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翻弄され続けた17年=政府振興策、地域を二分−普天間移設で辺野古住民・沖縄
沖縄県の仲井真弘多知事は27日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として、政府が申請した名護市辺野古沖の埋め立てを承認した。移設計画が浮上してから17年。反対か、容認か。人口2000人に満たない辺野古地区は二分され、政府が繰り出す振興策に翻弄(ほんろう)され続けてきた。複雑な思いを抱える住民を訪ねた。
◇金で郷土売らない
「あまりに無残な最期だった」。沖縄本土復帰から2年後の1974年、当時高校3年生だった金城武政さん(57)は米兵に母を殺された。
地区に隣接する米軍基地キャンプ・シュワブはかつて兵士が多く駐留し、「基地の街」として栄えた。母富子さん=当時(52)=は自宅兼店舗のバーで、強盗に入った米兵にコンクリートブロックで頭を殴られ、亡くなった。「兵士は人を殺す訓練を受けている。何をしでかすか分からない」。金城さんは米兵犯罪をなくすには、米軍基地をなくすしかないと思う。
移設計画が打ち出された後、名護市や沖縄本島北部には国から巨額の予算が落とされた。金城さんは、振興策と引き換えの移設受け入れには反対だ。「努力しなくても豊かになることに慣れ、甘んじている。金のために郷土を売った集落と思われることが情けない」
受け入れ反対の住民集会に顔を出せば、容認派の人たちから疎まれる。人間関係が濃く、いがみ合いもある。警備員やフラワーアレンジメントなどの仕事で生計を立ててきたが、体重が一時は26キロ落ち、医師から安静にするよう忠告された。
それでも、自分の姿勢は変えないつもりだ。「母のような犠牲者を二度と出さないため、訴え続けたい」
◇選択肢なくなった
キャンプ・シュワブのゲートから200メートルの国道沿いでスーパーを営む許田正儀さん(64)。妻と切り盛りする店は、出来たてのタコライスや焼きそばといった総菜が人気で、売り上げの7割が米兵だ。
4人の子どもと5人の孫を持ち、移設受け入れには反対だった。「飛行場が来れば、墜落の危険や騒音が心配だから」。2009年、民主党に政権が交代し、移設先を「最低でも県外」と発言した鳩山由紀夫氏が首相になった時、計画は白紙になると意気込んだ。
しかし、当時の政権は1年もたたず、県外移設を断念した。「どの党がかじを取っても無理だった」。許田さんは無力感から、移設拒否の選択肢がなくなったと感じた。
「次の世代に、負の遺産だけを残したくはない」。許田さんは、辺野古地区で地域の班長を務める1人だ。若者は職を求めて外へ出て行く。「移設を拒めないなら、政府は地域で雇用創出の手だてを打ってほしい」と強く願っている。(2013/12/27-14:58)
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