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株式日記と経済展望
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先の参拝批判はケネディ大使の暴走ではないのか。もとより外交にずぶの
素人を送り込んできたオバマ政権、同盟国への配慮が足りないようである。
2013年12月30日 月曜日
◆靖国参拝 オバマ政権の偽善 ワシントン駐在客員特派員・古森義久 12月29日http://sankei.jp.msn.com/world/news/131229/amr13122903080000-n1.htm
米国のオバマ政権は安倍晋三首相の靖国神社参拝に対し「失望」を表明した。その背後には靖国に祭られた霊の中に米国を敵として戦い、戦後に戦犯と断じられた人たちがいるからという理由づけもあることは明白である。
だが米国の首都のワシントン国立大聖堂にもアメリカ合衆国を敵として戦い、戦後に戦犯扱いされた将軍たちが祭られている事実が新たな注視を集めたことは皮肉だといえる。オバマ政権の、自国と日本に適用する価値基準が明らかに背反しているからだ。
首都中心部にそびえる大聖堂はキリスト教のあらゆる宗派の礼拝や追悼の国家的な場となってきた。多数の大統領の国葬や歴史上の人物の式典が催され、無数の米国民が参拝してきた。
大聖堂のネーブ(身廊)と呼ばれる中央の礼拝堂の祭壇わきには南北戦争でアメリカ合衆国に反旗を翻し、奴隷制を守るために戦った南部連合軍の最高司令官のロバート・E・リーとその右腕のストーンウォール・ジャクソンという2人の将軍の霊をたたえる碑文と生前の活動を描く多色のステンドグラスが存在する。その慰霊表示は礼拝堂の壁面全体でも、よく目立つ巨大な一角を占めてきた。
その事実が話題になることはこれまで少なかったが、12月11日、大聖堂で南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラ氏の追悼式が催されたのを機に議論を生んだ。
ワシントン・ポストの首都圏コラムニストのジョン・ケリー氏が「なぜリーとジャクソンが大聖堂で栄誉を受けるのか」と題する記事で疑問を提起したのだ。「人種平等のために戦ったマンデラ氏を悼む場に人種平等阻止のため戦った2人が堂々と祭られていることに驚いた」との指摘だった。
バージニア州のランドルフメーコン大学のエビー・テロノ歴史学教授も「首都の大聖堂にこの首都自体を破壊しようとした将軍たちの慰霊表示があることは矛盾」との見解を述べた。
だが両将軍の大聖堂への祭祀(さいし)は1953年と歴史は古い。南部連合の子孫の女性団体が20年がかりで訴え、実現させた。その結果はリー将軍らの「高貴な信念の豪胆なキリスト教戦士」という碑文での聖人化であり、戦場での勇猛な活躍ぶりのガラス画化だった。
こうした疑問に対し大聖堂の広報官は「南軍将軍の慰霊表示も米国の歴史のキリスト教の視点からの紹介であり、歴史にはよい部分も悪い部分もある」として公式の反対はないと言明した。死者の霊は生前の行動によって責められることはないとの見解だった。
だからこそこの大聖堂にオバマ大統領も閣僚たちも頻繁に参拝するのだろう。だが、その政権は靖国に対しては問われる前に日本の首相の参拝への「失望」を喧伝(けんでん)するのだ。ブッシュ前政権が当時の小泉純一郎首相の靖国参拝を認め、むしろ中国の圧力に屈するなという意向を示したのとは対照的である。
日本の首相は頻繁に靖国を参拝すべきだというジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は「オバマ政権の靖国への態度は大聖堂の現実からみると明らかに偽善的だ」と論評するのだった。
◆「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 12月28日
http://melma.com/backnumber_45206_5954164/
安倍首相の靖国参拝に「失望」した米大使館声明に「失望」した
本国のエンドースはあったのか、国務省は正式な追認をしていない
どうやらケネディ大使の「暴走」ではなかったか?
