気づいたら12月。いつもなら、1年を振り返ってのあれこれや、来年の予想なんかを書く時期なのだが、今年はとてもそんな気にはなれない。
「師走」という。僕はむろん「師」なんかではないけれど、それでもこのところ走り回ってばかりいる。余裕がない。安倍のせいだ。
数年前、会社を辞めた時は、こんな今の自分をまったく予想もしていなかった。友人や知人に「これからどうするの?」と聞かれれば、「モットーは『悠々自堕落』だからね」とか「平和ボケ老人になるつもり」などと茶化していたが、半分は本気だった。
年金と少々の蓄え、それにほんのわずかの原稿料などで、つつましく、けれどノンビリと暮らしていくはずだった。
「晴耕雨読」とカッコつけるほどの知識も教養もないけれど、好きな本を読み、ちょっとだけ原稿を書き、散歩に出て、晩酌を少々、そして映画を毎晩1本観て、穏やかな眠りにつく。これを僕のささやかな人生の終わりにつながる生き方にするつもりだった。事実、しばらくはそういう暮らしを楽しんでいたのだ。
けれど、あの「3.11」が僕のそんな夢をぶち壊した。
僕は、雑誌や書籍の編集を長い間続けてきた。その過程で、原子力発電というものに興味を持ち、雑誌での原発特集や原発関連の書籍の編集もずいぶん担当した。原発に詳しい方たちの知己を得た。作家や研究者、ジャーナリストなどの知り合いもそれなりに多い。その方たちから、さまざまな知識や情報を得ることができたので、一般の方たちよりはほんの少しだけ原発に関しては知っているかもしれない。
そんなわけで、「マガジン9」での連載コラム「時々お散歩日記」は、編集部の要請もあり、3.11以降はほとんど原発関連の文章のみになった。「マガジン9」は、様々な分野の方たちの連載やインタビュー、ルポルタージュなど多彩な表現の場だ。だから、僕の連載が原発に偏っても、ほかの執筆者の素晴らしい記事があるのだからかまわないと思ってきた。
その原稿を書くために、僕はため込んでいた原発関連の本を読み返し、新しく資料を集め、本を求め、新聞雑誌を読み、様々な集会や学習会にも顔をだし、デモにも参加し、旧知の(本当の意味での)有識者に意見を伺い、自分なりの考えをまとめてきた。
そうしてこの「お散歩日記」を、原発関連のみで書き続けてきた。
ところが、安倍がゾンビ復活してから、どうもそうとばかりは言っていられなくなった。僕のこの小さなコラムも、原発関連だけでなく、安倍体制そのものを批判せざるを得なくなったのだ。
ルナール『博物誌』(岸田国士訳、新潮文庫)という本がある。いろんな動物を、短い卓抜な文章で描き出し、フッと笑みがこぼれる本だ。その中に「蛇 長すぎる」という一文がある。ほかの動物には数十行を費やしているのに、蛇には、これだけ。でもあまりに言いえて妙。
その真似をしていえば
【安倍 ひどすぎる】
ほんとうに、彼が政権を握ってから、まるで右ハンドルしかついていない暴走車のように、凄まじい勢いで「信介おじいちゃまへの先祖返り」。戦後68年、なんとか戦争もせず、それなりの国際的地位を保ってきたこの国のありようを、根底からぶっ壊そうとしている。
その右傾政策は数え上げればキリがないほどだが、それを担保する法案として、安倍がしゃにむに強行しようとしているのが「特定秘密保護法案」だ。
原発再稼働も原発輸出も集団的自衛権容認も日本国軍創設も地球の裏側への自衛隊派遣も沖縄米軍基地押しつけも辺野古新基地建設強行もオスプレイ容認も高江地区ヘリパッド建設もTPP裏交渉も社会保障制度劣悪化も生活保護費引下げも高齢者医療負担増加も消費増税も憲法違反選挙制度放置も教育現場への政治介入も皇室の政治利用も…そして…、
究極の狙いは憲法改悪。
どうだ、この凄まじさ。そして「特定秘密保護法」こそ、これら山積みの「日本国改悪政策」に反対する者たちの口を封じるために、安倍にとってどうしても必要な武器なのである。
数え上げればキリがないと書いたけれど、実際にこう書き連ねてみると、ほんとうに肌に粟を生じる。
この国が、本気で戦争準備に入ったのかと思わせる。
マスメディアの、この法案に対する動きはまことに鈍かった。それでも、各市民団体、各職能団体、各地方、各研究者組織、それにフリージャーナリストや作家などが独自に動き出し、それにつられるようにマスメディアもようやく気付いた。むろん、「報道の自由が侵される」という自らの仕事に不利だという身勝手な思いが半分だとしても、動かないよりはいい。
あんなに腰が引けていたテレビも、多少の報道はするようになった。遅きに失してはいるけれど。
