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「世界の極悪人」を引き受けた東條英樹の生き様!
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2013年12月22日 「日本人」の研究!
「東條英樹」と聞くと、ヒットラー、ムッソニーと並ぶ、
極悪人というイメージを連想するのではなかろうか。
本当にそうだろうか?
東條さんがやったことの賛否は別にして、
一人の人間の一生としては、あれほど過酷なモノはないように思う。
開戦当時は、東條さん、東條さんとして英雄視していた国民が、
戦争敗れれば、極悪人として蔑む。
そして、未来永劫、極悪人として世界にその名が引き継がれていく。
残された家族はどうなのか、、、。
天皇、国民、そして共に戦った部下達、、、。
そして日本の未来は、、、
と思うと、生き続けるということは、東條さんにとって
耐え切れない思いではなかろうか。
処刑される前にこんなことを語っていたらしい
「死ぬにはいい時期です。終身刑にでもなったら
永遠に煩悩に付きまとわれ、たまったものではない」
と、、、。
またこんなことも
「昨日宣告のとき、心が朗らかになりました。
『大無量寿経』の中の、法蔵菩薩が決定して無上正覚をいるといわれる、
あのような気持ちになりました。
日本の土地に同化して行けることは、非常にありがたいことです」
と、、、、。
そして、東條さんの奥さんへの歌
「明日よりは誰にはばかるところなく
阿弥陀のみもとでのびのびと寝む」
と、、、、。
そしてA級戦犯として判決を待つ元側近に対して
こうも語ったとされる
「戦争の責任は僕一人で背負いたかったが、多くの人々に
迷惑をかけて相済まぬ。君もどんな判決を受けるか知らないけれども、
敵に罰せられると思えば腹もたつだろが、陛下や国民から罰をいただく
と思って、甘んじてもらいたい。敗戦により、国家と国民とが蒙った打撃と
犠牲を思えば、僕が絞首台に上がるごときは、むしろもったいない。
僕はただ絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの
鞭を受けなればならないからです」
と、、、。
そして
「トウジョウ・。ヒデキ、デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」
を、言い渡されたときに
東條さんは「そうか、よしよし」とでも言いたげに軽くうなずいた。
東條さんは
「自殺でもしたら意味がない。絞首刑で死ぬことこそ意味がある。
それが日本の再建の礎石隣、平和の捨石となりえる」と
考えていたようだ。
私は、東條さんは東京裁判では立派に戦った唯一の日本人だと思う。
ご立派だったと感じる。
確かに戦争のやり方は、まずいところがあったのかもしれない。
しかし、海軍でさえ、あの虎の子の空母4隻をを失った
ミッドウェーの敗北を隠蔽していたようだ。
東條さんは、
「私がもしミッドウェーの敗北を知っておったらインパール作戦はやらなかった」
とも、語っておられた。
その頃から、相変わらず、官僚というのはそういう体質なのかもしれない。
省庁間の面子の為なら、こんな大事なことでさえ隠蔽してしまう。
さらに新聞は、戦争を煽りまくる。
国民は熱狂する。
多くの軍人達も、「米英打つべし」と上を突きあがる。
そんな時、「軍を押さえられるのは、東條しかいない」
ということで、天皇の使命によって、総理となる。
日本よりはるかに大国のアメリカと戦うのに、誰が手を上げて
総理をやる人が当時いたのだろうか。
それよりも、勇ましいことをいって総理にまで上り詰め、
日米交渉が上手くいかないと放り投げてしまう
どこぞの貴公子の方が、罪が重いのではなかろうか。
東條さんは、昭和15年に陸軍大臣になるまで、政治にかかわることはなかった。
それよりも、「水商売の教育は受け取らん」とし、
人気取りと妥協で行う政治の世界と、水商売というような
感覚でいたらしい。
実直、厳格、生真面目、几帳面、細心、神経質な東條さん、
人一倍責任感が強く、神と崇めた天皇から指名された仕事を
必死にこなそうとしたのかもしれない。
そして、東京裁判では、逃げることなく、勇敢に日本の正当性を
主張する。
東條さんの人生を考えると、なんという過酷な人生なのかと
つくづく思う。
アメリカは重慶の蒋介石に莫大な借款供与し、日本には経済圧迫を強め、
そしてついに石油をも、禁輸してしまう。
歴史とは、いつの時代も勝者のモノ。
勝った方が正当化されていく。
それに日本とアメリカというのは、戦う運命にあったといっても
過言ではない。
最近ある本に書いてあったが日本というのは欧米にとって
「突如、現れた大国」というイメージらしい。
ほんの数十年前まで、チョンマゲにはかまをはいていた民族が、
ゼロ戦を作って操縦し、空母で向かってくる。
そして、欧米とは明らかにその思想、社会の仕組みというものが違う。
出光の創業者、出光佐三さんが言っていた
「天皇を中心とした大家族主義」とでもいうのか、
地縁、社縁、血縁など強い共同体基盤のもと、自分のことより
社会全体を優先して、ドンドンと成長を遂げていく。
第一次世界大戦のとき、日英同盟のもと、黄色人種が
ヨーロッパに戦艦を送ったのは、欧米人は驚いたようだ。
また、満州の発展、生糸など輸出がドンドン伸びていく。
そして、第一次大戦後、黄色い顔をして大国にのし上がった民族が、
「人種差別撤廃」をも迫ってくる。
アメリカ国内にも、公然と人種差別というモノがあった時代だ。
つい隣の国が、自分たちとはまったく違う価値観で、
成功していく。
人間の集団心理とは、そういう場合どのように働くのか、
よくよく考える必要がある。
そして、アメリカにこっぴどく敗れてからすでに70年近くが過ぎようとしている。
いつまでも、あの戦争のトラウマから抜け出せ切れていない。
そして、明日が東條さんたちが処刑されてから、ちょうど65年。
もう一度、日本のあり方をつくづく考える日であることを願う。
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