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中国からの輸入呪術だった靖国。国禁犯して死者へ適用の招魂社/日本古来の伝統を破壊のニセ保守
保守のふりのニセ保守は、ウソとデマで成り立っている。保守ジェスチャーが不可欠だ。国土喪失の福島を放置しておいて米軍基地拡大に金をだす、TPP売国をやってないがら、時々はイアンフーとか靖国とか核武装とか二分間憎悪を発動せずにはおれない。これに騙された保守人士も多いだろう。ウソを見抜く真実の保守、日本人の命と国土を保守してほしい、被曝と、外国のための手先戦争から守って日本を保守する真正の保守が、いま日本には問われている。
中国輸入儀式に日本で社を与えて創った装置だった靖国「神社」
騙されないようにするため、古来と新設とを明確に分けなければいけない。ウィキの委細を要約すると次のようになる。日本古来の国禁であった死霊招魂式を開始してしまったのだ。さらに神社のふりをさせした。
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靖国「神社」(東京招魂社)は、
1、軍人戦死者への招魂式を幕末・明治初に、長州藩が中国から輸入して招魂社を新設
2、中国道教の儀式にもかかわらず、日本古来の神社神道の形式を採用し「神社」と名のらせた。長州では招魂「場」→東京では招魂「社」→のち「神社」
3、招魂祭は、日本古来の神道鎮魂祭とは別ものである。招魂祭は中国陰陽道
4、死者に対する招魂祭すなわち死霊招魂祭は、日本古来、国禁であった。遅くとも平安時代以来、天皇が禁止
5、皇軍軍人の戦死を安国のためと認定。国のための制度。
6、皇軍軍人のみの戦死霊を招き出し国のために招魂式をする場が招魂社
7、儀式の時だけでなく何時でもこれからもずっと招魂し続けるように改名したのが「靖国神社」
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靖国社は招魂し続けるところであって、鎮魂を行うところではない。靖国はあくまで万世不易神霊厳在に招魂式を行う招魂社だ。「鎮魂社」ではない。にもかかわらず鎮魂を願った、とか言う。これは大間違いだとわかる。が知ってて言うなら大虚つきだ。
なぜ嘘を言うか。死霊招魂祭で、死霊の前で未来の新しい死霊に誓ってほしいのだ。次に死んでくれるヘイタイが欲しいのだが、そんなことはサスガニ政府でもはっきりとは言えないだろう。(いま中国が一発ドカンとやって日本人犠牲者が出てくれれば色々大喜びのものどもがいるか?けしからんことだ!)
==招魂、こは鎮魂にはあらず==
このように、天保の国学者・伴信友(若狭小浜藩生まれ1846没「天保の国学の四大人」)が述べている。
これを否定し隠し、鎮魂のふりして、古来の神社づらさせた制度が東京招魂「社」のちの靖国「神社」だ。
長州国もとのように東京招魂「場」とはしなかったところが味噌なのだろう。長州に招魂「場」を初めて創ったときは神道と別物と意識していたであろう。社の形式を与え、さらに新政府の神社制度に連ねて、上からの強制と誤解とが、「神社」にしていっただろう。ロベスピエールを研究した者がいたかもしれない。
われわれの先人達が騙されたからと言って今また騙されることはない。
靖国は、鎮魂・慰霊の場どころか逆だ。死霊を眠らせずに呼び出す場所、招いた死霊を前に誓う場所だ。
何を誓うか?
勿論、戦死に至らしめた軍命の如何に係らずこれを是認し、戦死をもたらした敵への愾心と復讐を誓う。自らの家を亡ぼし、我が身を擲って、死霊の列に連なる決意をもって誓う場所だ。招いた死霊が新しい未来の死霊を呼び奮い立たせる。死霊の霊力を借りて国家を守る制度。
だから当然、そこにA級戦犯を合祀するということは、軍人戦死だと認定することであり、招魂式の対象とすることであり、眠らせるのではなく「万世不易・神霊厳在」に招き、致死の軍命を是認し、戦死の原因となった敵に・・・を誓う、というこを常在制度として行っているということになる。A級戦犯を判決・処刑した戦勝国当局の心中は・・・。
一般的な「宗教」のふりをしているが宗教でないことは明らかだ。国家の行う軍命と戦争。その戦死軍人のみを対象とする以上国家の行為に対し分ち難く固着し是認しているのであって国家と分離しているとは到底言えない。
国家の名でなした命令と行為を全て丸ごと是認するのは国家装置だ。それが宗教であるわけない。宗教法人だと言いなしているが問われるだろう。
ある外人が「追悼施設だ」と説明されて、あっ、それなら全ての民族に認められるべきだなどと言い出すのは、大した耳学問か、わざとだ。追悼施設ではない。戦死軍人の死霊の霊威を借りる招魂式を恒常化させるための社であって、国家のための制度だ。けっして戦死当人や遺族のためでないことは、労災を讃える制度が労災被災者のためでないのと同じように、明らかだ。
日本古来のと言う時、本当かと問わねばならぬほど嘘吐き「日本人」がかなりまえから増殖していないか。尊王攘夷→開国脱亜入欧、これが同一人物グループで平気でおこなわれた魔術的根底は、「TPP絶対反対ブレない」に生きているかもしれない。「日本の伝統を守る」と言うその舌で「英語を公用語」とアカラさまに言い出すはずだ。われわれは、信じろといわれてへーへーと信じる「善男善女」ばか男ばか女であってはなるまい。
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(以下wikiから要点まとめ)
靖国「神社」は日本古来の神道ではない。中国から輸入した道教の招魂祭を、死者に行うのは日本の国禁であった。が、慶応元年1865年初めて長州でが社を造ったものである。
神道の鎮魂祭みたましづめ、とは違うものだ。
すでに平安時代に招魂祭を死者に執り行うことは禁止されていた。しかしそれを長州藩が幕末・明治初に戦死霊の招魂祭制度として新設した。
(投稿者感想;なぜ長州藩が始めたかは奇兵隊創設と関係があるであろう。東京招魂社を造るべしと提案したのは、長州の百姓から学問で出世した大村益次郎であった。忠君のための出身階級を超越した戦争戦死の死霊共同思想とでもいえようか。)
その目的は、招魂社を靖国神社と改名の祭文に明確だ。
一時の招魂でなく万世不易の招魂、死者の霊を前に復讐を誓い、軍人戦死霊の列に繋がることを誓う場所
赤き直き心で
家を亡ぼし
身を擲(なげう)って
もって安国
これでは後の「爆弾三勇士」も「神風特攻隊」もあたりまえの必然となる。
自らの家をも亡ぼして我が身を擲たさしめる制度、これを恒常的に行わさせる制度、これが古来の神道であるわけない。神道の形式をとって社殿・儀式を新作した、幕末に輸入した中国道教の改作であった。(導入して百四十年以上経ってるんだから日本古来の伝統だと言い張るなら、お雇い外国人も古来の伝統か?公用語を英語にするか?)
