めている事なので」
県内で甲状腺の一時検査を行えるのは県立医大のみ。
来年度から増やす予定があるが、それに選ばれるためには条件がある。
エコー検査をするだけで診断はせず、検査データはすべて医大に送らなければならない。
甲状腺に問題があるかどうかの診断は、医大が一括して判定する仕組みだ。
なぜ県立医大だけに診断の権限が集中しているのか?
甲状腺の第一人者で検査の責任者でもある、県立医大の鈴木教授に話を聞いた。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
お母さん方が心配でどこかで調べる。
するとそこの先生が今度は、「のう胞じゃなくて結節だ、しこりだ」と言ってもう一回(県立医大に)まわる。
で、そうするとそれは全然違う、あの、おー、
小さいお子さんに特徴的な甲状腺の中に認められる胸腺であったり、
あの、血管であったり。
血管をのう胞と言っている。
「私どものところでやった検査と同じレベルの事をやって下さいね」ということも理解してもらわなければいけない。
つまり、県立医大と同じやり方で検査しなければ、異なる診断が出て混乱を招くというのだ。
しかしそれは県立医大以外での客観的な診断を抑えつける結果になるのではないか?
県立医大の検査については不信感を持っている住民もいる。
県の検査で20mm以下ののう胞が見つかった中学生の女の子の母親が取材に応じてくれた。
のう胞が見つかった中学生:
(県の検査は)人数も多かったのでしょうがないかなと思ったんですけど、
やっぱり3分や5分では足りないのかなって思いました。
流れ作業のようだったです。
娘にのう胞が見つかった母親:
どこにどれくらいの大きさのものがあるとか、
たとえばこれから、これ(のう胞)がこういうふうになる可能性がありますとか、
そういう説明は一切なく、あの、「説明してほしい」と言ってもなく、
ただこの文章、2行の文章だけ。
「検査はしません」ということで、
20mm以下ののう胞は県の基準ではA2判定で二次検査の必要はない。
しかし、不安を抱いた母親は県立医大とは距離を置き、県の検査には批判的な診療所を訪ねた。
のう胞が見つかった中学生:
検査の時間が倍以上かかったので、
流れ作業っていう訳ではなくて、時間をかけてじっくり診てくれるっていうのが安心しました。
親子が再検査を受けた診療所。
松江院長は排他的な県立医大の診療方法を強く批判している。
松江寛人院長 ふくしま共同診療所:
検査を受けたけれども「不安だ」っていうのは当然なんですよ。
(県立医大は)「患者に直接説明するな」って言っているんですよ。
それ(患者への説明)も我々がやりますと。
それもね、検査の結果を文章で我々が渡しますと。
なので「(受診者に)直接説明をするな」っていうんですよ。
こんなことありえないですよ。
親子は定期的に検査を続けている。
娘にのう胞が見つかった母親:
先月3ヶ月ぶりに検査をしたんですけど、しこりが突然っていうか、出来てて、
「あ、そういうこともあるんだ」というのを知って、
この先どういうふうに変わっていくのかという不安な気持ちと、
なにも終わっていないっていうか、
この先も続くという思いで生活をしています。
原発事故後体調を崩した娘は、学校の先生に「放射能への不安」を相談したが、
「心配し過ぎだ」と相手にされなかったという。
不信感が募り、今は学校に行けなくなっている。
この女の子が今望んでいる事。
のう胞が見つかった中学生:
包み隠さず、その情報を公開してほしいです。
その情報を公開することで救われる人たちのいると思うし、
やっぱりこれから生まれてくる人達の事も心配なので、
県の甲状腺検査では、この情報公開についても後ろ向きだ。
たとえ検査を受けた本人であっても自分のデータを受け取るためには
県に対して情報開示請求までしなければならなかった。
批判を受けて手続きは簡素化されたが、
それでも申請書類が必要で、受け取るのに3週間ほどかかる。
県立医大に理由を聞いた。
鈴木眞一:
甲状腺のエコーの場合には渡さないのが一般的です。
渡すとなると、渡し方に責任があるので、
えーっとこれは何度も検討しました。
決して我々は渡したくない訳ではないので、渡すんなら渡そうと思ったんですけど、
そうすると、それによる不利益や齟齬(そご)もある場合の非常に多いので、
