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(アブジャ)− ナイジェリア政府は、同国中央に位置するプラトー州とカドゥナ州で何年も続いている大量殺人問題をほとんど見て見ないふりをしている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書内で述べた。本報告書は、両州で起きた恐ろしい宗教・民族間の暴力事件の数々を列挙するもの。争いにより2010年以降、3,000人超の人びとが犠牲となってきた。
共同体間暴力事件の犠牲者(女性や子どもを含む)の多くは、体を切り刻まれ、生きたまま焼かれ、あるいは銃撃されて殺された。標的とされた理由はひとえに、犠牲者たちの民族性と宗教性によるものだ。本報告書では、ナイジェリア政府がほんの一部の例外を除き、いかにこうした事件加害者たちの責任を問うてこなかったかを検証した。実際に加害者の多くは、事件の起きている共同体内でその身元が広く知られている。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ局局長ダニエル・ベケレは、「目撃者たちはすすんで体験談を伝え、犠牲者の一覧表を作り、加害者たちを特定したが、ほとんどの場合それらに対して何もなされることはなかった」と述べる。「関係当局者はこれらの殺害を忘れてしまったのかもしれないが、犠牲となった共同体はそうではない。法の裁きが下されないなか住民たちは、犠牲者の弔いを暴力に訴えるようになったのだ。」
報告書「すべては神の御手に委ねよ:ナイジェリアのプラトー/カドゥナ州における共同体間暴力事件に対するアカウンタビリティ」(全146ページ、フォトエッセイ付)は、180人超の当該暴力事件の目撃者と被害者、ならびに警察捜査官、検察官、被告弁護人、判事、共同体指導者たちへの聞き取り調査を基にしたもの。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員はまた、主な暴力事件の現場も調査のために訪問、時にそれは虐殺発生からわずか数日後のこともあった。同時に裁判所の関連書類を分析し、プラトー州州都のジョスで行われた一連の裁判手続きの一部にも出席した。
プラトー州は10年以上にわたり、共同体間で繰り返し起きる血まみれの暴力事件に苦しんでいる。これまで何千ものキリスト教徒とイスラム教徒たちが犠牲となった。しかしながらナイジェリア関係当局は、争いの原因となっている共同体間の内在的な不満に対し、なんら意味のある対策を講じてこなかった。それどころかごく最近まで、虐殺の加害者たちに法の裁きを下すことさえなかった。
たとえば2010年にジョスで宗教間の衝突が勃発。農村部のフラニ民族を含むイスラム教徒の虐殺が引き金となり、その報復として今度はベロム民族が大半をしめるキリスト教徒が虐殺された。その年だけで1,000人超が暴力事件の犠牲となっている。
プラトー州の農村部にある共同体で、2010年1月に父親の殺害を目撃した男性はヒューマン・ライツ・ウォッチに、警察に行き犯罪を報告したが、加害者たちは未だ自由に地元を歩き回っている、と話した。「またこんなことが起きたら、今度は警察など行かない。時間の無駄だから」と彼は言った。「どうせ何もしやしないんだ。」
同年のちになって連邦検事総長が初めて介入し、連邦裁判所で被疑者の一部を訴追する結果となった。以降プラトー州検察官も、同州でいくつかの有罪判決を勝ち取っている。これら訴追は暴力の連鎖を破り、アカウンタビリティ(責任追及・真相究明)を実現するにあたり、重要な最初の一歩といえる。が、2010年に起きた大規模な虐殺事件の多くに関し、これら犯罪の目撃者が警察に訴えたにもかかわらず、逮捕・訴追された個人は誰一人としていない。
隣接するカドゥナ州では、過去20年以上にわたる共同体間暴力事件により、同様に何千もの人びとが犠牲となっている。ナイジェリアが軍事政権下にあった期間にいくつかの訴追がなされた例外を除いては、これら殺害について誰も訴追されていない。
2011年4月、ナイジェリア北部で大統領選の結果をめぐり暴力事件が起きるようになると、こうした宗教・民族間の争いが急速に悪化していった。カドゥナ州北部の暴徒がキリスト教徒とその所有財産に攻撃を加えたのだ。その後争いは同州南部にまで広がり、結果として農村部のフラニ族を含む何百人ものイスラム教徒が、キリスト教徒に殺害された。
多くの目撃者たちが警察に事件を告発。カドゥナ州の農村部共同体に住むある男性はヒューマン・ライツ・ウォッチに、2011年4月に隣人2人を殺害した加害者たちの身元を警察に提供したが、警察は何もしなかったと証言した。「やつらが普通の日常を送る様子を毎日のようにみている」と彼は言う。「逮捕は1度だってなかった。」