「招魂祭は
生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)
日本の陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。」
日本初の招魂社は長州で、
櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)であった。
以上は要約。
以下は各ウィキからの部分引用です。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82
招魂祭 wiki
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概略
日本の陰陽道では衰弱している生きた人間の活性化のため、
中国の道教では死者の霊魂の離散防止のためとして行われる。
神道の生者・死者の双方に対する鎮魂祭とは別のものである。
日本の陰陽道
平安時代の中頃から貴族社会に浸透した。初見は『小記目録』第8巻「御祭事付解除」の「永延二年十月十一日招魂祭時」という記述。「永延二年」は988年。人には「魂」というものがあると信じられ、熟睡したり悩み事に屈託したときには衰弱した肉体からその「魂」が遊離すると考えられていた。そのため、病気やお産などの際に身体から遊離した魂を屋根の上で衣を振るなどして招き戻す祭祀を行った。
生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)。1025年8月の藤原嬉子の死去に際し陰陽師の中原恒盛は招魂祭を行い、祓を科せられそうになったという。
日本の陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。
用例と鎮魂祭との混同・区別
用語としては
『日本書紀』巻第29、天武天皇14年11月24日(丙寅)条に「是日為天皇招魂之」とあるが、
『釈日本紀』巻21秘訓6 [1]はこの「招魂」を「ミタマフリス」と訓じ、
同書巻15、述義11では「今鎮魂祭也」として、『日本書紀』の「招魂」の記述を「鎮魂祭」のこととしている。
伴信友も『鎮魂伝』で「例の漢ざまに傚ひて、招魂と書なされたるもの」 [2]としている。
伴信友はまた「比古婆衣」第20巻で
「後醍醐天皇日中行事に、日毎せうこんの御祭、今は定まれる事なり、とあるせうこんは招魂にて、こは鎮魂にはあらず、陰陽家にて別に招魂祭とて為る方なるべし」 [3]と述べて、招魂祭と鎮魂祭との区別を明確にしている [4]。
中国の道教
道教では死者に対しても招魂祭を行う。但し、復活の儀式ではない。たとえば紀元前の戦国時代の『楚辞』には宋玉の「招魂篇」では罪なく奸人に追われて死んだ屈原を偲び、その魂の離散を恐れ、呼び戻す為に行われている。『楚辞』九歌の「国殤」には「身既に死して神以て霊・魂魄毅として鬼雄となる」とある。現在でも死んでから1〜3年後に常設の「神主(しんしゅ)」(儒教でも用いる。仏教の位牌にあたるもの。)に名前を記し、新たな先祖として祀る。すると、一種の鬼でありつつ、子孫の幸福・安全を守る先祖となるとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE
招魂社 wiki
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日本初の招魂社は櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)である。
王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。
死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E7.A4.BE.E5.90.8D
靖国神社 wiki
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「靖国」は『春秋左氏伝』第6巻僖公23年秋条の
「吾以靖国也(吾以つて国を靖んずるなり)」を典拠として明治天皇が命名したもので、1879年(明治12年)に改称された。当初の東京招魂社の「招魂社」は
「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて
万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する」可能性があるために廃されたというが[6]、名称変更後も「招魂祭」は続けられている。因みに同年6月16日の
「社号改称・社格制定ノ祭文」には(*改行は投稿者)
「赤き直き真心を以て
家を忘れ
身を擲(なげう)ちて
各(おの)も各も死亡(みまかり)にし
其(その)高き勲功に依りて
大皇国をば安国と知食(しろしめ)す
が故に靖国神社と改称(あらためとなえ)」とある[6]。安来が根の国であるということを暗に示したという説もある。
6.^ a b 賀茂百樹編『靖国神社誌』、靖国神社、明治44年、17頁。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816146/28
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E7.A4.BE.E5.90.8D
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ウィキ部分引用おわり
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