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冷血動物著「心のノート」
冷血動物著「心のノート」
道徳の副教材「心のノート」を、多額の税金を使って日本の子ども全員に配布するのなら、その金を子どもの考える力の育成に注ぎ込んだほうがはるかに有意義だと思います。そのためには数学も大切でしょうが、それにもまして重要なのは、国語科の現代文だと思います。とにかく、質の高い書物を熟読することが思考力を高めるための王道だと考えます。読書の仕方を教えられるような人材、それも有能な人材を、教育現場に配置するために税金を使ってもらいたいものです。
僕は、電車に乗っていい気持ちで寝ていた。すると、足にガツンと何かがぶつかった。目を覚ますと、女の子が前に立っている。20歳ぐらいの大学生風である。車内は、そんなに混んでいるわけでもない。日曜日の昼下がりである。立っている乗客は、まばらである。女の子が、電車に乗り込んできて、ちょっと大きな固い荷物を下ろした拍子に、僕の足にぶつかったのである。「この野郎、人がいい気持ちで眠っているのにたたき起こしやがって」と睨みつけても、われ関せずとばかりにかばんから本を取り出して読み始めた。カバーもかけていないので『心理療法序説』という題名をひけらかすかのようにしている(河合隼雄Hayao Kawai著。岩波書店刊)。
女の子は、その本を数行読むと,車外の風景に目をやる。そして、しばらく今読んだ文章を噛みしめるかのように、反芻するかのようにしている。おお、これは書物の読み方としては、なかなかいいかもしれないと思った。まるでバイブルかコーランを読んでいるみたいではないか。惜しむらくは、それが『心理療法序説』であったとは。
このようにして、この冷酷非情な、非人間的な人物の著作が広まっていったのだろうか。何故、このような恐ろしい人物の書いたものが、バイブルかコーランのようにして読まれるのだろうか。どうしてこの冷血動物の著書がもてはやされるのだろうか。
今まで眠っていた、すぐ目の前にいる男が、急に目を見開いて自分を睨みつけている。自分は、ちょっと大きくて固い荷物をその男の足元に下ろしたばかりだ。電車は揺れるものである。これだけの材料が揃っていて、その原因と結果について思いをいたす能力さえも持ち合わせていないのか。小学生ぐらいの子どもでも、それぐらいはできることではないのか。この大学生は、おそらくユング派の臨床心理士でも目指しているのだろう。ろくなカウンセラーにはなれないだろう。人の気持ちを忖度することができない、その能力自体が欠落しているのである。考える力が、まったくないのである。もしかしたら、周囲の世界と隔絶した世界に、ひとりきりで閉じこもっているのではないか。
ユング派は、ありもしない集合的無意識(「心の中の女性像は魂ではない」を参照。11月24日付)という幻を見つめすぎるのである。そのために、他者の存在すら分からなくなってしまう。人がどんなことを感じているのか、何を考えているのかを察することができなくなっているようである。ある程度、利口な子どもでもできることができない。他人に対する配慮がない。思いやりの気持ちが皆無である。自己中心的という言葉が、ぴったりと当てはまる。他者の存在が見えていないのである。人の心の痛みを察することができなければ、必然的に河合隼雄のような冷酷な人間になる。河合隼雄の著書なんか読むから、こうなってしまったのか。それとも河合同様、非人間的な人物が非人間的な河合に魅かれるのか。
河合隼雄は日本臨床心理学会において、子どもの心理検査に関し、その非人間的な取り扱いを厳しく批判された。それでカンカンに怒った河合は、「それなら、こんな学会なんかおん出てやる」と、何人かの手下を引き連れて飛び出してしまった。その後河合は、心理臨床学会という変な名称の団体を設立した(臨床心理学会という名称は、本家のほうが使用しているから使えないわけである)。ところが、臨床心理学会よりも分家の心理臨床学会のほうが、はるかに大きな団体になってしまったのである。妙な話である。河合の冷酷さがよく表れている話である。子ども達を実験材料に使っていたとしか言いようがない。もう人間ではないとしか言いようがない。どうして多くの人は、このような人物に魅力を感じるのだろうか。機械・コンピュータのような心。冷たく、あくまでも酷薄だ。今は、俺のすさまじいばかりの権力欲を隠すために謙虚さを装ったほうがよさそうだ。誰も笑っていないけど、ひとりでへらへら笑っていたほうが、俺のこの冷たい恐ろしい心をカムフラージュできるにちがいない。すべて計算ずくなのだ。人格者、河合隼雄を演じているのである。
僕は、中国に行って「佇立する安寿」(11月3日付け)を論文に仕上げようと思っていた。しかし、もうその機会はなくなってしまった。それなら、せめてアウトラインでもと、このサイトに載せた。
日本の出版社・雑誌に持ち込んでも、最初から相手にしてくれない。冷たくあしらわれるだけである。それで、中国の雑誌なら掲載してくれるかもしれないと考えた。なんとなく、そんな感じがした。
「ユングは新しい福音たりうるか」(8月31日付)は、僕の3本目の論文になるはずだったが、日の目を見なかった。ただ、この論文は、あまりできはよくない。2本目の論文のほうが、よく書けていると思う。この二つの論文は、いくつかの出版社に持ち込んだが、ほとんど、最初から相手にしてくれなかった。2本とも持ち込んだのが、岩波書店である。冷たく拒否された。この出版社は、河合隼雄が人気作家も顔負けするほどの売れっ子になるのに手を貸した。河合のようないかがわしい、いんちき本を書くやつには、ヘラヘラ笑いを浮かべてゴマをすって、僕のように質の高い立派な論文を書く人物には、突慳貪に冷たくあしらうのである。これが日本を代表する、アカデミックな社風を有する出版社の実態である。空っぽ頭の、考える力のないやつらの寄せ集めなのである。ぜひとも告発しておかないといけないと思った。
学習研究社は、横柄で態度のでかい出版社である。自分を何様だと思っているのだろう。こんな出版社が、教育・学習関連の図書を出版しているのは、子どもの教育上極めてよろしくない。しかも、この会社は「心のノート」なんかも制作しているのである。実にけしからん。悪徳商人め。
http://moriyamag.blogspot.com/2013/08/criticism-against-jungian-psychology.html
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