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小沢一郎を過大評価している部分以外は
このブロガーの意見に賛同する。
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(夜のメッセージ)一市民T氏を民事提訴で政治家生命を自損した森ゆうこ
http://linkis.com/yahoo.co.jp/N5Ki
一市民T氏と森ゆうこのバトルが、森ゆうこの一市民T氏民事提訴に至ってしまった。これは由々しき事態である。天木直人氏も森ゆうこに対して怒りを露わにした。前国会議員として市民を提訴するのはスラップ訴訟だという訳である。森ゆうこにその意識は無いと思うが、天木氏のような人物が言うのであるから、そう見做されても仕方ない部分はあるだろう。ネット界の意見を散見した所でも、森ゆうこの旗色は悪い。
一市民Tさんへの評価で確定的であるのは、最高裁の謀略に対するネット国民の意識を革命的に高めた事である。最高裁事務総局など全く知られていなかったが、今やネット国民の常識である。兎に角、一市民の立場で最高裁事務総局に踏み込んで情報を取り、分析して結論を導き、ネット発信した全行為は素晴らしいの一語である。
一市民Tさんの評価を考える時、まず何よりもこの事が来る。即ち、誰も一市民Tさんを悪く批判できないし、ましてや提訴などあり得ないという事である。一市民Tさんの全行為は根本に於いて日本国民が評価しなければいけないものである。
私も小沢事件を切っ掛けに政治的に目覚め、ネット言論に参戦した。多くのネット国民も同じ経験をしている。一市民Tさんもそういう事である。小沢事件への怒りに於いてネット界は一致していた。そして、窮地の小沢一郎を救い出した。ネット界の小沢祭りとも言うべき状況が小沢の政治生命を守った事は疑いようのない事実である。小沢一郎を支持する国会議員達はネット界の絶大な支持を受けた。森ゆうこは最大の支持を受けたのである。私も森ゆうこ支援の記事を書いて阿修羅でトップになった事も一度ならずあったものである。
森ゆうこはネット界から最高に評価されていた。正に女性闘士だった。小沢の後は森ゆうこだと皆が見ていたものである。我々は森ゆうこの心意気に共鳴していたのである。一市民Tさんもそういう森ゆうこと共闘して最高裁を追い詰めていた。小沢事件が我々を一致団結させていた。
それが今回森ゆうこ民事提訴である。頭がクラクラするような感じである。一市民T氏は最高裁犯人説、森ゆうこは検察犯人説、即ち最高裁犯人説の否定。一市民Tさんは検察犯罪を否定している訳ではない。つまり、森ゆうこの言い分を認めている部分は基本的にある。しかし、最高裁犯人説の否定は絶対認められないという事である。
一市民Tさんは自ら足を運んで情報を得、思考過程を全てインターネットに開示した。ネット界にも一市民Tさんの考えを否定する者もいるが、今でも大きな発言力を持つ一市民Tさんの言論的優位は明らかである。兎に角、圧倒的調査力に裏付けられた明晰な論理展開による最高裁犯人説は揺るぎない。どんな反論批判も一市民Tさんをへこます事はできなかった。
私は別角度から最高裁犯人説を自分の結論としている。一市民Tさんの考え方に100%賛同している。小沢事件という巨大政治謀略事件は検察レベルでこなせる事件ではない。最高裁による完全犯罪をしなければ、権力を支える体制が崩壊してしまう。小沢事件自体が最高裁犯人説を正解としているのである。
一市民Tさんの「最高裁の罠」出版が最高裁を追い詰めた事は間違いない。前代未聞である。小沢無罪判決を私は確信していた。田代問題があったからだ。田代は絶対無罪である。それで小沢有罪などあり得ない。田代を守る事が検察を守る事であり、体制崩壊を防ぐ事であった。論理的に小沢無罪は確実だった。
しかし、どうも事前に小沢側と最高裁側が手を打ったようである。小沢側とすれば無罪の確信が持てなかっただろう。歩み寄る理由はあった訳である。最高裁側も検察犯人説で手を打てば助かる。交渉成立であろう。藤島氏が小沢側の空気を読んでいた事を語っていた。
私は小沢側が自分の無罪を確信できていたら手打ちは無かったと思う。藤島氏は弘中弁護士の引いた線に沿って手打ちがあっただろうと推測していた。小沢は弘中弁護士に丸投げだったろう。無罪なら手打ちも良しだったと思う。この辺の判断で小沢を責める事はできない。小沢は無罪なら政治的に復活する自信を持っていた。最近の講演でも復活の自信を披露していた。
小沢の政治的判断としての手打ちは、政治的判断であるからあり得るのである。そこをとやかく批判しても無意味である。政治は結果である。最後に小沢政権にたどり着けばいいのである。或いは政権の再度の交代ができればいいのである。まだ結果が出ていないので、今小沢の政治判断を批判しても始まらない。小沢は結果を出す強い意思を持ってる。
手打ちせずとも無罪だったのだ。最高裁を攻め込む事はできた。しかし、戦いの現場にいた小沢が確実な無罪を選んでも無理からぬ。一番悪いのは分かり切っている。最高裁であり、検察であり、マスコミである。自民党もだ。安全第一で無罪手打ちは政治判断としてあり得る。
一市民Tさんが感じた森ゆうこの変節の裏にはこういう事があったと思われる。突如として最高裁追及を止めてしまった。小沢の安全を第一に考えた行動は政治的に許容される。しかし、市民の行動は政治家の政治的行動とは無関係である。市民は市民である。
一市民Tさんが市民目線で感じた森ゆうこの変節を批判するのは当たり前である。変節も根拠もきちっと論述している。森ゆうこはそれに対して妄想と言っていた。妄想なら誰も相手にしないし、民事提訴などする必要はない。民事提訴したという事は、一市民Tさんの論述に信憑性があったからだ。妄想ではない訳である。森ゆうこの方が言葉に矛盾がある。
一市民Tさんの論述に信憑性があるなら、森ゆうこは同じく論述で反論しなくてはならない。今回の行動は全く馬鹿げていて、森ゆうこ自身の自損行為である。政治的判断で手打ちをしたなら、手打ちを批判する市民を裁判に掛けるなどあってはならない。政治的判断とは結局はズルでる。ズルをやっておいて真面目な市民を裁判に訴えるとは、政治家として失格で、その行為は政治屋のものである。
今回の行動は森ゆうこの単独の判断だろう。小沢がOKする筈がない。森ゆうこは小沢の為にと思った行動が、近い人間から攻撃されて激情が走ったように思える。
大きな過ちである。カルト秘密法が市民をターゲットにした如く、政治家が市民をターゲットにした。森ゆうこは過ちを認めて提訴撤回するべきである。森ゆうこもまだ未熟だったという事である。
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