現実的には、あの、実現しなかったという事です。
再び冒頭で紹介した母親の話を聞く。
田中さんの子どもは甲状腺癌にかかり、すでに切除手術を受けた。
その手術の前に言われた事を今もはっきりと覚えている。
医師が「甲状腺がんの進行は遅く危険な癌ではない」と説明したうえでこう話したそうだ。
田中:
「いま大きくなる様なことはまず心配はありませんから、焦らなくていいですよ」
「いまここで切らなければ、(症状が出る)30歳、40歳になってから、
『見つかった時にきればよかったな』っていうふうに思わないですか」とまで尋ねられました。
「だったらそんなに急がなくてもいいんじゃないですか」と思いましたので、
「じゃあ、2〜3年待って下さい」
「子どもがもう少し冷静に判断能力が付くようになってから手術してもかまわないんじゃないですか?」
ともお尋ねしました。
そしたら、「前例がありませんから」
「発見されてから放置しておくという前例がないので、
見つかったんだから、やはり直ちに切るというのが本当でしょう」と
古舘:うわァ・・・・、その両方を言われた訳ですか。
田中:
あんまり、時間をおいて悩んでいるよりは、早く解決したかったので、
半年以内に手術に挑みました。
いま見つかっている子どもの甲状腺がんについて、県の第3者委員会は
「原発事故の影響は考えにくい」としている。
星北斗座長 県民健康管理調査検討委員会:
放射線の影響はどうかという事については今後きちんと検証する必要があると思いますが、
これまでの知見から言うと「考えにくい」という表現を使っております。
「分からない」というのが正しい表現というのもありますけど、
でも今現時点で我々が知っているこれまでの知見の積み重ねから言えば想定内だろうというふうに言えます。
田中さんはやり場のない思いを抱えている。
田中:
「まだ放射能の事をしゃべるの?心配しているの?」
「まだそんなことばっかり考えてるのかい?それじゃ前に進めないじゃない」
そういう方がいらっしゃいますね。
信頼や信用のおける親戚でも、頼りにしている方でも、
「大したことないんじゃない、そんな事」
「切れば治るんでしょ!死ぬわけじゃないんでしょ!」
「言っちゃ悪いけど、大したことないじゃない!」3回言われました。
大したことあるんです。
それが悔しいです。
だから私は自分で罪なのかと思っています。
「本当の事を知るのが罪なんだろうな」って。
古舘:
例えばですね、福島県以外で別の県で、たとえばお子さんが甲状腺がんになった。
これが分かった時にはですね、病院は福島県のケースよりも手厚く、と言いますか
丁寧に相談に乗ってくれる可能性というものががみえてくるんです。
福島県でこういう状況になった子どもが邪険にされている、その件。
もしそうだとしたら、こんな不条理はありません。
それに付随して言える事はですね、やはり親御さんでお子さんが甲状腺がんだった方で危惧するのは、
18歳を過ぎて大きくなった場合には検査、あるいは治療、そういう事が有料になる可能性があるという事。
これもおかしな話です。
引き続きチェルノブイリの例を見ながらこちらをご覧ください。
19:17
ーーつづく
◇
「甲状腺がん増加は4〜5年後」チェルノブイリの“知見”検証3/11報道ステーション(内容書き出し)
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2014-03-13(14:15) みんな楽しくHappy♡がいい♪
2014年3月11日 報道ステーション
子どもの甲状腺がん 原発事故との関係は…
チェルノブイリで検証
「チェルノブイリは4〜5年後」
甲状腺がんと事故の関係は
福島県平田村
そこに福島県立医大と距離を置き、子どもたちの甲状腺検査などを無償で行っている病院がある。(ひらた中央病院)
エコー検査にかける時間は県の検査よりもはるかに長い。
内部被ばくを測るホールボディカウンターも子ども用の物を導入。
3歳と5歳の子どもを持つ母親:
チェルノブイリでも後から甲状腺の癌が出たとかあったので、
小さいうちから検査を受けておいて、早めに分かれば治療なりなんなり出来るのかなと思って、
ひらた中央病院を運営する 佐川文彦理事長:
今原発事故が起きて、あれからまだ3年しか経っていないんですよ。
