08. JohnMung 2013年12月29日 10:05:58
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日本人(国民)をペテンにかけだまし取った議席で、衆参で多数議席を占めたことから、頭に乗って悪業悪政三昧ときて、普天間の辺野古移転を仲井真知事をエサで釣って許可取得し、その上、チョンの守護社である靖国神社を参拝して、してやったりとほくそ笑んだのもつかの間、すでに屁たれ実績のある安倍チョン三は中韓からは計算尽くだと言われるに至っては、トイレの神様にしがみつくしかないでしょw(引用始め) ”安倍首相靖国参拝で中国&韓国 実は大喜び!” DAILY NOBORDER 12月27日(金)23時48分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131228-00010000-noborder-pol 安倍晋三首相が26日、東京・九段下の靖国神社を参拝したことに対して、予想どおり中国、韓国が猛反発している。 中国の程永華駐日大使が即座に外務省を訪れ、対応したい斎木昭隆事務次官に「極めて遺憾を覚える」などとする抗議を伝え、本国では王毅外相が木寺昌人駐中国大使を呼びつけ約40分にわたって強い抗議を行った。韓国も同様な反応だ。 だが、こうした表向きの動きと裏腹に在京の中国消息筋は同日夜、DNBの取材にこう語った。 「安倍首相は我々の思惑通り動いてくれた。これで尖閣諸島もまた一歩、我々の手に近づいた……」 理屈は極めて簡単だ。中国政府はこれまで安倍政権を「右傾化、軍国主義的」などと批判してきた。安倍氏が「誤解に基づく批判である」「中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたい」とどんなに抗弁しても、国際社会の常識では“首相の靖国参拝”は「戦犯の崇拝」「戦争の肯定」と捉えられてしまう。 実は中国の狙いはそこにある。 今回の参拝で、これまで“筋違い”との批判もあった中国の主張の正当性が裏付けられ、国際社会もそれを認めざるを得なくなる。とくに尖閣諸島については「仕掛けてきたのは日本側だ」との主張もできる。前出・王毅外相の「重大な結果の責任は日本がすべて負わなければならない」という言葉に裏には、そういう意味が含まれている。 26日付の米ウォールストリートジャーナル紙は、「とかく日本を軍国主義だと騒いできた中国指導部にとって、靖国参拝は最高のプレゼントだ」とまで書いた。 一方、反日姿勢を続ける韓国の朴槿恵大統領にとっても渡りに船だ。最近では韓国国内からも大統領の対日姿勢について批判の声が上がりつつあった。それも安倍氏の参拝で、一気に正当化されることになる。韓国の国防省は参拝を受けた27日、南スーダンのPKO活動で日本の自衛隊から提供を受けた銃弾は、補充が届けばすぐに返却すると表明した。 靖国参拝で安倍氏の私的心情は満たされたが、代償で失われた国益は決して小さくない。 (引用終了) ゲリは死ねば止まるが、死んでも治らない「真正のバカ」の安倍チョン三は、ほんの2ヵ月半前の ↓ の意味すら理解できなかったようですw (引用始め) ノーボーダー政治:“千鳥ヶ淵戦没者墓苑”に献花した米国務・国防長官(大貫 康雄) 2013年10月08日 http://no-border.asia/archives/15252 【写真】千鳥ヶ淵戦没者墓苑祭壇 http://no-border.asia/archives/15252/altar_of_chidorigafuchi_national_cemetery-2 10月3日、アメリカのケリー(John Kerry)国務、ヘーゲル(Chuck Hagel)国防の両長官が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れ献花したことをさすがにマスコミは報じない訳には行かなかったようだ(NHKが報道した記録は確認できなかったが)。 アメリカ政府は両長官の千鳥ヶ淵献花を“戦火を交えた両国民の和解と戦没者への敬意を示すためのもの”と見解を示した。これは“靖国を拒否する”というアメリカ政府の明確な方針表明である。アメリカの要人は靖国問題で当初から間接的に関わりを持っている。千鳥ヶ淵戦没者墓苑を巡る肝心の歴史がきちんと報じられていないので、主な経緯を挙げておく。 第二次大戦中、海外で死亡した日本人は約240万人。多くの遺骨は身元がわかり遺族の元に引き取られたが、身元不詳や引き取り手のない遺骨が厚生省(当時)の庁舎内に仮安置されていた。このため国民の間では戦後早くから「きちんとした安置・慰霊の方法、場所を」との声が上がっていた。 この議論を一歩前進させ、現在の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の形にした契機は1953年の秋で、アメリカ・ニクソン(Richard Nixon)副大統領(当時)の対応だった。アジア太平洋諸国歴訪で日本を訪れたニクソンは、日本側からの靖国訪問の要請を拒否したのだ(当時からアメリカが靖国は、大日本帝国の戦争遂行イデオロギー機関、戦争賛美機関と見ていたことがわかる)。 第二次大戦の総括もしないままの日本は、当時も相当の衝撃を受けたらしく、これを機に世界各国同様、宗派に関係なく、特に外国の要人が安心して訪れる戦没者慰霊碑を作る機運が加速した。 53年12月、墓苑建設を閣議決定。その後、いくつかの候補地が検討され、全国から訪れる人たちにとって便利で、都心としては緑も豊かな千鳥ヶ淵に絞られる。建設工事開始直前の58年8月、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の名称を閣議決定。59年3月、およそ1.6ヘクタール(5000坪)の千鳥ヶ淵戦没者墓苑が竣工する。 以来、この戦没者墓苑での礼拝式には、皇室関係者、歴代の内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官らが出席するのをはじめ、年間を通して新宗教者連盟などを始め、多くの人たちが宗派にとらわれず、思い思いのやりかたで戦没者の冥福と平和を祈っている。今年5月も安倍総理大臣が慣例に従って訪れている。 79年にはアルゼンチンのヴィデラ(Jorge Rafael Videla Redondo) 大統領も訪れ献花をしている。 それでも千鳥ヶ淵戦没者墓苑が外国要人の訪れる施設には定着しなかった。実際、75年に訪日したエリザベス(Queen Elizabeth 2nd)英女王の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問は、事前に反対にあい実現しないという失礼を演じている。靖国を国の施設と主張する自民党内右派などの動きが活発だったからだ(もしエリザベス女王の訪問が実現していたら、その後の外国の元首・要人の千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問が恒例行事となり、外交上重要な役割を果たしていた可能性は推察できる)。 皮肉なことに小泉政権時代、靖国問題が過熱し国際問題化した結果、自民党内から、千鳥ヶ淵戦没者墓苑周辺の国有地を含めた整備拡充計画が出されたりしている。 アメリカの国務、防衛二人の長官の訪問を機に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を外国要人が安心して訪問・献花できる施設として定着させるべきである。 (引用終わり)
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