45. 2013年12月24日 23:59:02
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「やすみししわが大君の大御心おおみことのり平成天皇25年12月23日」 「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆(きずな)を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。」 「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。 80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、様々な教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。 天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います」 「『こどもの日』と『敬老の日』にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引継ぎは体調とは関係ありません。 負担の軽減に関する引継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています」 「日本国憲法には『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。』と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。
しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」 「この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。
インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、余り知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。 ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。 そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした」 ---------------------------------------------------------- 「やすみししわが大君の大御心おおみことのり平成天皇25年10月27日水俣」 天皇、皇后両陛下:水俣市を訪問 慰霊の碑に献花も 毎日新聞 2013年10月27日 19時57分(最終更新 10月27日 20時51分) 第33回全国豊かな海づくり大会のため熊本県に滞在している天皇、皇后両陛下は27日、同県水俣市を初めて訪れ、水俣病慰霊の碑に供花した。また水俣病患者らと懇談し、被害の実情に聴き入った。 両陛下は熊本市であった同大会の式典に出席した後、九州新幹線で水俣市に入った。慰霊の碑では一礼し、白菊の花をささげた。その後、水俣病資料館を視察。患者の写真、被害を伝える新聞記事などの説明を受け、被害の実態を伝えている「語り部の会」の会員10人と懇談した。 会長の緒方正実さん(55)は水俣病で祖父を亡くし、自身や家族が次々と病気で苦しんできた経験を語り、「決して水俣病は終わっていないことを知ってください」と話した。 これに対し、天皇陛下は「本当にお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」と話し、「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」と異例の長い感想を述べた。 また、語り部の会の一人で、母の胎内で水銀に侵された胎児性水俣病患者の前田恵美子さん(59)が、「3歳のころ 急にしゃべれなくなり 歩けなくなった」と、生い立ちや病気を抱えながら生きる日々をつづって作詞した歌「ピンクの花が好き」が披露された。両陛下は地元の音楽家、柏木敏治さん(58)の歌に聴き入り、大きな拍手を送った。前田さんは「私の気持ちは両陛下に伝わったと感じました」と話した。【真鍋光之】 ◇天皇陛下のお言葉全文 どうもありがとうございます。本当にお気持ち、察するに余りあると思っています。 やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。 本当にさまざまな思いを込めて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。 みながその方に向かって進んでいけることを願っています。 ------------------------------------- 「日本政府憲法最高法規違反大逆不敬の大罪」 >天皇陛下が『秘密保全法』を反対されている噂がでています。 日本国憲法第10章 最高法規第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 やすみししわが大君今上陛下は日本国の象徴としておわせられ、主権在民の日本国憲法を最高法規に遵って皇祖皇霊天御中主命に御奉誓給わり厳正に擁護なされ給わる。 この最高法規99条を遵守しているのは現在世界で今上陛下と阿久根市役所職員大河原宗平氏のただ二人きりである。 国民国体主権在民日本国憲法の守護神今上陛下におかせられては当然違憲立法である『秘密保全法』に御反対のおおみこころであらせられる。 すなわち現日本政府は国体国民と大菩薩天子今上陛下に対して二重の大逆不敬の罪を犯す憲法最高法規99条違反違憲内乱罪政府である。 コメントhttp://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2013/10/79.html |