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(回答先: 「心のノート」を、実質上の道徳の教科書にしやがった 投稿者 クビーラ 日時 2014 年 1 月 03 日 07:50:42)
要するに、当初は「改訂版 心のノート」を作るつもりであったのである。その原稿も、既に出来上がっているかもしれない。あとは、出版社に注文して製本するだけだろう。ところが急遽、2013年12月26日に、「心のノート」という名前を棄てて、「わたしたちの道徳」にすることにしたのである。何故だろう。僕が、2013年12月25日から27日にかけて、「心のノート」をおやめになったらいかがですか、会計検査院が黙って見ていないでしょうと要望している間のことである。もしかしたら、会計検査院の会計検査が怖かったのだろうか。それは、そうだろう。官庁というものは、会計検査院が怖いに決まっている。「心のノート」との連続性を断ち切りたかったのだろうか。しかし、それは名称を変更しただけであって、中味はまったく変わっていない。非人間的で不道徳なHayao Kawaiとは 訣別したいということを意味しているのだろうか。
今の子どもは、かわいそうだ。地域社会での大人や子どもとの関係が希薄になった。人格を通して、近所のおじさんやおばさんから教えてもらうことも稀だろう。子ども同士で泥まみれになって遊ぶこともない。外出するのは、せいぜい塾通いのときだけだ。遊びといえば、コンピュータ・ゲームだろう。それならば、せめて考える力を身につけてもらおうではないか。そうすれば、自分の力で道徳性さえも獲得することが可能になるかもしれないのである。電車の中で人をたたき起こしておきながら、我関せずとばかりHayao Kawaiの『心理療法序説』の書名をひけらかすように読んでいた大学生(「冷血動物著『心のノート』」December 24, 2013)は、考える力が欠落しているのである。Hayao KawaiやDaisaku Ikedaが不道徳なのも、やはり考える力がないからである。
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