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偽りの民主主義
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20131218-00030770/
2013年12月18日 15時4分 田中 良紹 | ジャーナリスト
浜野保樹著『偽りの民主主義』(角川書店)という本を読んでいる。敗戦後の日本の映画・演劇がGHQの指導の下で復興する過程を描いた本である。そこには「日本を民主化する」と称してアメリカが行った数々の「統制例」が書かれてある。
日本の映画人たちは終戦の1か月後に集められ、「戦前の日本の検閲はすべて廃止し、民主化に協力するものに限って製作の再開を認める」というGHQの方針説明を受ける。その方針は演劇、浪花節、落語、漫才、講談にも適用された。
GHQの担当官デイビッド・コンデは映画の素人だが、日本の映画界に絶対的な権力を振るうようになり、「検閲ではなくサジェスチョンだ」と言いながら事実上の事前検閲を行う。復讐劇が多い時代劇の制作を認めず、軍閥や財閥の横暴を暴き労働組合意識を高める映画を奨励した。また「キスは民主主義のシンボル」として映画にキスシーンの挿入を強要し、俳優に対する講習会まで開く。
8月15日を日本人は「終戦」と思っていたがアメリカは違った。狂信的で好戦的な日本人を洗脳しなければ占領軍は日本人から襲われるという恐怖心からアメリカは心理作戦を継続する。それが映画や演劇に対する「統制」となる。コンデの指導の下に黒沢明の『わが青春に悔いなし』や木下恵介の『大曾根家の朝』、今井正の『民衆の敵』など「民主主義を扇動する」映画が作られた。
戦後の日本でコンデが指導したのは映画だけではない。共産主義者であったコンデは労働組合の結成にも力を入れた。大映や東宝に労働組合が生まれ、それが後に米軍まで出動した東宝の大争議へとつながる。労働組合を作らせたのもアメリカなら後に争議を弾圧したのもアメリカであった。
コンデはGHQの民政局に所属したが、冷戦が始まると民政局は反共主義者のウィロビー率いる参謀二部と対立する。1946年、コンデは天皇の戦争犯罪を問う映画『日本の悲劇』を作らせたことから役職を解任された。アメリカは戦時中から天皇を中心とした傀儡政権を日本に打ち立てる方針を持っていたためである。『日本の悲劇』はフィルムのネガもポジもすべて没収された。
日本人の洗脳を遂行するGHQは、占領当初は日本にアメリカ映画だけを輸入させる方針でいた。しかしヨーロッパ映画の輸入も認めざるを得なくなると、連合国側の映画は認めたが、ドイツなど敵側の映画は禁止した。
そしてGHQはイギリスやフランスよりアメリカ映画が圧倒的に多く輸入される割当制を公布し、民主主義を広めると称して日本国内の映画館や劇場を接収し、映画だけでなく音楽や演劇の市場も占有しようとした。
「貿易は映画に続く」というのがGHQの方針であった。映画によってアメリカへの憧れを生み出し、アメリカの生活様式を普及させれば、アメリカ製品が売れるという考えである。映画で見たウェディング・ドレスを着るためキリスト教徒でもない日本人が教会で結婚式を挙げ、映画で見たクリスマスを日本人が祝うようになった。
日本は敗戦によって表現の自由が回復されたと思わせられたが、しかし占領の現実そのものを映画で表現する事は厳しく規制された。占領政策の妨害になるという理由で焼け跡の風景や横文字の標識、進駐軍施設を撮影することなどは許されなかった。
日本が独立すると日本の映画人は占領期に作れなかった映画を作ろうとする。原爆投下を扱った『長崎の鐘』や『原爆の子』、基地問題を扱った『混血児』や『赤線基地』などが作られたが、谷口千吉が監督した東宝映画『赤線基地』はアメリカの圧力によって公開が中止される。日本映画界は60年安保後に今村昌平が『豚と軍艦』を撮るまで米軍基地を自由に描く事が出来なかった。
1951年に日米安保条約が締結されると、ハリウッドはずるがしこい悪役という日本人のイメージを好転させなければならなくなる。そこで「日本女性とアメリカ人男性のロマンス」映画が次々に作られる。京マチ子、ナンシー梅木らが出演した『八月十五夜の茶屋』や『サヨナラ』などは、しかしいずれも日本人には受け入れがたい異国情緒に塗り固められていた。
こうした戦後の日本映画史を見てくると、民主主義を巡る日本とアメリカの関係は今も変わらないと思えてくる。一方にリベラルな民主主義を押し付けるアメリカがあり、もう一方にタカ派的な民主主義を押し付けるアメリカがある。その主張はまるで違うのだが、しかし両方とも目的は一つでそれはアメリカの国益を狙っている。
アメリカは時と場合でどちらが有利になるかによってそれを使い分けてくる。ところが日本はどちらかを正義と考える二つのグループに分かれて対立するのである。GHQから追放されたコンデが日本に舞い戻り、社会党の機関誌に連載していた事実などを知ると、戦後の保革対立にはアメリカの影を感ずるが、冷戦が終わってからもその構図は変わらない。
冷戦が終わる頃、アメリカの敵はソ連でも中国でもなく日本経済だった。その頃ワシントンで日本問題の専門家として活躍したロナルド・モース教授は私にこう言った。「地球上でアメリカと異質な国は日本、北朝鮮、キューバの3つだ」。思わず「ソ連と中国は違うのか」と聞き返したが彼はかぶりを振った。
日本の総理が「日本とアメリカは価値観を共有している」と発言するとき、私は言いようのない違和感を感ずる。アメリカはそう言わせる事が利益になると思えばそうするが、そうでないと思えば言わせないようにするだけの話である。
終戦の日のニューヨーク・タイムズ紙には日本という怪獣の牙を抜く米兵の漫画が掲載され、「怪獣は死んでいないので牙を抜く作業は永遠に続けなければならない」と書かれてあったと言う。日本人は終戦によって戦争は終わったと考えているが、アメリカの対日戦争はまだ終わっていないのである。
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