首相の靖国参拝に「失望」(disappointted)という語彙を用いること自体、外交儀礼を書いている。友好国に用いるべきではなく、外交の素人としか言いようがないのが、今回の米国大使館の声明だった。
ワシントンの本省ではサキ報道官が「在日大使館の声明を読んでください」と言っただけで、公式的に声明を追認していない。ホワイトハウスは沈黙したままである。
こうみてくると先の参拝批判はケネディ大使の暴走ではないのか。もとより外交にずぶの素人を送り込んできたオバマ政権、同盟国への配慮が足りないようである。
渡部昇一『自立国家への道』(到知出版社)
どうも、この本が安倍首相をして靖国神社参拝を決断させたのではないか。渡部氏は、しきりに安倍首相に「ガッツをもて」と説いておられるうえ「日本を間違った方向へ導いてはならない」と警告している。
「他国の宗教に介入するのは野蛮国である」とする基調で貫かれている本書は、ウェストフェリア条約の基本精神を演繹されている。
すなわちヨオロッパは十七世紀の宗教戦争の結果、1648年にウェウストファリア条約の成立をみたが、これは「他国の宗教に介入してはならない」と規定している。
「以後、先進国はこの規定を守り、内政に干渉することはあっても宗教には一切干渉することはなくなった」
しかるに最初に条約をヒトラーがやぶり、ついでマッカーサーが規定を無視して日本に神道指令を押しつけ、「戦勝の勢いに乗って靖国神社を焼き払おうとした」
こともあった。
「三つ目のウェウストファリア条約違反は、いまの中国と韓国による靖国参拝批判だが、これは野蛮国のすること」だとされる渡部氏は、韓国をさらに批判して「歴史認識にすり替えている」と分析される。
「靖国神社問題は純粋に宗教の問題です。先祖、先人の霊を慰め供養するというのは、長い歴史と伝統によって培われた日本人の宗教的感情であり行為です。国のため命を捧げた人々を慰霊する靖国神社参拝は、この日本人の伝統的宗教感情の発露に他なりません。中国と韓国の剥きだしの対日批判は、日本人のこの宗教行為に手を突っ込み、伝統を破壊しようとしている、ということです。こういうのを野蛮というのです」
したがって、「こういう国は軽蔑する他はありません」と論旨明快にして日本の対場をあざやかに代弁した快著である。
(私のコメント)
首相の靖国神社参拝問題は、非常に奥が深い問題であり、歴史や宗教や文化などの問題が絡んでくる。中東ではアメリカ軍が十字軍よろしく10回目の十字軍遠征が行われているとも言える。ヨーロッパでは十字軍遠征のみならず宗教戦争が長く続けられて、キリスト教の名のもとに多くの殺戮行為が行われてきた。新大陸におけるインディオの大虐殺もキリストの名の下で行われた。
大東亜戦争も、キリスト教国家アメリカと神道国家日本との戦いであり、終戦後においては靖国神社は非常に微妙な立場に置かれた。マッカーサーは靖国神社を潰してドックレース場にするつもりだったようですが、ローマ法王庁に相談したところ止められた。ウェストフェリア条約から見ればとんでもない行為であり、取り壊していればアメリカは近代国家ではない事になる。
いうなればアメリカと言う国家や国民は中国や韓国と同じようなレベルにある国家であり、ヨーロッパにおける熾烈な宗教戦争を体験していない。だからブッシュは十字軍遠征を行いイスラエルを支えている。以前にも書きましたがアメリカのキリスト教とヨーロッパのキリスト教は違っており、アメリカのキリスト教は17世紀の宗教戦争を体験していない。
アメリカ人は、キリストの神の名のもとにインディアンを大虐殺した子孫たちであり、白人のキリスト教徒でなければ人間と見做さない面があり、1950年代頃までは黒人を火であぶり殺して女も子供もそれを見て楽しんでいた。そのような新聞記事が残されているのだから事実なのだろう。
日本はそのような野蛮な国と戦争をして負けたのであり、アメリカ軍の兵士にとってはインディアンと同じく虐殺の対象でしかなかった。日本人を虐殺するにはインディアンを挑発したように経済封鎖で追い込めばいい。インディアンに対しては食料であるバッファローを絶滅させてインディアンを滅ぼして行った。日本との戦争もその延長にあった。