まだ集結していないんですよ。
「放射能は心配ありません」「これは問題ありませんから」と言い切れる問題ではないと思う。
27万人を検査して33人。
子どもの甲状腺がんとは年間100万人に一人か二人という、極めてまれな病気ではなかったのか。
被ばく医療の専門家として福島県のアドバイザーを務めた山下氏は。
2014年2月23日
長崎大学 山下俊一副学長:
これはまさにスクリーニング効果そのものであります。
スクリーニングした事がありませんでしたから、その頻度がまだ分からなかった。
一見増えたように見えますけれども、
多分子どもたちがある頻度を持っていたんだろうと。
山下氏の説明はこうだ。
これまでも甲状腺癌は自覚症状が現れることなどで初めて見つかっていた
それに比べて今回は、スクリーニングと言われる処方がとられた。
スクリーニングとはある集団の全員を調べて病気を見つけ出すこと。
つまり、今回の場合は福島県の子ども全員を調べる事で甲状腺に異変のある子どもを見つけることです。
そのため自覚症状がなかった甲状腺がんも見つかり数が多く見えるという。
さらに、県立医大の鈴木教授が繰り返すのが「チェルノブイリ」だ。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
チェルノブイリで4〜5年目から小児の甲状腺がんが多発したっていうこともありまして、
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
最短でチェルノブイリで4年、5年で甲状腺がんが増加した
1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。
大量の放射性物質がまき散らされた後、実は4〜5年後から子どもの甲状腺がんが増えたとされている。
年齢層では事故当時のゼロ歳から4歳が最も多かったが、福島ではこの年齢層は発生していない。
こうしたことから鈴木教授は、現在福島で見つかっている甲状腺癌は
「事故の影響とは考えにくい」としている。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
もちろん、えーっと、放射線との関係影響があるかないかを見ていくために始めた検査ですから、
ある程度の事は言及しなければいけない訳ですけど、
まだその時期ではないというのがひとつ。
まだ、チェルノブイリでの、先程話した事故のデータでも、4〜5年から急増したという事ですので、
今、出ているものに関しては、(放射能が影響した)可能性は非常に低いんじゃないかと。
しかし、福島の子どもたちの健康調査を独自に行っているある医師は、
チェルノブイリのデータに疑問を抱いている。
北海道深川市立病院 松崎道幸医師:
チェルノブイリ事故が起きた時には、
原発事故の後に子どもに甲状腺がんが激増するという想定は全くありませんでした。
最初の4,5年の甲状腺のデータには非常に疑いがありますので、
それを根拠にしてものを断定してはいけないと思います。
チェルノブイリ
甲状腺がんの“真実”
原発事故からの4年間。
放射線の影響による甲状腺癌は本当になかったのか?
真相を確かめるため、私たちは事故から28年目を迎えるチェルノブイリへ向かった。
1986年4月26日
チェルノブイリ原発の4号機が爆発炎上。
莫大な量の放射性物質が放出された。
かろうじて石棺と呼ばれる分厚いコンクリートで覆ったものの、
中には今も溶け落ちた核燃料が手つかずで残されたままだ。
緊急事態省の担当者:翌日住民は避難させられ、これからも絶対に誰も住む事はない。
「甲状腺がん増加は4〜5年後」
チェルノブイリの“知見”検証
チェルノブイリ原発の周辺にあったいくつもの町や村。
あの日、放射性物質は容赦なく人々の元に降り注いだ。
未曾有の原発事故を経験したこの地で、
“子どもの甲状腺がん”と“被爆”の関係はどのような結論に至ったのか?
ウクライナの首都キエフにある内分泌代謝研究センター。
ここには国中から甲状腺の病気を抱える患者が集まる。
甲状腺が専門のこの機関で特に調べ続けているのがチェルノブイリ原発事故の当時子どもだった世代。
この男性は現在30歳。
事故で被ばくした時は2歳だ。
Q:チェルノブイリ事故への不安は?
