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2014/01/04 【岩上安身のツイ録】「圧制もまた愉快なるかな」〜福沢諭吉の「時事新報」論説を読む 「栄光の明治」の延長としての「暴走の昭和」、そして現代
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/118697
民権、自由平等、開明の元祖「福沢諭吉」も【岩上安身のツイ録】によると、帝国・植民地主義の権化だったらしい、明治維新の志士を育てたと言われる松下村塾で吉田松陰で説いた中身は、インドまで日本の勢力を拡大して・・・というのもだった。太平洋戦争時代唱えられた「八紘一宇」なるのももこの辺が元祖出所であるらしい。
【IWJ特報!119・120・121・122号】旧日本軍による隠されたジェノサイドの真実 〜北海道大学名誉教授・井上勝生氏インタビュー(ePub版発行しました!)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/118560
も合わせて考えるとよい。
安倍ちゃんの自民党政権の右翼。軍事国家化、靖国参拝の意識もこの辺にあるらしい。それなら占領軍アメリカに絶対隷属して国民。国土をアメリカのグローバル巨大資本に売り渡し、国民を放射能汚染を浴びせて平気でいる神経の基が分かるかも知れない。特定秘密保護法もTPP参加も日本版NSCも、「ナチスのように密かに改憲」も従軍慰安婦や数々の過去の虐殺行為も。自国の兵士や庶民へ行ったの特攻や餓死、無意味なとっかん攻撃による圧政などを同時に行える神経も、それを隠蔽して美化してしまう歴史修正主義も、そのための方便にすぎないのかも。
以下、【岩上安身のツイ録】を紹介します。
重要資料については、可能な限り、引用された部分ではなく、原典を読むべき、とはよく言われるが、本当にその通りだとつくづく思う。昨今、「時事新報」の論説等について、真筆論争の起きている福沢諭吉であるが、その論説そのものをまとめて読んでいる。福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集〜国権拡張脱亜の果て」杉田聡編(明石書店)。福沢の「脱亜論」等は評判が悪い、と聞いて、わかったような気になり、今さら 当時の論説をわざわざ読み返さなくてもいいだろう、時代制約もあったろうし、と、思ってきた人(私もその1人)。読んでみた方がいい。ここでつまみ食いをして紹介するより、実際に読んでもらった方がいい。福沢諭吉の対外政策に関する論説群は、ありのまま読めば、ネトウヨと変わらない。
こう書くと、ネトウヨの元祖は明治の「知の巨人」、ということになり、ネトウヨにお墨付きを与えるようで、複雑ではあるが。二、三、紹介しておこう。1882年3月に書かれた論説。「圧制もまた愉快なるかな」。タイトルからして悪魔的、かつ今日的である。ほんの少し前なら、圧 制など過去の話と笑って片付けられたが、安倍政権の誕生以降、誰も笑えなくなった。140年前の論説は、今も命脈を保っている。
福沢諭吉は、洋行中に目撃した、英国人が中国人に対して、「幕吏」の如く、威張り散らしている様子にふれ、なんと「英国人民の圧制を羨むのほかなし」と書く。羨ましい、というのだ。そして、いつの日かその英国人民すら奴隷のように扱いたい、と続ける。その英人をも奴隷のごとくに圧制して、その手足を束縛せんものをと、血気の獣心、おのずから禁ずることあたわざりき」。中国人を憐れむのでもなく、英人を憎むのでもなく、圧制する側に立てば愉快だろう、というのだ。締めくくりはこうだ。「圧制を憎むは人の性なりと言うといえども、人の己れを圧制するを憎むのみ。己れ自ら圧制を行うは、人間最上の愉快と言いて可なり(中略)」。福沢は、圧制は最上の愉快、と言い切っている。