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第10回 2014.1.1 松本昌次(編集者・影書房)
真の「歴史認識」のために
第2次世界大戦の敗戦から、70年近い歳月が経っているにも拘らず、中国・韓国などアジア近隣諸国によって、いまなお「歴史認識」の無知を問われつづける日本の為政者たちの頭は、一体どんな構造になっているのだろうか。いや、アジアだけではない。このたびの安倍晋三首相の靖国参拝によって、とうとう頼りにしていた米国からも「disapointed」(失望した、失恋した)とまで言われたのである。そればかりか、ロシア・EU、いわば世界各国からも批判は続出。つまり、かつて日本がアジア諸国を植民地支配したり、侵略戦争で加害の限りをつくしたことは、世界の「歴史認識」の常識になっているのだ。その常識に目をそむけ、まともに認めようとしないのが、その当事者である日本自身だからなんとも情けないとしかいいようがない。
*「諸外国が…」という前に日本人の手で止めよう靖国参拝(漫画=壱花花)
安倍首相が靖国神社に参拝したということは、ドイツのメルケル首相が、ヒトラーやアイヒマンなどの墓(あるかどうか知らないが)に参拝したことと同義なのである。もしそんなことをしたら、メルケル首相は法的にも、そして民衆からも即刻クビになるだろう。ヒトラーなどと同じく、東条英機以下7人、東京裁判で断罪され絞首刑になった人たちは、戦争犯罪人なのである。ヒトラーと手を結び、天皇制支配のファシズム体制を推進し、内外の多くの人命を犠牲にした責任者なのである。安倍首相の祖父の岸信介はA級戦犯だったが辛うじて命をながらえ、戦後、首相として返り咲き、60年安保闘争を弾圧したことはよく知られている。
それはともかく、安倍首相が「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊(ご丁寧に「御」が冠せられている)に対して、哀悼の誠を捧げ」「世界の平和と安定」を願うと、例によって例のごとく、現実の政治行動とは裏腹の美辞麗句・常套句を撒き散らしているが、世界の良識がそんなことでごまかされると思ったら大間違いだ。しばらく前、テレビのあるインタビューで、靖国神社の宮司の一人が、戊辰戦争(1868〜69)での新政府軍(旧幕府軍は賊軍としてのぞく)の戦死者から、太平洋戦争に至る戦死者「246万6532柱」は、個人別々ではなく、一つの「かたまり」となって祀られていると話しているのを聞いて、びっくり仰天した覚えがある。従って合祀に反対しても、個人の「御英霊」はもはやとり出すことはできない。つまりA級戦犯として処刑された人も、一兵卒で戦死した人も、誰も彼もが一緒くたの「かたまり」になっていて、靖国神社に参拝するということは、その「かたまり」に参拝するということなのである。
またふたたびそれはともかく、安倍首相は、靖国神社参拝のみならず、NHKの経営委員を自分のとり巻きで固めたり、歴史事項に対する政府見解を求める教科書検定基準を改定したり、特定秘密保護法案の推進とともに、いまや戦争中の「愛国行進曲」を日々奏で、酔い痴れているかのごとくである。安倍首相の靖国参拝を全面的に評価する産経新聞によると、安倍首相のフェイスブック(写真)には、参拝後、「いいね!」というボタンが4万回押されたという(小田嶋隆氏談話・朝日12月29日付)。これらの曖昧な大合唱をあたかもみずからを支持してくれるものと錯覚し、研究者・芸術家・ジャーナリスト・市民運動家・民衆など広範な人びとの反対の声を無視した先には、一体何が横たわっているか。敗戦につづく第二の「歴史の審判」以外の何ものでもあるまい。
過去のあやまちをあやまちとして認めることは、決して恥ずべきことではない。逆にそれらを隠蔽することこそが恥なのだ。他国のことをとやかく言う前に、まず自国のかつての戦争責任を直視し、真の「歴史認識」を回復すること、そのためのたたかいは、まだまだつづきそうだ。
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