その効果は次第に現れてきた。日本弁護士連合会さえ、とうとう集会を開くほどになってきた。彼らにとっても、「何が秘密か分からない」状況下で逮捕された被告人を弁護するという状況は、職業上、どうしても避けなければならないことだろう。
それにしても、森雅子秘密保護法担当大臣の答弁は悲しすぎるほどひどかった。二転三転どころじゃない。何度転んだか数えきれないほどの大迷走。特定秘密指定には「統一基準がある」と言ったり「各省ごとにバラバラ」と答えてみたり、ほとんど涙目になって右往左往。聞いているこっちまで、思わず貰い泣きしそうな“いじめられっ子”ぶり。でもこれ、決して“いじめ”なんかではない。何としてでも確認しておかなければならない重要な法案の細部だったのだ。
でなければ、こんなデタラメな法案が成立してしまった後で“いじめられっ子”にされてしまうのは、我々国民なのだから。
ほんとうにひどい、デタラメな法案なんだ。僕のツイッターにも、「一般の人が知る必要のない秘密もあるのだから、反対するほうがおかしい」などという反論・批判・ときには罵声がずいぶん寄せられた。でも、こういう人に限って、ほとんど法案を読んでいないようだ。
きちんと読めば、中身の危うさがすぐに分かる。だから、僕が条文に即して危険性を書くと、そういう批判は飛んでこない。ただ「バカがいる」とか「なんでも反対屋」などという無意味な罵倒が繰り返されるだけ。
もうたくさんの記事や批判が飛び交っているので、詳しくは書かないけれど、それにしても自民党石破茂幹事長のご意見には恐れ入った。
政権与党の幹事長というNo.2の要職に在りながら、いや、そんな要職者だからこその本音が出たわけだ。さすがに一斉に批判を受け、自民党議員のお家芸、例によってすぐに謝罪訂正(言い換えにすぎないが)したけれど、これがまるで訂正になっていない。
人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思います。
このブログが批判されると、以下のように訂正。
「テロと本質的に変わらない」と記したが、この部分を撤回し「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思う」と改める。
では石破が言う「本来あるべき民主主義」とは何か?
20万人を集めた原発反対の国会包囲デモの人々の訴えを無視することか。これまで81回を数えてなお持続する官邸前抗議の声を聞かないことか。「特定秘密保護法案」に関する9万人のパブリックコメントの8割近くが反対だった事実を無視することか。福島県で行われた秘密保護法の公聴会で7人の陳述人全員が反対だったことを忘れてしまうことか。日比谷野音や国会周辺で毎日行われている抗議やデモをシカトすることか。多くの団体や人々が反対を表明している「特定秘密保護法案」を強行採決することか。
これが石破の言う「本来あるべき民主主義」なのだ! ずいぶんと勝手な解釈。「自由民主党」という党名を、よく恥ずかしげもなく名乗れるものだ。
だが、この「特定秘密保護法案」に対する危惧の声は、もはや燎原の火のごとく燃え広がっている。
石破よ、安倍よ、よく見るがいい、業火に焼かれる前に。
僕がつかんだだけの情報を書いておこう。
日本弁護士連合会(各県連)、特定秘密保護法に反対する学者の会、日本科学者会議、特定秘密保護法制定に反対する刑事法研究者の会、九条の会、表現人の会(作家、映画演劇人、音楽家など)、日本ペンクラブ、日本新聞協会、日本雑誌協会、日本写真家協会、JCJ(日本ジャーナリスト会議)、全国市民オンブズマン連絡会、グリーンピース・ジャパンほか多数のNPO団体、日本放送労働組合(NHK労組)ほか多くの労組、秘密保護法に反対するTVキャスターの会、福島県議会、国立市議会、小金井市議会(ほかに数カ所の地方議会が準備中)、日本各地の反対する会多数…、
この悪法に反対もしくは懸念を表明している組織・団体は、僕が知り得ただけでこの数だ。むろん、これで全部のはずがない。多分、ここに挙げたものの数倍〜数十倍の反対表明があるはずだ。
このほかに、全国各地でこれまでに延べ100カ所を超える特定秘密保護法反対デモが行われているし、集会に至っては把握できないほどの多さ。
今週が山場と言われる中、連日のように、国会周辺やその他で、デモや集会、座り込み、キャンドルデモ、人間の鎖(国会包囲)などが予定されている。
僕も、できるだけ多くの場所へ参加するつもりだ。
息苦しい世に生きたくはない…。
http://www.magazine9.jp/article/osanpo/9714/