その後、こう続く。今日、我輩が外国人に対して不平なるは、なおいまだに彼の圧制を免れざればなり。我輩の志願は、この圧制を圧制して、ひとり圧制を世界中にもっぱらにせんとするの一事あるのみ」。要するに世界制服宣言である。その理由も、自存自衛のため、などではなく、愉快だからである。85年3月の有名な「脱亜論」。「これはアジア東方の悪友を謝絶するものなり」というくだりが有名である。付き合いをやめよう、という程度の話かというとさにあらず。中国と朝鮮の二国は 明治維新のような改革があれば別だが、そうでなければ、「今日のはかりごとをなすに、わが国は隣国の開明を待ってともにアジアを興すの猶予、あるべからず。むしろその伍を脱して、西洋の文明国と進退をともに し、その支那・朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈におよばず。まさに西洋人がこれに接するの風に従って処分すべきのみ」。「処分」、である。なんという酷薄な、と思う。
福沢は徹底してアジア侵略を支持した。明治の日清・日露あってこその、昭和の満州事変、日中戦争、そして米 英相手の太平洋戦争がありうる。欧米列強から東亜を解放する、などという陳腐な大義を掲げる偽善は、福沢には見当たらない。1894年7月。「日清の戦争は文野の戦争なり」というタイトル。これは国と国との戦争ではなく、文明と野蛮の戦争であり、野蛮を文明化する戦争であると 主張する論説。ここで皆殺しを肯定する。「陸上の牙山にてもすでに開戦して、かの屯在兵を皆殺しにしたることならん(中略)」「……幾千の清兵はいずれも無辜の人民にして、これを皆殺しにするは憐れむべきがごとくなれども、世界の文明進歩のためにその妨害物を排除せんとするに、 多少の殺風景を演ずるはとうてい免れざるの数《運命》なれば、彼らも(中略)、その運命の拙きを、自ら諦むるのほかなかるべし」。そして、中国人が反省したならば、「多少の損失のごときはものの数にもあらずして、むしろ文明の誘導者たる日本国人に向かい、三拝九拝してその恩を謝することなるべし」と、虐殺しても感謝されるはずだと、気の狂ったようなことを書いている。同年8月8日には、朝鮮人の赤ん坊を抱いた日本兵が中国人の頭部に「文明」の弾丸を撃ち込む漫画を掲載した。きりがないのでここらでやめておく。列強の側に立ち、その隊列を「文明」と称して、侵略を正当化する、その姿勢は、安倍政権が強調する価値観外交、すなわ ち、日本は米国と、自由と民主主義という価値観を共有しており、価値観の異なる中国と対峙している、という物語と相似である。
福沢諭吉を擁護する論者もいる。「福沢諭吉の真実」(文春文庫)を著した平山洋氏は、その代表格。時事新報に掲載された、国権拡張を擁護する論説の多く が、福沢の真筆ではなく、側近が書いたものだ、として、福沢を擁護し、自由主義者としての福沢のイメージを再強化しようとする。しかし、この平山氏の主張についても、杉田氏は平山氏の手法の問題点を細かく指摘し、批判する。実際、時事新報の創刊者で、オーナー経営者で、主筆で、編 集トップは、福沢諭吉である。弟子に草稿を書かせても、彼の思想のもと、すべての論説が書かれ、掲載されたことは間違いない。
昨年末(と言っても2日前だけど)に発刊した「IWJ特報」で、井上勝生北海道大学名誉教授のインタビューを掲載し、そこで知られざる日清戦争の時期の日 本軍の朝鮮人農民に対する虐殺について詳しく触れたが、こうした事件に対する福沢の態度も異様である。関連づけて読んでいただきたい。もし、福沢諭吉をまっとうに批判できないならば、安倍政権の姿勢も批判できないだろう。巷のレイシズムやヘイトスピーチの横行も批判できないだろう。圧制 は愉快、と言い切り、アジアを分割せよ、とためらいなく主張した明治期最大のイデオローグが偉人として紙幣の肖像画に採用されている国。福沢が煽った日清戦争から太平洋戦争の大敗までは、一本の道でつながっている。今度、同様の反復が行われようとした場合、日本が欧米から見放され 孤立するまでに前回ほどの時間はかからない。米国が日本を守る、と考えるのはお花畑過ぎる。米国が守りたいのは自国の利害、権益である。「分割」されるのは、今度は日本かもしれない、ということを、我々は忘れてはならないと思う。