この証言者が例外なのではない。連邦および州の検察官によると、カドゥナ州で2011年4月に起きた殺害事件で訴追された個人は皆無だ。
ナイジェリア関係当局による共同体間暴力事件への対応は、何年も一貫して驚くほど類似している。警察か兵士がしばしば、犯罪現場にいた何百もの人びとを摘発して、警察署に全員一緒に拘置する。その際逮捕した警察官から何も調書を取らないため、その後検察官が被疑者を特定の犯罪と結びつけるのがほぼ不可能となってしまう。こうしてほとんどすべての事件で、関係当局者はひそかに訴追を断念することになるのだ。
もっとも大規模な虐殺事件の一部を含む多くの事件で、人びとは犯罪を目撃し、加害者の身元を知っている。目撃者たちはしばしば、それでも警察には行っていないと話していた。一番共通して見られる理由は、カドゥナ州農村部のある住民の言葉に集約されている。「警察は何もしやしない。」
警察に行った目撃者も多数いたが、警察は何も行動を起こさなかった。捜査の不実施あるいは不完遂は、警察組織の制度的問題点を反映するものといえる。警察捜査官は、原告が捜査の費用を出さない限り、めったに犯罪の捜査をしない。共同体間暴力事件の被害者は、多くの場合持つものすべてを失う。これに愛する家族が含まれるのは言うまでもない。警察組織の日常的な無反応と無能さの影響をもっとも受けるのが、こうした人びとなのだ。
警察の制度的問題は、共同体間あるいは宗教・民族間の暴力事件において更に顕著となる。共同体や宗教指導者たちはしばしば、犯罪への関与が疑われる自集団のメンバーを背後から支援し、関係当局に立件を断念するよう圧力をかけるのだ。警察や政府の関係者はまた、被疑者の逮捕が新たな暴力事件の引き金となることへの懸念も表している。
ナイジェリア関係当局は、大量殺人を刑事犯罪というよりは、むしろ政治的問題として扱うことが多い。理論上は歓迎すべき調査委員会を政府は設置したが、実際は不処罰を促進する道具と化した。関係当局者による犯罪の捜査・訴追の責任放棄に繋がってしまったのだ。ひとたび調査委員会がその活動を完了しても、報告書は棚上げされて勧告はほとんど実施されず、結果として加害者たちが罪を問われることもない。
正式な司法機関へのアクセスを持たないで苦悩する共同体の住民たちは、これら犯罪を忘れてはいない。その結果はしばしば、正義の制裁を自らの手で下さんと、対立共同体の人びとを殺害するという報復行動に行き着く。こうした死の暴力連鎖はプラトー/カドゥナ両州で続いている。今年殺害された人びとの大半は、2010年と2011年に起きた暴力事件の影響を受けた、何百もの農村部住民で占められている。
別の危険な兆候も見られる。ナイジェリア北部を拠点とするイスラム過激派「ボコ・ハラム」が、キリスト教徒を標的にして殺害することを正当化するのに、一連のイスラム教徒襲撃をめぐる法の裁きがされないことを理由としている。プラトー/カドゥナ州では礼拝中の教会が自爆攻撃にあって数十人が殺害されたことで、新たな宗教・民族間の衝突が勃発した。
こうした暴力の連鎖は必然のものだ。ナイジェリア関係当局は、大量殺人を含む共同体間の暴力事件加害者を確実に捜査・訴追し、被害者の多大な損失を賠償あるいは補償するための速やかな措置を講じることができるはずである。
カドゥナ州のあるキリスト教指導者は現状を次のように表現した。「宗教的相違をめぐるいかなる理由につけ、これら暴力事件の加害者たちを訴追する政治的・司法的意思がなければ、問題の終わりはいつまでも見えてこないだろう。」
Information is based on Human Rights Watch interviews in communities affected by the violence, monitoring of Nigerian and foreign media reports of violence, lists of victims compiled by community leaders, and the report of the judicial commission of Kaduna State inquiry into the April 2011 violence.
© 2013 Giulio Frigieri/Human Rights Watch
http://www.hrw.org/ja/news/2013/12/12-0
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