事故当時2歳の男性:
もちろん気にしている。
故郷は立ち入り禁止で検問所もある。
妻も甲状腺の手術を受けているので気をつけないと。
原発事故のあと異変が見え始めたのは4〜5年後の事だった。
甲状腺がんと診断される人々が急激に増え始めたのだ。
特に顕著だったのが子どもたち。
極めて稀なはずの子どもの甲状腺がんがなぜ増えたのか?
当時から研究所の所長を務めるトロンコ医師は、いち早く放射線の影響を疑い世界に訴えた。
しかしなかなか認めてもらえなかったという。
ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
事故で浴びた放射線の量で、
ある学者は「甲状腺がんが発症する」と言い、ある学者は「発症しない」と言った。
大論争が巻き起こった。
原爆を投下された広島や長崎の調査データをもとにしてだ。
この時医学会の常識とされていたのは、原爆被害を受けた広島や長崎の“知見”
「放射線による甲状腺がんの発症は早くても8年後以降」というものだった。
そのため「事故後4〜5年で見つかった癌は放射線とは関係ない」とされた。
高性能な機器で大規模な検査、つまりスクリーニングを行ったため
「もともとあった癌が多く見つかっただけだ」と。
しかし、現実は違った。
ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
4年で発症するとは思ってもいなかった。
しかしその思い込みは間違いで、子どもたちの潜伏期間はもっと短かったのだ。
様々なデータを集め、事故後4年でも発症している事を実証した。
着目したのは甲状腺がんの原因となる放射性ヨウ素だ。
その半減期は非常に短い。
そこで放射性ヨウ素が消えた後に生まれた子どもたちが殆ど発病していないのに比べ、
放射性ヨウ素が消える前に生まれていた子どもたちは発病率が高いことを突き止めた。
こうして、事故から10年経ってようやく子どもの甲状腺がんと放射線の因果関係が国際機関にも認められた
(国際原子力機関の報告 1996年)
この、チェルノブイリの“知見”。
つまり、事故後4〜5年以上に甲状腺がんが増えた事等から、
いま福島で見つかっている甲状腺癌は「被ばくが原因とは考えにくい」とされている。
取材を続ける中、気になる情報が出てきた。
原発から西へ110kmにあるコロステン
放射ので汚染されたが居住は許されている地域だ。
最前線に当たる検診センター(コロステン検診センター)
事故以来甲状腺がんの検査はどのように行われてきたのか?副所長が語ってくれた。
コロステン検診センター アレクサンドル・グテーヴィチ副所長:
当時は何の機器もなかったので“触診”で診察するしかなかった。
1990年位に初めて、エコー診断装置や線量測定器が入り、検査の態勢ができた。
この地域に高性能の検査機器が納入されたのは、事故から4〜5年経ってから。
“触診”だけで、癌が見逃される事はなかったのか?
実は早い時期から子どもの甲状腺がんが増えていた可能性はないのだろうか?
コロステン検診センター アレクサンドル・グテーヴィチ副所長:検査機器がいいと患者は見つかりやすい。
Q:甲状腺がんをもっと早く発見できた?
コロステン検診センター アレクサンドル・グテーヴィチ副所長:当然、可能だったろう。
内分泌研究センターのトロンコ所長も、事故直後の検査体制は十分でなかったことを認める。
ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
当時のソ連に高性能のエコー診断装置はなかった。
1989年か90年になって、アメリカの大富豪などからエコー診断装置の寄贈を受けた。
それでは、
福島で4〜5年を待たずに早い時期から見つかっている“子どもの甲状腺がん”は本当に“放射線”と関係ないのか?
ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
可能性は低い。
私たちが知る福島の線量は僅かだ。
ただ調査はすべきだ。
科学は予想外のデータを提示する事がある。
28年経つが、私たちは得た回答より疑問点の方がはるかに多い。
チェルノブイリで調査した経験もある、京都大学の今中助教は
「当時起きた事が今の福島に重なって見える」という。
京都大学原子炉実験所 今中哲二助教:
西側のオーソリティー(権威)日本のオーソリティーも含めてどういう反応をしたかというと、
「広島・長崎に比べたら早すぎる」と。
また、同時にいわゆる今でも言われているスクリーニング効果ですよね。
「熱心に検査検診をすれば、それだけがんも見つかる」という事も言われましたけれども、
(今回)福島関係の方々は、「それは福島の事故が原因ではない」
「なぜならば、チェルノブイリに比べたら早すぎる」とおっしゃったんですよね。
それを聞いて、皆さん20年前におっしゃった事を忘れたのかなと、
福島で起きている事態は事故の影響なのか?そうではないのか?
