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「宇都宮氏の選挙運動は、安倍政権に対するNo!の運動であるとはっきり位置づける必要がある。:想田和弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/13005.html
2014/1/1 晴耕雨読
https://twitter.com/KazuhiroSoda
「宇都宮氏では勝てないから応援しない」という声が聞かれる。
懸念は分かるが僕は応援する。
彼は「オレが、オレが」という人ではない。
彼もおそらく懸念を共有している。
それでも早目に出馬表明したのは、選挙戦を単なる勝ち負けのゲームではなく社会運動に高めたいからだろう。
その趣旨に賛同する。
三宅洋平氏が出馬表明したとき、彼は政治的には無力に見えた。
17万票も獲得できると予想した人間は皆無だった。
ところがあの短い選挙期間で一種の社会現象が起きた。
彼は選挙には負けたがそれが無駄だったとは全く思わない。
宇都宮氏の選挙戦は社会運動の重要な契機としてとらえるべきだ。
「今度の都知事選で負けたらマジでヤバい!」と焦るのも分かるが、僕から言わせれば日本の民主主義はとっくにヤバい状態にある。
そしてここまで民主主義が後退した主原因は、知名度頼りの勝ち負けゲーム選挙にあったと僕は思う。
その後退を止めるには腰を据えて本質的に向き合うしかない。
秘密保護法の一件で、安倍政権が極めて危険であると気づいた人がマスメディアの中にも増えていることを実感する。
秘密法以前には僕の主張は完全に異端だったが、今はそうではない。
風向きは変わりつつある。
宇都宮氏の選挙運動は、安倍政権に対するNo!の運動であるとはっきり位置づける必要がある。
善きことはカタツムリの速度で動く。(マハトマ・ガンジー)
> 「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)
d(⌒o⌒)b
「選挙戦は単なる勝ち負けのゲームではない」とつぶやいたら「想田は選挙で勝てなくてもよいと言っている」と曲解する人がちらほら。
だが、「勝てなくてもよい」などとは一言も言っていない。
むしろ僕は、本質的な意味で「勝つ」には「ゲーム」にしてはならないと申し上げている。
野球で言えば「ストライクをとりにいくような投球はかえって打たれる」ということです。
あるいは「ヒットを打とうとするとかえって打てない」ということともいえる。
そのニュアンス、分からないかな。
勝とうとしたら負ける。
勝とうとすることは雑念であり、打算だから。
> 政策や理念でなく、勝てる候補を応援する「勝ち馬に乗る」的思考が政治を腐敗させている。政治家、政党だけではなく、これは我々有権者にも言えることではないのか。
同感です。
> 宇都宮健児氏の再度の都知事選立候補は、単なる人気投票ではなく、想田監督が語るところの、日本の民主主義の後退と「本質的に向き合う」必要性を少しでも多くの民衆に伝え、その輪を広げていく、という活動であるとも思う。
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