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一市民も一本一本の木々を育て、日々坦々と森を守ろう!みどり豊かな森が 民主主義の砦になる筈なのに 切り刻んでどうするのか?
一年以上も、投稿する事をしないでいたが、この件で共感できる発言が目に留まらないので、しかたなく筆をとることにした。
森を切れ!と言う声ばかりが大きくなって、森を守れと言う声が無いのが、この国の「発言者」の層の薄さの証明ではないかと思った!
官僚とマスメディアの強固な支配の中、いわゆる「国民大衆」が自分の声を持たないのは事実として受け入れざるを得ないが、普段から積極的な「発言者」であり「発信者」である方々も、一様に一方的に一市民さんを擁護して、誰も「森を守ろう!」と言われないのにDisappointedである(米国大使館用語)!
森を守る擁護者の声が聞こえないからと言って、「一市民」の正しさが証明された訳ではないし、 "一市民K”が、“一市民T”が間違えていると証明しても、「一市民T」の人格を否定した訳でも、本質は「最高裁にある」と最初に指摘した功績が霧散するわけでもない!
小沢一郎氏が 日頃から繰り返し言われるように、「一人一人の自立した国民が集まって住みよい社会を作るのが国家であるべき」だとすれば、一人一人が自立すると言う事は「一人で立つ木」と言うこととも言えるし、集まれば林であり、森になる筈なのだ!
「一市民」は、化学者であり純朴な話しぶりから、一方的に「弱者」とされているため、「弱者を守れ!」という声が、ウヨタチも乗じて日増しに高まっている!
正義の発言者、あま木センセイも、木でありながら森を潰せ!と言うために雨の中を馳せ参じたと!
尊敬する「日々坦々」さんも、ツイキャス中継をしながら、「けしからぬ訴訟を取り消せ!」と!
「一市民」は、しかし、人は良さそうだが、なかなか強い男で、強情と見受けられる!
「自分の確信する正義」のためには、どんなことでもやってのける強い意志の持ち主である!
「自立した木」である!
しかし、自立だけ強調すると、協調性に欠けることになる!
けして、森になれない!
なぜ森さんは訴訟に訴えたのだろうか? と考えてみなかったのか? 天木さんも 飛鳥麻さんも?
立ち止まって考えてみる!
木を見て、森も見る?
夜は北辰に導かれ、昼は、お天道様に照らされ影を生まず!
真当に生きながらも、見えなくなる時も有ってしかたがないが?
今回は、間違っている! You are wrong!
「一市民T」は頑迷な老木である、若木の森さんと比べて!
決して、弱木ではない。
頑迷が故に、森すべてを、枯れ木の森にしてしまう危険性を持っている「一木」だと思われる!
権力側からでなく、森が枯れ木の山にされ、消滅しそうなのだ!
おかげで、この森だけでなく、"小沢陸山会事件”以降に生まれかけた民主主義の「萌芽」さえも摘んでしまう危険を持つ!
「頑迷なる一老木」が、なぜそんなに危険なのだろうか?
体制にとって?最高裁にとって危険だろうか?
一市民Tと石川さんは、共に執拗に何度も、情報開示を請求し、何度も何度も検審に足を運んだ!
自らの足で、民主主義のなんたるかを実証した!
素晴らしき活動である!しかし脅威にはならない!
何故、それが同時に民主主義の根幹に危険を及ぼすことになるのだろうか?!
一市民Tさんの「最高裁判所主敵論」は、説得力、論証力にかけているのは、衆目一致するところであり、また、本人も自覚している!
検察以上に「推認と憶測を重ね」論拠としているが、無理筋である!
ワガモさんや、他の皆さんの緻密で素晴らしい論証に比べると、論理的な飛躍の点が多く、三段跳びか、五段跳びか分からぬが、トビトビに論理を作るので、最高裁も、誰も脅威には感じていないだろう!
「一人よがり」では、古木はすぐ腐り、森を潰す!
森とは民主主義の象徴であり、そこにX氏もおり、八木啓代「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」代表もいる!
森は みんなの希望なのだ!
だがこの森は、シャーウッドの森のように小さい!
しかし、ロビンフッドもいない森だ!
負けない小沢一郎も、権力には抗しても、老木の我慾には勝てまい! 形が見えないから!
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