だが、それを検証するための重要なデータが、実は決定的に不足しているのだ。
かつて詳しい検査を目指した研究者がいた。
しかしそこにストップがかけられたという。
ーーつづく
◇
「不安あおる」と県に止められた甲状腺初期被ばく調査3/11報道ステーション(内容書き出し)
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2014-03-14(00:15) みんな楽しくHappy♡がいい♪
「不安あおる」
止められた調査
2014年3月11日 報道ステーション
福島県で見つかった甲状腺癌は事故と関係あるのか?
だが、その検証に必要な初期の内部被ばくのデータが、決定的に不足していた。
被ばく検査「不安あおる」
データ不足 国・県の責任は
国会の事故調査委員会の委員だった崎山氏は
行政による初期の検査体制を厳しく指摘する。
元原発事故調査委員会委員 崎山比早子氏:
一生懸命やろうと思えばできたはずなのに、それを止める力が働いた
原子力災害対策本部では2011年3月、
飯舘村など3つの自治体で1080人の子どもに対して、甲状腺の被ばく調査を行っている。
あくまで簡易的な検査だったが、比較的被ばく線量の高い子どもが3人見つかったのだ。
基準値は下回っていたものの、原子力安全委員会は甲状腺モニターを使った詳しい検査をするよう助言。
しかし、対策本部は検査を行わなかった。
なぜなのか?
これは当時対策本部から原子力安全委員会に送られた文書
詳しい検査をしない理由について、
甲状腺モニターは相当の重量物(約1トン)であり、その移動が困難である。
このような追跡調査を行う事が、本人、家族及び地域社会に多大な不安・いわれなき差別を与える恐れがある。
元原発事故調査委員会委員 崎山比早子氏:
常套手段ですよ。
いつもそうじゃないですか、なにかの時に「やらない」という事の言い訳に、
「不安を与えるから」ということを言うわけですよ。
きちんとちゃんと測ってもらった方が不安はないんですよ。
国の動きとは別に震災直後から福島に入り、放射線の影響を調べた研究者がいた。
弘前大学の床次(とこなみ)眞司教授だ。
弘前大学被ばく医療総合研究所 床次眞司教授:
まずその初期の状況下で住民の人達は果たしてどれだけ被ばくしたのか?という事を知ろうと思いました。
甲状腺がんの原因となる放射性ヨウ素の半減期は8日。
物質が消える前の早期の被ばく検査が重要だ。
床次教授は浪江町などで調査を始めた。
しかし、横やりが入る。
福島県の担当者からストップがかけられたのだ。
弘前大学被ばく医療総合研究所 床次眞司教授:
そこは「もうやめてくれ」という事だったです。
「これ以上やらないでくれ」と。
要は、人に関する事についてはやっぱり、「不安をあおる」というようなね、
そういったところ(行政)の協力がなければ、それ以上、これ以上勝手にやるわけにはいかないです。
こうして貴重なデータを売る機会は失われた。
元原発事故調査委員会委員 崎山比早子氏:
放射性ヨウ素の被ばく線量が分かっていないという事は、
たとえばがんが出来ても、それが「放射線の影響ですよ」とも言えないし、「そうじゃない」とも言えない。
なんの根拠もないという事です。
当時の放射線検査をめぐる異様な空気を床次教授は覚えている。
弘前大学被ばく医療総合研究所 床次眞司教授:
なんか知らないですけど、その、静かだったんですよ。
静寂だったんですよ、研究者の世界で。
本来、普通だったら甲状腺検査をやらなければいけないのは分かっているはずなんですけど、
誰も何も言わなかったんですよ、それを。
「おかしいな」って思ったんですけど、その雰囲気が。
福島県は床次教授にストップをかけたのか?
