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1987年秋、沖縄では国民体育大会がひらかれていた。ソフトボール競技の会場は、第二次大戦中、悲惨な日米両軍の地上戦の舞台となり、集団自決もあった読谷(よみたん)村だった。
会場のスコアボードの上には日の丸の旗が掲げられていた。と、ひとりの中年の男がスタンドを駆けのぼって、日の丸の旗を引きおろし、ライターで火をつけて焼いた。「日の丸焼却事件」の発生である。
男はこの村でスーパーマーケットを経営している知花昌一さんで、器物損壊罪で起訴された。彼の行動は、沖縄住人としての「日の丸」への反発によるものだった。
それから6年後の93年3月、那覇地裁でこの事件の判決があった。懲役1年、執行猶予三年の有罪判決だった。
検事側の起訴状では、焼かれた物品が「国旗」とされているが、日本の法律では、いかなる旗が国旗であるかは法制化されていない。「国旗」の記述は意味不明だ。犯罪事実とされる訴因が特定されていない以上、起訴は無効であり、無罪である、と弁護側は主張している。だから、裁判では、「国旗」とは日の丸を指すのかどうか、が争われた。
那覇地裁の判決は、「現行法制上、日の丸旗をもってわが国の国旗とする旨の一般的な規定が存しないのは弁護人が指摘する通りである……国民統合の象徴として用いる場合の国旗については何らの法律も存せず、国民一般に何らの行為も義務づけていない」
と、日の丸を国旗とする法律はない、と明確にしている。そして、そのあとで、
「しかし、現在、国民から日の丸旗以外に国旗として扱われているものはなく、また多数の国民が日の丸旗を国旗として認識して用いている」から、検察官が焼かれたものを国旗といっているのは、日の丸のことを指すと理解できる、と判断している。
この判決で、裁判官は、日の丸を「国旗」だと断言しているのではなく、検察官が「国旗」といっているのは日の丸のことだというのはわかる、といっているにすぎない。
いま、日の丸を「国旗」とはっきりいっているのは、文部省である。92年度の小学6年の「社会」の教科書から、日の丸を「国旗」、君が代を「国歌」と記述させている。
それによって、卒業式で日の丸の掲揚や君が代の斉唱をしない教師を処分している。法的な定義やはっきりした国民的合意がまだないのに、文部省が処分を乱発するのは、法的には疑問がある。日本の教育は学校現場での教師や生徒の少数意見を尊重せず、封殺してしまう、という大きな欠陥をもっているが、日の丸・君が代処分は、その中心といえる。
注)1999年8月13日、国旗及び国歌に関する法律(日の丸・君が代法)は公布、即日施行された。これによって、日の丸と君が代が国旗、国歌であると法的に定められた。ときの首相は小渕恵三、所管官庁は総務省である。
「日の丸焼却事件」 鎌田慧ブログ〜その仲間たちが作る
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