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「守り」 これは良い言葉に思えるかもしれません。何をどうすることなのでしょう。
例えば、「権利を守る」 とは、大きな力の保護下に入ることを意味します。実質的には権力志向の状況であり、政府や国連など、大きなものに力を持たせ、その一部を利用して他人に矯正したり、自由の侵害をすることです。
社会でおきる事が、人のこころの中にもあります。「守る」というイメージは、対象をそれ以外から隔離させます。守り手に統治(支配)される「あんぜん安心」の状況です。 「守る」は排他的・脅迫的な精神態度なのです。 「守る」という言葉の構造と効果に気付いた時、視界が開きます。神経症的な支配の道具に過ぎないのが明確に理解できるようになります。
3億円事件の過程をみれば「守り」による支配の仕組みを理解できると思います。
@ 白バイ警官のフリをして3億円を奪い取ったのは現職警察官幹部の息子でした。
A 周囲の警官たちは、その幹部の経歴と組織を守ろうと、犯人である息子を殺害させて事実を隠しました。
B 犯人が見つからない事にしてしまったので捜査を継続しなければいけません。時効までの7年間捜査をして10億円を費やしました。
➃ 警察組織の組織的な嘘を隠すことができる組織体制を強化しました。これも組織を守るためです。
D 警察官には悪意などありません。とにかく「組織を守るのを通じて国を守る」のが「生活を守る」仕事なのです。
E ほとんどの国民は、警察は国民を守るのが仕事だと思っています。
結局、警察は組織を守るために殺人をした。その事実を隠して、偽装した、組織を守る別のことに税金を使いました。
報道を使って社会不安を煽り、活躍の場を作るという一連の経済システムが警察の現実です。警察官の方々の名誉のために申し上げますが、ほとんどの警察官に悪意はありません。全員が守りシステムの一部になっているだけです。
国家も警察とほぼ同じシステムになっています。各国が戦争で守ったのは国家の統治(支配)システムであり、国民ではありません。全員に共通しているのは「守り」に対する無自覚です。「守り」のイメージが集団神経症の原因と結果になります。私たちはどうすればいいのでしょうか?
「守り」という神経症の危険から自分たちを守るにはどうすればいいのでしょうか?
「守り」は嘘であるのを理解して、「政府などの組織を守るシステム」を信頼したり、利用したりしないようにしましょう。「守り」をやめて、外側と考えている人々との相互理解へと進むことです。 「立場」を守り合えば日本政府がやっている三権連立状態になり、人々の暮らしを蝕むシステムになります。立場を持たない、立場に持たれない存在の良心であり続けることが大切です。人の真実・現実・事実はそういう存在なのです。
社会の神経症 「守り」 住民至上主義 権威の足もとは墓場 前阿久根市長 竹原信一のブログ
http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/54690806.html
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