県に聞いた。
Q:床次さんがおっしゃるには、調査を県側から止められたという事で
福島県県民健康管理課 小谷尚克主幹:
私としては「そこを止めたという話はない」というふうに聞いて、
あの、聞いていますというか、あの…そうですね…
その福島県こそが様々な問題が指摘される甲状腺検査を県立医大と二人三脚で進めてきた。
県による健康調査の問題点を取材してきた毎日新聞の日野記者はこう語る。
毎日新聞社会部 日野行介記者:
私が着目したのはその(県による)情報の管理ですよね。
非常に、情報の公開度が低いというレベルではない程の情報の管理。
自分たちで情報を独占して評価は全部自分たちでやる。
Q:独占することによって何が得られるんでしょうか?
毎日新聞社会部 日野行介記者:
それはもう、「被ばくの影響はやはりない」という事を前提にする。
で、結論を付けられるという事が可能になるのだと思います、このシステムだと。
Q:放射線の影響事態を出来るだけ少なく見せようということが、
なにかしら命題としてあってやってらっしゃるという指摘についてはどうお考えになりますか?
福島県県民健康管理課 小谷尚克主幹:
そういう批判があることも承知しているんですが、
わたくしどもにとってそういうふうにする事が何のメリットもないという事は、
あの、理解していただきたいなというふうには思います。
しかし日野記者は、県の目指すものについてこう指摘する。
毎日新聞社会部 日野行介記者:
最近、住民の帰還。
避難指示解除、もしくは自主避難も含めた部分でですね、住民の帰還という事が議論になっているんですけど、
人口減少を防ぐ、もしくはその先にある産業復興。
福島県が産業を立て直すという事以外に(目的は)多分ないと思うんですね。
原発事故から3年。
先の見えない日々を過ごしてきた福島の人達。
放射能の影響とどう向き合うのか?その答えもいまだ見えていない。
古舘:恵村さんご覧になってどういうご意見をお持ちになりますか?
恵村:
「被ばくで甲状腺がんになるには何年もかかる」という通説ですよね。
これに私自身が捕らわれていたなという事にVTRであらためて気付かされました。
で、3つの事を思ったんですね。
ひとつは、被ばくによる子どもの甲状腺への影響について、
私たち、人間がですね、知っている事ってあまりにも少ないという事なんですね。
広島・長崎では十分な測定はしなかったでしょうし、
チェルノブイリでは何年も測定が遅れたし、
今回福島では、国や県が初期の検査ですね、
これをやらなかったりさせなかったりという事がVTRに紹介がありましたけれども、
ま、そういうことですよね。
それは極めて残念なことです。
それから乏しい知見で判断すれば間違える可能性というのは常にあるわけですから、
今も福島で「違う病院で検査がしにくい」という事が現状であればですね、
それは直ちに是正していただきたいということですね。
二つ目は、被災者が100人おられれば100通りの悩みがあるという事なんですね。
しかもその悩みというのは長ーく続いていく訳で、
国や県と医学会、それから学校もですね、
可能な限り一人一人の思いに沿った検査とか治療とかですね、それから心のケアですね、
みていただきたいという事があります。
それから三つ目は原発がひとたび事故を起こせばですね、
本当に多くの人に苦労を背をわせるという、原発の罪深さですね。
原発再稼働というものに対する根本的な疑問にもつながってくると思います。
古舘:
あの…、お子さんが癌になられたお母さんに取材してつくづく思いましたのは、
みんな周りの方も悩んで苦しい。
だけどさっきの毎日新聞の記者の方がおっしゃっていたように、
産業振興も含めて前向きにやらなきゃってなった時に、
お子さんが癌になってこんなに悩んでいるっていう方に対して、
人間っていうのは無理解が始まってしまう。
そして、家族の中でお母さんが孤立していく。
放射能っていうのは恵村さん、人間関係にひびを入れますね。
恵村:そうですね…分断を招いてしまいますよね、暮らしや心に。
古舘:この件はですね、ここで終わる話では到底ありません。
ーーおわりーー
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