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三度目で決断した安倍首相 366日目の靖国参拝[日経新聞]
編集委員 清水真人
2013/12/27 2:00
12月25日。首相の安倍晋三は翌26日朝の閣議の開始時間を当初の予定から約1時間前倒しし、9時20分に変更させた。それに続くあるインタビューの約束もドタキャンした。過密日程を縫って創り出した2時間の空白。それは首相再登板から1年の間に2度、迷ってやめた靖国神社への参拝を「三度目の正直」で敢行する決意の表れだった。
■1度目は秘書官、2度目は官房長官が止めた
「国のために戦い、倒れた方々に対し、手を合わせ、尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りするのは当然だ。第1次内閣で任期中に参拝できなかったことは痛恨の極みだ」と繰り返し述べてきた安倍。その言葉を裏付けるように、首相に再登板して第2次内閣を発足させた翌日の2012年12月27日朝、電撃的な参拝を考えていた。靖国神社側と実務的な打ち合わせまで進めていた。
「そんなことをすれば、内閣が3日でつぶれてしまう。秘書官として2度も首相の不本意な退陣を見るなど耐えられない」
こう体を張って止めたのは、首席首相秘書官に就いた今井尚哉(1982年通産省入省)だ。第1次内閣でも首相秘書官を務め、体調を崩して政権を投げ出した安倍の姿を目の当たりにしていた。保守色の強い政治信条で安倍の「兄貴分」の首相補佐官の衛藤晟一らは「参拝は当然という言葉を首相が守らないと13年7月の参院選で不利になる」と説いたが、安倍は自重した。
そして参拝に向かった
官邸内が再び波立ったのは参院選でも勝った後の、この10月16日だ。翌17日からの靖国神社の秋季例大祭を前に、参拝を主張する衛藤や内閣官房参与の飯島勲らと、中国、韓国との関係悪化を考えて慎重論の外務省や、同じく参与の谷内正太郎らが対立していた。安倍は再び参拝に傾いていた。16日夜、安倍が待つ首相公邸に官房副長官(事務担当)の杉田和博、官房長官の菅義偉が相次いで駆け込んだ。
夜遅くまでかかって参拝見送りで安倍を説得したのは菅だ。折しも台風26号が襲った伊豆大島の災害が深刻化して「官邸は危機管理に専念する必要がある」との名目で、安倍は再び思いとどまった。
ただ、この時既に今回の参拝にあたって公表した「不戦の誓い」を力説する首相談話の原案も用意していた。
しかも、安倍は「再登板から1年の節目の12月26日までには参拝したい」と周囲に漏らしていた。保守派の側近議員である自民党総裁特別補佐の萩生田光一がこの頃、記者団に年末参拝プランを披露している。飯島は「中韓との関係は靖国に行かなくても既に最悪ではないか。参拝しても同じだ」と論陣を張った。衛藤は11月に訪米し、オバマ政権の感触を探っている。
■小泉参拝とは異なる新機軸
丸1年、参拝の機会をつかめなかったとなると、賛成・反対の両勢力に「第2次内閣でも参拝しない意思表示だ」と受け止められ、本当に行けなくなりかねない。安倍にはそんな焦りもちらついた。12月24日には靖国神社側に「年末参拝の可能性」という情報がもたらされた。安倍は26日11時30分に参拝実行と見定め、日程に隙間をこしらえたが、1時間前に公表するまでは厳重なかん口令を敷いた。
首相談話の「不戦の誓い」は元首相の小泉純一郎も在任中の参拝に際して表明しているが、安倍はその趣旨を二度三度と繰り返して強調した。小泉とは異なる新機軸も繰り出した。靖国神社本殿への参拝とは別に、同神社内にあり、戦争で亡くなったが、合祀(ごうし)されていない国内の人々、さらに諸外国の戦争犠牲者も慰霊している「鎮霊社」にも参拝したのだ。
これらを通じ、中韓両国を極力、刺激しない配慮を凝らしたつもりの安倍。「この気持ちを直接説明したい」と両国に首脳会談の開催を改めて呼びかけるが、やはり首相の靖国参拝を好ましくないと考える米国も含めて反発や波紋は広がる一方。政権2年目の2014年の安倍外交への影響は見通せない。=敬称略
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2603J_W3A221C1000000/?dg=1
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