福沢諭吉の論説を紹介したのは、福沢諭吉個人を批判したり、ましてや慶応大学を貶めるためではないので、念のため。福沢諭吉ほどの知的巨人でも、朝鮮・中 国への蔑視と侵略思想にのめり込んでいたということ。それが明治の時代精神であり、その侵略思想は実践され、その延長に昭和があるということ。福沢個人攻撃は本意ではないし、そんなレベルで終わらせてはならない。福沢諭吉を読む、ということは、明治から昭和にかけての帝国主義の思考を読むという こと。実際、あの時代の支配層が何を考えていたか、実によくわかる。そして、今、その繰り返しをしようとしていることもありありとわかる。ひとっ風呂浴びたので、これから、福沢諭吉の、「時事新報」の対外政策に関する論説紹介の続きを打ちます。何度もいいますが、福沢個人攻撃ではないし、彼 の業績のすべてを否定するものではない。時代精神の代表として取り上げるものです。そして、それは現代となお、一続きです。
今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々あれども、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか。当時の最大のイデオローグである福沢諭吉の生の宣布を読まずにきてしまったからではないか。当時の論説をありのまま読むと、福沢の論法、レトリック、罵詈雑言に至るまで、今も命脈を保っていることがよくわかる。正月早々の社説。「時事新報」の1887年1月6日付社説は、「朝鮮は日本の藩屏なり」というもの。朝鮮は日本の囲いであり、防御線である、と主張する。日本と朝鮮との関係は落ち着きを見せていた。それが福沢は気に食わない。
「むかし江戸城を守らんと欲する者は、…」
……遠く箱根の険をやくし(おさえ)、なお進んで富士川・大井川等に敵を食い留めんとしたるがごとく(中略)、日本島を守らんと欲する者も、ただ日本島にのみ防御の手当てを限らず(中略)、遠く日本島外の地にまで防御線を張り、早くも日本島外の地において……」
「……敵の侵入を食い留めるの工夫、肝要なるべし。……敵の侵入を食い留めるの工夫、肝要なるべし。いま日本島を守るにあたりて、最近の防御線を定むべきの地は、かならず朝鮮地方たるべるや疑を入れず」。
こうした福沢の主張は、山県有朋の朝鮮は日本の利益線、という主張に影響を与えた可能性が高いと、編者の杉田聡氏は述べる。翌日、1月7日付の社説は、
「外国との戦争かならずしも危事・凶事ならず」。侵略戦争の煽動、連投である。ここで福沢は、徳川時代の鎖国の平和をこき下ろ し、文明国の条件として戦争が必要なのだという主張を展開する。「時と場合によりては、戦争もまたはなはだ有益なるものにして……」
「…(中略)兵必ずしも凶事ならず、戦かならずしも不祥ならざるなり」。福沢は、元寇も秀吉の朝鮮侵略も同列に並べ、歓迎する。「北条のじだいに支那兵、 九州に来冦し、豊臣秀吉、天下を取るに当って大兵をあげて朝鮮に攻め入る等、一時は大いに日本人が孤島に安眠するの習癖を…」
「……破らんとするの模様もありしに、惜しいかな徳川三百年の治世、再び日本人をして蟄居、世間を見ざるの陋習(悪習)をなさしめ、(中略)外に対するの心、すでにはなはだ温順なれば、内に対するの心も互いに調和して、互いにあい親しみ、親密・敦厚、全国いたるところ…」