第二次大戦中のアメリカ軍がどんなに残虐非道であったかを知る人は少ないが、日本軍の残虐行為だけがBC級戦犯として処刑されたが、アメリカ軍の違法な残虐行為は処罰される事は無かった。黄色いサルの仲間を殺しても殺人にはならないからだ。当時のアメリカの戦争ポスターにも日本兵はサルとして書かれていた。
日本軍の兵士がなぜ捕虜とならずに自決した理由としては、戦陣訓を守ったというよりもアメリカ軍やオーストラリア軍の捕虜となっても「死の行進」をさせられて生きて帰る事が無かったからだ。沖縄の戦いでも婦女子に自決用の手榴弾が配られたのも、アメリカ軍兵士に暴行されて殺されたからであり、それは欧米側の記録でも残っている。
◆アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。(以下略)
(私のコメント)
このようなアメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行を日本政府に告発しても日本政府には何も出来ない。日本国の総理大臣が靖国神社に参拝してもアメリカ大使館は「失望した」と発表するくらいだから、日本人の戦死者を弔う事すら憚らねばならないのは残念なことだ。ハリウッド映画ではアメリカ軍兵士は規律正しい兵士と描かれていますが、記録を調べれば嘘であることが分かる。
それでも中国軍やロシア軍に比べればまだましだったのでしょうが、日本軍兵士の南方戦線で生き残って帰ってきた数があまりにも少ないのは、捕虜となる前に殺されたり捕虜となっても「死の行進」で殺されたからだ。ミューギニアでは14万に兵士のうち帰れたのは1万人ほどだ。「バターン死の行進」はアメリカ軍が作ったものであり、詳しく調べた女性がいるが、アメリカ軍が行った日本兵へ行った「死の行進」とは異なるようだ。
◆「バターン死の行進」の虚構
http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/entry/2434264/
本郷 アメリカがでっちあげた「バターン死の行進」についても、この本で取り上げていますね。
溝ロ アメリカが焚書にした本というのは、当然、アメリカにとって都合が悪い本なわけです。そのひとつに日本人が書いたフィリピンにおける従軍記がある。「バターン死の行進」をつくりあげるのに、これらの本が邪魔だった。ウソがばれるからです。
本郷 溝口さんは、焚書本の『比島従軍記南十字星下」(向井潤吉著、昭和十七年)を、地方の図書館で探し当てたそうですね。
溝口 この本を見つけたときが、今回の執筆における一番のハイライト場面ですね(笑)。
『比島従軍記南十字星下」には、「投降の敵将校に紅茶の接待」という、アメリカ軍将校に紅茶をふるまっている場面を撮影した写真が載っています。その写真を見ると、米兵はまるでピクニック姿ですよ(笑)。軽そうなリュックを背負っている。同じ行程を護送のため歩いた日本兵は、背嚢を背負って、銑を担いで歩いているんです。また、同じ本には「診療を待つ捕虜の列」という、野戦病院で診療を待つ捕虜の列を撮影した写真もあります。捕虜の体を気遣っているのがよく分かります。これらは米軍の一部の部隊に向けた対応かも知れませんが、日本軍は米兵を丁重に扱っていたんです。この事実はもっと知られるべきです。(後略)
(私のコメント)
神社は戦没者を祀った神社であり、そのような施設は世界の多くの国にある。アメリカ大使館の「失望した」発言は、宮崎氏によればケネディ大使の発言らしいのですが、マスコミではアメリカ政府の発言のように報道されている。ヘーゲル国防長官との電話会談もキャンセルされ、日米の共同演習もキャンセルされたからアメリカ政府自身も「失望している」のだろう。
大東亜戦争は戦闘は終わっても、思想戦や言論戦が残っているのであり、アメリカ政府は中国や韓国と共同戦線を張って日本のマスコミを使ってやりたい放題の事が出来ますが、日本側はネットで細々としか反論が出来ない。戦後多くの図書がアメリカ軍によって燃やされて歴史が書き換えられてしまいましたが、「バターン死の行進」も日本兵捕虜を殺すための口実として使われたものらしい。フィリピン戦線での60万人の兵士の内で死者が47万と桁外れに多いのは餓死もあるが、できるだけ捕虜を取らない軍であった事もあるのだろう。飛行機から突き落とされた日本兵捕虜も多い。
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