「……ただ春風・春水の洋々たるを見るのみ」。徳川時代の内にも外にも温順で平和な様子を描く段落、誉めているのか、けなしているのか、よくわからなくなるが、もちろん福沢は、これをけしからんとしているのである。「人心の小康に安んずるを矯め」、つまり人々が平和で慎ましい幸せに安息している状態自体を変えるため、「…人心をして世界の広きを思うて大いに自ら奮起 せしめんとするには、国に外国との戦争起こるをもって、最も効力の迅速なる方法を得るものとす」。
つまり戦争は「手段」なのだ。驚くべきことに、福沢は戦争の勝敗すら、どちらでもよい、といったことを言い出す。
「……開戦三、四ヶ月、やがて和睦・休戦にいたれば、戦争の当時、味方の勝敗いかんにかかわらず、戦後、人心の向かうところはもっぱら外国にあり(中略)……」
「…… もっぱら自国の富強を急ぐにありて、貿易に、兵備に、交際に、力の及ぶ限りを尽くして少しも油断することなく、初めてようやく当世の一文明国たる資格を備うるにいたるを得べし」。
なんでも良いから、戦争してしまえ、その結果として、国内の緊張は否応なく高まる。その結果として、文明国の仲間入りができる、というのだ。戦争の結果もかえりみることなく、何でもいいから、戦争のできる国家にしてしまえ、という安倍政 権の姿勢の不可解さも、140年前の福沢の論説を重ねてみれば、なるほどそういう目論見なのか、と合点がいく。同意はしないが。この論説を、福沢は次の一説で締めくくる。
「…その戦争避くるの損害は、早くも戦争そのものの害に幾倍するところあらんことを、恐るるなり。戦争は、必ずしも百毒・百害の性質あるものにあらざるなり」。
戦争が、まるで多少副作用のある薬草程度の扱いである。福沢諭吉は、民権論者である、というのは大きな誤解である。85年2月、自身の経営する「時事新報」の社説は、「求むるところはただ国権拡張の一点の み」。タイトルだけで十分に中身がわかる。
福沢はまた、開設された国会にも明治憲法にも批判的だった。ひたすら政府寄りである。92年7月、「一大英断を要す」では、かの民党なるものは、従来、政府に反対の運動を試みたるもののうち、最も恐るべきもの」と書き出す。
福沢は「学問の すゝめ」等では「啓蒙的」な言説によって民権論者を目覚めさせたが、現実の運動には敵愾心を隠さないと、杉田聡氏は述べる。
「しかるに22年の憲法発布に引き続き、23年の国会開設以来、民党の気炎、にわかに増長して党派の形をなし、公然、政府に反対することとなりたるは、すなわち今日の現状なり。…」
「……政府が国会を開設したるは、あたかも憲法と名づくる城郭を二分して、その一半を敵に与え、己れ自ら他の一半を守りて、同じ城内にあい争うものなりと 言うも、あるいは当るがごとし」。
民権論者、議会政党は、福沢の目からは「敵」でしかない。新聞の社説で堂々、そう書く。政府に楯突く野党がうるさい。されば、と福沢は続ける。「されば今のはかりごとをなすに、ただ英断をもって対外の大計を定め、社会の耳目をこの一点に集めて、もって国内の小紛争をとどむるの一法あるのみと、我輩のひそかに信ずるところなり」。
次からの一節は長いが重要。奥羽・函館の戦争もすでに平定し、諸藩の兵隊はいずれも東京に集まりたるに(中略)、互いにあい争わんとするの勢いあり。(中略)時の参議・木戸準一郎(孝允)氏はここに一策を案じ、
『(中略)兵隊の矛を外に向けてその思想を一に集むるのほかに、策あるべからず。…』」
「『…外に向けるとあれば、その方向はとりあえず朝鮮なり。朝鮮、罪なしといえども、内の治安のためには換えがたし。ただ熟考すべきは費用の一点な り』」。
罪のない朝鮮に対して、とりあえず、侵略戦争を始めようと、維新の三傑の一人、木戸孝允は考えた、というのだ。とりあえずの侵略!木戸孝允は、問題は費用だけだとして、大村益次郎に相談した。木戸も大村も長州。大村益次郎は、靖国神社の銅像で知られる。「勝てば官軍」の官軍を率いた軍事リーダーで、日本陸軍の創始者。ちなみに福沢と大村は緒方洪庵の適塾で同窓。福沢は大村を攘夷の狂人扱いしていた。死してのち靖国のシンボルとなった大村も、とりあえずの朝鮮侵略に賛成した。
「…大村もこれに賛成し、試みに計算するに、『その費用は一年三0万にして可 能なり(中略)』」。何度も言うがこれは公刊された新聞の社説である。侵略の計画もその費用の試算も、公然たるものだった。木戸孝允がこの侵略計画を持ち出したのは、「西郷翁等の征韓論に先立つこと数年なりしという」。維新の志士たちに朝鮮侵略はシェアされていた。幕末、その思想的バックボーンとなった水戸学には、すでに朝鮮侵略の思惑は胚胎していた。維新とワンセットだったとみていい。
福沢はこう続けて書く。「…内の人心を一致せしむるために外に対して事端を開くは、政治家の時に行うところの政略にして、(中略)現に明治七年の台湾征討 のごときは、すなわちこの意味の政略にほかならずして、しかもその目的を達したるものと言うべし」。
台湾出兵も内政の転嫁だった。「…人心を外に転じせしめるの方便としては、南洋諸島に植民地を開くの策もなきにあらず」と、あっけらかんと書きつつ、それではあまりに尋常だ、平凡だ、 と続ける。
「…植民の事業はあまりに尋常の計画にして、一時に人心を転じて内の紛争忘れしむるの効果少なかるべきがゆえに…」
「…我輩はやはり木戸氏のひそみにならうて、朝鮮攻略を主張せざるを得ず」。福沢の狙いが戦争によって内政面で政府の権限を強化する、ある種のショック・ ドクトリンである事がよくわかる。侵略や戦争の行く末など、微塵も気にかけていない。
「とりあえず」ショックであればいいのだ。日清戦争の大義は、朝鮮を属国扱いしている清国から挑戦の独立を勝ちとるため、とされてきた。しかし福沢は「朝鮮侵略戦争のすすめ」とも言うべきこの論説の中で、「ひっきょう独立といい所属というは名義上の問題のみ」と本音を明らかにしている。戦争を起こすだけでなく、その後の植民地化の計画についても、あれこれ書き並べているのだが、一つだけ引用する。朝鮮北東部では政府の圧制で人民が苦しん でいるらしい、と聞いた福沢は「シベリアへ逃げ出す者もいて、幾十万里の土地、ほとんど人煙を見ざるありさまなりという」と書く。そこで、福沢はまた無茶苦茶なことを言い出す。
「思うにこの地方たる、幾千百年来、開拓の国土にして、南洋未明の島嶼などの比にあらざれば、同国政府と約束の上、わが国にあふるる無数の貧民を、その地に移して耕作に従事せしむるは、彼我の便利にして、…」
「……ことにわが国のためには、未開・不案内の地に植民するよりも、その利益大なるものあるべし」。
貧しき者を救え、ではなく、他国の土地に侵略し、そこに貧乏人を追い払え、というのである。石原慎太郎すら可愛ものだと思えてくる。
勝海舟の「氷川清話」読み返さないと。福沢論説だけだと胸くそ悪くて眠れない。 RT @santikazushi: 日朝中連合海軍を構想した勝海舟を毛嫌いしたのも道理です。じつは福澤こそ、近代主義の皮をかぶった通俗儒者の筆頭だったのではないかと考えます。発想は華夷秩序そのものですし 差別はかなりなもの。 RT @azureneo: 『#福沢諭吉の教育論と女性論』 #安川寿之輔 著 #高文研 によると徹底した差別主義者だったようです。 RT@iwakamiyasumi 驚くべきことに福沢は戦争の勝敗すら、どちらでもよい、といったことを言い出す。
@iwakamiyasumi @siro_nagasu 吉田松陰/ 「疏球を収め、朝鮮を取り、満洲を攻め、支那を圧し、印度に臨み、以て進取の勢を張り、以て退守の基を固くし、神功の未だ遂げざりし所を遂げ、豊国の未だ果たさざりし所を果たすにしかず」 (一八五六年『幽室文稿』)
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